第八話 陽だまり亭へ
ヴェールスフィア王国西部、国境近くにある小さな村、ブレーヴェ村。
人口は百人に満たない程度でしかないが、宿、食堂、雑貨屋、食料品店などの商店が一通り揃っており、村の南方には農耕や牧畜を営む者たちの田畑や農場が広がっていて、四季折々の草花や生き物が目を楽しませている。
また、一部の村人は北側にある森林で林業を営んでいて、木材そのものや、それを木材を加工した木工細工の出荷も村の稼ぎの一部となっていた。
村の中央には、ちょっとした広場があり、村の祭りや集会に使われたり、時には行商人が露店を出すこともある。
王国の中ではどこにでもありそうな、ごくごく普通の村だ。少しだけ普通の村との違いがあるとすれば、国境からあまり離れていないことから、時折隣街であるリヴィエナの常駐軍が国境警備隊を編成して出てくるくらいだろうか。
そんな村の出入り口には、普段から村の若手の男衆が門番として交代で立っている。
そろそろ日が落ちようかという時刻に、一人の青年――ルカが門前に現れた。
旅をしてきたにしては軽装で、顔やら身体やらにはかなりの量の乾いた血がついている。
本人に大きな怪我などはなさそうだが、明らかに疲れた様子だ。
「おい、兄ちゃん。なんだか凄ぇことになってるが、大丈夫かい?」
「あぁ、見苦しくてすいません。昼間に野狼の群れに遭遇しましてね、討伐はできたんですが、こんなことになってしまって……」
左手で頬を掻きながらルカが答える。
「兄ちゃん、野狼の群れとやり合ったのか!? 大した怪我もなく倒せるとは、兄ちゃん凄ぇな! ここらへんにはいくつかの群れが縄張りを持っててよ。村の連中も襲われたり家畜が被害に遭ったりで困ってたんだ。助かったぜ!」
門番の男が豪快に笑いながら話しかけてくる。
「いや、道すがら襲われたから戦っただけだし、感謝されるほどのことじゃないですよ。それよりすいませんが、役場と服を売ってる店、あと宿屋の……陽だまり亭だったかな? 場所を教えてもらいたいんです。」
「おう、任せとけ!」
野狼討伐の話で気を良くしたのか、門番の男は役場と雑貨屋、陽だまり亭、それぞれの場所を丁寧に説明してくれる。
軽い感じで話していたが、村にとってはそれなりに頭の痛い問題だったのかもしれない。
一通り説明を聞いたルカは、まずは役場から順に回ることにした。
といっても小さい村なので村の中央にある広場の周囲にすべて揃っているらしい。広場まで来てしまえば一回りするのはすぐだ。
早々に役場に行き、野狼討伐についての申告と報奨金を受け取ってくる。
「金貨1枚と銀貨10枚か……武器の調達とかも考えると、数日くらいはなんとかなるかな……」
査定結果は小型の3匹は銀貨20枚、大型の1匹は銀貨50枚とのことだった。全部で銀貨110枚だが、銀貨は100枚で金貨1枚になる。さらに下には銅貨もあるが、今回は銅貨の支払いはなかった。
野狼たちからは、街道を行く人々やこの村の村人も被害を受けてきたとのことで、報奨金もそれなりの金額に設定されていたのだそうだ。
「他にもいくつかの群れが確認されているので、余裕があれば! ぜひ! お願いしますね!」
担当者からは妙に圧迫感のある笑顔で言われてしまったが、苦笑いでかわしつつ役場を後にし、ルカは数軒隣にある雑貨屋に向かった。
雑貨屋「ブレーヴェの樹」――ブレーヴェ村唯一の雑貨屋で、日用品、衣料品、また少ないながらも武器・防具の類も扱っているとのこと。
とりあえず今日のところは着替えを確保しておきたいと、ルカが店の扉に手をかけようとした時だった。
「じゃあ兄さん、行ってくるね!」
元気に扉を開け放ち、飛び出してきたのはルカより少し小柄な少女だった。
年の頃は16、17くらい。色が濃く、背中までゆったりとした三つ編みで束ねた金髪に明るい栗色の大きな瞳。派手ではないが、活発さが滲みつつも可憐な顔つき。
若草のような明るい緑のワンピースをまとっており、彼女の身軽な動きにスカートの裾がふわりと舞う。
急に飛び出してきた彼女を避けきれず、軽くぶつかってしまう。
「うわっ!」
「わわっ!」
ぶつかったはずみでバランスを崩した少女は、そのまま尻もちをついてしまった。
「あいたたた……」
少し痛そうにお尻をさすって見せる。
ルカは少し苦笑いを浮かべながら、手を差し伸べた。
「ぶつかってしまってすまない。怪我はなかったかい?」
「あ、いえ、大丈夫です。こちらこそすみません……急いでたので慌ててしまっ……て……」
こちらの顔を見上げたまま、彼女は少し固まっていた。なぜだか、見知らぬもの、理解のできぬもの、そういうものを見てしまった、というような表情をしていた。
とはいえ、返り血もついているし、ただ単に引いてしまっているのかもしれないが。
「怪我がないなら良かった。俺のことは良いから、急いでいるなら出かけると良いよ。」
「あ! そうだった! えっとごめんなさい! 失礼します!」
ルカに言われて急いでいたことを思い出したのか、少女は慌てて雑貨屋から走り去っていった。
なんだか騒がしい子だなぁと苦笑いを浮かべつつ、ルカは彼女の後ろ姿を見送る。
それと入れ替わるように店の奥から一人、店主と思しき男性が現れた。
「エリナ? 何かあったかい? ……あ、いらっしゃいませ。何かご入用ですか?」
男性は先ほどの少女が出した物音を聞いて店の奥から出てきたようだが、ルカの姿を確認すると、すぐに店員として対応してくれた。
「あぁ、忙しいところすいません。見ての通りちょっと服が返り血でダメになってしまいまして、一通り着替えなど譲っていただきたいのですが……」
「なるほど衣服をご用命でしたか。それではこちらへどうぞ、いくつか種類を揃えておりますので、ぜひ手に取ってご確認ください。ちなみに汚れてしまったお召し物についても、廃棄されるようでしたら当店で下取りいたしますので、お申し付けくださいね。」
ルカは店主に勧められるまま衣服が展示されているエリアに進み、何着か衣服を見繕った。今来ている服についてはラボから持ち出したものということもあり、若干この世界には馴染まない気がするので、この際下取りしてもらった方が良いだろう。
「どうやら今のお召し物以外はお持ちでない様子ですので、下取りについては明日以降でも構いません。他にご入用のものがあれば、お申し付けください。」
丁寧な語り口で接客してくれる。うまく下取りや購入を勧めてくるが、嫌らしい感じはない。こうやって村人だけではなく、旅人たちともうまく商売をしているのだろう。
下取りや他の買い物を明日以降に回せるのであれば、宿の確保と食事を優先したいところ。ルカは明日改めて訪問する旨を伝え、店を後にすることにした。
「ありがとうございました。明日のご来店、お待ちしております。」
店主の見送りを背に店から出ると、周囲はだいぶ暗くなってきており、広場の向こう側に見える食堂からは、夕食や酒に興じる客たちの喧騒が聞こえていた。
「あれが陽だまり亭かな。宿の部屋が空いてると良いけど……」
バッグとブレーヴェの樹で購入した衣服の入った袋を持ち直して、ルカは食堂の入口へ向かった。「営業中」の看板が下がり、開け放たれた扉をくぐる。
1階は食堂になっていて、テーブルや椅子が所狭しと並べられている。いくつかの空席はあったものの、概ね満席に近い状態で賑わっているようだ。
鼻の奥をくすぐる焼き物の香ばしい匂い、天井から下がるランプの温かな明かり、騒がしいのにどこか落ち着いた雰囲気。
野営を共にしたアーヴが勧めてくれたのもうなずける。
「いらっしゃいませ!お食事ですか?ご宿泊ですか?」
食堂の奥にあるカウンター越しに店員と思われる女性が声をかけてきた。
栗色のセミロングの髪と瞳。白のブラウスとブラウンのロングスカート。あとは可愛らしい白に赤のワンポイントが入ったエプロンを着ている。
村人と思われる何人かが食事を囲んでいるテーブルに別の店員が給仕をしているが、同じエプロンをしているところを見ると、店のユニフォームなのだろう。
「食事も宿泊もお願いしたいんだけど、部屋の空きはどうかな?」
「今日はまだありますよー! 1泊2食付きで銀貨2枚ですけど、どうしますかー?」
「じゃあ2泊お願いできるかな。銀貨4枚ね。」
食堂の机の間を縫うようにカウンター前まで進み、ルカは2泊分の銀貨を手渡す。
「あと見てのとおり身体中汚れていてね。風呂はどうしたら良いかな?」
「2泊ですね! ありがとうございます! お部屋は2階に上がってすぐ左手の部屋になりますので、そちらを使ってくださいね。お風呂は2階の一番奥にありますので、ご自由にどうぞ! じゃあお食事はお風呂の後かと思いますが、あまり遅いと出せるメニューが少なくなっちゃうんで、お早めにどうぞ!」
ありがとうと一言返して、ルカは階段へ向かい、2階の部屋へ上がっていく。
これでようやく身体を清め、清潔な服に着替えられるという嬉しさもあったが、人生で初めての「ちゃんとした部屋」で休めるということに、ルカは人知れず興奮しながら部屋の中へ消えていった。




