第二十五話 ルカとアリスの秘密
サテライトに戻り、ルカはシャワールームに向かった。
先ほどの戦闘ではバランスを崩した時に少し土がついたくらいだったが、エリナの体調のことも考えると身体の汚れは洗い流しておきたい。
「セラフの威力は魅力だけどなぁ……」
『まともな銃弾が手に入らない限りは使えそうにありませんね。今の技術水準ですと、鋼をベースにした発射体を作ってもらい、レールガンとして使うのが限界でしょうか。』
アリスはこちらが全裸でもお構いなしである。いや、培養槽にいる時からずっと見ていたんだろうし、そもそも人間の裸などなんとも思っていないのだろうが。
「課題は弾の調達かー……訓練用の弾すらないんじゃ射撃精度も上げられないしなぁ……」
射撃の反動でバランスを崩したことといい、改善点も反省点も多い。
シャワーに打たれながら少しばかり落ち込むようにうなだれるルカに、アリスが少し低いトーンで話しかけた。
『ところでルカ……エリナにはどこまで教えるのですか? そしてこのあと彼女をどうするつもりなのですか? サテライトや旧文明の情報が広まるのは貴方の将来のためには望ましくありません。今ならまだ、ここでこのまま捨て置くこともできますよ。』
捨て置く、つまり彼女は知りすぎた、だからこのままこのサテライトに閉じ込めて見殺しにする、ということだ。
途端にルカの表情が固く、暗くなる。
「アリス、捨て置くなんて選択肢は絶対に無しだ。俺を、友好的に接してくれる人間を簡単に見殺しにできる冷血漢になんてしないでくれ。」
『……ごめんなさい。ただ少し貴方の抱えるリスクが大きすぎるのではないかと……』
旧文明の情報が外の世界に漏れることは、ルカがこの世界で生きていくうえで良い影響は無い。
高い文明レベルの産物は時の権力者や富裕層にとって是が非でも手に入れたいものだ。エリナ自身に悪意は無くとも、情報を知られていれば、その分情報が拡散するリスクは上がり、悪意ある者に知られる可能性も高くなる。
であれば、このタイミングでリスクヘッジのためにエリナを見殺しにするのも一つの案だとアリスは考えたのだ。
しかし、明るく気のいい好感の持てる人間を、旧文明の話をしたからと切り捨ててしまうという話は、ルカにとって酷く気分の悪い話だった。
瞑目したまま心を落ち着けようと、大きく深呼吸を繰り返す。
「必要に迫られない限り、現時点でエリナが見聞きした以上のことを教える気はないよ。本人は数か月もすれば大人として独り立ちって話だし、村から出てどこかの都市で商人の下積みとかするんだろう? 日々忙しく過ごしてれば、俺のこともサテライトのことも遠い昔の出来事としてだんだん忘れていくだろうさ。」
『そうですか……わかりました。』
納得はできないが理解はした、というところだろうか。
「すまない。サテライトに招き入れた時点から、褒められた判断じゃないとはわかってるんだ。だからといって保身に走って何もかも切り捨てて生きていくようなことも、そのために利益にならないと判断した誰かを害しながら生きていくことも、したくないんだよ。」
顔を伏せたまま、ルカは言葉を続ける。
「なんとか妹になるだろう子を迎えに行って無事助けられたとして……さらにそのうちどこかでゆっくり生きていける環境を手に入れられたとして……その時に振り返った過去が暗く血生臭いものであってほしくはないしね……」
『本当にごめんなさい。気分を害してしまいましたね。ルカは心優しいので非情な判断はしないとわかっていますが、貴方の将来がよりいい物になるように、時には先ほどのような進言をしなければなりません。あぁ、損な役回りかもしれませんね……』
「わかってる……」
小さく言葉を返し、ルカはシャワーを止めて身体を拭きはじめた。
衣擦れの音とシャワーヘッドから滴る雫の音だけが部屋の中に響いている。
『ルカ、エリナが起きました。すぐに行くと伝えますので、何か口にするものと薬を持って彼女の元へ向かってあげてください。』
「ああ、わかった。すぐ行くよ。」
両手で両頬を軽くはたき、ルカはシャワールームを後にする。
その表情に先ほどまでの暗さはほとんどなく、わずかに安堵の色を帯びた微笑みをたたえていた。
薬と水、持ち込んだ食料の中から、何とかエリナが口にできそうなものを選び、個室へ向かう。
部屋に入ると、ベッドの上に横たわるエリナが、顔を少し傾けて視線だけをこちらに向けた。
まだ自力で身体を起こせるほどには回復していないのだろう。
「体調はどうだ? 少しはマシになったか?」
「うん、ちょっとだけね。お話ができるくらいには。アリスから聞いたけど、森狼の爪痕のせいでこんなことになるなんて、怖いね。」
アリスはエリナに「爪痕から悪いものが身体に入ってしまったのだ」とだけ教えている。
今の世界では細菌やウイルスといったものの存在が認識されていないので、余計な混乱を招くと判断したらしい。
「まぁな。いろんな種類や呼び方はあるんだが、ものによってはたくさんの人の命を奪うようなものもあったくらいだから。今回の症状が薬で何とかなりそうなもので良かったよ。」
「そうなの? アリスの薬ってすごいんだね。村で飲める薬って全然効いてる感じしないからさ……」
エリナがそう思うのも無理はない。今の薬は民間療法の域を出ないレベルでしかないからだ。
ルカはベッド横の小さなテーブルに持ってきた薬や水、食料を置き、エリナの方へ歩み寄った。
「そうかもな。じゃあそのアリスの作ったすごい薬を飲もうか。身体、起こすぞ。」
「うん……ありがと。」
エリナの背中を支え、上体を起こしてやると、枕代わりのクッションの位置を変え、無理なく座っていられるように調整した。
持ってきた薬をエリナに手渡し、飲むように促すと、薬を手にしたエリナは、特にためらうこともなく、コクコクと喉を鳴らしながら薬を飲み下していく。
「……ふぅ。飲めたよ。それにしても不思議だなぁ……この薬、変な味しないんだよね。村のやつ、すんごい不味いからさー……」
「そうか? それはアリスに感謝しなきゃな。」
薬を飲み終わったエリナから空っぽになった容器を受け取ると、ルカは口にできそうな食料を少しずつ食べさせていく。
それほど多くは食べられなかったが、いくらか口にすることはできたので、最後に水を飲ませると、エリナをもう一度ベッドに寝かせ、少しズレたシーツを胸元まで掛け直した。
「ルカ、ちょっと待って。」
食器や水の入ったグラスをテーブルに戻していると、そのまま部屋を出ていくと思ったのか、エリナがルカを呼び止めた。
「……ん? どうした?」
「少し、お話、いいかな?」
呼び止められたルカは、エリナの顔を見やった。彼女は真っ直ぐにこちらを見ている。
ルカは近くにあった椅子を引き寄せて座り、エリナに向かって小さく頷いてみせた。
「えっとね、ルカ、アリス……も聞いてる、よね? 二人とも、びっくりさせてごめんね。それと、助けてくれてありがとう。」
『構いませんよ。』
「ああ、気にするな。」
「うん……」
まず最初にエリナが口にしたのは、謝罪と感謝の言葉だった。
アリスもルカも感謝されるために動いたわけではないが、エリナの表情は柔らかく、微かだが微笑んでいるのがわかる。
「それとね、難しいと思うけど、二人のこと、もう少しちゃんと教えて欲しい。」
「それは……」
エリナは続けて話しだした。
自分たちのことを教えて欲しいと願うエリナに対し、ルカの表情は固い。
「言えないことや、言いたくないことがたくさんあることはわかってる。多分私がここでいろいろ見聞きしてしまったこと以前に、この場所の存在を知ってしまったこと自体が予定外だったんだよね?」
「……ああ。」
エリナの質問に、ルカが首肯する。
「私が森に同行するって言い出した時に渋ったり、土地神様の巨岩についたら別行動するって言い出したりしたのって、そういうことだったんだろうなって、今ならわかるもん。」
『なるほど、ルカはそんなことを……そのわりにはあっさりと連れてきてしまったようですが。』
意外にもエリナはルカの行動の意図をよく理解していた。言い当てられてしまったルカの表情は微妙に歪んでいる。
逆にアリスは自分の知らないところでのルカの行動が知れたからか、少し声音が嬉しそうにも聞こえた。
「さすがに森大熊の前で見捨てて一人逃げ込むなんてできないだろう……」
『それは……そうですね。』
少し不機嫌そうな表情でルカは答えた。もちろんあの場、あの瞬間の判断として間違っているとは思っていないが、アリスの指摘に憮然とした表情になる。
「とりあえず、これから私が今考えていることを言っていくから、聞いてもらえるかな?」
「……わかった。」
そこからエリナは、自分の見聞きした内容から導き出した自身の考えを話しだした。
「まずはサテライトなんだけど、言葉を選ばずに言えば、私たち人間に作れるものじゃないよね? 去年、陽だまり亭に滞在してた行商人に話を聞いた時、東の大国の"グランフェルト共和国"で地面の中から、何でできてるかわからない黒くて大きい"壁"が出てきたって話があったんだけど、それと同じものなんじゃないかな……"壁"はどうやっても穴を開けたり破壊したりできなかったって言ってたし、やっぱり普通の人間が作れるものじゃないと思うんだ。」
そこまで言うと、エリナは大きく一息ついた。まだ長々と話し続けられるほど体力は戻っていないのだろう。
「でね? サテライトが普通の人間に作れるものじゃないっていう予想が当たっているとしたら、サテライトのことを知っていて、当たり前のように操作したりできてしまうルカや、サテライトの中でだけ会話できるアリスは一体何者なのかって話になると思うの。」
アリスからの言葉はなく、ルカも口を閉ざしたままエリナをじっと見つめている。
エリナはもう一度深く息を吐いてから、言葉を続けた。
「極めつけは感応術の同時使用かな? すごい感応術を使う人の話も聞くことはあるけど、一つ一つが強いとかはあっても同時使用できる人だけは聞いたことがないの。」
「……」
「ルカは多分私の知らない世界の人間、なんだよね? もしかすると、二人以外には"兄弟みたいなもの"って言ってた人だけが同じ世界の人だったりとか……どうだろ、合ってる?」
考えていることを話しきったエリナは、視線を天井に移し、はぁー、と大きく息を吐いた。
彼女自身、学があるわけではないが、だからといって頭が悪いというわけではない。座学を嫌がったりはしていたが、兄や義姉のおかげか、彼女のわかる言葉でちゃんと説明してやれば、しっかり理解するだけの頭はある。
彼女なりに知り得た情報から考え、推測したのであろう。
エリナは天井を見たまま、じっと待った。返事を急かすことはしない。
本来ならばサテライトに関するものは何ひとつ、見せたくなかったはずなのだから。
言えない、言いたくない、そう答えられたのであれば、それで納得するしかない。
普段通りの彼女なら、こんな話はしなかったであろう。中途半端な一部の情報だけを見せられ、「エリナには関係がないから」と拒絶されようとも、「まぁ仕方ないかな」と諦められたはずだった。
だが、脱力感と倦怠感に苛まれた身体と、熱に浮かされ、少し薄暗い部屋の中で床に臥せっているという不安に駆られた心が、普段よりもエリナを弱らせている。
何かに寄り掛かりたい。何かに寄り添ってもらいたい。そんな心理が彼女の瞳を微かに揺らせていた。
そんな心の弱さが、無意識にルカやアリスとの距離感を縮めるために、彼らが望んでいないかもしれない秘密に踏み込ませている。
全員が沈黙する中、ルカとエリナの息遣いだけが、部屋の中に響く。あまりの静かさと、答えを待つ間の若干の緊張で、普段よりも強く拍動する心臓の音が聞こえそうだ。
「……いきなり踏み込みすぎ、だよね。何言ってんだろうな、私。やっぱりいいや、聞かなかったことに……」
「あーーー! もう!」
「……わっ!!」
ルカの答えを待ってはみたものの、沈黙に耐えきれなくなってきたエリナが、話をなかったことにしようとしたところで、突然ルカが大声を上げた。
頭をガシガシと掻き、特大のため息をついている。
静かな空間に突然響いた大声に、エリナがビクリと驚き、その身を縮めていた。
「はぁーーー……まぁここに招き入れた時点で、こういう話になるような気はしてたんだよなぁ……」
ルカが両手で顔を覆うようにして、肩をがっくりと落としている。
まだ起き上がることができないエリナは、身体だけをルカの方へ向けるようにして、じっと彼を見つめていた。
「……合ってるよ……」
「……えっ?」
「言ってたこと。だいたい合ってるよ……」
『ルカ! これ以上の情報開示は推奨できません!』
ルカが小さく肯定の意を口にした。
突然もたらされた回答に小さく驚くエリナの声と、珍しく大声で止めに入るアリスの声が響く。
『不用意に多くの情報を出すのは危険です……』
「わかってるよ。でも今更隠したところで、あんまり意味はないだろう? ここに居るだけでエリナが気付くのに十分な情報が見えてんだから。」
『だからといって答え合わせまでしなくても……』
アリスは明らかに情報開示を渋っている。もちろん表情など見えることはないが、声音だけでもそれは十分に感じられた。
「心配かけてすまない……」
『はぁ……仕方ありませんね。結果の責任は、ルカ、貴方が負うのですよ?』
ルカは椅子に座り直し、アリスへ向けて「わかってる」と一言答えると、視線をエリナの方へ向けた。
「エリナ。」
「……何?」
「エリナ、サテライトが二億八千万年前に作られたって話、覚えてるか?」
「うん。」
「一言で言えば、そのあと世界は一度滅んでる。」
「……へ?」
いきなり出てきた「世界が一度滅んでいる」という言葉に、エリナが目を丸くする。
エリナの目に映る今の世界は、一度滅んだ後だなどと言われても、そう簡単に信じることはできない。
大量の疑問符と共に、間の抜けた声を漏らすことで精一杯だった。
「世界中のありとあらゆる命が、ほぼすべて滅びたあと、そこから少しずついろいろな命が生まれたり、増えたり、進化したりしながら長い年月を経てたどり着いたのが今なんだ。」
「……なに、それ? 滅びたって?」
話のスケールが大きすぎて、エリナはまともな反応ができていない。目を白黒させて固まっている。
「少し乱暴な言い方だけど、二億八千万年前にいた人間……そうだな、旧人類とでも呼ぼうか。その旧人類たちは死に絶えていて、新しく生まれてきた"よく似た生命"が今の世界の人間、いわば新人類だと考えればわかりやすいかな。」
これはアリスから聞いたり、B.N.I.Cに記録されていた情報を見たりすることで辿り着いた、最も可能性の高いシナリオだ。
天文学的な確率と言って片付けることすら難しいのだが、ルカとアリスは今のところ「昔の人類と今の人類は限りなく似た形質を持つ異なる種」であると結論づけている。
少なくとも、アリスの観測データには人類やその近縁種の存在が一億年以上抜けている期間があるらしいので、確定と考えて良さそうである。
「分かっているのは、この世界で俺とアリス、そしてあと一人を含めた三人だけが、この話を知ってるってことだ。」
まぁ、これでエリナもその情報の一部を知ることになったけどな、と付け加える。
「……そう、なんだ……えっと、ちょっとなんというか、頭が追いつかないな……」
予想外の情報に、エリナは困ったような表情を浮かべている。
普段ならこんな話をされたところで、一笑に付してしまうところだが、現実としてサテライトやアリスなどを目の前にして、「嘘だ」などと断ずることはできない。
どう理解し、飲み込めばいいのか、混乱する頭で考えていたが、エリナはふと気がついてしまった。
思わず口をついて言葉が出てしまう。
「……あれ? じゃあルカって……」
もしかして私とは違う……?
口にする前に、言葉がでなくなった。言葉を口にすることがひどく恐ろしい。
それは異物に対する畏怖であり、関係性が壊れてしまうことに対する不安であった。
エリナは小さく口を開けたまま、行き場のない感情を顔に浮かべている。
「すまない。今はここまでにしてくれ。言える時が来るまでは、少し気のいい旅人くらいで留めておいてほしい。」
「……え?」
ひどく悲しく、申し訳なさそうな表情でルカはエリナの疑問への回答を避けた。
しかし、「答えない」ということ自体が、ある意味での回答になってしまっている。
エリナから見れば、滅んだはずの文明や人類のことをなぜ知っているのか、知っているルカがどうして現代に存在しているのか、疑問はたくさん残ったままだが、一つだけわかってしまった事がある。
――彼は今の人類とは違う――
失敗した。
うっかり口にしなければ、胸の内で疑問に思うだけに留めておけばと、踏み込みすぎた自分を悔やむ。
あぁ、せっかく森へ同行させてくれたのに、危ないところを助けてくれたのに、倒れたところを介抱してくれたのに……こんな顔をさせてはダメだ。
「ルカ、たくさん教えてくれてありがとう。今はそれで十分だよ……」
身体の辛さを無理やり押し隠して笑顔を作る。口角を上げ、歯を見せてニカッと笑って見せる。
大丈夫。怖くない。この人の正体が何であれ――
「だから大丈夫、ね? 少し気のいい旅人さん。」
精一杯笑って見せるエリナの様子に、なんだか変に安堵してしまい、はぁー、と大きく息を吐きながらルカは椅子の背もたれに寄りかかった。
「……そうだな。」
ルカは少し目を伏せて、小さく呟いた。
『まったく……結局ほとんど話してしまったようなものじゃないですか。』
「……ふふっ」
黙っていたアリスがルカに小言を言いだすと、なんだか可愛らしく怒る母親が息子を叱っているようにも見えて、エリナが小さく笑い声を上げた。
『それにしてもエリナ、貴女はいろいろ知りすぎたからと自分に危険が及ぶとは考えなかったのですか?』
アリスの指摘はある意味で正しい。国家機密だったり、良からぬ組織の裏の情報だったり、知り得た情報によっては自分に危害が及ぶこともある。
そういう意味では今回のエリナの行動はあまり褒められたものではないことも確かだ。
「あー……そこは全然考えなかったかなぁ。邪険に扱うこともないし、二人揃って一つしかないベッドをレディーファーストだって押し付けてくるし、一緒に料理しながらお話してくれるし、倒れたらすごい効き目の薬作ってくれるし……危害を加えられるなんて考えられないもん。」
エリナはあっさりと言ってのけた。
彼女にはそんな心配など露ほどもない。先程までのネガティブな気持ちはどこへやら、二人に全幅の信頼を寄せる笑顔がそこにはあった。




