ep 2
アルクスの若鷲、運命の扉を開く
アルクスの丘の上に建つリュウとセーラの家は、春の柔らかな陽光を浴び、庭先に咲き誇る色とりどりの花々が甘い香りを漂わせていた。アレンは、その日、13歳の誕生日を迎えた。そしてそれは、彼が長年通ったアルクスの街の学舎の基礎課程を、優秀な成績で修了する日でもあった。一つの学びを終え、新たな道へと踏み出す、まさに人生の大きな節目だった。
夕食の席。リュウが畑で丹精込めて育てた野菜と、セーラが愛情を込めてじっくり煮込んだ肉料理が並び、家族の温かい会話が弾んでいた。しかし、アレンはどこか上の空で、時折フォークを持つ手が止まる。彼の胸の内には、この数年間ずっと温めてきた、そして今日こそはと固く決意した想いがあったのだ。
食事が終わり、暖炉の火がパチパチと心地よい音を立てるリビングで、アレンは深呼吸を一つすると、真剣な、そしてどこか緊張した面持ちで、リュウとセーラの前に向き直って正座した。
「父さん、母さん。今日、僕は学舎を卒業しました。そして……僕は、冒険者になりたいです」
アレンのその真っ直ぐな言葉に、リュウとセーラは一瞬顔を見合わせ、そして穏やかに微笑んだ。息子のこの決意は、二人にとって決して意外なものではなかった。幼い頃から、アレンは両親の語る冒険譚に目を輝かせ、いつか自分もあの物語の中の英雄のように、誰かを守り、世界を救うのだと、そう夢見ていたのだから。
リュウは、30代後半となり、その顔には若い頃の鋭さに加えて、深い落ち着きと父親としての威厳が備わっていた。彼は、アレンのその澄んだ瞳をじっと見つめ、静かに、しかし力強く言った。
「アレン。お前のその気持ちは、ずっと前から分かっていたつもりだ。冒険者の道は、決して楽なものではない。お前が思っている以上に厳しく、そして危険なことも多い。それでも……それでもお前は、その道を選ぶというのだな?」
「はい、父さん」アレンは、迷いのない声で答えた。「父さんと母さんのように、僕も自分の力で誰かの役に立ちたい。そして、この目で、この世界をもっとたくさん見てみたいんです。父さんから教わった剣術と闘気、母さんから教わった魔法と人を思いやる心。それらを胸に、僕自身の冒険を始めたいんです」
セーラは、そんな息子の成長した姿に、その美しいアクアマリンの瞳を優しく細めた。彼女もまた、30代後半という年齢を重ね、聖女と呼ばれた頃の神々しさに、母としての深い慈愛が加わっていた。
「アレン……。あなたのその強い決意、母はとても嬉しく思います。ですが、リュウの言う通り、冒険は常に危険と隣り合わせです。決して無理をせず、自分の力を過信することなく、そして何よりも、仲間を大切にすることを忘れないでくださいね」
「はい、母さん。その言葉、決して忘れません」
リュウは、アレンの揺るぎない覚悟をその目に認めると、満足そうに深く頷いた。「よし、アレン。お前のその決意、確かに受け取った。ならば、父として、そして先輩冒険者として、お前のその門出を全力で応援しよう。まずは、お前にふさわしい装備を新調するところからだな」
数日後、リュウはアレンを伴い、アルクスの街で最も名高い武具店「鋼鉄の魂亭」の重厚な扉を叩いた。店主は、リュウとは旧知の仲である、腕は確かだが少し偏屈なドワーフの老鍛冶師だった。
「おう、リュウか。それに、そちらの坊主が噂の息子アレンか。なるほど、親父に似て、なかなか良い目つきをしておるわい」老鍛冶師は、アレンの全身を値踏みするようにじろりと見つめ、そして満足そうに太い髭を扱いた。
リュウは、老鍛冶師にアレンのこれまでの訓練の様子や、彼が片手剣と盾を基本とし、闘気と魔法を併用するであろう戦い方を詳細に説明した。それを受け、老鍛冶師は唸りながらも、奥の工房からいくつかの見事な武具を持ってきた。
選ばれたのは、ミスリル銀を僅かに含み、軽量ながらも驚くほどの強度と鋭利さを持つ片手剣。剣身には、リュウの依頼で、風を切り裂くような流麗な紋様が刻まれている。盾は、聖なる金属ヒヒイロカネで縁取られ、中央にはセーラの家の紋章と、防御のルーンが刻まれた、アレンの体格に合わせた特注のラウンドシールド。そして、軽装ながらも重要な部位はドラゴンの幼体の革で補強され、魔法耐性も付与された、動きやすさと防御力を完璧に両立させた深緑色の特注の冒険者服だった。セーラも後から合流し、アレンの服の裏地には、彼女が聖なる糸で丹念に縫い付けた、旅の安全を祈る小さなお守りが隠されていた。
全ての装備が整い、アレンが初めてそれらを身に着けた時、彼は鏡に映る自分の姿に、思わず息を呑んだ。これまでの訓練着とは全く違う、本物の冒険者としての装束。その重みと質感が、彼の心に新たな誇りと、そして武者震いにも似た興奮をもたらした。
「どうだ、アレン。なかなか様になっているじゃないか」リュウは、息子のその成長した姿に目を細め、どこか感慨深げな表情を浮かべた。
「本当に……まるで物語の勇者様のようですわ、アレン」セーラもまた、その瞳を潤ませながら、息子の晴れ姿を誇らしげに見つめていた。
リュウは、アレンの肩に力強く手を置いた。「いいか、アレン。その装備は、確かにお前を助けてくれるだろう。だが、本当に大切なのは、装備に頼ることではなく、その装備に負けないだけの、お前自身の心と技を磨き続けることだ。それを決して忘れるな」
「はい、父さん!」
セーラは、アレンを優しく抱きしめた。「アレン、どんな時も、あなたの無事を一番に祈っています。困ったことがあれば、いつでも私たちを頼ってくださいね。あなたは、決して一人ではないのですから」
「うん……ありがとう、母さん」
そして、ついにその日が来た。アレンが、冒険者としての第一歩を踏み出す、アルクス冒険者ギルドへの登録の日。
リュウとセーラに見送られ、アレンは一人、期待と、ほんの少しの不安、そしてそれらを上回る大きな希望を胸に、アルクス冒険者ギルドの、あの見慣れた、しかし今日だけはどこか違って見える重厚な木の扉の前に立った。
彼は、一度大きく深呼吸をし、両親から受け継いだ勇気と優しさ、そして自らの内に秘めた闘気の力を感じながら、その重い扉を、ゆっくりと、しかし確かな手応えをもって、押し開いた。
ギィィ……という、新たな世界の幕開けを告げるかのような音と共に、扉の向こうには、活気に満ちた冒険者たちの喧騒と、そしてアレンを待ち受けるであろう、未知なる冒険の香りが満ちていた。




