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勇者学園の戦わない保健室 〜傷だらけの英雄たちに、とびきりのハーブティーを〜  作者: 伝福 翠人


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9/12

対話という武器

「ミナ、炎の壁で熱波を防げ! エリアスは風で先生の足場を作れ!」


レオンの指揮が飛ぶ。


私の周りを、赤、緑、青の光が守護精霊のように舞っていた。教え子たちの魔法が、暴走する魔力の嵐から私を守ってくれている。


風の道を進む私の頬を、鋭利な刃物のような魔力の残滓がかすめていく。


「……すごい」


近くで見るセオドアの魔力は、圧倒的な質量を持っていた。重力すら歪み、時計塔の瓦礫が物理法則を無視して浮遊している。


その中心に、彼はいた。


両手で頭を抱え、胎児のように丸まりながら浮いている。


「来るな……! 見るな! 僕は完璧なんだ……欠陥品なんかじゃない!」


彼の絶叫が、物理的な衝撃波となって襲いかかる。


「くっ!」


防護魔法がきしむ音がした。レオンたちが歯を食いしばって耐えているのが分かる。


これ以上近づくのは危険だ。普通なら、ここで諦めるだろう。


でも、ここが私の戦場だ。


私はポケットから小さなキャンドルを取り出した。


風が強すぎて火は点かない。けれど、私はそれを胸の前で両手で包み込み、自身の微弱な魔力を注ぎ込んだ。


「お願い……届いて」


それは『安息の灯』。


火ではなく、心の温もりを灯す魔法。


私は目を閉じ、意識を深く沈めた。


物理的な距離ではなく、心の距離を縮める。私の固有魔法が、セオドアの堅牢な心の壁に小さな隙間を見つけた。


そこへ、意識ごと飛び込む。


   *


――気がつくと、私は静寂の中に立っていた。


嵐の轟音は消え失せている。


そこは、無限に続く真っ白な螺旋階段の上だった。


階段は空に向かって伸びているが、終わりが見えない。そして、一歩踏み外せば奈落の底だ。


これが、彼の心象風景。


「……ハァ、ハァ……まだだ、まだ足りない……」


階段のずっと上の方に、セオドアの背中が見えた。


彼は重そうな荷物を背負い、裸足で、血を流しながら階段を登り続けていた。


荷物には『父の期待』『学園の威信』『生徒会長の責任』といった札が貼られている。


「セオドア君」


私が声をかけると、彼はビクッと肩を震わせ、振り返らずに叫んだ。


「話しかけるな! 止まったら落ちてしまう! 登り続けないと、僕は価値がないんだ!」


「どうして?」


「決まってるだろ! 僕は選ばれた人間だ。一番上にいなきゃいけないんだ。一度でも失敗したら、すべて終わりなんだ!」


強迫観念。


誰かに植え付けられた、呪いのような使命感。


グロリア教頭の教育、そして名門貴族である彼の家庭環境が、彼をここまで追い詰めたのだ。


「誰もそんなこと望んでいないわ」


私は階段を一段ずつ登りながら言った。


「みんな、あなたが笑っているところを見たいだけよ」


「嘘だ! 笑っている暇なんてない! 弱みを見せたら、教頭先生は僕を捨てる。父さんは僕を勘当する。……怖いんだよ!」


セオドアが振り返った。その顔は、涙と鼻水でぐしゃぐしゃだった。


優等生の仮面の下にあったのは、怯えきった子供の顔だった。


「捨てられたくない……一人になりたくない……だから完璧でいなきゃいけないんだ……!」


「そう。怖かったのね」


私はさらに近づいた。彼が放つ拒絶のオーラが、私の肌を焼くように痛い。それでも、歩みを止めない。


「でもね、セオドア君。完璧な人間なんていない。教頭先生だって、私だって、欠けだらけの人間よ」


「違う! お前たち凡人とは違うんだ!」


彼は魔力を込めた腕を振り上げた。拒絶の衝撃波が私を吹き飛ばそうとする。


「帰れ! 僕の世界に入ってくるな!」


私は踏ん張った。カーディガンが裂け、腕から血が滲む。


現実世界でも、私の体は傷ついているだろう。レオンたちが必死に守ってくれているはずだ。だから、私は引けない。


「帰らない。だって、あなたは泣いているじゃない」


私は血の滲む手を伸ばした。


「痛いんでしょう? 荷物が重いんでしょう? 下ろしていいのよ。もう十分頑張ったわ」


「……無責任なことを言うな! 下ろしたら、僕はただのゴミになる!」


「ならないわ。荷物を下ろしても、あなたはセオドアよ。私の大切な生徒よ」


あと一歩。


彼の目の前まで来た。


セオドアは震えながら、私を睨みつけている。その瞳の奥で、理性の光と狂気がせめぎ合っている。


「……僕を、認めてくれるのか? 1位じゃなくても? 勇者になれなくても?」


「ええ。あなたがただそこにいてくれるだけで、私は嬉しい」


私は、彼が背負っている巨大な荷物に手をかけた。


ずしりと重い。こんなものを、たった一人で背負い続けてきたのか。


「一緒に持たせて。半分こしましょ」


私が荷物を持ち上げようとした瞬間、セオドアの目から大粒の涙が溢れ出した。


「……う、うあぁぁぁ……!」


彼が膝をつく。


それと同時に、心象世界の真っ白な階段が崩れ去り、景色が変わった。


温かい夕焼けの教室。放課後のチャイム。


それが、彼が本当に求めていた場所だったのだ。


   *


現実世界。


時計塔を覆っていた黒い霧が、急速に晴れていく。


紫色の稲妻が消え、静寂が戻ってくる。


「……おい、止まったぞ」


レオンが呟く。


空中に浮かんでいたセオドアの体が、ゆっくりと降下してくる。


それを抱きとめるように、私も地面に降り立った。


セオドアは意識を失っていたが、その寝顔は穏やかだった。


私はその場にへたり込んだ。全身が痛い。魔力を使い果たして、指一本動かせない。


「先生!」


レオンたちが駆け寄ってくる。ミナが泣きながら私に抱きついた。


「よかった……! 死んじゃうかと思った!」


「……ごめんね、心配かけて。でも、間に合ったわ」


私は腕の中のセオドアを見つめた。


心のカルテに映る彼の心は、まだ傷だらけだが、あの禍々しい亀裂は消えていた。


代わりに、柔らかな『萌黄色』の光が灯っている。再生の兆しだ。


「……ふん。退屈な結末ね」


頭上から声がした。


グロリア教頭が、興味を失ったように私たちを見下ろしていた。


「今回は見逃してあげましょう。ですが、覚えておきなさい。壊れかけた玩具を修理しても、新品には戻らないということを」


教頭はそれだけ言い残し、夜の闇へと消えていった。


「……あいつ、どこまで!」


レオンが剣に手をかけるのを、私は目で制した。


今は、戦う時ではない。


「帰りましょう、みんな。……温かいお茶が飲みたいわ」


私が言うと、生徒たちは顔を見合わせ、それから優しく笑った。


レオンがセオドアを背負う。ニルスが私の肩を支えてくれる。


私たちはボロボロになりながら、月明かりの下、北校舎へと歩き出した。


それは、学園の歴史に残るような大事件だったかもしれない。


けれど私たちにとっては、ただの「少しハードな課外活動」だった。


だって、ここには英雄なんていない。


ただ、互いの傷を舐め合い、支え合って生きる、不器用な人間たちがいるだけなのだから。

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