第十八話 森大熊との戦い
戦闘を開始した二人。ルカは前へ、エリナは後ろへ、それぞれ一気に踏み込んだ。
「《膂力強化》!!」
ルカが感応術を追加発動する。
目の前に三匹横並びになって立ちふさがっている森狼の左端、ルカが森狼のすぐ横を驚異的な速さで走り抜けながら、ショートソードを振り抜いた。
戦闘開始の瞬間に放たれたルカの電光石火の一撃に、最初の一匹が胴を薙ぎ払われ、なすすべなく崩れ落ちる。一瞬の出来事に他の個体が驚き一瞬の隙を晒していた。
「――ハッ!」
振り切ったショートソードを返すようにして、すぐ隣の森狼に斬りかかる。その切っ先がこちらに振り返ろうとしていた森狼の胸元を深く切り裂いた。
即死は免れたようだが、刃先は肺まで届いており、その呼吸を断っている。もはや動くこともできないだろう。よろよろと後ずさり、森狼は力なく地に伏せた。
この時エリナは大きくバックステップし、距離をとっていた。感応術により安全圏といってもいい距離が確保できている。言われた通り、全体を視界に捉え、いつでも回避行動に移れるように重心を低く構えていた。
遠目に見えている森大熊を視界の中心に据え、相手の動きに合わせるように一歩一歩位置関係を調整する。
森大熊も森狼も今のところルカを脅威とみなしているようで、視線は彼の方を向いているが、エリナが感じるプレッシャーも軽くはない。
村の回りに見かける害獣たちとは纏っている空気が違う。
チラリとルカの方を一瞥すると、彼はこの数拍の間に、二匹の森狼を戦闘不能にしていた。
「(この一瞬で二匹も倒してる。このまま数が減れば……)」
安易な考えであることはわかっている。ただ、数を減らせればその分戦いやすくなり、相手の攻撃は減り、立ち回りは楽になり、撃破も逃走もしやすくなるのだ。
「(森狼の一匹でも私が倒せれば、状況はもっと良くなるんじゃ……)」
距離をとって回避に専念するよう言われてはいるが、森狼と一対一なら、これまでも戦えている。うまく誘導できれば森狼と一対一に持ち込めるのではないか。
遠く三匹目の森狼と対峙しているルカを横目に、森大熊とその周辺にいる森狼に視線を移す。
「(この距離なら《土塊》を放ってからすぐに《敏捷性強化》を掛け直せば、間に合うかな……)」
攻撃を行えば、《土塊》を受けた個体がこちらに来るだろう。そう考え、エリナはゆっくりと下がりながら《土塊》のために一度《敏捷性強化》を解除した。
エリナの周囲をうっすら覆う《敏捷性強化》の気配がふっと消える。
その瞬間だった。森大熊とその周囲の森狼三匹の視線が明らかにこちらを向いたのだ。
「えっ? な、なんで!?」
身軽で動きが素早く、襲いかかるには少し面倒だと認識していた相手から、《敏捷性強化》の気配が消えたことに気がついたのだ。
獣が感応術について理解しているかはわからないが、野生の勘とも言うべき感覚が"エリナへの襲撃が容易になった"と言っているのである。
ルカに向かってゆっくりと距離を詰めていたはずの森狼が、容易に喰い破れると判断したエリナに向けてその進行方向を変える。
同時にルカもその動きの変化を目にしていた。
「……チッ!」
目の前に陣取る森狼の飛びかかりをバックステップで躱し、エリナに向かって走り出した森狼に向かって手をかざす。
「《風刃》!!」
迸る白刃が森狼に迫るが、その気配を感じ取った森狼はひらりと身を翻し白刃を躱す。
ルカの術は虚空を通過し、牽制にすらなっていない。体勢を立て直した森狼からエリナまでの距離は十メートルもなく、森狼の跳躍力であれば、十分飛びかかれる距離だ。
その森狼がその身を少し伏せ、跳躍しようと地面を踏みしめる。
「走れーー!!」
突然獣たちの襲撃対象が自分に変わったこと。感応術を解除してしまっていること。森大熊の周囲に侍っていた三匹の森狼が一斉に駆け寄ってきたこと。急激な状況の変化に頭が追いつかず身体を強張らせたまま動けずにいたエリナの耳朶を、ルカの大声が強く叩く。
ハッとしてエリナは森狼に背を向け走り出した。《敏捷性強化》の効果がない状態では素早いエリナといえども逃走は叶わない。距離を詰められるまでに多少の時間を稼ぐ程度だ。
そこで漸くバックステップで宙に浮いていたルカの足が、地面に触れる。そのまま深く身体を沈め、膝を限界まで折ると、身体をエリナのいる方へ倒しながら一気に跳躍した。
《膂力強化》で強化された筋力に物をいわせた跳躍力と、《敏捷性強化》による速度の向上、二つの感応術の効果で半ば砲弾のような速度でルカが跳ぶ。
しかし森狼の動きも早く、すでにエリナに向かって飛びかかっていた。このままではルカの移動ルート上からは外れてしまい、手が届かなくなってしまう。
刹那、咄嗟にルカが三つ目の感応術を発動した。
「《風爆》!!」
パァン! となにかが弾けるような音が響き、ルカの移動ルートがガクンと折れ曲がった。空気の爆発を引き起こす感応術を使い、強引なルート変更を試みる。ルカの体勢は崩れ、右肩が少し下がったようになるが、変更した移動ルートは見事に森狼を捉えている。多少の体勢の崩れなど構ってはいられない。
「うおおおおーーーー!!」
跳躍している森狼の真下を抜けるように交差する瞬間に、ルカが雄叫びと共にショートソードを一閃し、その胴を薙ぐ。
ルカが通り過ぎた後には、鈍く重い音と共に森狼の上半身と下半身が分かたれ、宙を舞っていた。
そのまま左手を地面に付きくるりと回転しながら着地する。勢い余って数メートルほど滑るが、体勢は維持したまま、すぐにエリナの方へ踏み出す。エリナに飛びかかろうとしているのは一匹ではないのだ。後続の二匹も迫ってきている。
「こっちへ!」
エリナに向かって疾駆しながら、彼女を自身の方へ呼び寄せる。こちらに向かって走るエリナと追いすがる二匹の間を狙って次の感応術を放つ。
「《石壁》!!」
地面が脈動するように動き出し、ずるずると一メートルくらいの石の壁がせり上がった。しかし一メートル程度の壁など、森狼にとっては大した障害物ではない。二匹ともスピードを緩めることなく大きく跳躍し、壁を飛び越えようとしたその刹那――
「空中じゃ避けられねぇだろ!」
ルカは腕を横一閃に振り抜くようにして、感応術を放った。
「《風刃》!!」
迸る白刃が森狼に迫る。迫りくる死をもたらす刃に身体を捻りなんとか回避を試みるが、空中ではどうにもならない。二匹ともが白刃を受けて地に落ちるまもなく絶命し、血肉を撒き散らしながら地に落ちた。
これで残すは森狼一匹と森大熊一頭。
「エリナ、《敏捷性強化》は?」
肩越しにエリナを一瞥し確認する。ルカには事情がわからないが、今彼女にその効果が無いことはわかる。
とにかく再度《敏捷性強化》を使用しておかねば、エリナはまたすぐに距離を詰められてしまう。
「はぁ……はぁ……す、すぐ掛けなおす……えっと、ちょ、ちょっと待って……!!」
エリナは決して体力が無いわけではないが、極度の緊張と急な状況の変化の連続に身体がついて行っていない。呼吸が浅く、息が続かない。
まだ頭が混乱し、焦っているのか、上手く感応術が使えない様子だ。
「焦るな! 一度ゆっくり息を――!?」
エリナから視線を戻したルカの視界に大きな影が飛び込んできた。
ほんの一瞬、エリナを確認して戻すまでの一瞬の間に、一気に森大熊がその腕を大きく振りかぶりながら踏み込んできたのだ。
次の瞬間、身の毛がよだつほどの圧迫感と背筋の凍るほどの悪寒がルカを襲う。
ほとんど脊椎反射だった。左手の円盾を頭の斜め前に構えながら全力で後ろに跳ぶ。その刹那、ゴリッという硬い物をえぐるような音と共に森大熊の爪が目の前を通り過ぎた。
「ぐあぁっ!」
正面から直撃したわけでは無かったにも関わらず、強烈な衝撃に円盾を腕に固定していた皮の帯が弾け、円盾はそのまま叩きつけられるように地面で撥ね、明後日の方向へ飛んでいった。
衝撃は円盾を付けていた左手にも及び、激痛がルカを襲う。幸い円盾は爪の一撃に耐えきりルカの腕が爪に切り落とされることは無かったが、痛みと衝撃で感覚が無く力が入らない。
にわかには信じがたい状況。ほんの一瞬だけ見せた隙に、こちらの視界の外側まで跳躍し、致命の一撃を繰り出してきたのだ。
躱すことができたのは、幸運という他に無い。あと少しでも長くエリナを見ていたら、あと少しでも跳躍が遅れていたら、ルカの頭はその脳髄をぶち撒けていただろう。
「ルカっ!?」
うめき声を上げ、左手を押さえるルカを目の当たりにし、エリナが悲鳴のような声を上げる。
全力で跳んだ分、少し距離を取れたが、ルカの左手はしばらく使えそうにない。
「(おかしい。森大熊は確かに脅威だけど、ここまで凶悪じゃないはず……これも"異変"なのか?)」
獣たちがゆっくりと距離を詰め、同じようにルカとエリナが後ずさる。
ほんの数秒か十数秒かという時間が、ひどく長く感じられ、額を流れる汗が頬を伝って顎先から滴り落ち、生唾を飲む音がひどく大きく聞こえる。
このまま戦い続けるのは旗色が悪い。ルカにはエリナの感応術が効果を失っている理由を知らず、この状況が続けば彼女は回避も逃走もそれほど長くは続けられそうにないと感じていた。
そして自身も左手がしばらく使い物にならない。これでは、この後の戦闘行為も厳しいと判断せざるを得ない。
ルカは何かを覚悟したかのように大きく息を吐いて、視線を獣たちに向けたままエリナに話しかけた。
「エリナ、今から見聞きすることについて、一切誰にも口外しないでくれ。異論、反論はなしだ。いいな?」
いいな? も何もない。有無を言わさぬ言葉にエリナは一言返すことしかできなかった。
「わかった。」
「じゃあ巨岩にある窪みがあるだろう。合図をしたらそこまで全力で走れ。」
「え? で、でも……」
巨岩の窪みに向かう。それはただ逃げ場のない場所に行けと言われているに等しい。エリナが躊躇うのも無理はない。
「半分賭けだが、策はある。」
背中を押すにはこの理由は弱いと分かっている。が、あの場所であることは必須条件なのだ。
「すまないが、説明している暇も理解してもらう時間も無いんだ。安全を確保できたら……話す。」
獣の足は止まらない。相変わらずゆっくりとではあるがこちらへにじり寄って来る。
「……うぅ……」
怖い。
ルカの言う"策"を信じたい。
でも――
覚悟なんて決められない。窪みまで走って、"策"がうまく行かなかったら?そもそも"策"なんて無かったら?
悪い想像ばかりが頭の中をぐるぐる回る。
呼吸が浅く、早くなる。口の中が乾き、バッグを抱える手が強張る。冷や汗が流れ、恐怖に足がもつれそうだ。
その時ふと、ルカが足を止めた。鋭い視線で相手を見据えたまま、深く息を吐く。森狼と森大熊は突然のことに警戒したのか同様に足を止めていた。
低い唸り声を出しながら、動き出す瞬間を図っているようだ。
巨岩の窪みを一瞥し、距離を確認する。その距離およそ五十メートル。この距離なら、全力疾走で走りきれる。
ルカが右手に持ったショートソードを鞘にしまい、空いたその手をおもむろに前に突き出す。
相手が獣としての本能を持つのなら、歩みを躊躇わせ時間を稼ぐのに、最も効果があると考えられるのは――
「――《火炎壁》!!」
目の前に業火が壁のように立ち昇る。肌を焦がすほどの熱が周囲の空気を巻き込みながら頬を撫でていく。
術の発動と同時に、一気にルカが走り出す。一息でエリナの元まで移動し、そのまま彼女を力任せに右手一本で担ぎ上げた。
「……かはっ!!」
担ぎ上げられる瞬間にバッグ越しに強く腹部を抑えられる形になり、肺の空気が一気に外に押し出される。
息苦しさにうめき声を上げるが、ルカは止まってはくれない。エリナを担ぎ上げたまま、件の窪みに向かって速度を落とすことなく走っている。
そんな彼の肩越しにエリナの目に見えたのは、炎の壁をものともせずにこちらへ走り出した森大熊だった。
火への恐怖をその凶暴性が凌駕しているとでも言うのだろうか。
ルカの感応術は目隠しとして森大熊の初動を一瞬遅らせた程度の効果しか無かった。
走り出したその速度に、驚きを禁じ得ない。近づきはしないものの、離れもせず、エリナを担いでいるとはいえ、《敏捷性強化》で底上げされたルカの速度に匹敵する速さで迫って来る。
そんな中どんどん近づいてくる巨岩とそこにある窪み。逃げ場が無いその場所はすぐ目の前なのに、ルカは一切その速度を緩めようとしない。
「(ぶ、ぶつかるっ!)」
もうダメだと強く目を瞑り、身体を強張らせた瞬間、ルカが激痛に顔を歪めながら、無理矢理左手を動かし、エリナの身体を抱え込むようにして自身の身体を盾に窪みの奥へ突進した。
巨岩の岩肌に激突する瞬間は――来なかった。
全身に強く風が吹き付けるような違和感の後、そのまま地面に落下する。
二度三度と身体を打ち付けながら、二人で抱き合うように地面を転がり、身体を擦りながら漸く飛び込んだ勢いは止まった。
エリナが恐る恐る目を開き、周囲を見回すと、そこは光のない真っ暗な空間だった。ただ、二人が飛び込んで来た方にはぽっかりと穴が空いており、その向こうに外が見えている。
ただ、不思議なことにその穴の入口では、何も無い空間を触ったり叩いたりするような素振りをしながら唸り声を上げている森大熊がいた。
その姿に一瞬恐怖を覚えたが、いつまでたっても森大熊がその場からこちらへ進んでくる気配が無い。
「はぁ……はぁ……」
「入って来ない……の……?」
荒く呼吸をしながら大の字に倒れ込んでいるルカの胸にいまだ震えたままの手を掛け、小さく呟く。
「策はあるって……はぁ……はぁ……言っただろ……」
穴の入口にいた森大熊と森狼は、しばらく周辺を触ったり臭いを嗅いだりとルカとエリナを探していたようだが、やがて諦めたのかその場から離れて行き、やがてその姿は見えなくなっていた。
とりあえず、これで一旦安全だとルカから言われ緊張の糸が切れたのか、エリナはその瞳を潤ませ、やがてボロボロと涙をこぼし泣き出してしまった。
「良かったぁ~……助かったよぉ~……うぅ~……ぐすっ……」
ルカの胸元に顔を埋めるようにして、エリナはしばらくの間、わんわんと泣いていた。
初めて強く死を実感したのだろう。右手でその頭を優しく撫でてやる。
損害らしい損害はルカの円盾と左腕のダメージくらいで、諸々の状況を考えれば無傷で戦闘を終えられたと言っても良い。
心底安堵したルカは、大きく深呼吸をして、しばしの間回復に努めるのだった。




