第三十一話 王女襲撃
ブレーヴェ村にある食堂兼宿屋といえば、旅人や周辺住民には言わずと知れた「陽だまり亭」だ。
食堂のキッチンを切り盛りする主人が振るうガリナ鳥料理が評判で、もも肉を一枚丸ごと使ったステーキや炭火でじっくり火を通した炭火焼き、クルスト(腸詰め)、香草焼き、香味野菜での煮込み料理と、レパートリーも多いことから、毎日のように村人たち、特に酒飲み連中に喜ばれていた。
また、主人の妻と娘によって建物内は手入れが行き届いており、古い建物ではあるが、内装は小綺麗で宿の利用者たちからの評判もいい。
そんな陽だまり亭の二階、奥側に並んだ客室の中央の部屋に、二人の女性がいた。
窓際に置かれたテーブルの横、簡素な作りの椅子には、その場の雰囲気にまったく似合わない優雅で高貴な装いの少女がゆったりと腰掛けている。
明るい栗色の髪は美しく整えられており、綺麗にウェーブし、床に届かんばかりの長さであった。
少し垂れ目気味の目は、窓の外、遠くを見つめながらその水色のうるんだ瞳には憂いの色が浮かんでいる。
そんな彼女の位置から一歩下がったところに、細かいフリルのついた侍女服に身を包む女性が立ち控えていた。
辺境に近いこのブレーヴェ村になど、普段ならいるはずのない身分の者であることは、誰の目から見ても明らかだ。
その二人が、ヴェールスフィア王国の王女であるリィゼ=セリオール=ヴェールスフィアと、その専属侍女であるミリア=ロウランであった。
もちろん慰問や視察などといった予定もないし、そもそも王族や貴族が宿泊するような施設はこの村にはない。
明らかに予定外の滞在である。
「ミリア、この後の予定は決まりましたか?」
リィゼが小さな声でミリアに問いかけた。
「いえ、今朝の段階では何も決まっておりませんでした。後ほど昼食の際に確認しておきますが、今確認されますか?」
「いいえ、結構です。そんなにすぐに状況は変わらないのでしょう?」
「そうですね。セオ隊長からの報告ですと、少なくとも馬車の修繕と護衛の補充が不可欠ですが、少し難航しているとのことでした。」
「護衛の補充ですか……」
リィゼの表情が曇る。
小さくため息をついて、リィゼは顔を伏せてしまった。
護衛を補充するということ、つまり補充する分を失っているということである。
数日前、彼女たちが「予定外の滞在」をすることとなった原因によって、彼女の護衛部隊の一部が犠牲になっていたのだ。
「姫様……」
ミリアはリィゼに声を掛けることしかできず、その胸中を思い自身も同じく顔を伏せることしかできなかった。
◇◇◇
数日前、ルカが一時的に村に戻り、サテライトに戻ったあとのことである。
リィゼは専属侍女であるミリアや、リィゼ付き近衛騎士隊であるセオ、ノア、エディル、御者や斥候、追加の警備兵など、総勢十数名で編成された護衛部隊と共に、王都エレドリアから北方にある辺境伯領の領都であるバルディアに向けて移動していた。
公務ではないため、王城内でもそれほど多くの関係者には知らされていない、いわばお忍びに近い辺境伯領訪問である。
王都を発ってしばらくは大きなトラブルもなく、移動は本当に順調に進んでいた。
広い草原を割くように、馬車のすれ違いも可能な程度には整備された広い街道が、王都方面から辺境伯領方面へ緩やかなカーブを描きながら伸びており、遠くに見える森も山も美しく新緑に彩られている。
立場上王都の外に出ることの少ないリィゼには、馬車の左右両方に扉と小窓があるおかげで、外の景色がよく見え、自国領土内の風景をゆっくりと眺めることのできるひとときでもあった。
「エディル、斥候の定期報告は来たか?」
「そういやまだっすね。確認してきます!」
リィゼとミリアが乗る馬車の近くで馬に跨っている隊長格と思しき騎士が、エディルと呼ばれた若い騎士を呼び、先行しているはずの斥候からの情報を確認していた。
表情は固く、いわゆる真面目な性分のようで、飄々と軽い感じで受け答えをするエディルとは対照的である。
エディルは自身の乗る馬を器用に操り、馬車の前方で斥候との連携を担当している連絡員の元へ進んでいく。
「セオ隊長。後方の索敵者から警戒度を上げたほうがいいとの進言がありました。この先街道と周囲の森林の距離が詰まってくるので、《音波探査》での索敵精度が下がると。」
隊列の後方から淡いアクアマリンの髪の青年騎士がセオと呼ばれた騎士に馬を寄せ、索敵担当者である索敵者の進言内容について伝える。
「ノアか……わかった。警備兵の配置を調整しよう。エディルが戻り次第休憩を兼ねて一度隊列停止のうえ、全員で確認する。他の者たちに伝えてくれ。」
「はっ!」
セオの指示を受け、ノアは即座に馬を回頭し、周囲の兵たちへセオの指示を伝えに向かっていく。
馬車の小窓からノアの背中をリィゼが目で追っていた。
「姫様、心配せずとも遠くへは行かれませんし、すぐお戻りになりますよ。」
「み、ミリア! わ、私は別にノア様を見ていたわけでは……」
どこか生暖かい目でリィゼを見ていたミリアが少し楽しそうにリィゼを茶化し、それを受けたリィゼは慌てて目をそらすとほんのりと頬を紅潮させている。
ミリアはリィゼの専属侍女だが、本人が十六歳の時にリィゼが十歳になるのにあわせて着任した。
王族の専属侍女としては若かったが、王家への忠誠心が高く、王侯貴族に対する立ち居振る舞いにも問題がなかったことと、なにより教養が飛び抜けて優秀であるということで選抜されたのだ。
だが、実は素の性格は意外にもフランクで、冗談を言うことも多々あり、その気安さにリィゼが早々に懐いてしまったこともあって、二人でいる時にはミリアがリィゼを弄るということもあった。
「おや、私はノア様とは言っていないのですが……」
「あっ! んもぅ、ミリアの意地悪……」
「ふふふ……お褒めに預かり光栄です。」
「褒めてません!」
可愛らしく頬を膨らませて拗ねた表情を見せるリィゼを、少し微笑みながらも澄まし顔を装いながらミリアが躱す。
そんな馬車の中でのやり取りは、襲撃対策として頑丈に作られた馬車の構造のおかげもあり、外に漏れることもなく、二人の間でだけ共有される小さな秘密なのであった。
その後、ノアがセオの通達を兵たちに伝えに向かってから程なくして、今度は前方の連絡員のところへ行っていたエディルが、少し硬い表情でセオの元へ戻ってきていた。
「セオ隊長。斥候から連絡員への定期報告が上がってきてないみたいっす。予定時刻を過ぎてから十五分程経ってるって言ってました。」
「斥候に何かあったか……? 隊列停止! 隊列停止だ!」
エディルの報告を聞き、セオは即座に隊列の進行停止を指示すべく声を上げた。
隊列の前方や後方ではセオの声を聞き、隊列停止の指示を復唱する声がする。
「エディル、後方の索敵者を一人前方へ移動させて、周辺の索敵を指示してくれ。」
「了解っす。」
エディルはセオの指示に短く答え、馬の腹を軽く蹴り、後方へ走り去っていった。同時にノアが入れ替わるように戻って来る。
セオはノアが近付いてくるのを確認しつつも、馬車の小窓を数回軽く叩いた。
小窓が開き、中からミリアが顔を出す。
「セオ隊長、何事ですか?」
突然の隊列停止に少し怪訝そうな表情を浮かべながら、ミリアが問いかけてくる。
「ミリア殿、先ほど斥候から連絡員への定期報告が途絶えているとの報告がありましたので、状況確認の為、隊列停止しています。問題がないことが確認できるまで今しばらくお待ちいただきたい。」
「なるほど、承知しました。姫様のことは私にお任せを。」
セオが手短に状況を説明すると、ミリアは小窓を閉め、外側からは見えないように、また投擲や矢による攻撃などから中を守れるように、ガラス部分の内側に備えられている板戸を下ろした。
これで外側から馬車の中をうかがい知ることはできなくなる。
「セオ隊長、エディルから何か気になる報告がありましたか?」
エディルが戻れば休憩を兼ねて隊列停止とは聞いていたが、それにしては物々しい感じがするし、エディルが固い表情で後方へ駆けていったのも気になり、ノアはセオに問いかけた。
「連絡員に斥候からの定期報告が上がってきていないらしい。予定時刻から十五分経過しているという情報もある。状況がわからん以上、隊列停止の上で状況確認が必要と判断した。今エディルに索敵者を一人前方に移動させるように指示したところだ。」
この隊列には前後に《音波探査》を使える索敵要員が配置されている。
通常は隊列の進行方向に一人、後方に二人、進行方向側は元々早期警戒の為の斥候を走らせており、加えて隊列の構成員が向いている方向でもあるので、通常の進行時には一人だが、セオは前方の警戒度を上げるために後方の索敵要員を一人移動させる判断を下したのだ。
「索敵者の移動が終わったら静止状態での《音波探査》で周辺状況の確認を一度行う。問題が確認できなければ、連絡員を含めた三人一組の部隊を編成して前方の確認を実施する。」
"静止状態"とは隊列停止の上、会話や物音を極力出さないようにすることを表している。
《音波探査》が音波による周辺調査を行う感応術である以上、移動しながらであったり騒がしい場所であったりすると精度が著しく下がることから、より広い範囲を正確に探索するためにこの"静止状態"が必要になるのだ。
「エディルが索敵者を連れてきたようです。あとは前方に配置したら周辺状況の確認ですね。」
少し離れたところから、エディルが後方索敵要員の一人を連れて戻ってこようとしているのが見える。
その様子を隊列から遠く離れた森の中から見ている一団がいた。
一団のリーダーと思しき男が木の陰に身を隠し、無精髭に触れながら呟いた。
「斥候の報告が途絶えたのに気付いた瞬間に隊列停止、しかも後ろから連れてきたやつは索敵者だろ。判断が早くて優秀な隊長さんがいるみてぇだな……」
この男、名前をレイヴと言い、この辺り一帯を活動範囲にしている傭兵団崩れの賊「隻鷹団」の頭領であった。
賊と言っても、元は国や領主などからの依頼を受けて活動する傭兵団の一つであった「双鷹傭兵団」を前身としており、ただの賊というには練度は高い集団である。
レイヴは索敵者が隊列前方に配置されたことを確認すると、周囲にいる団員たちを振り返り、指示を出した。
「一旦木の陰に隠れるか地面に伏せろ。王国軍のセオリー通り、きっちり静止状態で《音波探査》カマしてくるはずだ。遮蔽物に隠れてやり過ごせ。」
指示を受けた団員たちは、すぐに言われた通りに動き出した。《音波探査》はその特性上木や建物などの背後や、丘などの地面や岩などの裏に隠れると術者から捕捉されにくくなる。
特に遮蔽物にぴったりと引っ付いてしまえば、熟練の術者が相手であってもほぼ気付かれることはない。
隻鷹団の前身であった双鷹傭兵団は、元々ヴェールスフィア王国内の様々な軍から脱落した者たちが立ち上げた傭兵団だった。頭領であるレイヴも、元はヴェールスフィア王国軍に所属していた過去があり、王国軍が使う基本戦術や行動パターンに覚えがあるのだ。
「《音波探査》をやり過ごしたら、斥候の様子を見に調査部隊を出すはずだ。術に引っかからなけりゃ向こうの警戒度は下がる。調査部隊が十分離れたところで突っ込むぞ。ラズロ、今日はちょっかい出すだけだからな? 適度に間引いたら撤退だが、こっちの被害が大きくなるようなら早めに切り上げろ。あとは顔は死んでも晒すなよ。今回は隻鷹の関係者だと気取られるわけにはいかねぇからな……」
「わかってますよ……まぁきっちり間引きますがね……おい、お前ら、死んでも骨は拾わねぇが、顔はきっちり焼いてやるから安心して突っ込めよ。」
「うへぇ」
「いやー、ラズロの兄貴はおっかねぇなぁー」
周囲の構成員たちが軽口を叩く中、ラズロと呼ばれた男が身を潜めたまま、嫌らしい笑みを浮かべている。
この男はこの隻鷹団の一部隊を束ねる部隊長ではあるが、線が細く賊らしさはない。ただ性格は狡猾で残忍なタイプであり、略奪を行うよりは殺したり傷つけたりする方を好んで優先する異常者じみた気質があった。
実際先ほども部隊長でありながら部下に指示せず自身が率先して動き、斥候を殺害しに行ってきた程である。
「来るぞ……」
レイヴが隊列の方の動きを見ながら小さく呟いた。
その声を聞き、他の部隊員やラズロも隠れ、身構えている。
直後、何かが肌を掠めるような感覚が、その場を通り抜けていくのを身構えた全員が感じ取っていた。
それが《音波探査》の音波であることは全員が理解している。あとはレイヴの指示通り、調査部隊が隊列を離れるのを待つだけだ。
「(にしても、襲撃対象に軍属の人間がいるとは聞いてなかったがな……警備の兵隊をいくらか殺すだけで全滅させるなとか、クソ面倒な依頼寄越しやがって……)」
レイヴは《音波探査》への警戒体勢を取りながら、心の中で愚痴を漏らしていた。
賊なんて連中と取引しようとする者は、だいたい腹の中にいろいろと抱えているものだ。なので依頼の目的など自分たちに被害が出るようなものでなければ、聞きもしないし興味も持たない。
それは性根の腐ったやつらが蔓延る業界で自分たちが生きていく為には、必要なスタンスでありルールである。
だが、金払いの良さに気を良くして依頼を引き受けたことを、レイヴは少し後悔していた。
襲撃対象を全滅させてはならない、というのは、言い換えれば「目撃者を残す」ということになる。
その目撃者が軍属の人間となると、自分たちのルーツ、つまり双鷹傭兵団の更に前、古参の構成員たちが王国内で軍属だった経歴から襲撃犯として足がつく可能性が跳ね上がる。
「まぁ何を言ったところで今更だがな……」
首元に巻いた布を顔付きを確認されないように、鼻から下を覆うように巻き直しながら、レイヴは独りごちる。
視線の先では、隊列の前方でちょうど調査部隊であろう三人の男が動き出したところだった。
周囲の構成員たちは飛び出す瞬間を待ち切れないのか、ソワソワと浮足立っているが、レイヴとラズロの二人は冷静だ。
調査部隊と隊列の距離が想定通り空いていくのを確認し、二人が視線を合わせる。
「お前ら! 出るぞ!」
「「「おぉ!」」」
レイヴの声に応じるように、雄叫びを上げながら総勢三十名程の襲撃部隊が一気に森から躍り出る。
初撃は弓やボウガンといった遠距離武器による一斉射からのスタートであった。
「敵襲ー! 敵襲ー! 二時の方向、距離約五十! 矢の一斉射、来ます!」
「盾持ちは構え! 他は遮蔽物で回避! 馬車には絶対に近寄らせるな!」
「索敵者は防性術の準備を! 馬車の守りを頼みます!」
隊列右翼の警備兵が森から飛び出る賊の一団に気付くと、大声で状況を叫び、即座に反応したのはセオだった。
自身は指示を出しつつ隊列の右翼側に移動、手に持った盾と剣で器用に迫る矢を次々と叩き落としていく。
それに応じるようにノアは索敵要員である索敵者に支援の指示を飛ばす。
索敵者は《音波探査》要員だが、基本的には武器による戦闘より感応術を得意とする兵であるため、他にもいくつかの感応術を使える者が多い。
今回の隊の随行者がどの感応術を行使できるかはノアたちも把握しているのだ。
「エディル! 八時の方向にブレーヴェ村方面へ分岐した街道がある! 一人連れて目視で確認に行け! 退路を確保だ!」
「了解っす! そこの騎兵さん、行くっすよ!」
続けてセオの指示が飛ぶ。エディルが近くにいた馬に乗った警備兵に声を掛け、馬の腹を蹴り上げ駆けていく。
そして襲撃による混乱は馬車の中も同じであり、襲撃だと聞こえたリィゼが青ざめた顔をしながら、ミリアに抱きかかえられていた。
「きゃあ!」
「姫様、大丈夫です。護衛騎士の皆様の実力は騎士団でも屈指の方々ですし、私もついておりますので、ご安心ください。」
小さく震えるリィゼの顔を覗き込むようにして、ミリアが微笑んだ。
しかしその微笑みに恐怖の色が見え隠れしていることは、リィゼにも見て取れた。震える手でリィゼの肩を抱き、必死に恐怖に耐えている。
ミリアは侍女としては優秀だが、戦闘技能に関しては素人である。いざという時にはその身をリィゼの盾とする以外にできることはない。
もちろん頭では理解しているし、専属侍女として取るべき行動であることもわかっているが、恐ろしいことに変わりはない。
王族の護送用に特に頑丈な素材と作りの馬車の中で守られているとは言え、周囲の警備兵や護衛騎士たちが落としきれなかった矢や投擲物がぶつかる衝撃音は絶えることなく内側にも聞こえている。
加えて小窓を戸板で閉じ、外側から危険物が入ってこないようにしている以上、逆に内側から外を覗き見ることもできない。
その状況が、二人を先の見えない恐怖へと陥れていた。
「(どうなっているの? どうなってしまうの? 外は……みんなは……ノア様は? どうか、どうか……)」
ミリアの腕の中でリィゼは震えながらぎゅっと目を閉じ、手を組んで祈るようにしている。
「《風の封壁》!!」
二人の耳に索敵者たちが感応術を発動する声が聞こえ、その瞬間、馬車の中に聞こえてきた様々な音が、ふっと聞こえなくなった。
《風の封壁》は風の壁を作り出し、投擲物や矢の侵入を阻止できる感応術である。攻城戦で使うカタパルトで飛ばすような重量物までは防げないが、賊の襲撃にそこまでの重量物はなく、十分防げるという判断のようだ。
「《風の封壁》ですか……とりあえず矢などの飛来物についてはしばらく大丈夫でしょうか……」
一転してほとんど何も聞こえなくなった馬車の中で、不安そうにしているリィゼの元に、外側から声がかかる。
「殿下、エディルが退路を確保しましたので、ブレーヴェ村の方へ離脱します。今しばらくのご辛抱を。ミリア殿、全速力での移動になります。揺れが激しくなりますので、姫様のことをよろしくお願いいたします。」
聞こえてきたのはセオの声だった。
少し息が上がっているようにも聞こえるが、戦闘中とは思えない、何を心配することがあるのかと言わんばかりの落ち着いた声音だ。
「わかりました。姫様のことはしかと承りました。戦況についてはお教えいただけますか?」
「警備兵の中に脱落者が数名出てしまっていますが、我々護衛騎士隊含め他は問題ありません。戦線も維持できております。お二人の離脱までは十分持たせられるでしょう。」
護衛騎士隊が無事と聞き、喜んでいい状況でないことは重々わかっているが、リィゼの表情が僅かに緩む。
「索敵者に防壁を維持させつつ、騎兵を先頭に馬車から順に離脱させます。最後方は護衛騎士隊で守りますので、ご安心を。」
「セオ隊長、ご武運を。」
「ありがとうございます。では後ほど。」
ミリアの言葉に対して、セオの短い返事のあと、彼が騎乗する馬の蹄音が馬車を離れていく。
同時に御者は馬に鞭を入れ、エディルが確保した撤退路に向けて馬車を進め出した。
「きゃっ!」
大きな揺れと床の強い突き上げに、小柄なリィゼの身体が大きく揺さぶられるが、ミリアが手すりを片手に必死でリィゼを抱き締め、その身が傷つかぬように支えている。
「総員退避だ! エディル、最前列の哨戒と露払いを! 他の者は順次馬車に追従して離脱! ノア、俺たちは殿だ。」
「はっ!」
セオの指示を受け、戦線の前方で飛来する矢を切り落としていたノアが言葉少なく応じる。
隊列と賊の集団の間に割って入るように移動しながら、ノアはずっと気になっていたことをセオに問いかけた。
「セオ隊長。この襲撃、おかしいと思いませんか? 奴ら、これだけの戦力差がありながら、接近してくる素振りがほとんど見えません。それに……追撃もやけに手緩い……」
「こちらは十数名。あちらはざっと倍。賊の目的が略奪ならこんな戦い方にはならん。こちらの練度が高すぎて攻めあぐねているという感じでもない。何か他に目的があると見るべきだろうな。追撃も……その気がないのかもしれん。」
襲撃開始時、賊は奥の森から勢いよく飛び出してきた。普通であればそのまま隊列に纏わりつくように接近し、乱戦にしてしまうのが奴らの戦い方だ。そもそも大した策も戦術もない荒くれ者の集まりなのだから。
それがどうしたことか、遠くから弓などを使って攻撃を仕掛けてはくるものの、積極的に近接戦に持ち込んでこないのである。
何人か、手練と思われる者が混じっているようで、ここぞというタイミングで瞬間的に踏み込んでくる輩がいるが、その程度だ。
おかげで索敵者に張らせた風の防壁や、各々の盾などでほとんどの攻撃は防げており、さすがに損耗ゼロとはいかないまでも、戦線は維持できていた。
「辺境伯領への移動を邪魔したいのか……いや、考えるのはあとだ。今は姫様に安全なところまで離脱いただくことが先決だ。」
「そうですね。彼らには申し訳ないですが、急ぎましょう……」
ノアは、撤退開始前に隊列があった辺りに倒れ伏している、何人かの警備兵の姿を口惜しそうに見やった。
彼らは飛来する矢に射抜かれたり、踏み込んで来た手練に切り捨てられてしまったりした結果、その生命を落としてしまった者たちだ。
本来であれば、身につけていたものや髪の一房を遺品や遺髪として家族の元へ持ち帰ってやるのだが、今は一刻も早くリィゼを安全なところへ逃がすということを優先せざるを得ない。
賊たちは警備兵の死体の辺りから、ゆっくりとこちらへ向かっては来ているが、こちらの離脱速度よりも明らかに遅く、追いつくつもりがないように見える。
「あの様子ですと、追撃より待ち伏せの方が恐ろしいですね。セオ隊長、殿は引き続き私が務めますので、エディルの方に付いてやっていただけませんか?」
「殿は私が、というつもりだったのだがな。優秀な副官殿の進言となれば、その通りにしよう。ではこのまま私はエディルに合流し、哨戒と露払いを二名体勢としてブレーヴェ村まで進む。何かあれば連携するように。」
「はっ!」
セオが馬を駆り隊列前方へ駆けていくのを一瞥し、ノアは後方へ意識を集中した。
この違和感だらけの襲撃が誰の何の目的の為のものなのか。
情報も少なく、そういった腹の探り合いのようなものがあまり得意ではない自分には、まともな答えが出せそうにない。
ただ一つ言えることは、自身の身を賭してでも、敬愛する主君であるリィゼを傷つけさせはしないと、改めて強く固く決意していたのであった。




