第二十八話 星空の下
『さて、そろそろ出発でしょうか?』
ルカとエリナはそれぞれ準備を終えて、中央制御区画の壁面モニターの前にいた。
エリナの体調もかなり戻ってきているが、まだ本調子ではないこともあり、ルカに促される形で彼女は操作パネル前の椅子に座っている。
「そうだねー。アリスとはお別れかぁ……妖精さんはさ、ここから出て一緒には行けないのー?」
少し冗談めかしてエリナが問いかけた。
数日間ではあったが、姿形は見えずとも一緒に過ごした相手との別れが近いと思うと、さすがに少し寂しい。
『ふふ……嬉しいお誘いですが、私はエリナと行くことはできないのですよ。姿形もありませんしね。』
「私とは行けない? なにそれ。ルカとなら行けるってこと?」
『どうでしょうか? そこは秘密ということで。』
エリナには気になる言い回しでの回答だが、この後も結局最後までアリスは明言を避けた。
もちろんB.N.I.C保持者とであれば遠くとも会話できることを指しているのだが、この辺りの情報はエリナへは伏せられたままであり、アリスにとっては依然としてエリナは部外者の範疇にいるのだ。
『何にせよ仕方のないことです。さぁ、ここでゆっくりしていても遅くなってしまいますよ。早く村へ戻りなさいな。』
アリスの言葉はにべもない。達観しているのか、割り切ってしまっているのか、少なくともエリナとの関係については、これが今生の別れといっても過言ではないのだが、何とも思っていないようですらある。
「なんかお別れなのに全然気にしてませんって感じでちょっとムカつくー……」
小さく口を尖らせた抗議の表情も久しぶりな気がする。しばらくは体調不良もあって一日中眠っていたり辛い表情で過ごしていたことを思えば、これも彼女の回復を伺わせる反応の一つなのかもしれない。
『そこまで言えるようであれば、完全回復も遠くはないでしょう。さぁ、お行きなさい。』
アリスがとても穏やかで優しい声音でさり気なく出発を促す。
「あ……うん。じゃあ行くね。アリス……またね。」
まだ何か言いたそうに口を開くが、少しの間の後、エリナは諦めたように別れの言葉を口にした。
『そうですね。次の機会があることを祈っています。ではまた。ルカ。エリナをちゃんと送り届けてあげるのですよ?』
「あぁ」
『年頃の女の子なんですから、雑に扱わないように!』
「わかってるって! 何だよ雑に扱うなって。別にそんな扱いしたことないだろ……じゃあ、またな。」
『ええ、また。』
ルカとアリスは冗談めかしながらも、言葉少なに別れの挨拶を交わす。
おそらく次があるのだろうと、エリナはルカとアリスの間にほんの少しだけ垣間見える、自分と二人の距離感が何とも寂しく、そして羨ましく思えてならなかった。
「じゃあエリナ、行こうか。」
ルカがひと声かけてから中央制御区画を出ていく。
エリナも自分のバッグを持って椅子から立ち上がり、中央制御区画から外へ通ずる扉まで進んだところで壁面モニターの方へ振り返った。
「アリス、また……絶対にまた来るから!」
『ふふ……はい。待っていますよ。では、また。』
エリナは自分の呼びかけにアリスが答えてくれた声を深く胸に刻み込むように瞑目し、大きく一度深呼吸をしてから、ルカの後を追って中央制御区画を出ていった。
暗く細い通路を歩き、外へ出ると、巨岩の窪みの外側でルカが待ってくれている。
出発の準備やアリスとの会話で時間をかけすぎたのか、周囲はすっかり暗くなっていた。
「おまたせ! っていうかめちゃくちゃ暗いんだけど、今から帰るの危ないんじゃない?」
エリナの言う事はもっともである。特別な事情がない限り、普通は暗い夜に森の中を動き回るようなことはしないものである。
見る限り空も晴れているが、今夜も月は出ておらず、まともに光源になりそうなものもない。
「まぁな、でも今はこの暗さが大事なんだよ。明るいと人に見られるからな。」
ルカは綺麗に晴れた空を見上げながら、そう口にした。
「じゃあこれから帰るわけだけど……これ、持ってくれるか?」
そういって手に持っていた自身のバッグをエリナに差し出した。
「えっと……なんで? 私の分も持ってくれるならわかるんだけど……」
体調のこともあり、持ってくれるのならわからないでもないが、残念ながら冗談でもないらしい。
「なんかちょっと納得いかない……」
「まぁ誰かさんが年頃の女の子は大事に扱えって言うからな。」
大事にするのになんで荷物をもたせるのか。
やっぱりなんだか納得いかない。
いつも通りにちょっと口が尖りそうになりながらも、エリナは仕方なくルカの荷物を受け取った。
「じゃあ、そういうことだから、ちょっと我慢してくれよ。」
「ちょ……な、なに!? ひゃあ!!」
荷物をエリナに預け、彼女がしっかりと持ち直したのを確認して、ルカはエリナの横に小さくかがむようにしてから、サラリとこともなげにエリナを抱きかかえたのだ。
突然の「お姫様抱っこ」に普段の彼女からは出てこない間の抜けた悲鳴があがる。そしてどんどん紅潮していく頬。
「な、な、な、なんで!?」
「だから言っただろ、誰かさんが言うからって。」
「いや、確かに雑に扱うなって言ってたけどぉ……」
暗がりで判別は付きづらいが、もう顔は真っ赤である。
抱えた荷物に顔の下半分を埋めるかのようにしてもじもじと恥じらいに身悶えていた。
「それにいろいろ考えたんだけど、今回の移動は残念ながらたぶんこれが最適なんだよ。じゃあ行くぞ。」
「ちょ! な、なにが残念なのよっ! 人をお姫様抱っこしておいて残念って何!」
「いや、そういう意味じゃない! 俺なんかに抱きかかえられることになるのは残念って意味で……」
「べ、別にそれは大したことないし! っていうか倒れた時にもやったんでしょ! い、今更じゃない!」
「それは不可抗力だろ……と、とにかく行くから、ちゃんと捕まっとけよ! 《旋揚》」
埒が明かない不毛な言い合いから半ば逃げるようにして、ルカが感応術を行使する。
ルカの後方から、つむじ風のように吹き上がる風が強く巻き起こった。
ルカの身体を下から支えながら前方に強く押すように風が吹いている。まだ地に足はついているが、今にも浮き上がりそうだ。
突然周囲に吹き出した強風にエリナは目を瞑っていたが、次の瞬間、自分を抱きかかえたルカが軽く跳躍するような感覚を覚え、恐る恐る瞼を開くと、その目に映ったのは、視界いっぱいに広がる満天の星空と、眼下に広がる森の景色だった。
「わぁ……」
ルカは前回村に戻った時のような無理やりな感応術の組み合わせではなく、新たに別の感応術を用意していた。
つむじ風を使って重量を極限まで減らし、また前に向かって押し出す。軽く跳躍することで前方へ高く遠く跳ぶことができるようになる感応術だ。
前回の時のような高速移動はできないが、それでも走ったりするよりは十分な速さで移動でき、村までの移動時間もそれほどかからないはずだ。
これも「跳躍」なので、しばらくすると高度は落ちてくるが、足元に空気を急速に圧縮することで生まれる反発力を利用し、再度「跳躍」することで、継続して空中を移動することを可能にしていた。
感応術自体も単一の術とピンポイントでの空気圧縮の術の2つで済むため、脳の疲労もかなり軽減される。
また、「跳躍」自体も大地を強く蹴るようなものではなく、感応術で羽毛のごとく軽くなっている状態で空気の反発力を使うこともあり、強い衝撃などは発生しないことから、エリナの身体への負担もない。
ここまでくると、まるで不思議な夜空の散歩をしているようだった。
「空……」
ポツリとエリナが呟いた。
「ん?」
「空、綺麗……」
そういえば、とルカは上空を見上げた。
晴れていて月がないとなれば、夜空の星の瞬きはとても良く見える。
エリナは遠くに見えてきた村の家々から溢れる小さな灯りと、その上空に見える夜空の景色の美しさに言葉を失っていた。
チラリと彼女の表情に目をやると、先ほどまでの恥じらいはどこへやら、その潤んだ栗色の瞳に星々の輝きを写し込みながら、穏やかな微笑みを浮かべている。
「(まぁ楽しめたようで何よりか……)」
視線を前に戻し、ルカは村への移動に集中する。
エリナは村の方角以外にも目を向け、夜空の散歩を楽しんでいるようだ。
ゆっくりと首を巡らせ、遠くの山や平原、街道の向こうなど、今しか見ることができないであろう景色を目に焼き付ける。
そうしているうちに、エリナの視線の動きがピタリと止まった。
遠く目的地である村の方を真剣な面持ちで注視しているルカの碧い瞳。遠くでひときわ明るく瞬いていた星がちょうど映り込んで、神秘的な輝きを放っているように見えたのだ。
「あ……」
それは言葉にならないほどの美しさだった。
なんて綺麗な、そしてなんて――寂しい瞳。
初めて会った時も、そのあと自宅である雑貨屋に来てくれた時も、感じていたのは「彼と世界の間に横たわるどうしようもない隔絶感」だ。
その瞳にとらえているものを見ているはずなのに見ていない。
エリナはサテライトを訪れることになって、おそらくその一端に触れたのだと感じていた。
でもサテライトにいる間に聞けなかったこと、教えてもらえなかったこと、気付くことさえできなかったこと……
たぶんまだ想像もつかない「何か」が彼の背中にはのしかかっていて、そのせいで世界との間にとても太い線を引かざるを得ないのだ。そしてサテライトまで行ったエリナですら、その線を踏み越えることはできないと痛感させられてしまう。
それは言葉にならないほどの寂しさだった。
胸の奥底が強く締め付けられるような、そんな感情に胸の中が埋め尽くされる。気がつけばエリナの瞳から涙が一筋、頬を流れ落ちていた。
「!!」
ルカに気付かれる前に慌てて顔を荷物に埋め、涙を隠す。
「エリナ? どうかしたか?」
突然顔を荷物で隠したエリナをルカが怪訝そうな顔をしながら問いかける。
エリナは荷物の向こう側からくぐもった声で「なんでもない」と一言返し、そのまま動かなくなってしまった。
周囲の風が強すぎて目が痛くなったのか、はたまた恥じらいがぶり返してしまって悶絶しているのか……エリナの涙に気付いていないルカは見当違いな推測をしながら、夜空を跳びつづけたのだった。




