第二十九話 帰宅
サテライトを出て一時間ほど経っただろうか。ルカは前回同様人目につかないよう、村から見て陰になっている村近くの丘の裏まで移動していた。
感応術の風をコントロールして大地にふわりと舞い降りるかのように降り立つ。
「エリナ、村の近くに着いたぞ。立てるか?」
「うん……」
エリナが抱えた荷物から顔の上半分を覗かせて、小さく頷く。
返事を聞いて、ルカはエリナをそっと地面に立たせてやる。その顔を見て、ルカは彼女の目が少し赤いことに気がついた。
「ん? エリナ?」
「あ、ちょ、えっと! やだなぁ、大丈夫だって。星空と遠くから見る夜の村が綺麗だったからさ、感動しちゃってついポロッとね。うん。」
「え? お、おう……」
ルカに顔を見られ、目の赤みに気付かれたことに、エリナは慌てて顔を伏せ、手に持った荷物を顔の前にして隠れてしまう。
あまりの慌てぶりに、ルカもうまく声がかけられなくなってしまい、少しおかしな相槌を打つことしかできなかった。
何か泣かせるようなことをした覚えはないが、本人も取り繕うつもりのようだし、下手なことを言わない方がいいと考え、ルカはそれ以上突っ込まないことにする。
「じゃあ少し歩くけど、村に帰ろうか。」
「そうだね。いこっか。」
エリナに預けていた荷物を返してもらうと、二人は村に向かって歩き出した。
丘の裏側から一度街道に出て、そのまま街道を歩いて村に向かう。マリウスやセリーナ、陽だまり亭のリサといった、エリナに近しい人物以外には彼女がルカと共に森に入っていることは知らせていないため、ただ村の外のどこかへ出掛けていたという体を装って村に戻る必要があった。
エリナの体調を気遣い歩く速度を調整しようとしたが、サテライトでの休息に加え、今日の移動もただ一時間ほど抱きかかえられていただけということもあり、心配するほどのことはないようで少し安心する。
「なんかちょっと怠いかなぁってくらいだから、完全回復ももうすぐだね~」
ルカの数歩前、エリナが両手を広げてくるくると回って見せながら進んでいく。
「そうやって気を抜いてるとぶり返したりするから、帰ったらちゃんと休めよ。」
エリナが転んだりしないようにと少し注視はしているものの、足取りもしっかりしているようではあるし、大きな心配はなさそうだ。
門番として立っている青年に軽く会釈をして、二人で村の門を入ろうとしたところで、当の門番に話しかけられた。
「あー、エリナに兄ちゃんも、ちょっと待ってくれ。二人でどっか行ってたのは聞いてるが、遠出してる間に村に来客があってな。どうも国のお偉いさんみたいだから、下手に機嫌を損ねないように気をつけるんだぞ。」
「そうなの? うちの村なんて辺境の小さい村だし、何の用なんだろうね?」
「さぁな。村に来た時はだいぶ慌てた感じだったし、計画してた通りじゃないんだろうよ。」
腕を組んで少し首を傾げるようにしながら、門番の青年は二人がいない間にあった村の変化について教えてくれた。
国のお偉いさんとやらが来ていることそのものも大変なことだが、そのせいか村の雰囲気も騒然としていて護衛と思われる騎士たちもピリピリしているという。
村人であるエリナは良いが、村人ではないルカは注意して行動した方がいいだろうともアドバイスしてくれた。
「なるほどな……教えてくれてありがとう。気をつけることにするよ。」
改めて青年に礼を述べ、二人は村の中央広場に向かった。
それほど距離は無いので、早々に中央広場についたのだが、どうにも村の雰囲気というか空気感が違うというのは青年の言葉通りだった。
夜だということもあるが、出歩いている人がほぼいないのだ。
普段だと陽だまり亭で飲み食いしている連中が店に向かう姿を見かけるのだが、そういった人影も無い。
二人で怪訝そうにしながら顔を見合わせていると、程なく中央広場に到着した。
陽だまり亭はまだ夕食時なので灯りはついている。だが、正面の出入り口はいつものように解放されておらず、扉の横に一人、鎧を纏った人間が立哨に立っていた。さらに、閉庁時間を過ぎ、普段であれば職員も退庁しているはずの役場も灯りがついている。
雑貨屋「ブレーヴェの樹」は営業を終えている時間なので、こちらもいつも通り店頭の明かりは消えているが、裏手の方が少し明るい。おそらく、エリナの帰宅を待つ二人が裏口だけ灯りを点けているのだろう。
「本当にちょっと変な空気だな……」
「だね。こんな村、初めてかも。」
中央広場から見える範囲を二人で見回しながら、普段とはちがう雰囲気に顔をしかめる。
「とりあえず今日は一旦ここで解散だな。さすがに俺も疲れたし、今夜は久々のベッドでゆっくり休むことにするよ。」
「私は疲れより空腹かなぁ。お義姉ちゃん、何か食べるもの作ってくれると嬉しいんだけど……」
「じゃあ明日の午前中はゆっくりして、午後になったらそっちへ行くから、マリウスさんとセリーナさんにはそう伝えておいてくれるか? 説明が必要なこともその時に話すよ。」
サテライトでは唯一のベッドをエリナに押し付けていたルカは、今夜久々にベッドで眠れることに少し頬を緩ませ、エリナは自宅に目をやりながら、空腹に自分の腹部をさすり、小さく苦笑いを浮かべる。
「わかった。じゃあ今夜は兄さんとお義姉ちゃんにはあんまり話はしないようにするね。何を喋っていいのか、逆にダメなのか、いまいち判断に困っちゃうし……」
「ん。わかった。じゃあまた明日な。」
「うん! また明日! 家で待ってるね!」
エリナは自分のバッグを両手で胸元に抱え、ルカに笑いかけると喜びに跳ねるように、小走りで自宅である雑貨屋「ブレーヴェの樹」の裏口の方へ走り去って行く。
建物の裏手の方からエリナの「ただいま!」が小さく聞こえたのを確認し、ルカは陽だまり亭の方に向き直った。
とりあえず宿に戻って借りている部屋に荷物を置いたら、陽だまり亭の親父さん特製ガリナ鳥料理だ。ルカはそう心に決め、陽だまり亭の出入り口へ向かう。
立哨の騎士は気になるが、「お偉いさん」とやらの護衛なのだろう。何か言われたら事情を説明すればいい。
そう考えながら、扉に手をかけようとしたところで、案の定厳しい表情をした立哨の騎士が立ち塞がった。
「申し訳ないのですが、ここは現在我々が貸し切りにさせてもらっています。入るのは遠慮いただきたい。」
とてもよく通る声だった。淡いアクアマリンの髪と瞳、一見すると優男風ではあるが、切れ長の鋭い目。体躯はルカと同じくらいだが、しっかりと鍛えられている。好青年、という呼び方がとても似合う感じだ。
そして彼の着込んでいる鎧には、翼を広げた鷹に双輪が刻まれた盾の紋章が刻まれていた。
この紋章は、ヴェールスフィア王国の紋章だ。ということは近隣を治めている貴族などではない。少なくとも普段王都にいる者が関係していることになる。
年はほとんど変わらないだろうが、下手な対応はしないほうが良いはずだ。それに「貸し切り」というのも気になる。部屋はまだ借りたままのはずだが、どういうことなのか。
「お勤め、ご苦労さまです。事情を存じ上げず、無礼をいたしました。私は、この宿にしばらく滞在しておりましたルカと申します。貸し切りとのお話ですが、どういったご事情なのでしょうか。私が借りている部屋にも、荷物を置かせていただいているはずなのですが……」
「なるほど、貴殿が滞在中の旅人でしたか。確かに宿の主人から聞き及んでいます。迷惑をかけてしまいますが、やむを得ない事情でしばらくこの宿は我々専用で貸し切ることになっています。貴殿の荷物と宿泊費用については宿の者から説明を受けると良いでしょう。ここで少しお待ちを。」
立哨の騎士はそのまま宿の扉を少しだけ開けると、顔だけを中に向けるようにして声をかける。
「エディル! 宿の者を一人寄越してくれ。滞在中だった旅人に事情を説明してもらいたい!」
宿の中から少し軽薄そうな声で返事があったあと、程なくして扉が開き、ひょっこりとリサが顔を出した。
「ノア様? お呼びと聞いたのですが……」
「リサ嬢か。すまないが彼に荷物と宿泊費用の件について説明を頼みたいのだが、構わないだろうか。」
「あ、はい。承知しました。ルカさん、戻られたんですね。えっと、こちらにどうぞ。」
ノアと呼ばれた騎士に説明を頼まれたリサは、陽だまり亭の外側に幾つかあるテーブルの一つにルカを案内した。
普段食堂に入り切らないほど客が来た時には、外のテーブルも使うことがあるのだが、そのうちの一つだ。
「なんだか大変そうな時に戻ってきちゃったみたいですまないね。説明、お願いできるかい?」
「あ、いえ、今回の件は完全に不可抗力なので……私から詳しい事情はお話できないんですけど、ノア様……あ、今立哨に立たれている騎士様の仰っていた件についてお話しますね。」
ルカが椅子に座ったのを確認してから、リサはノアの方を一瞥し、事情の説明を始めた。
「一昨日からなんですけど、高貴なご身分の方がご利用になられてまして……警備の都合上、他の利用客の方には利用を遠慮してもらうことになったんです。それで、代わりに今一般のお客様は役場の方でロビーや会議室を解放してくれていますので、そちらで寝泊まり頂いてる状況で……」
詳しい事情といっても、本当に深い事情は彼女も聞かされていないのだろうが、宿の関係者として他の村人たちよりは事情を「知ってしまう状況」にはある。
不用意に余計なことを口にしてしまうのは恐ろしいのだろう、リサは終始ノアを気にしながら説明を続けた。
「それで、ルカさんの宿泊費用についてなんですが、とりあえず今お預かりしている分から、一昨日貸し切りになった以降の分はお返ししますね。あと荷物は本来役場で預かってもらうことになってたんですけど……」
リサが言葉の途中で視線を「ブレーヴェの樹」の方へ向ける。
どうしたのかと釣られてルカもリサの視線の先に顔を向けた時だった。
「おーい! ルーカー! 荷物とか全部こっちだってー!」
なんともタイミングよく、エリナの明るい声が夜の村に響き渡った。
まったく人騒がせな、と苦笑いするルカとリサ、そして突然の声に警戒するノア。
「ということなので、荷物はマリウスさんたちが預かってくれてます。宿泊は役場でお願いしますね。じゃあお返しするお金持ってきますから、ちょっと待っててください。」
まったくもう、あの子ったら……と零しながらリサは宿の中へ戻っていく。
ルカはまだ警戒を解いていないノアに、エリナが村人であることや今日まで自分と村の外へ出かけていたことなどを軽く説明していたところ、背後からどこか聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「なんだ? 今日は閉まってんのか?」
ノアが訪問者に警戒するのを横目に振り返ると、そこに立っていたのは以前街道沿いで野営を共にしたアーヴだった。
「アーヴか……」
「お、ルカじゃねぇか。俺のアドバイス通り、陽だまり亭に来てたんだな! 灯りはついてるみたいだが、なんで扉閉まってんだ?」
ルカは警戒を緩めないノアを手で制し、代わりに軽く状況を説明することにした。
「……ということで、今は陽だまり亭は利用できないらしいんだ。残念だが役場で寝泊まりしてくれってさ。」
「マジかー……おやっさんのガリナ鳥を楽しみに村まで急いだってのに……」
まぁ事情があるなら仕方ないなと頭を掻きながら、アーヴは役場の方に振り返った。
「じゃあ数日くらいは休息がてらこの村にいると思うからよ、また会ったらよろしく頼むわ。」
えらくあっさりしたもので、肩越しにこちらを一瞥し、左手をひらひらと振りながら、アーヴは役場の方へ歩いていった。
「ルカ殿、でしたか? 説明までしてもらって申し訳ない。」
「いえ、お気になさらず。たまたまですが顔見知りでしたので。」
アーヴの背中を見送りつつ、ノアと一言二言話をしていると、先程宿の中へ入っていったリサが、小さな包みを手に戻ってきた。
「ルカさん、お返しする宿泊費です。あと、こっちの包みなんですけど、お父さんが急いで香草焼き作ってくれたみたいなので、持っていってください。」
リサは十数枚の銀貨と、香ばしい香りの立ち上る香草焼きの包みをルカに歩み寄ってそっと手渡した。
そしてルカの目をじっと見つめる。
「リサちゃん? どうかした?」
見つめられたルカは怪訝そうな顔をし、問いかけると、リサは少し小さい声でルカに話しかけた。
「ルカさん。エリナのこと、ありがとうございました。セリーナ姉に体調崩したこととか、わざわざ村まで食料取りに戻ってきてくれたこととか、いろいろ聞いてます。とにかく、あの子を無事に連れ帰ってきてくれて、本当にありがとうございました。」
リサは深々と頭を下げた。幼馴染が何日もどんな状況かもわからない森の奥に行ってしまい、かなり心配していたのだろう。
「気にしないでくれ。そんなにかしこまってお礼を言われると、ちょっと気恥ずかしいよ。それに、ほら。」
そういって、隣にいたノアに目をやる。少し所在なさげにしていたノアが、唐突に話題に巻き込まれてしまい、苦笑いしていた。
「あ……」
「ルカ殿、私を巻き込まないでください。今は任務中なのですから……」
「これは失礼しました。それでは私はこれで失礼します。じゃあリサちゃん、また近いうちに。お父さんにもお礼を言っておいてね。」
ルカは穏やかに微笑むと、くるりと踵を返し、雑貨屋「ブレーヴェの樹」の方へ向かって歩き出す。
さっきから時々雑貨屋の裏手から顔が見え隠れしている気がするが、突っ込むのも面倒なので無視だ。
距離も数十歩程度、裏口につくのもすぐである。
「ちらちら見てんじゃねぇよ。」
「だって遅いんだもーん。」
裏口まで来ると、いつも通りに口を尖らせたエリナが待っていた。
その後ろ、家の中でマリウスとセリーナもルカの到着を待っていたようだ。全員が一様に笑顔でルカを出迎えてくれる。
その温かい空気感にルカも思わず頬が緩む。
「すいません。荷物、預かってもらっているみたいで。返してもらってもいいですか? お邪魔にならないよう、すぐに役場へ行きますんで……」
久々というほどではないかも知れないが、約一週間ぶりの家族の時間のはずだ。ルカは早々に退散しようと荷物を探す。
しかし荷物は見当たらない。
不思議に思いながら顔を上げると、マリウスがおもむろに口を開いた。
「ルカさん、陽だまり亭の事情は聞いています。それにしばらくは村に留まられるつもりだとも。知らぬ仲でもありませんし、村での滞在中はうちで過ごしてください。」
「だってさ。」
「えっ?」
「あら~、今持ってるのは陽だまり亭のご主人のガリナ鳥料理かしら? ちょうどいいわね~、みんなで夕食にしましょう。ほら、入って入って~」
「あ、いや……」
突然マリウスに家に滞在をと言われ、目の前ではエリナがいたずらっぽく笑い、ルカがどう返したものかと慌てていると、エリナの横をするするとすり抜けてきたセリーナに背中を押され、あれよあれよという間に家の中に招き入れられてしまう。
「さ、お腹空いてるでしょ? ご飯ご飯!」
いたずらが成功した子供のような笑顔で、エリナはルカの持っていた包みを取り上げ、さっさと行ってしまった。
「こ、困ったなぁ……」
包みを奪われ空いてしまった右手で頬を掻きながら、ルカは苦笑いしながら困惑の声を挙げた。
どうやらこの家族からは、そう簡単に逃げられそうにないらしい。苦笑いしたままではあったものの、それも悪くないなと、ルカは早々に撤退を諦め、一家にお世話になることにする。
その夜、エリナの家からは久しぶりに賑やかな夕餉の時間が流れ、四人が語らう声が日付が変わる頃まで続いたのであった。




