第四十一話 後方部隊と少女のお願い
翌日、日の出と共に兵たちが動き出し、移動に向けての準備を始めていた。
夜のうちは、ルカの作り出した壁の効果もあったのか、襲撃者はもちろんのこと、獣の類が現れることもなく、いたって平穏な時間が流れたこともあり、兵たちに目立った疲れはなさそうだ。
ルカは他の兵たちのように通常の準備には携わらず、野営地をゆっくりと歩いて回っている。
昨夜感応術で作り出した壁や間接照明型の篝火の囲いを元のように平坦に均していた。
後片付けというわけではないが、下手に構造物を残すのも野盗の類の拠点にされたりとあまりいいことはないからだ。
作業を続けていると、隊列に随行している女性用に作られた小さな天幕から、ミリアが出てくるのに続いてエリナが現れた。
壁を崩し、壁を構成する土や石を平坦になるよう操作しているルカを見つけ、あくびを噛み殺しながら近寄ってくる。
「ふぁ……あ、ルカ、おはよう。」
「おはよう。」
その後ろからもう一人、女性の索敵者がルカの作業の様子を興味深そうに見ていた。
足首辺りまである落ち着いた青で染め上げられた長尺のローブは、肩口にヴェールスフィア王国感応術師団の印章が刺繍されている。
おかげで彼女が感応術師団所属であることは一目でわかった。
赤い瞳は切れ長だが少し目尻が下がっていて、鼻筋に薄くそばかすが見えるためか、見た目は少し幼くも見える。肩より少し下まで伸びた髪は瞳と同じ赤で、ポニーテールにして纏めていた。
エリナと挨拶を交わしたあと、彼女とも目があったので、笑顔で会釈すると、向こうもにこりと微笑んで会釈をして去っていく。
「さぁ、今日も一日歩くんだ、朝食しっかり食っとけよ。」
「はーい。」
出発準備や朝食にと動き回り、天幕などの片付けも終わったあと、セオの号令により、二日目の移動が始まった。
ルカは一日目同様アーヴと共に隊列後方を警戒しつつ歩いている。
やっていることは同じだが、昨日まで特に会話もなかった同じ部隊の面々が、今日はルカとアーヴに話しかけてくるようになった。
「兄ちゃん、昨日のあれ、すげぇじゃねぇか。」
「そうだな。平地の野営って結構気を遣うけど、あの壁と篝火のやつ、あれのおかげで哨戒もやりやすくって助かったよ。」
軽鎧に身を包み、細身の剣を携えたノリの軽い少年はユージン、短槍を手に話しながらも周囲への警戒を怠らない真面目な青年はイアンだ。
「いや、たまたまノア殿のお眼鏡にかなう術が使えただけさ、偶然だよ。」
周囲へ視線を巡らせながら、ルカは軽く謙遜する。
「でも十分役立ってんだから、報酬の上乗せでも交渉してみたらどうだ?」
ルカの斜め後ろから報酬の交渉を唆しているのはライナス。最低限の仕事はするが、普段から口が悪くよく周囲に諌められていることが多い。
アーヴと似た、中型の盾に長剣という出で立ちだ。
「それいいじゃねぇか。ルカの報酬が上乗せされるなら、バルディアで酒でもたかるか!」
勝手に調子に乗っているアーヴのことは無視した。
上乗せ分を散財できるほどの蓄えなどまだないということもあるし、エリナの報酬が減らされている以上、路銀は多いほうがいい。
というか、そもそもそれほど仲が良いとも言えない気がする。
「ほら、あんまり大きな声で話してると、セオ様に叱られるよ……」
少し気弱そうな声で皆に自制を促しているのはニコだ。ユージンと同じくらいの年のようだが、彼よりは線が細く、おどおどしている。
手にしているのは円盾に細剣だ。見た目通りあまり力は無いのだろう。
だがニコの言う事はもっともだ。周囲もそれを理解しているので、慌てて声のトーンを落とす。
「あの……」
ニコが諌めたことで周囲が落ち着いたところに、部隊の真ん中で定期的に《音波探査》で警戒しながら歩いている索敵者の女性が声を掛けてきた。
朝エリナやミリアと同じ女性用天幕から出てきた彼女だ。リネットというらしい。
「はい、どうしました?」
「えっと、昨日の感応術を拝見しまして、もしよろしければ少しお話を伺えればと思うのですが……」
「お話、ですか?」
傭兵の能力の情報にも通ずる話題ということもあり、かなり申し訳なさそうにしている。だが、それを理解した上で話しかけてきているのであれば、何かしら事情があるのかもしれない。
「はい。私、索敵者としてはかなり未熟でして……どうにか少しでも皆さんの力になれるように参考にできればと……」
聞けばリネット自身は軍属としても索敵者として日が浅く、まともに扱える感応術は《音波探査》くらいのもので、《風の封壁》も発動こそすれ飛来物から守れるほどの強度が出ないのだそうだ。
イアンに言わせると、索敵者の力量は部隊の任務達成率に大きく影響するし、特に部隊員の生存率を大きく左右すると、軍の訓練所で指導されるという。
「あまり気持ちのいい話ではないと思うけど、できればリネットの力になってやって欲しい。」
「ま、うまく行きゃ俺たちもより安全になるってことだしな~」
イアンの言葉に続いて、ユージンも軽く言うが、索敵者が事前に敵性勢力の存在を確認できることは確かに大きな意味を持つ。
早く相手の存在を捉えることができれば、先制攻撃や迎撃、退却と、選択できる対応もそのパターンも増えるのは自明だ。
「そういうことでしたら、俺でお話できることならなんなりと。でも風系ではなくて土系ですよ?」
「いえ、昨日ルカさんが術を使っているところを見ていたら、なんというか私と全然違うものの見方というか、考え方というか……言葉にするのが難しいんですが、違うステージにいる……そんな感じがしたんです。お話する中で、ちょっとしたきっかけでも掴めればいいなぁと。」
リネットとしてはルカが風を扱えるかどうかではなく、感応術そのものの扱い方に何か自分との違いを感じているようだった。
おそらく彼女が発動したい感応術に対して、明確なイメージを持ちやすいように誘導してやれば、標準的な術士のレベルには届くようになるのではないだろうか。
残念ながらルカの知る術理を説いても、今の世界の文明水準では理解してもらうのが難しい言葉や概念が多い以上、今のところはそれらしく話してみるしかない。
「そうですか……ではリネットさんの今できる術について、少し話してみましょうか。」
ルカはリネットが使える術である《音波探査》と《風の封壁》を中心に、さも意見交換のように、お互いの理解や考え方を話し合ってみることにした。
警戒活動と、定期的なリネットの《音波探査》による索敵を行いながらということではあったが、途中ユージンやイアンたちからの意見なども挟みつつ、昼食のための休憩時間までルカとリネットの会話は続くのだった。
「《音波探査》の方向を絞る、ですか。そんな考え方は初めてです。今まではとにかく"広く、遠く"と意識するよう教えられていましたし……」
いくらか話してみてわかったのだが、リネットや他の索敵者の見習いたちは、水面に小石を投げ入れた時に波紋が広がる様子、などといったイメージでの説明をされることがほとんどのようで、《音波探査》は自分を中心に全方位に放つもの、という理解なのだそうだ。
そこでルカは遠くの相手を大声で呼ぶ時、口の横に手を添えて声が真っ直ぐ遠くまで届けるイメージはどうかと提案してみたのである。
全方位に向けるのは死角を作りにくいという点では優れているが、探査や索敵という意味では精度を維持したまま遠くまで調べるのは難しい。
だが逆に、一定の範囲や方向を意識して行うのであれば、精度を高めたり、精度を維持したままより遠くまで調べられるのではないか、と提案してみたのである。
「確かに今回のように誰がどこからくるかわからない場合は普通でいいんでしょうが、そうでない場合は状況によってうまく使えるシーンがありそうですもんね。」
口の横に手を添える仕草をしながら、リネットは自分なりの《音波探査》のイメージを固めていっているようだった。
リネットは休憩が終わり、午後の移動になってからというもの、任務として定期的に通常通りの《音波探査》を使いつつ、時折遠くに見える森や自分たちが歩いてきた隊列後方の街道に向けて、方向を意識した《音波探査》を試している。
「まだまだ全然甘いとは思いますけど、こころなしか索敵距離が伸びたような……うーん……」
「はははっ! いくらアドバイスが良くっても、そんなに短時間で効果が出たりしねぇよ! バルディアまで地道に練習しろって、な?」
ユージンが軽くリネットの肩を叩きながら、声をかけている。本人は激励のつもりなのだろう。
リネットは少し苦笑いしているものの、気を悪くしているわけではなさそうだ。
休憩時間を終え、各部隊はそれぞれ午後の移動準備に取り掛かる。
ルカたち後方担当の部隊も他の部隊に遅れぬように急ぎ準備を行い、午後の任務につくのだった。
まだ夕方というにはまだ早い頃合い、見通しの良かった平野部を抜け、隊列は森と湖に挟まれた湖畔地帯に入っている。
街道の進行方向左手側は、遠くに山、手前に森があり、反対に右手側は穏やかな湖が広がっていた。
山はブレーヴェ村の北、森の更に奥にある山とも連なっており、一連の山脈はヴァルグレン山脈と呼ばれている。
この山々を水源とする清流が作り出す湖こそが、今ルカたちが目にしているルーメル湖だ。
山から吹き下ろす風が森の木々を撫で、葉擦れの音と共にルーメル湖の水面に僅かなさざ波を起こしている。
「すごい……これがルーメル湖かぁ……」
持ち場の馬車横を歩きながら、エリナが湖を目にして感嘆の声を上げた。
内陸部の山の麓にあるブレーヴェ村で生まれ育ち、ほとんど村の外に出てこなかったエリナにとってみると、これほどに大きい湖を目にしたことはなかったのだろう。
ヴァルグレン山脈の山々から流れてくる川が、王国最大の広大な湖を作り出しているのだと話に聞いたことはあったが、実際に見ることでその想像以上の大きさに驚いているのだ。
「ルーメル湖の豊かな水のおかげで、下流に位置する王都の人々が水に困ることなく生活できているのだと言われれば、この大きさも納得だろう?」
隣で馬に跨るセオがルーメル湖こそ王都民の水瓶なのだと補足してくれる。
「そうなんですね……」
エリナは陽の光を受けて燦めいて見える水面と、周囲の景観の美しさに目を奪われていた。
しかし、そんなエリナの視界の端に映るセオの表情は、悩んでいるかのように見える。
「セオ様、どうかされましたか?」
「あぁ、この先について少しな……」
セオは視線を隊列前方へ向けながら言葉を濁した。
今の湖畔地帯を通る街道はこのまましばらく続き、その先は湖から離れるようにして森の中へ入っていくことになる。
つまりこのままの進行速度で進むと、今夜の野営が森の中になることから、リィゼの心労を気にしているのだ。
「(街道がルーメル湖から離れるギリギリのところしかあるまいか……)」
小さなため息と共にセオは頭を振ると、軽く手綱を引いて馬の速度を緩めた。
後ろの方にいるノアが追いつくのを待ち、何事かを話しかけている。
「私がですか? ……いえ、承知しました。」
ノアが少し驚いたような表情を見せたが、すぐに表情を引き締め、セオの指示か何かを承服したようだ。
セオに小さく頭を下げ、ノアは馬の腹を押さえて速歩で走るよう促すと、セオと入れ替わるように馬車横まで進み、馬車と自身の間にエリナを挟むように並走する。
「やぁ、エリナ嬢。すまないが、私と位置を入れ替わってもらえるだろうか。」
「え? あ、はい!」
エリナはノアの乗る馬の後ろ側を大きく迂回するようにして、ノアが馬車の真横に位置取れるように入れ替わった。
ノアはエリナへ笑顔を向けて小さく頭を下げると、馬車の方へ身体を向け、扉横にある小窓へ向けて声を掛ける。
「失礼します。お嬢様、よろしいでしょうか。」
「……?」
何やら少し詰まったような話し方なのが気になるが、あまり話の内容を聞くのは良くない気がする。
エリナは歩く速度を緩めると、セオの近くまで下がりながら視線を湖の方へ向けた。
私は何も聞いていませんよ、とでも言ったところだろうか。そんなエリナを見て、セオが少し目を丸くする。
「エリナ嬢……ふっ……気を利かせてくれたようだな。すまない。」
「あはは……なんか聞いちゃいけない話とか出たらマズいかなぁと思いまして……」
エリナが気を利かせたのだと気がついたセオに小声で感謝され、なんともむず痒いような感じがしてしまう。
セオが前方に視線を戻すと、ノアが声を掛けたのと、ほとんど時を置かずに馬車の小窓の奥で目隠しになっていたカーテンとガラスがスライドし、中から水色の瞳を輝かせた少女が顔を覗かせた。
「お、お嬢様、外とのやり取りは先に私が……」
「いいのよ、ミリア。ノア様の声だもの。ノア様、どうかなさいましたか?」
馬車の中からはミリアの慌てたような困ったような声が聞こえるが、少女はミリアを声で制すると、お構い無しに顔を見せて優しい微笑みをノアに向ける。
「はい、本日の野営場所についてなのですが……」
嬉しそうにしている少女に対して、何とも申し訳なさそうな表情で、ノアが野営予定場所についての説明を始める。
現在地点とその先の地理的な情報を伝え、明日のうちに移動可能と思われる想定距離から起算して、今日のうちに最低でもどこまで進むべきなのか。
彼女に伝えられる情報の中にはもちろん襲撃者にとって有利なロケーション、とくに少女の周囲が気にかけていた森との距離感や位置関係も含まれている。
セオとノアは湖畔から離れ、街道が森の中へ入っていくように曲がっていく直前のポイントでの野営を想定していた。それはその先の森林地帯を日中の時間で一気に抜けるには、そこしかないからだ。
移動の行程としては、時間の許す限り進みたいところではあるが、残念ながら今からでは明るいうちに森を抜けることはできない。
少女は一瞬だけ困ったような表情を浮かべたが、小さく顔を振ると、ノアを見た。
「私が森を怖がってしまったから、森に囲まれる直前で野営にするということですね?」
「いえ、そういうわけでは……」
彼女の言う通りではあるが、主君に対して「怖がっているから」という理由が合っているとしても、おいそれと肯定するわけにはいかない。
ノアが答えに窮しているのを見て、少女は気分を害するわけでもなく、にこりと微笑んだ。
「ノア様、皆さんがあとで無理をしなければならなくなるくらいなら、私のことは気にしないでください。どこまで進み、どのように警戒し、どのように休むのか。大切なのは、ミリアもノア様たちも、随行してくださる方々も、皆が無事に目的地に辿り着くことであって、私の気持ちなど二の次でよいのですから。」
「そのように仰っていただけるとは……ご心労をおかけしてしまい、申し訳ございません……」
自分の気持ちなどよりも、周囲で任務に当たってくれている人たちが優先なのだと語る少女の言葉に、ノアはその手を胸にしながら感謝と謝罪の言葉で答えた。
「ふふふ……皆さんのためですから、大丈夫です。ですが、ノア様、一つよろしいですか?」
「はい、なんでしょうか?」
「私、気にしないでとは言いましたけれど、やっぱり少し怖いので、今夜はミリアとリネット、あと馬車の警戒をしてくださっているブレーヴェ村の女の子と四人一緒で休んではいけませんか?」
可憐に微笑む少女は、ノアを下から覗き込むようにしながら少し潤んだような瞳で上目遣いに問いかける。
見目麗しい彼女に上目遣いでお願いされるのは、かなりの威力だ。ノアは少し頬を染めながらも引きつったような表情で固まっている。
彼女が寝所として使う天幕は、高貴な身分の者が使うものである以上、寝台だけではなく、執務スペースや簡単な打合せなどが行えるスペースが確保できるように大きな空間を確保するように設置することができる。
それだけのスペースがあるということは、執務用の机などをおかずに、追加の寝台なり、寝袋なりを持ち込めば、数人程度は同時に休むこともできるのだ。
できるのだが、護衛対象である少女の天幕内に第三者を入れて夜を過ごすのは、どうしても警備上首を縦には振りにくい。
「なっ……ミリア殿はわかりますが、リネットにエリナ嬢もですか……」
そう。専属の侍女であるミリアはまだしも、一兵卒でしかないリネットに、村で加わってもらった軍属ですらない追加要員のエリナを入れるとなると、さらに苦しい。
「はい。女の子で集まっていれば、怖さも頑張って我慢できそうな気がするんです……」
「あ……そ、それは……警備上のこともありますのでなんとも……」
「ダメ、でしょうか?」
上目遣いのままの追撃に、ノアは答えられなくなってしまった。
リィゼの希望を叶えてやりたいが、警備上の問題は無視できない。
自分だけではどうにも判断できないと考えたノアは苦し紛れに「隊長と検討してまいります……」とだけ伝えて、馬の手綱を引いたのだった。




