第十九話 サテライト
先ほどまでは入口と思しき場所から光が差していたが、外では日が山の稜線の向こうへ沈んだのか、入り込む光は弱々しく、夕映えの赤が色濃く出ている。
ほとんど光の入らない、暗く静かな空間。
入口から奥に向かって伸びる穴は、明らかに人の手によって作られたとわかる、きれいな長方形の横穴だった。
横二メートル、縦三メートルといったところだろうか。暗くて色まではわからないが、少しひやりとする感触からも金属かそれに類する素材でできていることがわかる。
「あの……えっと……」
先ほどまでひどく泣いていたエリナはようやく落ち着きを取り戻したようで、赤い目をこすり、横座りのまま周囲を見回していた。
といっても特徴的な形も模様もなく、明るさも不十分なこの状況で見えるものなど、隣にいるルカと入口から差し込む淡い光くらいのものである。
エリナは視線をルカに戻し、何か意を決したように大きく息を吐いた。膝の上に置いた拳をぐっと握り込み、その薄い唇を震わせる。
「ルカ……ごめんなさい。危険な目に遭うことになったのは、たぶん私のせいなの……だから、ごめんなさい。」
小さく今にも消え入りそうな声で頭を下げ、謝罪の言葉を口にする。
「いや、俺の判断ミスだよ。地面に不自然な部分があると気付いた時点であの場所からの離脱を判断すべきだったし、その判断をしなかったせいでエリナを危険な目に遭わせてしまった。こっちこそすまなかった。」
「そうじゃなくて! 回避に専念しろ、《敏捷性強化》以外は忘れろって言われてたのに……ルカが一瞬で2匹も倒せたのを見たら、私も手伝えるかもしれないって思っちゃって……だから森狼を誘い出すのに《土塊》を使おうと《敏捷性強化》を切ったの。」
「……うん。」
「そしたら術を解除した瞬間に、あいつらの視線がいきなりこっちを向いて……だからきっと私のせい。」
そういうことだったのか――と、途中からエリナが《敏捷性強化》の効果を失っていた理由にルカが得心する。
確かに軽率だと見ることもできるかもしれないが、それはその瞬間の状況や持ちうる判断材料から自身の勘と経験で決めるしかないことだ。
経験不足と言ってしまえばそれまでだが、森への同行を許すに値すると判断したルカ自身の見立てが甘かったとも言える。
真っ先に自分の責任だと謝罪するエリナに、ルカには責める気にはなれなかった。
「結果的には二人とも無事だったんだ。それにやっぱり俺にも責任はある。反省こそすれ、エリナを一方的に責めることはないよ。」
森の異変が植生の話だけではなく、そこにいる動物にも影響している可能性について、考慮できていなかったこともマズかったのだから、と言い含める。
「さっきの話は、ここまでにしよう。このままじゃキリがない。」
「うん……わかった。あと、助けてくれてありがとう。」
座ったままだが、もう一度深く頭を下げる。エリナのことを見捨てて自分だけ助かる選択だってあり得たし、実際その方がルカは楽に安全を確保できたはずなのだ。落ち着いて考えてみると、"助ける"という選択をしてくれたことは素直に嬉しく、ありがたかった。
「気にしなくて良いよ。セリーナさんにも頼まれてるしな。」
困ったような照れたような、そんな笑顔を浮かべ、ルカが頬をかいた。
その時、何かを思い出したのか、エリナがぐっと身体を寄せて問いかけてきた。
「あ、そういえば! さっきの戦闘中、感応術、切り替えてた? いくつかの術は同時に発動状態を維持してるように見えたんだけど……」
「え? あぁ、切り替えはしてないな。同時発動はしてたけど。《敏捷性強化》と《膂力強化》は常時発動だったし――」
「いや、おかしいでしょ!? 感応術は同時に一つだよ。二つを常時発動しながら、途中で攻性術を使うとかありえないよ!?」
攻性術は《風刃》のような攻撃性のある感応術の総称だ。逆に《石壁》のような防御に向くものは防性術などと呼ばれることがある。
《敏捷性強化》や《膂力強化》のような能力強化を行うのであれば強化術だ。
本来、人間が同時に発動できる感応術は一つである。ある程度深く集中し、術の種類や効果範囲、威力などを考えることが必要で、二つ以上を同時に発動するということは物事を並行して考えるということと同義だ。
強化術など継続して効果を得る感応術の場合、発動してしまえばあとは"術を維持すること"を意識するだけにはなるが、それでもその状態を維持しつつ追加で攻性術や防性術のような、その場に合わせて効果範囲や威力を細かく調整する感応術を同時発動することなど人間業ではない。
そう、人間業ではないのだ。ただルカの場合はこの前提そのものがB.N.I.Cの存在によって崩れてしまう。
B.N.I.Cには"思考補助機能"が存在する。これは本来B.N.I.C保有者の思考活動に対して、その脳神経の活動を補助・強化するだけの機能だった。しかし感応術が存在するこの世界では、この機能は人間には不可能なレベルの多重並列思考を実現し、結果として複数の感応術の同時発動を可能にする。
自然とできてしまっているし、特に気にせずやっていることだったが、この世界では"異質"な能力と見えてしまう。それは軽々しく他人に見せても良いものではない。
「ありえないと言われてもなぁ……ありえないのか?」
「ありえないでしょ!」
「そうか……じゃあそれも合わせて、これからの話をしなきゃな。」
本来は知られないように対応しようと考えていたサテライトに関する調査と対応、そして今しがた知ったB.N.I.Cによる"異質"な感応術の運用について、こうなった以上は言い逃れることも知らぬ存ぜぬを通すこともできない。
知られてしまうことを飲み込んだ上で、なんとか他言無用を貫いてもらうしかない。これはルカだけではなくエリナのためでもある。
「ここに入る前に言ったこと、覚えてるか?」
「えっと、"今から見聞きすることについて、一切誰にも口外しないでくれ"ってやつ?」
「ああ、もう今のこの状況からも薄々感づいてると思うけど、俺が向かっていた場所の一つがここなんだ。特別な事情のある者しか入れない"特別な場所"だ。」
特別な事情、特別な場所と聞き、エリナが少し不安げな表情を見せる。両手で自分を抱きしめるように身体を抱える。
「小さい時にかくれんぼしたんだろ? その時にも窪みの奥の岩肌には触れたはずだ。でもその時には入れなかった。でも俺と一緒に来た今は入れている。これだけでも俺が言っていることを信じるに足る"証拠"になると思う。」
「そう……だね。」
「口外するなといっても俺がいないと入れない以上、俺のいないところでエリナが他人に話したとしても、頭がおかしくなったんじゃないかと思われるだけだけどな。」
そう。エリナだけではこの場所に入ることができないのだから、"そういう場所があるのだ"と他人に証明することはできない。この場所の存在を証明できない以上、これから見聞きする物事についても、同様に証明できない。
ルカから見たエリナの評価でしかないが、おそらく彼女は縁のある人物との間の秘密について、口が堅い方だろう。その上で「証明のできない物事」について、自身が周囲から忌避される状況になるような言動はしないんじゃないかとは思う。
断言はできないが、信頼できないとまでは言えない。このあと大きく信頼関係を損なうような対応さえしなければ、そうそう問題になることはないだろう。
希望的観測の域を出ないが、今の状況からこれ以上彼女の行動を強制することは難しいし、そこはもう腹をくくるしかない。
「言えない秘密を抱え続けることになるけど、そこはもう諦めてくれ。このあと見聞きすることも、俺が感応術を同時発動できることも、墓まで持っていってほしい。」
「……うん。わかった。ルカには私のわがままたくさん聞いてもらってるし、命も助けてもらってる。だから秘密はちゃんと守るよ! 約束する。」
「……ありがとう。」
ふとルカの表情が柔らかくなった。ほんの少しだけ、気持ちが軽くなった気がしたのだ。
秘密を抱えているのは、ルカも同じである。もっともルカの場合は証明できないわけではなく、証明はできるがその結果"世界の異物"と扱われるリスクがあるから、だが。
そんな秘密を成り行きとは言え、共有できる相手ができた、そんな気がしたのである。
「じゃあさっきの話。感応術の同時発動は、俺の推測でしかないんだけど、たぶんさっき言った特別な事情が関係してる。俺はちょっと人とは違ってて、いろんなことを同時にあれこれ考える能力みたいなのがあるんだ。」
「だから、同時に感応術を扱える……ってこと? その特別な事情って……」
「そうだと思う。言った通りあくまで推測だけど。でも特別な事情については言えない。」
感応術の同時発動については言えるが、"特別な事情"つまりB.N.I.C保有者であることは言えなかった。
これは打ち明けられるレベルの秘密ではない。脳内に異物があり、しかもその異物によって特別な能力を有しているなど、おそらく良い印象は受けないと思ったからだ。
「そっか。わかった。じゃあその"事情"については聞かない。」
伏せられたことについて、エリナは特に食い下がったりはせず、実にあっけらかんとしたものだった。
「気になったことは聞いちゃうと思うけど、言いたくないことは言わなくて良いよ。ルカが言えることだけ教えて。ね?」
「……わかったよ。」
えへへ、といたずらっぽくエリナは笑って見せた。
気がつくと驚くほど近く、懐にするりと入ってくる。だからといって不快になるようなことがないように絶妙な距離感を保ちつつ、時にはこちらの気持ちを推し量ったかのように距離を取り直してくれる。
そんなエリナの立ち居振る舞いは、ルカにとってはとてもありがたいものだった。
「さてと……これからどうするの? 外はもうすぐ夜だし今から出るのはルカの左手のことも考えるとダメよね。かといってこのままここにいるのもなぁ……」
すくっと立ち上がって入口の方を向き、左右の腰に手を当てて仁王立ちしながら、エリナが小首をかしげている。
そんな姿が少しおかしくて、ルカは口元を押さえて小さく笑っていた。
「ちょっと! 笑わないでよ。結構真剣に考えてるんだからー。」
「いや、ごめんごめん。とりあえず、中に入ろう。ここまで来てるんだから、確認しておきたい。」
「……中?」
穴の奥を見ながら、エリナはまた首をかしげる。壁があるだけで、これ以上何もないようにしか見えないのだ。
「そう、中。」
ルカは立ち上がるとおもむろに穴の最奥に位置する壁に近づき、壁の目の前で立ち止まる。
「えっと、ルカ?」
一体何をしているのかと、怪訝に思い、話しかけた時だった。
――B.N.I.C identification code BNIC-S/03-LUCA confirmed.(B.N.I.C識別コード"BNIC-S/03-LUCA"を確認しました)
――Door release initiated.(扉を解放します)
狭い空間内に感情のない、無機質な声が響き渡った。
「えっ? な、何?」
この場所には自分とルカ以外にはいないはずなのに、別の声が聞こえることに、驚きが隠せない。
しかも声であることはわかるが、エリナには何を言っているのかがまったくわからない。
思わずルカの近くへ行き、その背中に身体を寄せる。
声がどこから聞こえたのかわからず、周囲を見回していると、ズリズリと何かが擦れるような音がして、ルカの目の前の壁が中心から左右に割れるようにしてその口を開いた。
瞬間、気圧差からかふわりと空気が動き、その流れがエリナの頬を撫でていく。
扉の奥は階段になっていて、地下に向かって下りられるのがわかる。左右の壁には階段に合わせて青白く光る線が走り、足元だけをうっすらと照らしていた。
「さ、扉も開いたし、入ろうか。」
ルカが肩越しに背中に張り付いたままのエリナを見る。
「だ、大丈夫なの……? 崩れるとか爆発するとか言ってたじゃない……」
「あー……あれは一人で来れるようにするための嘘だよ。実際はそこまで危険じゃない……はず。」
「は、"はず"!? ほ、本当に大丈夫!?」
「大丈夫だよ。さ、行こう行こう。」
動かすことのできる右手でバッグを持ち直し、ルカが扉の奥の階段を下りていく。
「ま、待って!」
エリナも慌てて自身のバッグを持ち、ルカに置いていかれないようについていくのだった。




