ep 8
冒険者ギルドの洗礼、そして運命の仲間
リュウは、セーラの後に続いて、再び冒険者ギルドの年季の入った重いオーク材の扉を押し開けた。昨日訪れた時よりも明らかに人の数が増えており、むせ返るような熱気と喧騒が、まるで生き物のように彼らを包み込んだ。酒の匂い、汗の匂い、なめし革の匂い、そして微かに漂う血の匂い。それらが混然一体となって、この場所が日常と危険の境界線であることを物語っている。
剣や盾を背負った屈強な戦士風の男たち、精巧な刺繍が施されたローブをまとい魔法の杖を携えた魔術師風の者たち、軽装で俊敏そうな斥候風の男女、そして、リュウのようにまだどこか場慣れしていない、見習いのような雰囲気の若者まで、実に様々な人間がそれぞれの目的を持ってギルドに集まっているようだ。壁に貼り出された依頼書を真剣な眼差しで吟味する者、仲間とテーブルを囲んで次の冒険の計画を練る者、酒場で手に入れたばかりの戦利品を自慢げに見せびらかす者。その誰もが、この厳しい世界で生き抜こうとする強い意志を目に宿していた。
「リュウ様、こちらへどうぞ。空いている窓口があるようですわ」
セーラは、人混みを巧みにかき分けながら、慣れた様子で広大なホールの奥にある受付カウンターへとリュウを導いた。カウンターには数人の受付嬢が配置され、ひっきりなしに訪れる冒険者たちの対応に忙しそうに書類を整理したり、依頼の説明をしたりしている。リュウは、周囲の熱気に少し気圧されながらも、セーラに示された空いている窓口へと進み出た。
「いらっしゃいませ。冒険者ギルド・アルクス支へようこそ。本日はどのようなご用件でしょうか?」
窓口の向こうから、にこやかな笑顔を浮かべた受付嬢が、鈴を転がすような心地よい声でリュウに声をかけた。彼女は栗色の髪を後ろで一つに束ね、整った顔立ちをしており、その手際は非常に慣れたもので、次々と冒険者の応対をこなしている。
「あ、あの、冒険者登録をしたいのですが」と、リュウは期待と緊張で少し声を弾ませながら言った。これが、この世界で自分の足で立って生きていくための、最初の一歩になるのだ。
「冒険者登録でございますね。かしこまりました。でしたら、まずはこちらの登録用紙に必要事項をご記入いただけますでしょうか?」
受付嬢は、一枚の羊皮紙と、インク壺、そして鳥の羽根で作られたペンをリュウに手際よく差し出した。リュウは、少し戸惑いながらもペンを取り、受付嬢に促されるままに名前、年齢、そして出身地などを記入していった。名前は「リュウ」。年齢は、この体の見た目から「16歳」とした。しかし、出身地の欄で手が止まる。まさか前世の日本のことを書くわけにもいかない。少し考えた末、森の中で見た名も知らぬ小さな廃村の名前を適当にでっち上げて記入した。
「ありがとうございます。次に、リュウ様のスキルについてお伺いしてもよろしいでしょうか? どのようなスキルをお持ちですか?」受付嬢が、記入された書類に目を通しながら尋ねた。
リュウは一瞬言葉に詰まった。女神から与えられた「武器使い」というスキル。その効果は、まだ自分自身でも完全には把握しきれていない。正直に言うべきか、それとも何か当たり障りのないスキル名を答えるべきか。少し迷ったが、嘘をついても仕方がないと判断し、「ええと、『武器使い』です」と正直に答えた。
受付嬢は、ペンを走らせていた手をぴたりと止め、少し訝しげな表情でリュウの顔を見つめた。「『武器使い』、でございますか? それはまた……大変珍しいスキルですね。よろしければ、もう少し詳しくお聞かせいただけますでしょうか? 例えば、特定の武器種の扱いに長けている、といったような?」
「ええと、まあ、その名の通りというか……どんな武器でも、それなりに使える、って感じです」リュウは、あまりにも曖昧な説明になってしまったことを内心反省しながら言った。しかし、短剣を手にした時のように、瞬時にその扱い方を理解できるという特殊な効果を、初対面の相手にどう説明すればいいのか分からなかった。
受付嬢は、納得したような、しかしどこかまだ腑に落ちていないような複雑な表情を浮かべたが、「……なるほど。承知いたしました。では、こちらで登録手続きを進めさせていただきます」と言い、リュウの書類に何やらサラサラと書き込み始めた。
しばらくして、受付嬢はカウンターの下から一枚の木製の小さなカードを取り出し、リュウに手渡した。カードの表面には、リュウの名前である「リュウ」という文字と、アルファベットの「D」という等級、そして剣と盾を組み合わせたギルドの簡単な紋章が、焼き印のようなものでくっきりと刻まれている。
「リュウ様、こちらが貴方様の冒険者カードになります。紛失されませんよう、大切に保管してくださいませ。これが、ギルドで依頼を受けたり、施設を利用したりする際の身分証明となります」
「ありがとうございます」リュウは、初めて手にした冒険者カードを、感慨深げに見つめた。少しざらついた木の感触が、指先に心地よい。これが、この異世界アースティアにおける、自分の存在を証明するものなのだ。
受付嬢は、にこやかに微笑みながら、続けてギルドのシステムについての説明を始めた。「それでは、当ギルドの基本的なシステムについてご説明させていただきます」
彼女は、冒険者ギルドには冒険者の実力や実績に応じてS級を頂点とし、A級、B級、C級、D級、E級、そして最下位のF級までの厳格な階級制度があることを、丁寧に説明し始めた。それぞれのランクの特徴や、ランクアップのための条件(依頼の達成数や難易度、特定の試験など)、そしてそれぞれのランクの冒険者がどのような種類の依頼を受けられるのかといったことを、壁に貼られた図解なども交えながら、詳しく語ってくれた。
リュウは、その説明を聞きながら、(S級とかA級とか……まるでゲームみたいだな。D級からのスタートか。まだまだ先は長いし、地道にやっていくしかないな)と心の中で思った。受付嬢の説明は多岐にわたり、正直なところ、その全てを一度で完璧に理解できたわけではなかったが、とりあえず、地道にギルドから依頼されるクエストをこなし、経験と実績を積んでいけば、徐々にランクが上がっていくということは理解できた。
「リュウ様は、先日アルクス門前にてゴブリンの一団を討伐されたという実績が商人組合より報告されております。そのご活躍を考慮し、特例としてF級ではなく、D級からのスタートとなります」
受付嬢のその言葉に、リュウは内心ホッと胸を撫で下ろした。いきなり最下位のF級からスタートでは、選べる依頼も限られ、心細かっただろう。ゴブリン退治が評価されたのは幸いだった。
隣で静かにリュウと受付嬢のやり取りを聞いていたセーラが、祝福するようににこやかにリュウに話しかけた。「リュウ様、これであなたも今日から立派な冒険者の一員ですね。本当におめでとうございます」
「ああ、ありがとう、セーラさん」リュウは、少し照れくさそうに答えながらも、冒険者になったという実感が、じわじわと胸の奥から湧き上がってくるのを感じていた。
その時、セーラはふと何かを決意したように、しかし少し躊躇うように口を開き、その白い頬をほんのりと赤らめながらリュウに言った。「あ、あの、リュウ様。大変申し上げにくいのですが……もし、もしよろしければ、その……わたくしと、一緒にパーティーを組んでいただけないでしょうか?」
リュウは、セーラの突然の、そして予想外の申し出に、少し驚いて目を瞬かせた。「え? セーラさんと俺が、パーティーを組むのか?」
「は、はい! わたくし、ご覧の通り非力ではございますが、回復魔法だけは少しばかり使えますので、きっとリュウ様のお役に立てるかと存じます。それに……実は今朝、教会で祈りを捧げておりましたら、女神様から神託を賜りまして……。『リュウという名の、東方より来たりし若者の力となり、彼を助けなさい』と、そうお言葉をいただいたのです」セーラは、真剣な、そしてどこか運命を感じさせるような強い眼差しでリュウを見つめた。
さらに、彼女はうつむき加減になり、小さな声で恥ずかしそうに付け加えた。「そ、それに……わ、わたくし自身も、リュウ様の勇気あるお姿を拝見してから、ずっと、少しでもお役に立ちたいと、そう思っておりましたので……」
セーラの真摯な言葉と、女神の神託という衝撃的な事実に、リュウは少し考え込んだ。回復魔法を使える仲間がいるというのは、これからの冒険において、生存率を格段に上げることに繋がるだろう。何より、セーラは親切で、一緒にいて安心できる存在だ。そして、女神様のお告げがあったというのは、単なる偶然とは思えない、何か運命的なものを感じさせる。
「……ああ、分かった。俺でよければ、ぜひ。一緒にやろう、セーラさん」リュウは、迷いを振り払うように、笑顔でセーラの申し出を受け入れた。
「本当ですか!? ありがとうございます! とても、とても嬉しいですわ、リュウ様!」セーラは、パッと顔を輝かせ、心底嬉しそうな、花が咲くような満面の笑みを見せた。彼女のその笑顔は、本当に周囲を明るくする不思議な力がある。
こうして、リュウは思いがけず、心優しき回復魔法使いのセーラと、異世界で初めてのパーティーを組むことになった。一人で心細かったこの世界での冒険に、信頼できる仲間ができたことは、リュウにとって何よりも大きな喜びであり、心強い支えとなるだろう。
彼の異世界アースティアでの物語は、セーラというかけがえのない仲間を得て、いよいよ新たな展開を迎えようとしていた。