第十六話 森を進む
夜が明けて、空が東雲色から澄んだ青空になろうかという頃、ルカとエリナは行動を再開すべく、野営地の後片付けや荷物の整理をしながら、昨夜話し合った行動指針の確認を行っていた。
「基本的な行動は昨日と同じで、移動する方角を定期的に確認、ルートを確保しつつ進む。野獣の類は森の状況からして昨日同様遭遇する可能性は低そうだけど、遭遇した場合は俺が正面、エリナが後ろの配置でゆっくり後退しながら戦う。」
「昨日も言ったけど、私は後衛側から攻撃する手段がほぼないよ? それでもいいの?」
今のところルカとエリナは森を人一人通れるくらいの隙間を作りながら分け入っている状況だ。つまり左右を壁に挟まれた一本道を進んでいることになる。
そのため、敵性勢力と遭遇した場合は、必然的に前後の位置関係で立ち回るしかない。足元の状況も悪く、走り抜けたり逃走するのも難しいとなると、前衛を張るルカが相手の攻撃のすべてに対応することになるのだ。
理想を言えば後衛側になるエリナが遠距離攻撃で支援できるといいが、今回は弓などの遠距離攻撃用の武器もなければ、支援に適した感応術も使えない以上、後衛に配置されたエリナにできることは限られる。
「ああ、それでいい。そもそもエリナが前衛になっても動きの身軽さで相手の動きを回避しながら戦うってスタイルが、ここじゃまったく使えないから、ただの肉壁になっちまうだろ。それよりも、接敵時にはすぐにマチェットを渡すから、動きやすいように道幅を広げて欲しい。」
今切り開いているルートは単純に人が通るためだけの幅しか確保していない。戦闘になってしまえば刀剣類は縦に振るかまっすぐ突くかしかできないのだ。少しでも道幅を広げられれば横薙ぎは無理でも袈裟懸けくらいであれば剣筋が通るようになり、攻撃のバリエーションが増えることになる。
「あと、簡単な感応術を一つ教えるから、道すがら練習しておいてくれ。単純に土塊を作って飛ばすだけだけど、森の中はそこら中に土があるからそれを飛ばすだけだし難しくもない。適当に当てるだけでも相手の邪魔はできるし、目にでも入れば儲けものさ。」
そう言ってルカはエリナに《土塊》の感応術を教える。ルカの言った通り、土の塊を飛ばすだけのごくごく単純な感応術で、大した威力もないが土のある場所でそれを飛ばすだけなら簡単に発動することができる。
とりあえず覚えておいてくれれば遠距離攻撃用の武器がなくても、支援くらいはできるだろう。
「ただ、この戦略は森狼やその他の鳥類辺りとやり合う時の話。森大熊が出た場合はとにかく逃げの一手と覚えておいてくれ。鳥や犬の攻撃は受けられると思うけど、クマはダメだ。既製品の円盾じゃ多分腕ごと持っていかれる。」
「その分図体もでかいから森の中では行動できないだろうし、森狼同様遭遇する可能性は低そうだけどねー……」
ルカの注意に、あはは、とエリナは苦笑いしながら答えた。森に入る時から注意していたことでもあるのだが、改めて確認し合ってみると、遭遇した時のリスクの高さに背筋が寒くなる。
森大熊はその名の通り、森林地帯を縄張りにするクマだ。体長は三メートル前後、大きければ五メートルほどに成長する場合もある。驚異的な膂力があり、さらに爪もかなり硬いため、今の二人が身につけているような装備品ではとてもではないが、耐えられない。
また走るのも決して遅くはなく、人が普通に走ったくらいでは逃げることは叶わない。少なくとも感応術で移動速度を底上げしなければならず、通常は大盾を持ったタンク役数人で攻撃を抑え込みながらその間隙を縫って攻撃して仕留めるような相手なのだ。
「まぁ怖がってばかりいても仕方がない。次は進んだ先での話だ。」
今のところ、確認する限りでは土地神様の巨岩があると言われている方角と、サテライトの方角は概ね一致している。
どちらかが手前なり奥なりにあるのか、ある程度近い場所にあるのかはわからないが、とりあえずどちらか近い方まではこのまま進めるということだ。
「先に見つかるのが、土地神様の巨岩になるか旧文明の遺構になるかはわからないけど、何か見つかるまではこのまま進む。土地神様の巨岩ってのが先だった場合は、そのまま軽く見て回ってみよう。」
ルカ自身は土地神様の巨岩やその周辺に森の異常の原因があるとは考えていない。その可能性はあくまでも村人たちやエリナが勝手に「そうなのではないか」と考えているに過ぎないからだ。そもそも旧時代の知識からしても神だの精霊だのといった存在は観測されていなかったし、ただ昔から土着の信仰対象として存在していただけのものに森そのものをどうこうできるような力があるとは考えられないからだ。
どちらかというと、サテライトの方が"クロ"なんじゃないか――ルカは右手を顎先に添え、眉を顰めながら独りごちた。
とはいえ、何も確証めいたものはない。脳裏に浮かんだ推測を振り払い、言葉を続ける。
「聞いた話だと、土地神様の巨岩の周囲はかなり広めの空間があったんだよな?」
「あ、うん。土地神様の巨岩の回りはそこだけ不思議と森の木々が生えてなかったんだよ。だいたい十~二十メートルくらいかなぁ? 今じゃどうなってるかわかんないけど、この野営地みたいに少しくらいなら空間が残ってるかもね。」
焚き火の跡に土を掛け、火種を消しながらエリナが答えてくれた。
土地神様の巨岩の周囲は村人たちが整備していたわけではないのに木々がない状態だったという。当時のエリナがまだ幼く整備していることを知らなかっただけ、という線もなくはないが、本当に人の手が入っていなかったのであれば、不思議というレベルの話ではなくなる。明らかにそこだけ植生が変わるほどの何かがあることになる。
可能性の多寡は別として、異常の原因があるとしたら、警戒しておくに越したことはなさそうだ。
「うーん……できれば先に土地神様の巨岩ってのが見つかるといいな。」
ルカは少し考え込むような表情をしつつ、土地神様の巨岩の発見が先であるといいとの見解を示した。
「そうなの? 確かにスペースがある可能性もあるし、野営できそうだもんね。あー、でもルカの目的達成まで私はそこで野営しながら待機ってことになるのか……」
「いや、一晩考えたけど、一旦村に戻ろうと思う。」
「え? どうして?」
荷物を持ち直し、出発準備を終えていたエリナがルカの意外な言葉に驚きの表情で振り返っていた。
あれだけ事前に準備を行ってからここに来ているにもかかわらず、途中で戻るというのだ。エリナが驚くのも頷ける。
「森大熊の存在が無視できないからな。元々数は少なかったみたいだし、この森の状況じゃ動き回るのも大変だから、絶滅してくれてればいいけど、その確証はないんだ。出会ったら即撤退と決めているのに、遭遇する可能性を無視してエリナ一人に待機や野営を強いるのは絶対にダメだ。」
「あ……うん。そっか、そうだよね……」
至極当然とも言えるルカの心配に少し顔を伏せる。エリナ自身もうすうす感づいてはいたが、ルカの判断は正しい。とてもではないが、森大熊と単独で戦って勝てる見込みはない。攻撃を躱すだけならなんとかなるが、彼女が持つダガーでは分厚い毛皮を切り裂くのは難しく、致命傷を与えるのは難しいし、傷を負わせて失血死させるよりも先にこちらの体力が持たない。逃走できなければ、力尽きたところで捕まるか硬い爪の餌食である。
「よし、そろそろ行くか。」
荷物を持ち直すと、二人は森の奥へ向けて、再び移動を始めたのだった。
それから、しばらくの間、ルカはマチェットを使いながらルートを確保しつつ進み、エリナは教えられた《土塊》を後方に放ってみたり、少し離れた木を狙ってみたりと練習に勤しんでいた。
術を発動させる度に、足元の土がこぶし大ほどの大きさでゴボリと浮き上がり、狙った方向へ放たれる。稀に狙いを外すこともあるが、概ね狙ったところに飛んでいるようで、土塊が放たれた先でドカッと音をたてていた。
「どうだ? それほど難しくもないし、無理しなければある程度連続での発動もできるだろ? 普通に放つとほぼ一直線に飛ぶけど、土自体の重さを意識して放つとその度合に応じて放物線になるから、前衛の頭の上を越えるようにして当てることもできる。致命傷や決定打にはならないけど、扱いやすいと思うよ。」
「そうだね。でもルカが言うほど連続発動できないし、軌道を放物線にするのも難しいよ? 私じゃまだまっすぐ飛ばすくらいかなぁ……あとは――《土塊》!!」
先程までエリナの足元の土が浮き上がってから攻撃対象へ向かって飛んでいたが、今度はルカの足元の土が直接ルカの前方に向けてドッと飛び跳ねた。
飛び跳ねた先はまだルカが切り払う前で、邪魔な草木が生えたままであり、放たれた土塊は枝にぶつかって打ち払ったものの、見事に砕けて土が飛び散る。
大した量ではなかったが、しっかりルカにも土が付いたようだ。
「……とこんな感じで発動場所と方向を変える……あ、ご、ごめん!」
「……試す前に一言言ってくれよ……」
慌てて謝りながらルカについてしまった土を落とす。思いついたり何かを見つけたりするとすぐに行動してしまうのは、セリーナから聞いていた通りだった。
そんなちょっとしたエリナのおっちょこちょいな行動に時折困らされながら、二人はさらに奥への足を進めていく。
際限なく伸びた枝葉による森の暗さ、澱んだ空気の重さ、乾き切ることのない土の湿った匂い。昨日と変わらない雰囲気の森だが、今日は昨日と同じようには進まないようだ。
「エリナ、止まって。まだ遠いけど足音がする。そんなに重くない。犬の方だ。」
「ほんと? どっちから?」
「後ろだな。入れ替わって迎撃する。後ろのスペース確保は頼む。」
「了解!」
お互い半身になって前後を入れ替わり、ルカはマチェットをエリナに手渡した。そのまま左手をまっすぐ前方に伸ばして構え、右手にショートソードを握る。
近づく足音、数は二~三匹か。
ゆっくりと息を吐き、接敵に備える。
エリナは背後の草や枝、蔦をはね、ルカの背後の空間を確保していく。ある程度の空間ができたら真後ろの草や蔦を切り開き、さらに進行方向へのルート確保も進めていた。確保したルートはそのまま後退しながら戦うための空間になる。
ルカはエリナの動きを見ながら、一歩、二歩と前に出た。接敵位置を少し前にして、後方の空間を広くとるためだ。ほぼまっすぐ進んできたこともあり、ルートの見通しだけは悪くない。そろそろ視認可能な範囲に入ってくると予想して、ルカは集中する。
初撃は風の感応術で一当て、それで終われば御の字だ。
その時、ルートの先に黒い影が見えた。草原や村周辺で見かける野狼よりは一回り小さいのが三匹。森狼だ。一直線にこちらへ疾駆してきている。
「見えたっ! 《風刃》!!」
前方に構えた左手から風の刃が迸る。森狼に向かってまっすぐに、縦の白い線が飛んでいく。
先頭を走る一匹は風の動きに感づいたのか、飛び上がって回避する。しかし、後ろを走っていた二匹は先頭の個体の身体の影になっていたために風の刃に気付くのに数拍遅れた。
小さな風切り音と共に狼に襲いかかる白刃が、その身体を左右に切り裂く。
ギャン! と断末魔が聞こえ、刃の軌跡を中心にその身体がずるりとズレる。致命の一撃に森狼が土に沈んだ。
だが、先頭を走っていた一匹はまだ健在だ。後ろで倒れた二匹に目もくれず、ルカの首をめがけて飛びかかる。
「ガァア!」
ルカは落ち着いて左手の円盾を構え、噛みつこうと大きく開けられた森狼の口に円盾を押し付けた。ガリガリと牙と金属が擦れる音が響く。
そのまま左手を少し伸ばすようにし、円盾に角度をつけて森狼の身体がルカの身体の左側へ逸れるように受け流す。
自慢の犬歯が円盾に阻まれ、ゴキンと音を立てて砕けた上に、そのまま盾に流された森狼はルカの左側に着地した。顎を伝わる犬歯を砕かれた痛みに、そのまま一瞬怯んで足を止めたのを、ルカは見逃さなかった。
「……シッ!」
右手に持ったショートソードを森狼の首の上から叩きつけた。
鈍い音とともに、断末魔の声を上げる暇もなく、森狼の首が落ちる。
首の断面から大量の血が流れ落ち、その身体は力なく崩れ落ちた。
「……ふぅ」
戦闘終了。ルカが警戒態勢を解いて、振り返った。ショートソードを軽く振って血糊を振り払いながらエリナに声をかける。
「そっちは大丈夫?」
「いや、大丈夫も何も、私出番なかったよ?」
森林地帯での一戦目は何とも呆気ないものだった。結果から見れば、エリナの手を一切借りることなく、ルカ一人による完勝である。
事実上襲撃ルートはルカたちの切り開いてきたルートに限定され、正面から飛びかかるしかない以上、多少森狼の数が増えようともルカの勝ちは揺るがない。
事実、その日は午後まで何度か同様の襲撃があったが、狼についてはほぼ同じ展開で撃破されてしまった。
もちろんエリナの《土塊》による攻撃も何度か行ったものの、彼女が満足できるほどの支援攻撃にはならず、不完全燃焼気味の様子である。
「結局私がいなくてもどうにでもなっちゃうんだよね~……」
ルカから無理矢理マチェットを奪い取り、枝葉を切り払いルート確保をしながら、エリナがこぼす。
何度かあった戦闘でも見せ場はおろか大した支援もできなかったのが悔しかったのか、せめてもの抵抗としてルート確保の役割をかっさらったのだ。
「そりゃさ、ルカが凄いのはこれまででじゅーーーぶん分かってるんだけどさー……」
ぼやいたところで仕方ないのだが、ブツブツと小さなぼやきを続けながら、黙々と目の前の枝葉や蔦を切り払っていると、唐突に開けた空間に出たのであった。
「あ、土地神様の巨岩だ……」




