排除命令
生徒会長の暴走事件から数日が過ぎた。
学園は、奇妙なほど平穏だった。あの夜、崩壊しかけた時計塔は魔法で修復され、何事もなかったかのように授業が再開されている。
唯一の違いは、北校舎の特別カウンセリング室が、以前にも増して賑やかになったことだ。
「……それで、気がついたら先生の膝の上で寝ていたんです。恥ずかしい……」
顔を赤くして話すのは、意識を取り戻した生徒会長のセオドアだ。彼はまだ魔力の使用を禁じられているが、顔色は随分と良くなっていた。
「いいじゃないか。あのまま爆発してたら、俺たちが大変だったんだぞ」
レオンが笑いながら彼の背中を叩く。
その横で、ミナとニルスがエリアスの持ってきたクッキーを頬張っている。
「でも、先生凄かったです。あんな嵐の中に飛び込んでいくなんて」
「僕たちも必死でしたよ。教頭の私兵に見つからないように工作するのが」
部屋には温かい空気が流れていた。
紅茶の香りと、生徒たちの笑い声。それは私が守りたかった、ささやかで大切な光景だ。
けれど、私は知っていた。この平穏が、嵐の前の静けさであることを。
『コンコン』
ノックの音が響いた。生徒のものではない、硬質で事務的な音だ。
ドアが開く。そこに立っていたのは、黒いローブを着た教頭直属の執行官たちだった。
「エルナ・トワイライト。及び、ここにいる生徒諸君」
執行官の一人が、羊皮紙を広げた。
「グロリア教頭からの通達だ」
部屋の空気が一瞬で凍りついた。レオンが即座に立ち上がり、私を庇うように前に出る。
「……なんだよ。俺たちは何も悪いことはしていない」
「静粛に。……通達を読み上げる」
執行官は無機質な声で続けた。
『一、特別カウンセリング室は、学園の秩序を乱す反乱分子の温床と認定し、本日付で閉鎖とする』
『二、スクールカウンセラー、エルナ・トワイライトを解雇とし、即時の学園追放を命じる』
『三、当該生徒(レオン、ミナ、エリアス、ニルス、セオドア)には、謹慎処分と再教育プログラムへの参加を命じる』
「なっ……!?」
全員が絶句した。
閉鎖。解雇。そして再教育。
予想はしていたが、あまりに一方的で理不尽な命令だった。
「ふざけるな! 俺たちが生徒会長を救ったんだぞ! それを反乱だと!?」
レオンが執行官に詰め寄る。
「教頭の判断は絶対だ。君たちの行動は、教師の指揮権を無視した独断専行であり、規律違反だ。加えて、エルナ・トワイライトは、生徒に軟弱な思想を植え付け、兵士としての資質を損なわせた」
執行官は冷徹に言い放ち、私を見た。
「荷物をまとめろ。1時間以内に学園を出て行け。さもなくば、強制排除する」
「……分かりました」
私が静かに答えると、生徒たちが一斉に振り返った。
「先生!?」
「待ってください、納得できません!」
「みんな、落ち着いて」
私は執行官たちに「少しだけ時間をください」と告げ、ドアを閉めた。
騒然とする生徒たちに向き直る。彼らの目には、怒りと不安が渦巻いていた。
「先生、まさか出て行く気ですか? 俺たちが守ります! あんな奴ら、蹴散らして……!」
「ダメよ、レオン君。力で対抗したら、それこそ『反乱分子』として処理されてしまう。あなたたちの未来が閉ざされてしまうわ」
私は優しく諭した。
教頭の狙いはそこにある。私たちが暴れれば、それを口実に全員を処分できる。
私が大人しく去ることで、少なくとも彼らの退学だけは防げるかもしれない。
「でも……! 先生がいなくなったら、僕たちは……!」
セオドアが震える声で言う。
「大丈夫。みんな、もう強いもの。自分たちで支え合えるわ」
私は棚から私物をまとめ始めた。心のカルテ。アロマキャンドル。生徒たちがくれた小さなプレゼント。
一つ一つを鞄に詰めるたびに、胸が張り裂けそうになる。
まだ、やり残したことがたくさんある。もっと彼らの成長を見ていたかった。
「……時間だ」
ドアが再び開き、執行官たちが入ってきた。
私は鞄を持ち、生徒たちに背を向けた。涙を見せないように。
「さようなら、みんな。……元気でね」
私が部屋を出ようとした、その時だった。
ガシッ。
強い力で、腕を掴まれた。
振り返ると、レオンが私の腕を掴んでいた。その目は、かつてないほど強い意志で燃えていた。
「行かせない」
「レオン君……放して」
「嫌だ。……俺はもう、大切な人を理不尽に奪われるのは御免だ」
レオンだけでなく、他の生徒たちも私の周りに集まってきた。
ミナが私のもう片方の腕を抱きしめる。エリアスとニルスが、ドアの前に立ちはだかる。セオドアが、震える足で私の前に立つ。
「執行官。……そこを通すわけにはいきません」
セオドアが言った。生徒会長としての威厳を取り戻した声で。
「僕たちは、このカウンセリング室が必要だと判断しています。生徒会の総意として、教頭命令に異議を申し立てます」
「異議だと? 生徒ごときが、何を……」
執行官が杖に手をかけた瞬間、廊下の向こうから足音が響いた。
一人や二人ではない。数十人、いや百人近い足音だ。
「な、なんだ!?」
執行官たちが狼狽える。
廊下を埋め尽くしていたのは、生徒たちだった。
パニックから回復した生徒。模擬戦でレオンに助けられた生徒。ミナの炎を見て勇気をもらった生徒。
かつては「弱者」として切り捨てられそうになった彼らが、手に手にプラカードや杖を持って集まっていたのだ。
『カウンセリング室を守れ!』
『エルナ先生をやめさせるな!』
「みんな……」
私は言葉を失った。
私が蒔いた小さな種が、いつの間にかこんなにも大きく育っていたなんて。
「おい、執行官! 先生を連れて行くなら、俺たち全員を退学にしてみろよ!」
「そうだ! 私たちが一斉に辞めたら、学園対抗戦はどうなるのよ!」
「教頭に伝えろ! 先生は俺たちの恩人だ!」
怒号のようなシュプレヒコール。
それは暴力的な暴動ではなかった。明確な意志を持った、連帯の表明だった。
教頭の恐怖支配によって分断されていた生徒たちが、「守りたいもの」のために初めて一つになったのだ。
執行官たちは完全に気圧されていた。
武力で制圧することは可能かもしれない。だが、学園の半数近くの生徒を敵に回せば、学園の運営自体が立ち行かなくなる。
「……チッ。教頭に報告する」
執行官たちは捨て台詞を吐き、撤退していった。
その瞬間、廊下に歓声が爆発した。
「やったぞ!」
「先生、行かないで!」
生徒たちが私に駆け寄ってくる。もみくちゃにされながら、私は堪えきれずに涙を流した。
教師が生徒を守るつもりが、逆に守られてしまった。
なんて愛おしい、誇り高い子供たちだろう。
「……ありがとう。本当に、ありがとう……」
私の言葉に、レオンがニッと笑った。
「言っただろ、先生。俺たちはもう、弱くないって」
しかし、勝利を喜ぶのはまだ早かった。
広場の大スピーカーから、グロリア教頭の冷たい声が響き渡ったのだ。
『……愚かな。数の暴力で規律を曲げようというのですか』
ざわめきが静まる。
『いいでしょう。そこまで言うのなら、チャンスを与えます。エルナ・トワイライト、そして彼女を支持する生徒たちよ』
教頭の声には、絶対的な自信が滲んでいた。
『来月の学園対抗戦。そこで私の選抜した「正規軍」と、あなたたちの「反乱軍」で勝負をしなさい。もしあなたたちが勝てば、カウンセリング室の存続を認めましょう』
それは、事実上の決闘状だった。
『ただし、負ければ……エルナ・トワイライトは追放。関わった生徒は全員、最前線への強制徴用とします。……受けて立ちますか?』
強制徴用。それは事実上の死刑宣告に等しい。
生徒たちが息を呑む。あまりにリスクが高すぎる。
私はレオンたちを見た。
止めるべきだ。大人の私が、彼らを巻き込むわけにはいかない。
けれど、彼らの瞳は死んでいなかった。恐怖ではなく、闘志で輝いていた。
「……先生」
レオンが代表して言った。
「やろう。俺たちの強さを、あの石頭に見せつけてやるんだ」
「……本気なの?」
「ああ。心の強さが、ただの暴力に負けないってことを証明しよう」
私は涙を拭い、大きく頷いた。
そして、空に向かって宣言した。
「受けます! 私たちの『心の魔法』で、あなたの教育が間違っていると証明してみせます!」
『フフ……後悔なさい』
通信が切れる。
宣戦布告はなされた。
私たちはもう、ただ守られるだけの存在ではない。
自分たちの居場所を、自分たちの手で勝ち取るための戦いが始まるのだ。
「さあ、みんな! 特訓よ!」
私の号令に、生徒たちが力強く応えた。
「「「はいっ!!」」」
特別カウンセリング室の灯りは、今夜も消えることはなかった。
それは、学園の夜明けを告げる希望の灯火だった。




