第二十四話 食品管理システムと薬
生活支援区画の奥、個室に設置されたベッドの上に、エリナが眠っている。
顔色は悪く血の気が引いたように真っ青で、呼吸は浅い。体温が下がる気配も、今のところはない。
中央制御区画でルカがアリスから周辺状況などの解析結果について説明を受けている最中、ルカの後ろで話を聞いていたはずのエリナが、突然倒れたのだ。
意識を失ったのは一瞬だけのようで、そのあとはルカが個室まで抱きかかえて連れて行く間少し会話もできたが、ベッドに寝かせるころには眠ってしまっていた。
よく思い返してみると、整備室に入ったあたりから、時折顔が赤く汗ばんでいたり、足元がもつれるような様子があった気がする。
サテライトにはラボのように身体の状況をスキャンしたりする設備はないので、これまでの経緯や状況から推測するしかない。しかし、森に入るところから思い返してみても、森で採れるものを口にしたわけではなく、元々体調に問題があった様子もなかった。
となると、考えられるのは、巨岩周辺での戦闘時に森狼から受けたかすり傷くらいだ。
「思い当たるのはそれくらいなんだけど、アリスはどう思う?」
『そうですね。私はサテライトに入ってからの事しかわかりませんが、特段原因になりそうな出来事はなかったと思いますので、ルカの予想が正しいという前提で考えるしかありませんね。』
「まぁ、そうなるよな。」
エリナの様子を確認した後、個室を出たルカはアリスと考えうる原因について話しながら、中央制御区画へと戻ってきた。
操作パネル前の椅子に腰掛けて、壁面のモニターを眺めながら、頭の中で考えを巡らせる。
森狼は毒を持つタイプの生き物ではない。エリナ自身も発熱は確認できるが、他に目立った症状は無さそうだ。となると可能性としては、雑菌の侵入が原因で体内で炎症反応が起こり、発熱を主とした症状が出ている、といったところだろう。
この世界だと「食事をしっかり摂ってゆっくり休む」くらいしか対策は無い。
「薬があればな……」
整備室あたりを探せば救急箱なり常備薬なりがあるかもしれないが、さすがに三億年前の薬などあったところで使えるものではない。
看病といってもしてやれることはほとんどなく、回復を待つより他はないかとルカは瞑目する。
と、その時だった。
『ルカ、食品管理システムを起動しましょう。』
不意にアリスから声がかかった。同時に食品管理システムの起動確認画面がモニターに表示される。
『食品管理システムが生成する携帯食料は摂取する人に合わせて成分を調整することが可能です。成分調整用のパラメータを改変すれば、旧文明期の薬ほどの劇的な効果は得られませんが、一部の抗炎症薬に相当する成分は生成可能です。』
食品管理システムは"食品管理"と称しているものの、その実体は水と空気、および施設周辺の土壌に含まれる成分を元に有用な化合物を生成するシステムだ。
技術的には食品として適さない成分であっても、システムが扱える材料から生成可能な化合物であれば、薬に相当するものも作り出せるということだ。
『ただし、そのためにはパラメータ変更についての"承認"が必要です。私やサテライトのシステム《G.N.O.M.E.S》にはその権限がありません。ルカ、お願いできますか?』
「なるほど、そういうことなら"承認"するしかないな。」
すぐにそう決断し、ルカは行動に移すことにした。
早々に食品管理システムを起動し、合成する成分のパラメータの変更についてアリスの提示する情報を確認する。
『正確な原因がわかりませんので、現在の症状などから推測して有効と考えられる薬を生成します。ルカ、"承認"をお願いします。』
「これだと薬効は抗炎症と解熱、あとは抗菌か。うん、これで行こう」
B.N.I.Cのおかげで薬や化合物の名前や組成、効果なんかもさらっと理解できてしまうのはありがたい。
ルカはアリスからのパラメータ変更要求に対し、画面上に表示されている承認のボタンに触れ、実行を促した。
その瞬間だった。
「――!?」
サテライト全体の照明やモニターの表示がプツリと切れ、真っ暗になったのだ。
それは一瞬の出来事で、すぐに非常用照明が点灯する。
「アリス? 何があった?」
アリスからの回答はない。
壁面モニターに不気味なほどに赤い文字が表示されていく。
何かのログのようだが、大量に表示されて消えていくので内容を読み取ることができない。
ほどなくして、唐突に壁面モニターに《G.N.O.M.E.S》の文字が表示されると、非常用照明は通常の照明に戻り、いつものサテライトに戻る。
『……ルカ。大丈夫ですか? 状況を教えてください。』
アリスの声だ。一時的に何かトラブルがあったのだろうか。
「あぁ、とりあえずは大丈夫だよ。こっちは突然サテライト内の電源が数秒だけ完全に切れたみたいな感じだな。すぐにシステムも再起動してくれたみたいだけど……」
『なるほど……こちらは突然サテライトとの接続が切れてしまったので、何かあったのかと……確認する限り、《G.N.O.M.E.S》に問題は無さそうです。食品管理システムのパラメータ変更も問題なく設定されています。』
「機能の有効化とパラメータ変更処理あたりで一時的に電圧低下でも起きたのか?」
『かもしれませんね。電源区画の設備からすると考えにくいのですが……』
事象としては単純な電源喪失と再起動のようだが、今は詳細を調べる時間が惜しい。
アリスから確認する限り大きな問題が無さそうなのであれば、早く薬の製造を進めたいところだ。
「問題無さそうなら、薬を作ってしまおう。早くエリナを楽にしてやりたい。」
『そうですね。調査は後日私の方で進めておきます。今は目の前の事を進めましょう。』
アリスが食品管理システムを制御し、薬の生成を終えるのに時間はかからなかった。
出来上がったのはうっすら白く濁った水薬だった。アリスが飲みにくいだろうと気を回してくれたのかもしれない。
ルカは水薬の入ったコップを持って、個室で眠るエリナの元へ向かい、少し酷だとは思ったが、眠る彼女を起こして薬の服用を促す。
「エリナ、きついだろうけど少しだけ頑張ってこれを飲んでくれ。少しは楽になる。」
「うん……」
片手で上半身を起こしたエリナの背を支え、水薬の入ったコップを手渡すと、エリナは小さく頷いて水薬を口にした。
ゆっくりとコップの中身を飲み干して行くのを見守る。
無事に飲めたことを確認して、コップを受け取ると、そっとエリナをベッドに横たえた。
「しばらく眠るといい。少し席を外すが、何かあったらアリスに声をかけてくれ。」
そう言ってルカが立ち上がり、歩き出した時だった。
「ルカ……」
か細い声でエリナが名を呼んだ。
「……どうした?」
「この施設……私ちょっと怖くて……眠るまででいいから、そこに……」
エリナが視線をベッド横に置かれた椅子に向ける。
ラボやサテライトは金属質の無機質で飾り気のない空間ばかりだ。照明もあるが、お世辞にも明るい雰囲気ではない。
普段彼女が過ごしている村の自宅や陽だまり亭のような場所と比べると、どうしても暗く物悲しい雰囲気に見えるのは致し方ない。
それに加えてこの体調だ。身体が辛くなると心細くもなる。ややもすると「この場に置いていかれるのではないか」という怖さもあるのかもしれない。
「……わかった。眠るまで見ててやるから、ゆっくり休むんだ。」
「……ん。ありがと……」
ルカが椅子に座り、その視線を自身に向けてくれたのを見て、エリナは小さく微笑んだ。
顔色は悪いままだが、不安や恐れのような気持ちは和らいだらしく、表情は少し穏やかになったように見える。
椅子の背もたれに軽く身体を預け、エリナの様子を気にしつつ、ルカも休憩を兼ねてゆっくりと過ごすことにした。
しばらくは安心したかのような穏やかな表情をたたえていたが、やがて眠気がやってきたのか、うとうとと船を漕ぎ出し、ほどなくして小さく寝息が聞こえてくる。
「……眠ったか?」
眠りに落ちたことを確認し、ルカは彼女を起こさぬよう、そっと椅子から立ち、個室を後にする。
個室の扉が閉まるのを肩越しに一瞥し、ルカはアリスに話しかけた。
「アリス、少し出てくる。エリナのことを頼むよ。」
『わかりました。でも私ができるのは会話だけですよ? 大したことはできないのですから、ルカの助けは必要です。すぐに戻れるのですか?』
アリスが疑問を口にする。
対するルカは、アイオン・バングルを起動し、異空間収納からセラフを取り出しながら答える。
「ちょっとこの後のことを考えると、今のうちに森大熊を処理しておいた方がいいと思ってね。それにセラフの試射もやっておきたい。」
携行している食料と森の探索スケジュールからみて、すでにギリギリのラインだったところに、エリナの体調不良が重なった以上、自然なタイミングで村に帰ることはできない。
実際のところ、食料の問題はサテライトの食品管理システムを使えばどうとでもなるが、マリウスとセリーナにサテライトのことを伏せたまま説明するのは難しくなる。
そのため、ルカは一度エリナをサテライトに残したまま単身で村に帰り、多少強引ではあるが「エリナが体調を崩してしまい、安全な場所で休ませている。しかし食料が底をつくので、ひとりで調達に戻った」として物資を調達し、サテライトに戻ろうと計画したのだ。
その計画を始めるにあたり、一番面倒なのが森大熊の存在だ。巨岩の周りに居座っているようであれば、通り過ぎることはできないだろう。
『そうですか……まぁその銃であれば、威力は申し分ありません。森大熊程度であれば頭を撃ち抜くことも胴体に風穴を開けることも容易でしょう。エリナが目を覚ましてしまう前に片付けて来て下さいな。』
「わかった。今周囲にいるかわかるか?」
『ええ、しっかりいますよ。貴方たちが倒した森狼で空腹を満たしたのでしょう、午睡にふけっているようです。』
居眠りしているのであれば、うまくやればこちらの存在に気付く前に倒せそうだ。
ルカは中央制御区画から外への通路を歩きながら、異空間収納に入れておいた弾丸を取り出すと、マガジンに込めていく。
サテライトから外界へ出る扉まで来ると、弾を込め終わったマガジンをセラフのグリップに差し込み、目の前で開いた扉から外へ出た。
巨岩の外側からは窪みの内側を見ることはできない。ルカは外側から見られることの無いその境界ギリギリまで進み、周囲の様子を窺う。
時刻は昼下がりくらいだろうか。空が曇ってはいるものの、辺りは十分に明るい。だが見える範囲に森大熊や森狼はいない。
「《音波探査》……」
《音波探査》――可聴範囲外の"音波"を使って周辺の探査を行う感応術だ。ルカはこれで巨岩周辺の様子を探る。
反応は巨岩の窪みから右手に回り込んだところに一つ、さらに巨岩をぐるりと回り込んだ反対側に一つ。サテライトへ退避した時から数は変わっていない。
「よし……」
ルカは巨岩の岩肌を背にし、少しずつ周囲を警戒しながら外側へ足を踏み出した。
身体を深く沈めるように屈み、一歩、また一歩、息を殺してゆっくりと進む。少し風があるのか、木の葉がさざめく音や、草の葉擦れの音がやけに大きく聞こえるのは、こちらの動きがバレにくくなるのでありがたい。
そうしてさらに数歩進んだところで、視界の端に黒い影が見えた。まだこちらに気付いてはいない。
「(森狼か……)」
ゆっくりと膝をつき、セラフのセーフティを解除して身構える。
銃身がブレないように気をつけつつ、ゆっくりと息を吐く。
「(……今!)」
トリガーにかけた指に力を込め、引き絞る。
その瞬間、ドン! という轟音とともに強烈な衝撃がルカの肩を襲う。セラフを手放しはしなかったものの、右手は大きく跳ね上がり、身体は後方にバランスを崩してしまう。
「ぐっ……なんて反動だ!」
発射時の反動を甘く見ていた。セラフ自身のサイズや銃弾の大きさ、事前のアリスの口ぶりからしてもかなりの威力があるとは思っていたが、完全に想定外の反動だったのだ。
跳ね上がる銃身に、弾道は森狼の上方へ外れ、銃弾はそのまま奥に広がる森に飛び込んでいく。
少し先の木の幹に着弾し、直径十数センチはあろうかという幹をその衝撃で大きく破壊したのが見えた。支えるものを失い、破砕音を撒き散らしながら折れて落下する枝葉。
ルカはまだ発射時の衝撃にバランスを崩したままだったが、突然の銃撃の轟音に森狼も驚きのあまり動きを止めている。
この音で巨岩の裏手にいるはずの森大熊にもこちらの存在はバレたはずだ。急いで体勢を立て直し、迎え撃てるようにしておかねばならない。
身体を起こしてもう一度セラフを構え直し、森狼に銃口を向ける。
対する森狼も慌ててこちらに向かって走り出した。
「……当たれ!」
今度は反動も意識してトリガーを引く。
しかし、今度はカチンと小さく音がしただけで、発砲音も肝心の弾丸も一向に出てこない。
「不発!?」
慌てて銃口を下げ、ボルトを引いて不発弾を排出する。不発弾が地面に転がるのを横目に即座にセラフを構えなおした。
森狼にはだいぶ距離を詰められている。
焦る気持ちを落ち着けようと大きく深呼吸を一回。照準をあわせることに集中し、トリガーに指を掛ける。
「……今度は頼む……!」
銃口が火を吹く。
大きな発砲音とともに、二発目の銃弾は真っ直ぐに森狼に向かって飛び、右胸の辺りに命中すると、そのまま森狼の右半身を大きく吹き飛ばし、その生命を奪い去った。
ルカは半身を失った森狼だったものを目にして酷く顔を歪めたが、すぐに視線を外し次の行動に移る。
左手の方から重量のある生き物が地面を踏みしめるような足音が聞こえたからだ。
「《敏捷性強化》」
自身の敏捷性を底上げし、こちらへ向かってくる足音から距離を取るように大きく跳躍する。
少し離れた場所に着地し、セラフを構え終えた時、巨岩の影から低く唸り声をあげる森大熊が姿を現した。
ルカは下手に距離を詰められる前にと、ためらいなくトリガーを引く。しかしまたも不発。
急いで不発弾を排出し、距離を取りつつトリガーを引きなおす。
大きな発砲音が2回、少し暗くなりだした森に響きわたった。
一発目は左太ももに、そして二発目が右胸に、吸い込まれていく。
左足は太ももから先が吹き飛び、右胸は腕が通りそうなほどの穴が空いて向こう側が見えている。疑いようのない致命傷だ。
絶命し、支えを失った巨体は、崩れ落ちて地に沈む。
「威力は凄いけど、さすがに古すぎて銃弾の信頼性が悪すぎるな……」
周辺組織を巻き込んで貫通するほどの威力に、ルカは顔を引きつらせるほどではあったが、不発弾が多すぎた。
これでは常用の武器としての信頼性が担保できない。
ルカはセラフをアイオン・バングルの異空間へ放り込み、感応術で穴を掘ると、殺した森狼と森大熊を放り込んで埋めておくことにした。
前回の戦闘時に殺した森狼五匹分はすでに喰われてしまった残骸が残っていただけだが、今回の分は処理しておかないと別の個体や集団を引き寄せかねない。
早々に死骸の処分を終え、疲れとともに大きくため息を吐くと、ルカは巨岩の窪みからサテライトに戻るのだった。




