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勇者学園の戦わない保健室 〜傷だらけの英雄たちに、とびきりのハーブティーを〜  作者: 伝福 翠人


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7/12

心の感染

教頭からの警告は、言葉だけでは終わらなかった。


翌日から、学園全体の規律が劇的に強化されたのだ。


『これより、全生徒の自由時間を30%削減する。その分を実戦訓練に充当すること』


『休日外出の禁止。寮内での私語の制限』


『成績下位者への懲罰強化』


次々と発令される新ルールは、生徒たちの生活から「余裕」を徹底的に奪い去った。


廊下を歩く生徒たちの顔からは表情が消え、挨拶の声すら聞こえなくなった。


誰もが教師の目を恐れ、互いを監視し合うような空気が蔓延している。


「……酷いな。これじゃあ監獄だ」


特別カウンセリング室に来たレオンが、悔しそうにテーブルを叩いた。


彼のような特待生であっても、この締め付けからは逃れられない。今日の彼は、以前のような疲労の色を濃く滲ませていた。


「レオン君も、寝不足でしょう?」


「……ああ。夜間の見回り任務が増えたんだ。『心の弛み』を監視しろ、とな。エリアスなんか、研究室に鍵をかけられて実験もできなくなった」


「ニルス君も、今日は来られないって。懲罰掃除を命じられたらしいわ」


ミナが不機嫌そうにクッキーをかじる。


特別カウンセリング室への風当たりも強くなっていた。「サークル活動」と見なされ、利用時間を大幅に制限されたのだ。


それでも、彼らは隙を見てここに集まっていたが、それ以外の生徒たちは寄り付かなくなっていた。怖くて来られないのだ。


「先生、どうするんですか? このままじゃ、みんな本当におかしくなっちゃう」


ミナの不安そうな問いかけに、私は言葉を詰まらせた。


私の『心のカルテ』は、学園全体がどす黒い靄に包まれているのを示していた。


ストレス。恐怖。閉塞感。


それらが限界値を超えようとしている。


そして、その時は突然訪れた。


   *


昼休みの学生食堂。


数百人の生徒が食事をとるその場所は、以前なら活気ある騒音に満ちていたが、今は食器のカチャカチャという音だけが響く異様な静けさだった。


私は教職員用の席で、生徒たちの様子を観察していた。どの子も顔色が悪い。


「……いやだ」


突然、女子生徒の悲鳴が上がった。


全員の視線が集まる。席を立ったのは、真面目でおとなしそうな二年生の女子生徒だった。


「来ないで……! 私を見ないで!」


彼女は自分の皿を床に叩きつけ、何もない空間に向かって手を振り回した。


「影が! 影が私を食べに来る! 私はまだ役に立つわ! 捨てないでぇぇ!」


「落ち着け! 何があった!」


近くにいた男子生徒が止めようとしたが、彼女は錯乱状態で暴れまわった。


そして、その狂気は、まるでウイルスのように瞬時に伝播した。


「……僕にも見える。影だ……!」


「嘘だろ、あっちにもいる!」


「やめろ! 俺を最前線に送らないでくれ!」


一人、また一人と、幻覚を見始めた生徒たちが叫び声を上げ始めた。


集団パニック。極度のストレス下で起こる集団ヒステリーだ。


『心の感染』。恐怖が恐怖を呼び、正常な判断力を奪っていく。


「静粛に! 席に戻りなさい!」


教師たちが怒鳴るが、パニックは収まるどころか拡大していく。


魔法を使う生徒まで現れた。食堂の中で火球が飛び交い、氷の矢が壁に突き刺さる。地獄絵図だ。


「やめなさい!」


私は立ち上がり、叫んだ。だが、私の声は喧騒にかき消される。


その時、鋭い剣閃が空を切り裂いた。


「全員、武器を捨てろ!」


レオンだ。彼はテーブルの上に飛び乗り、魔力を込めた声で一喝した。


その隣には、風魔法で飛んできた食器や魔法を防ぐエリアスと、パニックを起こした生徒の足元を蔓で拘束して止めるミナ、そして姿を消して暴れる生徒の杖を取り上げるニルスの姿があった。


「レオン! みんな!」


私は彼らの元へ駆け寄った。


「先生、指示を! どうすればいい?」


レオンが叫ぶ。


「鎮静化が最優先よ! エリアス君は換気を! 淀んだ空気を入れ替えて! ミナちゃんは照明を明るく! 影なんていないことを見せるの!」


「了解!」


エリアスが杖を振ると、食堂の窓が一斉に開き、新鮮な風が吹き込んだ。


ミナが指を鳴らすと、天井に巨大な光の球が生まれ、食堂の隅々までを照らし出した。


「ニルス君、一番怯えている子に『安らぎ(カーム)』の魔法を! レオン君は、皆に声をかけて! 『大丈夫だ』って!」


ニルスの見えない魔法が、発狂していた女子生徒の肩に触れる。彼女の力が抜け、その場に崩れ落ちた。


レオンは剣を収め、両手を広げた。


「みんな、見ろ! 影なんていない! ここにいるのは仲間だけだ!」


学園最強の剣士の力強い言葉は、パニックに陥った生徒たちの心に杭を打つように響いた。


明るい光。新鮮な空気。そして頼れるリーダーの声。


集団幻覚は、潮が引くように収まっていった。


「……助かった……のか?」


「俺、何を……」


生徒たちが我に返り、呆然と周囲を見回す。


私はほっと息をついた。なんとか最悪の事態は免れた。


「……見事な手際ですね」


頭上から、冷ややかな声が降ってきた。


食堂の二階、貴賓席のバルコニーに、グロリア教頭が立っていた。彼女は騒動の一部始終を、表情一つ変えずに見下ろしていたのだ。


「教頭先生! 生徒たちのケアが必要です! すぐに医務室とカウンセリング室を開放してください!」


私が訴えると、教頭は小さく鼻を鳴らした。


「ケア? 必要ありません。この程度で乱れる精神こそが、排除すべき『弱さ』なのですから」


「なっ……! これの原因を作ったのはあなたです!」


「いいえ。これは選別スクリーニングです。私の教育方針に耐えられない不純物が、自ら炙り出されたに過ぎない」


教頭は冷酷な目で、へたり込んでいる生徒たちを見回した。


「パニックを起こした者は全員、再教育施設へ送ります。彼らは勇者の資格なし」


「そんな……!」


再教育施設とは名ばかりの、過酷な強制収容所だという噂がある。そこへ送られれば、二度と普通の生活には戻れないかもしれない。


「待ってください! 彼らは病気ではありません! ただ疲れているだけです!」


「決定事項です。……それと、エルナ・トワイライト」


教頭の視線が私に向けられた。


「あなたの『お友達』たちが、事態を収拾したことは認めましょう。ですが、それは彼らが私の教育に適応したからに過ぎない。あなたの『甘やかし』の成果ではありませんよ」


そう言い捨てて、教頭は踵を返した。


食堂には、重苦しい沈黙が残された。


   *


放課後、特別カウンセリング室。


レオンたちは誰も口を開かなかった。悔しさと無力感が漂っている。


パニックを起こした数十名の生徒は、その日のうちに連れ去られた。私たちは誰も彼らを守れなかった。


「……先生。僕たちは、何のために強くなったんでしょう」


ニルスがポツリと言った。


レオンが拳を握りしめ、ギリッと歯ぎしりをする。


「守れなかった……。あんなに近くにいたのに、教頭の命令一つで……」


「みんな、自分を責めないで」


私は彼らの肩に手を置いた。けれど、私自身の心も震えていた。


『心のカルテ』に映る学園の色は、もはや警告色を通り越して、死のような黒色に染まりつつある。


教頭は本気だ。生徒を人間だと思っていない。


そしてこの恐怖支配は、必ず次の悲劇を生む。


私の予感は、最悪の形で的中しようとしていた。


窓の外、生徒会室のある塔を見上げる。


そこには、学園で最も優秀で、最も教頭に忠実な生徒――生徒会長がいるはずだ。


彼の心の色が、見たこともないほど危険な『赤黒い亀裂』を発していることに、私はまだ気づいていなかった。

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