ep 7
目覚めの決意、そして"疾風"との出会い
悪夢の冷たい感触がまだ肌に残っているような気がして、リュウは宿の自室のベッドの上でゆっくりと身を起こした。窓の隙間からは、アルクスの街の朝の気配が微かに漂ってくる。昨夜見た、圧倒的な力を持つドラゴンと、それに全く歯が立たなかった自分の姿。あの絶望的な光景は、彼の脳裏に深く刻み込まれていた。
「そうだ、レベルは……どうなったんだ? ステータス!」
昨日のスライム狩りの成果が気になり、リュウは心の中で強く念じた。目の前に半透明のウィンドウがふわりと浮かび上がる。
名前:リュウ
レベル:3
HP:9/9 (+2)
MP:0/0
力:8/8 (+2)
素早さ:7/7 (+1)
知力:6/6 (+1)
スキル:武器使い、投石術 Lv.B、短剣術 Lv.C (NEW!)
「レベル3になってる! しかも……『短剣術 Lv.C』! やっぱり、短剣が使えるようになってるんだ!」
ウィンドウに表示された情報を見て、リュウは思わず小さく拳を握りしめた。ステータスの上昇も嬉しいが、それ以上に新たな武器の適性が解放されたことが、彼にとって大きな希望となった。夢の中で感じたあの途方もない無力感を払拭するためにも、この機会を逃す手はない。石だけでは限界がある。ならば、新たな力を手に入れるまでだ。
「よし! 幸い、商人さんからもらったお金もある。冒険者ギルドに向かう前に、まずは武器屋に寄ってみよう!」
リュウはベッドから勢いよく起き上がると、備え付けの水差しと盥で顔を洗い、汚れた服を整えた。昨日、ゴブリンを倒した礼として商人から受け取った金貨の入った革袋は、ずっしりとした重みで彼の冒険を力強く後押ししてくれているようだった。
宿屋の簡素な食堂で、焼きたてのパンと温かいスープ、そして干し肉といった簡単な朝食を済ませ、リュウが宿の外に出ると、約束通りセーラが宿の前で彼を待っていた。朝の柔らかな陽光を浴びて優しく輝く彼女の亜麻色の髪と、屈託のない笑顔は、まるで小さな太陽のようにリュウの心を照らした。
「リュウ様! おはようございます。昨夜はよくお休みになれましたか?」
にっこりと満面の笑みでリュウに挨拶をするセーラ。その曇りのない明るさに、リュウの心も自然と少し軽くなるのを感じた。
「やぁ、おはよう、セーラさん。うん、ぐっすり眠れたよ」悪夢のことは伏せて、リュウも笑顔で応じた。
「実はちょっと用事ができて、ギルドに行く前に武器屋に寄ろうと思ってるんだけど、この街の武器屋ってどの辺りにあるか知ってるかな? できれば、品揃えの良い店がいいんだけど」
セーラは、リュウの言葉に小さく首を傾げたが、すぐに合点がいったように頷いた。
「武器屋さんですか。それでしたら、街の職人通りにある"鍛冶屋のブル"というお店が一番のおすすめですよ。店主のブルさんは、口は少しぶっきらぼうですけれど、とても腕の良い職人さんで、街の冒険者たちからも信頼が厚いんです。品揃えも豊富ですし、きっとリュウ様のお眼鏡にかなうものが見つかると思いますわ」
「へぇ、"鍛冶屋のブル"か。良さそうだね。場所はどの辺りにあるの?」
「冒険者ギルドからも歩いて5分ほどの場所にあります。もしよろしければ、私、ご案内いたしましょうか?」セーラはにこやかに申し出た。
「本当? それは助かるよ。ありがとう、セーラさん」
セーラの親切な申し出に、リュウは素直に感謝の言葉を述べた。この街の地理にまだ全く詳しくない彼にとって、案内してくれる人がいるのは非常にありがたいことだった。
二人は並んで、朝の光が柔らかく降り注ぐアルクスの街並みを歩き始めた。石畳の道を行き交う人々は、商人、職人、そして冒険者らしき者など様々で、皆それぞれの目的を持って足早に通り過ぎていく。露店からは香ばしいパンの焼ける匂いや、スパイスの効いた肉料理の匂いが漂ってきて、リュウの食欲を再び刺激した。
やがて、セーラはカンカンというリズミカルな金属音が聞こえてくる一角で足を止め、がっしりとしたレンガ造りの一軒の店先を指差した。店の入り口には、槌と金床をかたどった古びた木製の看板が掲げられている。
「ここが、"鍛冶屋のブル"ですわ。どうぞ、中に入ってみてください」
「ありがとう、セーラさん。ちょっと見てくるよ」
リュウは、少しばかりの緊張と期待を胸に、セーラに軽く頷き、年季の入った木の扉を押して武器屋の中へと足を踏み入れた。
カランカラン、と扉に取り付けられた古びたベルが、来客を告げる素朴な音を店内に響き渡らせた。
店内は、外の賑やかな市場の雰囲気とは打って変わって、鉄の独特な匂いと、作業場から漏れ出してくる熱気に満ちていた。壁には、大小様々な剣や斧、鈍色の輝きを放つ槍などが所狭しと飾られ、床には頑丈そうな革製の鎧や金属製の兜、盾などが無造作に積み上げられている。窓から差し込む朝日が、磨き上げられた武器の表面に反射し、鈍いながらも力強い光を放っていた。
「うおー……凄いな、これ……」
リュウは、まるで伝説の武器庫にでも迷い込んだかのように、目をきらきらと輝かせながら店内を見回した。一つ一つの武器が、無骨ながらも機能美に溢れ、職人の魂を込めて丹念に作られた芸術品のように見える。
店の奥からは、先ほど外まで聞こえていた、力強くリズミカルに槌で金属を叩く音が響いてくる。やがて、その音が止み、汗で汚れた革のエプロンを身に着けた、屈強な体格の男性が、額に滲んだ汗を腕で拭いながら姿を現した。赤ら顔に、筋肉が盛り上がった太い腕には、熱で赤くなった鉄の粉がこびり付いている。彼が、セーラが言っていた店主のブルなのだろう。その眼光は鋭いが、どこか実直そうな人柄を窺わせた。
「いらっしゃい。何かお探しですかい? 見るだけならタダだが、冷やかしなら余所の店に行ってくれ」低いながらも、芯のある温かい声でブルはリュウに声をかけた。
「あ、えっと、短剣を探してるんですけど、何かオススメはありますか?」リュウは、少し緊張しながらも、自分の目的をはっきりと伝えた。
ブルは、無精髭の生えた顎を親指でゆっくりと撫でながら、リュウの全身を値踏みするように一瞥し、それから店内に並ぶ無数の短剣を吟味し始めた。そして、壁に掛かっていた中から一振りをこともなげに抜き出すと、リュウの目の前に無言で差し出した。
「短剣か。あんたみたいな若い衆には、こいつがいいかもしれねぇな。名は"疾風"。その名の通り、軽くて扱いやすく、切れ味もそこらのナマクラとは比べモンにならねぇ。特に、素早い動きを得意とするヤツらに人気がある一品だ」
ブルは、リュウに一本の、鞘に収まっていない剥き身の短剣を手渡した。柄の部分には、まるで風が渦を巻くような流麗な模様が彫り込まれており、刀身は鈍い銀色の輝きを放っている。シンプルながらも洗練された美しい短剣だった。
リュウは、その短剣を慎重に両手で受け取り、そっと握りしめてみた。ひんやりとした硬質な金属の感触が、手のひらに心地よく伝わってくる。適度な重みが、彼の手にしっくりと馴染んだ。
その瞬間、リュウの脳内に、まるで熟練の師匠が直接手解きをしてくれるかのように、その短剣を扱うための無数のイメージが鮮明に流れ込んできたのだ。どのように構えれば最も効率が良いのか、どのように突き、どのように斬り、どのように相手の攻撃を捌けば良いのか。まるで、何十年も使い慣れた愛用の道具のように、その"疾風"という短剣の特性、重心、最適な力の入れ具合が、瞬時に、そして完全に理解できた。
「……これにします」
リュウは、ほとんど間を置かずに、迷うことなくブルに言った。この短剣こそが、今の自分に必要なものだと直感した。
(ブツブツ……そうか、レベルアップで短剣術のスキルが解放されたってことは、こういうことなのか。ただ持てるようになるだけじゃない。その武器の最適な使い方まで、この「武器使い」のスキルが教えてくれるんだ。この"疾風"なら、近距離での素早い斬り合いはもちろん、バランスもいいから、投げても正確に目標を狙えるかもしれない。扱い方次第では、中距離や、工夫すれば長距離の敵にも対応できるかもしれないぞ……!)
リュウは、心の中で興奮気味に呟いた。スキル「武器使い」は、彼が想像していた以上の、とてつもない可能性を秘めているのかもしれない。
隣でそのやり取りを静かに見守っていたセーラは、リュウが短剣を手にしてから即決した様子を、少し不思議そうに見つめていた。
「リュウ様……? もうよろしいのですか?」
「ブルさん、この短剣に合う紐ってありますか? できれば、丈夫で、少し伸縮性のあるものが欲しいんですけど。手首に巻いたり、何かに結び付けたりするのに使いたいんです」リュウは、短剣を様々な状況で活用するための具体的なアイデアが次々と浮かんできていた。
ブルは、リュウの意外な言葉に少し驚いた表情を見せたが、すぐにニヤリと口角を上げ、「へっ、面白いことを考えるじゃねぇか、坊主」と言うと、店の奥へとごそごそと歩き出した。しばらくして、手のひらほどの小さな木製の糸巻きを持って戻ってきた。
「ああ、あるぜ。とっておきのがな。この"蜘蛛の糸"なんてどうだろう。その辺の蜘蛛の糸とはワケが違う。森の奥深くに棲む、魔物である巨大蜘蛛の糸を特殊な方法で加工したもんで、髪の毛より細いのに、鋼鉄のワイヤーよりも丈夫でしなやかだ。しかも、適度な伸縮性も持ってる。短剣の柄に巻いたり、投擲用に使うにはピッタリだろうよ。ただし、ちいと値は張るがな」
「じゃあ、それもお願いします」リュウは、その特殊な糸の性能に俄然興味が湧いた。これがあれば、短剣を投擲武器として使う際の回収や、トリッキーな使い方など、戦術の幅が格段に広がるかもしれない。
ブルは、快活に「あいよ!」と頷くと、"疾風"を布で丁寧に磨き上げ、蜘蛛の糸と共に、シンプルだが上質な革製の鞘に収めてリュウに手渡した。
「よし、これなら、いざという時は近距離でもしっかり戦えるし、"蜘蛛の糸"を使えば、投げて中距離や、工夫次第では長距離の敵にも対応出来るかもしれない!」リュウは、満足そうな表情でブルに金貨を支払い、丁寧に礼を言って武器屋を後にした。手にした新しい相棒の確かな重みと感触が、彼の冒険への自信を大きく高めてくれた。
「リュウ様、本当に素晴らしい短剣が見つかりましたわね。その、風のような模様も、リュウ様の雰囲気にとてもお似合いですよ」セーラは、リュウの腰に下げられた新しい短剣の美しい輝きを見て、心からそう思った。
「ああ、ありがとう、セーラさん。ブルさんの言う通り、こいつは最高の相棒になってくれそうだ。これで、どんな敵が現れても……いや、少なくとも、昨日よりは上手く対応できる……はずだ」
リュウは、新しい武器を手に入れたことで、希望に満ち溢れていた。早くこの"疾風"と"蜘蛛の糸"の力を試してみたい。彼の異世界での戦いは、石ころと投石棒だけだった時代から、新たな段階へと進もうとしていた。