君になる夢
あの夢を見たのは、これで9回目だった。
という冒頭から始まる小説を、君は今読んでいる。
(なんで、この小説を読みだしたの?)
「いや、そーすけがさ、この小説の作者の永野よるとかいうシナリオライターが頭おかしくてやばいって言っていたから、前から気になっていたんだよ。それでさっき、このサイトの新着欄を見たら、一分前にこの『君になる夢』ていう作品が投稿されていたからさ、読んでみようかなって」
(そーすけ……ああ、田山宗助か。君の友達にそんなやついたね。それで、どう? 面白い?)
「うーん、つまらん、どういう小説か、読んでても全然わからん」
(どういう小説か、解説してあげようか?)
「できるなら頼む」
(この小説の主人公は、人を殺す夢を9回見ているんだ、
人を殺すなんて恐ろしい話だけど、その主人公はあくまでこれは夢の話だと思っていた。
9回も来たなら、10回目もいずれ来るのかなと思っていたけど、なかなか来ない。
でも、とうとう10回目が来た時、主人公は驚いた。それは夢じゃなかったんだ。
いつもは人を殺しても、夜が明けて、朝になれば、死体はなくなっていたのに、
その日は、死体があった。
そう、9回目までは夢の話だったけど、十回目の人殺しは現実だったんだ)
「ふーん、それで?」
(それでって、それで終わりだよ)
「は? まじで、もしかして最初から最後までそんな小説なのか?」
(うん)
「そっか、そういう話ならもう読むのやめるわ」
と言って、君はマウスを操作して、そのWEBページを閉じた。
(つまんなかった?)
「つまんないってのもあるけど、不気味なんだよ」
(と言うと?)
「なんかこの主人公が他人事だと思えないというか……」
(君も人を殺す夢を見ているのかい?)
「そうじゃないけど、俺、雷に打たれる夢をよく見るんだ、たぶん10回以上は見ている。いずれ、それが現実になるんじゃないかって気がして、読んでいたら怖くなったんだ。この小説、10万字以上ある長編のようだし、最後までそんな気分で読むのはきつい」
(そっか、それならしかたないね)
「それにしても、お前の説明を聞いても、よくわかんねぇ小説だよな。これ」
(どんなとこがよくわかんないの?)
「なんていうか、作品のテーマというか、そういうのが見えてこない。なにが伝えたいのか、全くわからん。
そもそもタイトルがよくわからん、『君になる夢』ってなんだ。
なんでそんなタイトルなんだ、この作品のストーリーとなんの関係がある?
例えばこの作品のタイトルが『人を殺す夢』だったら、わかるよ。内容にあってるもん。
でも、『君になる夢』は、わけわからん。
そーすけがこのシナリオライターは頭がおかしいって言ってたけど、本当におかしいんだろうな」
と言って、君は、パソコンをシャットダウンした。
そして、君はパソコンが置かれた机から離れ、ゲーム機が近くに置かれたテレビの前に座る。
君はゲーム機を起動し、あるゲームをやり始めた。
ゲームのタイトル画面が出ると、そこには「世界はきっとマトリョーシカのような構造で」とでかでかと書かれていた。
(それ、永野よるが企画とシナリオを担当したゲームじゃないか、さっきその人が書いた小説、つまんないって言ってなかった?)
「言ったけど、これ、そーすけから借りてるやつなんだよ。借りてるんだし、やらないのはまずいだろ。あいつにプレイした感想を聞かせてくれ、て言われてるしさ」
そう言って、そのゲームを君はやり始めたけど、一時間くらい後、「つまんねぇ、やっぱこのシナリオライター頭おかしいわ」と言って、ゲーム機の電源を切っていた。
翌日――
君はいつものように起きて、学校へ行った。
教室に入ると、君は親友の田山宗助を探した。
しかし、彼は見当たらなかった。
しょんぼりとしながら、君は自席へ向かい、着席した。
(そうか、何でがっかりしてるのかと思っていたけど、君、田山君しかこのクラスに友達がいないもんな)
「うるせぇ」
(もっと社交的になりなよ)
「それができたら苦労しない」
(僕や田山君には気軽に話しかけられるじゃないか)
「お前とそーすけは、べつだよ」
そんな会話をしていると、君の席に一人の女生徒が来た。
「何をぶつぶつ一人で喋っているの?」
にこっと花が咲くように笑う、この美少女は、才川哲子さん。
たしか、田山宗助の彼女だ。
「あ、これは、その、ひとりごとじゃ、なくて……」
と君は美少女を前に緊張した様子で、たどたどしく話す。
その時、だんっと勢いよく教室の扉が開かれた。
中に入ってきたのは、君の親友である、田山宗助だった。
彼は君と才川さんが一緒にいるのを見て、こちらにくる。
「お、珍しいな、ふたりが一緒にいるの」
「うん、あのね、吉永くんがね、ひとりごとを言っていたから、気になって」
「あー、こいつ、そういうとこあるよな、ふれちゃいけないやつかと思って、今までスルーしてたけど」
「だから、その、ひとりごとじゃなくて……」
「え、ひとりごとじゃないの?」
と才川さんが元々大きな目をさらに大きくする。
「うん、会話しているんだ」
「会話? だれと?」
と才川さんがきょとんとした。
「誰と……誰なんだろうな、でも、二年くらい前から心の中に語りかけてくる奴がいるんだよ」
「へ、へぇ、そうなんだ」
と苦笑いする彼女。田山君はなぜかケラケラと笑っていた。
「面白い奴だろ、こいつ、なんかさ、アニメのキャラみたいだよな、ほら、カードゲームのアニメの主人公にいたじゃん、もう一人の僕、とか言って別の人格に語り掛けるやつ」
「ああ、いたねぇ、そっか、そういうかんじか」
となんか納得した感じの二人。
君もその作品は知っていたが、自分とそのアニメの主人公は同じなのか、疑問に思っている様子だった。
「ところでさ、のぼる、おまえ、ネカフェなんていくんだな」
と田山君が言うと、君は首を傾げた。
「いつの話だ、それ」
「え、三日前だけど?」
「あ、そうだ、私も昨日、吉永君を見たよ、コンビニで肉まん買ってたでしょ、あまりにも美味しそうに食べてたから、私もその後買っちゃった」
とえへへとかわいらしく笑う彼女だったが、君の胸中は穏やかでなさそうだった。
「何を言ってるんだ、ネカフェなんて行ってないし、肉まんも俺は買ってない、そもそも昨日はコンビニに一回も行っていないぞ」
それを聞いた二人は、真顔になった。
「え、そんなはずは……」
と才川さんが言うと、田山君がいたずらをしようとする子供のような顔になって、
「あれだ、ドッペルゲンガーってやつじゃないか?」
「ま、まさか、よく似てる奴がいたってだけだろ」
と言いながらも、君は少し怖がっているようだ。
話題を変えようとして、君は机の横に置いていたバッグの中から、ゲームソフトを取り出した。
「あ、そうだ、そーすけ、これ、返すよ」
「お、やったのか? で、どうだった?」
と田山君が嬉しそうに言うが、君が最後までプレイしていないことを知ったらどう思うのだろうか。
「つまんなかった」
「そ、そうか……」
田山君がしょぼんとした顔になった時、始業のチャイムが鳴ったので、会話はこれで終わりとなった。
学校が終わり、家に帰ると、君はもう一度あの小説――『君になる夢』を読み始めた。「
(つまらないんじゃなかったの?)
「つまんないけど、なんか妙に気になってさ、せっかく読んだんだし、最後まで読もうかなって」
それから2時間くらい経って読み終えた君は、閲覧していたページを閉じた。
その小説の最後の方の文章は、こう書かれていた。
*
今夜も人を殺す夢を見る。
これで10回目だ。
でも、きっと、朝になれば、この死体はなくなっているのだろう。今までがそうだったように。
そして、長い夜が明けて、世界に光が差す。
目の前には、まだ死体があった。
なぜ……?
いや、そういうことか。
10回目の人殺しは現実だったんだ。
それに気づいた僕は、涙を流した。
*
読み終えた君は、「はぁ?」と言った。
(どうしたんだい?)
「いや、わけわかんねぇと思ってさ、なんで最後、涙を流したんだ?」
「なんでだと思う?」
「うーん、自分が人を殺したことを知って、悲しくて、泣いたのかな?」
(……かもね)
「あれ?」
と君は顎に手を添える。
(どうしたの?)
「いやさ、おかしいなって」
「この小説のどこがおかしかったの?」
「いや、小説じゃなくてさ、この前、お前はさ、最後までこの小説の内容を知っていたけど、それっておかしくないかって。
だって、あの時、この小説は一分前に投稿されていて、俺はまだ途中までしか読んでなかったんだぞ、この小説は10万字くらいある長編だしさ、よく考えてみると、変だなって……」
その時、ピンポーンとインターホンが鳴ったのを君は聞いた。
「ん、誰だろ、こんな時間に」
と君はテレビドアホンのモニターを見に行く。
「え?」
画面を見て、君は驚いていた。
そりゃあそうだろう、だって、そこには、君と全く同じ姿の人間がもう一人いたんだから。
君は通話ボタンを押して、話しかける。
「だ、誰なんだ、お前は」
「僕だよ、君に話しかけていた、人間だよ」
「え、おまえ、なのか?」
「うん、話したいことがあるから、家に入れてよ。君もいろいろ疑問に思っていることがあるだろう? それについて、語るからさ……」
「わ、わかった」
君は僕を家に入れた。
そして、僕に背中を向けた君は、リビングまで案内してくれた。
そこで、君は背中を刃物でブスリっと刺された。
「……え?」
事態を飲み込めていない君の体に、何度も、何度も、刃物が突き刺さる。
やがて、君は血だらけになって倒れた――
●
血まみれになって倒れている君を、僕は見下ろしていた。
「君の疑問について、答えてあげるよ。
まず、僕が何者かについてだけどね、端的に言うとスワンプマンだよ。
知ってるかな? ある哲学者が考案した思考実験なんだけどね、あれと同じことが起きたんだ。
ある日、君はある公園にいた、その公園には沼があったんだけど、君が沼の傍にいたとき、雷が君のもとに落ちてきたんだ。
それと同じ時に、もうひとつ別の雷が、すぐそばの沼へと落ちたんだけどね、その雷が沼の汚泥と化学反応を起こしたことによって、君と全く同じ姿の僕が生まれてしまったんだ。
ただ、あの思考実験と違うところが一つあって、それは君が生きていたことだ。
この世に全く同じ人間が二つ存在することになってしまったんだよ。
不思議だよね、でも、これが現実なんだ。
気づいたら、僕の目の前に、同じ姿の君がやけどを負って気絶していて、僕はパニックになったよ。
やがて、人が来る気配がして、僕は咄嗟にその場から離れてしまった。
君はその後、来てくれた人が救急車を呼んでくれて、病院に運ばれたみたいだね。火傷を負っていたものの、一命はとりとめた。
しかし、君はこの時のショックからか、雷に打たれた記憶を忘れてしまったみたいだ。
いや、君は雷に打たれる夢を何度も見ていると言っていたから、心の奥底では覚えているのかもしれない。
まぁどうでもいいか、そんなことは。
えーと、あと、なんか言わないといけないことあったっけ……
ああ、そうだ、なんであの時、一分前に投稿されていた小説の内容を最後まで知っていたかって言うとね、答えは単純だよ、僕が永野よるだからさ」
僕がこれだけ喋っているのに君は何も言わない。ただそこにいる。
「ねぇ、なんか言ったらどうだい……いや、もう死んでいるのか」
脈や呼吸を確かめる必要はない。だって、君の目が捉えている景色をもう見れなくなったから。
なぜだかはわからないが、僕は君とどれだけ離れていても君の見ている光景を把握することができたし、君の心に話しかけることだってできた。
だけど、それがもうできなくなった。
そうか、君は死んだんだね……
僕は気づいたら、涙を流していた。
悲しいんじゃない、嬉しいのだ。
だって、夢が叶ったんだから。
僕はずっと夢を見ていた。
君になることを。
10回目で、それがようやく現実になったのだ。
「泣いている場合じゃない、君の両親が帰ってくるまでに、君の死体をバラバラにして、庭にでも埋めないと……幸い、二人は今、旅行中だから、あと二日は帰ってこないはずだ、大丈夫、余裕だ……」
▲
一週間後、僕は教室で同じクラスの小川さんと談笑していた。
「吉永君、なんかちょっと変わったよね、前より明るくなった気がする。
ぶつぶつとひとりごとを言うことがなくなったし、なんか話しかけやすくなった」
「そうかな?」
「うん、そうだよ、今の吉永君の方が、その、好き、かも……」
と髪の毛の先をくるくると指で巻きながら、彼女は言った。
「ありがとう、そう言ってくれて嬉しいよ」
小川さんとはその後、連絡先を交換した。
他のクラスメイト達ともどんどん仲良くなっていった。
最初は「なんかちょっと変わったね」て言ってた人たちも、だんだんとそう言わなくなってくる。
一ヶ月も経った頃には、この僕が吉永登になった。