第三十話 穏やかな朝に
自室の窓にかけられた、淡い色のカーテン。その隙間から朝日の光が差し込んでいる。
朝というには少し遅いくらいの時間に私は目覚めた。そろそろ初夏の足音が聞こえだす時期ということもあり、お陽様の位置は結構高い。
口元を覆うくらいに引き上げていたシーツを掴んだまま、ごろんとうつ伏せに転がり、そこからゆっくりと上体を起こす。
「……ふぁ……」
小さく伸びをしながら、あくびの漏れ出る口元に手を添えた。
あぁ、もうすっかり日が昇っちゃったなぁ……
ぐるりと部屋を見回すと、そこは昨日、約一週間ぶりに戻ってきた自室だった。
あくびのせいで目尻に浮かんだ涙を指で拭い、私はベッドから這い出る。
一度洗面所まで行って顔を洗い、自室に戻ると身支度を進めた。
リサには似合わないと笑われたフリル付きの可愛らしい寝間着をベッドの上に脱ぎ捨て、着替えを探してタンスの引き出しを漁る。
そこには、森の探索には着ていくことができなかった、お気に入りの若草色の膝上丈ワンピースが収められていた。
迷わず手に取って袖を通すと、一緒に入っていた白の上着を羽織り、鏡台の前に座る。
背中まである髪を一度櫛で梳かし、ゆるくふんわりとした三つ編みにまとめると、何度か顔を横に向け、おかしなところがないか確認する。
「まぁこんなもんかな。」
そこそこ綺麗に結い上がった髪を見ながら、私は昨夜のことを思い出していた。
まだ本調子じゃないのに、夜遅くまで兄さんやお義姉ちゃん、それにルカを交えた四人で随分と話し込んだんだよね。
サテライトとかの旧文明のことは、私から話すわけにはいかないし伏せたけど、それ以外の森に入ってからのことを、兄さんとお義姉ちゃんの二人に色々話して聞かせた。
焚き火を囲んで野営したこと、森狼や森大熊と戦ったこと、軽い怪我で済んだものの、その怪我のせいで酷く体調を崩したこと。
あらかじめルカと考えておいた森の異変についてのこと。
怪我の話をしたときには兄さんが酷く狼狽えて大変だったけど、最終的にはちゃんと無事返ってきたからと納得もしてくれた。
というか困ったのは、二人がルカに私の小さかった時のことを勝手に話し出したこと!
危うくあれこれと昔の失敗談や恥ずかしいエピソードを暴露されそうになって本当に危なかった……
まぁそれもこれも楽しい時間だったことは確かだけど。
なんというか、いつもの兄さんとお義姉ちゃんと私の三人のところに、友達が泊まりにきたって感じかなぁ……
お義姉ちゃんが準備してくれた料理に、リサのお父さんがルカに持たせてくれたガリナ鳥の香草焼きを加えて、みんなで突っつきながら取り留めのない会話をする……たまんないよね。
森に入ったあの日からずっとどこか張り詰めっぱなしだったから、なおさらって感じだった。
鏡台の鏡越しにニヤニヤしてる自分の顔を見えていると、ダイニングの方から私を呼ぶ声が聞こえてきた。
「エリナちゃ~ん! 起きてるなら朝ごはん食べに来て~! 食べてないのは貴女だけよ~!」
お義姉ちゃんの声だ。兄さんはお店があるから早いだろうけど、ルカも食べ終わってんの!?
「はぁい! すぐ行くー!」
朝からゆっくりしすぎてしまったことに焦りながら、私はバタバタと自室を出て、ダイニングへ向かう。
これだからいつまで経ってもズボラでガサツだなんて、リサに言われちゃうんだよなぁ……
◇◇◇
目の前のダイニングテーブルには、美味しそうな香りの立つ朝食が並んでいる。
香ばしく焼いたパンに生野菜のサラダ、ガリナ鳥の卵のスクランブルエッグとベーコンの塩味が効いたスープ。どれもセリーナがその腕を振るった、起き抜けの胃にも優しいメニューだ。
ただし、並んでいるのは1人分である。
テーブルを囲んで椅子に腰掛けているのは三人。マリウスとセリーナ、ルカだ。
もちろん並べられた朝食はまだ起きてこない誰かさんの席の前である。
「まったくエリナちゃんってば……ルカさん、あの子野営の次の日とか、朝ちゃんと起きれたの~?」
「はは……意外に大丈夫でしたよ。まぁすぐ横で俺がガサガサと準備を始めたからかもしれませんが。」
そんな軽口を叩きながら、三人は朝食後のお茶を楽しんでいた。
お茶は村の近隣にある畑の周辺に自生する、この地方特有の小さな白い花をつける植物から作るらしく、地元の人間には昔から愛されていて「ブレーヴェ・ティー」と呼ばれている。
色はほんのりとした茶色。口当たりが軽く爽やかな香りで、料理や菓子など他の食べ物の味を邪魔しない素直な味だ。
旧時代で言えば、ジャスミンティーに近いだろうか。
「そういえばマリウスさんにお伺いしたいことがあるんですが……」
「はい、何でしょう?」
お茶の入ったマグをことりとテーブルに置き、ルカがおもむろに口を開いた。
改まって話し出すものだから、マリウスも少し構えている。
「大したことではないんですが、雑貨屋の隅に並んでいたアクセサリーについてお聞きしたくて。」
「あぁ、あれですか。何か気になる品でもありましたか?」
雑貨屋「ブレーヴェの樹」には、店の奥手の壁際の棚に他の商品とは少し趣というか雰囲気が違うアクセサリーのスペースがある。
既製品や量産品などの品揃えが多い中、それらのアクセサリーはどれも一品物のようで、色や形が同じものが並んでいた記憶が無い。
作りも悪くはなく、むしろ商品ごとに繊細だったりしっかり強度があったりと、商品のコンセプトに合わせて構造もデザインも考えられているように思える。
「いえ、量産品とかではなさそうですし、出来もいいものばかりでしたので、職人さんから直接仕入れられているのかなと思いまして。」
思ったままの感想を伝えると、マリウスの隣で話に耳を傾けていたセリーナがにこにこと微笑みながらこちらに目を向けた。
そんなセリーナを見ながら、マリウスが答える。
「お眼鏡に適ったようで嬉しい限りです。実はあのアクセサリーはセリーナが作ったものでして。この店がただ雑貨を並べるだけで終わるのではなく、村の女性たちが気軽に手に取って楽しめるものでもあればと頑張ってくれているんですよ。」
「素直に褒めていただけるなんて、嬉しいですね~。ちょっとでもお店の売上の足しになればと思って始めただけなのですけど~」
そう言って照れたような笑顔を見せながら、セリーナはマリウスの方をチラチラと見ている。
夫婦仲は良好のようだ。羨ましい限りではあるが、そこは一旦胸の奥にしまい込んでおく。
ルカは改めて二人に向き直ると、胸元から小さな袋を取り出して、そっとテーブルの上に差し出した。
「そうだったんですね。ではセリーナさんに一つアクセサリーの制作をお願いできますか? この石を使ってネックレスを作ってほしいんです。」
「ネックレス、ですか~?」
ルカが差し出した小袋を受け取り、セリーナは中身を取り出した。中から出てきたのは、ラボから持ち出したあの"クォーツ"である。
「あら~、こんなに綺麗に澄んだ色の石、初めて見ました~。」
石を窓から差し込む陽の光に透かすようにして、セリーナが驚嘆の声を上げた。
「ペンダントトップには少し大きい気もしますけど、ルカさんがつけるならちょうどいいわね~。金属製のチェーンでいいのかしら?」
「ええ、デザインはそれほどこだわってはいませんので、できるだけ動き回っても大丈夫なように頑丈にお願いします。」
「承りました。数日かかると思うけど、大丈夫かしら~?」
早速クォーツを片手に頭の中でデザインを考え始めているのか、視線を上の方に向けながら悩みだしたセリーナに、ルカが答える。
「ええ、大丈夫です。しばらくお世話になってしまうので申し訳ないんですが、一週間程度は滞在するつもりでしたので。」
「あら~、じゃあ時間は十分ね~。ちょっと頑張って作ってみるから、待っててくださいね~。」
クォーツを小袋に戻し、セリーナは夫婦の部屋の方へ歩いていった。あちらに作業スペースなり、工具類なりがあるのだろう。
「独学で始めたんですが、筋がいいようで、時折仕入れに行く街へ持って行くと、あちらのご婦人が買ってくださったりもするんです。きっといいものに仕上げてくれますよ。」
マリウスもお勧めしてくれたので、迷うことなく任せられそうだ。
バッグなりアイオン・バングルなりに放り込んでおいてもいいが、一応は母親からお守り代わりに身につけておいてと言われたことだし、出来上がりがどうなるのかという懸念はあるものの、見知らぬ職人に任せるよりはセリーナに任せたほうが安心できる。
「あぁ、マリウスさん。ついでと言ってはなんですが、後で店の商品を見せてください。ダガーとショートソードが早々に傷んできてまして……あと円盾も無くなってしまいましたし、諸々調達しておきたいので。」
「えぇ、ぜひぜひお願いします。武器類は先日の"慣らし"の時のご意見を参考に少しラインナップを変えましたので、そちらもご覧ください。」
そう言って傷んだ装備の新調や携行品の調達について話し出すと、奥の方からセリーナの声が聞こえてくる。
「エリナちゃ~ん! 起きてるなら朝ごはん食べに来て~! 食べてないのは貴女だけよ~!」
「はぁい! すぐ行くー!」
意外としっかりとした返事が返ってきたところを考えると、一応は起きていたのだろう。
スタスタとダイニングに戻ってくるセリーナの後ろからバタバタと騒がしい足音が聞こえる。
マリウスは開店の準備に取り掛かるようだし、セリーナはすでに食べ終わっている三人分の食器の後片付けを始めるようだ。
ルカの方は急ぐ用事もなければ、装備や携行品もマリウスが開店準備を済ませるまではお預けなので、朝食が済むくらいまでは、と話し相手になってやることにした。
「今日の朝ごはんも美味しそう~……冷めちゃってるけど。」
小さく舌を出して気まずそうにしながら、エリナがダイニングに現れた。
今日は普段よく着ているワンピースを着ている。
森に入っていた時は袖丈の長い服や足首までしっかり覆われたパンツスタイルだったこともあり、逆に新鮮な気もするが、やはり明朗快活な彼女には今日のような服装の方がよく似合う。
その後、美味しそうに朝食を頬張るエリナの話し相手になりながら、ルカは一日をどう過ごすか、ゆっくりと頭を巡らせるのだった。




