ep 32
紅蓮の顎、ドラゴンの鉄槌、そして最後の閃光
リュウとセーラは、ギルドマスター、バルガスよりS級昇級試験の地として指定された、アルクス遥か南方に聳える活火山「灼熱の顎」の麓に、特注の両手斧「ドラゴンスレイヤー」をそれぞれが背に、固い決意を胸に足を踏み入れた。そこは、生命の気配が希薄な、荒涼とした黒い岩肌と火山灰に覆われた大地がどこまでも広がり、遠くに見える主火口からは、絶えずゴウゴウと地底のマグマが煮えたぎる音が、まるで巨大な獣の不気味な寝息のように響いてくる。以前、ギルドの資料で見た時よりも、その地鳴りのような音は明らかに大きく、大地から立ち昇る熱気もまた、肌を刺すように増しているように感じられた。
「グオオオオオオオオオオオオオッ!」
突如、火口の奥深くから、天を震わせ、大地を揺るがすかのような、あまりにも圧倒的なドラゴンの咆哮が時折響き渡り、その計り知れない威圧感は、A級冒険者となったばかりの二人の胸にも、鉛のように重くのしかかる。セーラは、アルクスの街の春の陽気とは裏腹に、火山特有の硫黄臭と熱風、そして時折吹き抜ける肌寒い風が吹き付ける火口付近で、その美しい顔を緊張に強張らせ、リュウに声をかけた。
「リュウ様、ご準備は……よろしいですの?」彼女の声は、わずかに震えていた。
リュウは、背に負った「ドラゴンスレイヤー」の冷たい柄を、汗ばむ手で強く握り締め、まるで地獄の釜のように赤黒く輝く火口の奥底を、燃えるような決意の瞳で見据えた。「ああ、準備は万端だ。セーラ、絶対に無理はするな。どんな状況でも、自分の身の安全を最優先に考えろ。危険を感じたら、躊躇わずにすぐに退避してくれ」
彼は、唯一無二の相棒であるセーラの身を深く案じ、念を押すように、そして自分自身に言い聞かせるように言った。ウェポンズマスターとしての新たな力、そして伝説の竜殺しの斧への自信は揺るぎない。しかし、相手は古の時代より語り継がれる、神話級の存在、エンシェント・ドラゴンだ。万が一、いや億が一の事態も想定し、最悪の状況に備えておかなければならない。
「はい、リュウ様、分かっております! わたくしも、必ずリュウ様のお力になりますわ!」
セーラは、リュウのその言葉に、不安を振り払うように力強く頷いた。彼女の澄んだアクアマリンの瞳には、共に幾多の死線を乗り越えてきた最強の相棒を信じる、揺るぎない強い光が宿っていた。
二人は互いに視線を交わし、無言のうちに最後の覚悟を確認し合うと、決意を新たにして、絶えず噴き上げるマグマの熱気が肌を焦がし、呼吸すら困難にさせる灼熱の火口へと、一歩、また一歩と近づいていった。
火口の縁に辿り着き、身を乗り出すようにしてその煮えたぎる内部を覗き込むと、眼下に広がる広大な溶岩湖の上、赤黒く煮えたぎるマグマの熱で陽炎のように揺らめく空間に、一頭の巨大なドラゴンが、まるで己の領域を支配する絶対君主のように、悠然と、しかし圧倒的な存在感を放って浮いているのが見えた。その巨体は、燃え盛る夕焼け空をそのまま映し込んだかのように、深紅と漆黒の混じり合った鱗に覆われ、美しくも恐ろしい輝きを放っている。山のように巨大な翼は、広げられることなく静かにマグマの熱を揺らめかせ、その先端まで鋭く尖った鉤爪は、鋼鉄すら容易く引き裂くであろう凶暴さを秘めている。鋸のように鋭利な無数の背びれが、背中から尾の先まで続き、そして何よりも、その巨大な頭部に宿る、計り知れないほどの古の知性と、底なしの凶暴さを同時に湛えた黄金色の双眸が、まるで矮小な虫けらでも見るかのように、火口を覗き込む二人を冷ややかに射抜いた。
リュウは、その圧倒的な威圧感に一瞬息を呑んだが、すぐにウェポンズマスターとしての本能で、亜空間から瞬時に漆黒の強弓を取り出し、鍛え上げられた腕力で、ドラゴンの頭部ほどもある太さの鉄製の矢を番え、渾身の力を込めて放った。ヒュンッ!という鋭い風切り音と共に、矢は一直線にドラゴンの巨大な頭部へと向かうが、まるで目に見えない障壁にでも阻まれたかのように、その強靭な鱗にカンッ!と甲高い音を立てて弾かれ、虚しく火花を散らして灼熱のマグマの中へと落下した。
「グオオオオオオオオオオオオオッ!」
まるで小石を投げつけられたことに不快感を示したかのように、ドラゴンは侮蔑の咆哮を上げると、その山のような巨体を軽々と持ち上げ、巨大な翼を広げ、マグマの海から轟音と共に天高く舞い上がった。そして、その巨体からは到底想像もできないほどの、恐るべき速さでリュウとセーラに向かって一直線に襲いかかり、その巨大な顎を大きく開くと、口いっぱいに灼熱の紅蓮の火炎を急速に溜め込んだ。
「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」
天を焦がすかのような紅蓮の炎が、まるで決壊したダムから奔流するマグマのように、凄まじい勢いでリュウに向かって放出される。リュウは、即座に亜空間から、塔の盾と見紛うほど巨大な鉄製のシールドを取り出し、大地にしっかりと足をつけ、迫り来る灼熱の火炎を正面から受け止めた。ゴウウウウウウンッ!という凄まじい轟音と共に、炎はシールドの表面で激しく弾け、周囲の岩肌を瞬時に黒く焦がし、強烈な熱風と火の粉がリュウの全身を容赦なく襲った。リュウは、その衝撃でわずかに体勢を崩したが、間髪入れずに亜空間から連射可能なボウガンを取り出し、素早くドラゴンに向けて無数の矢を放った。連射される特殊な鋼鉄製の矢は、ドラゴンの分厚い鱗にいくつかの小さな傷跡を残すものの、その巨体を怯ませるほどの決定的なダメージには至らない。
ドラゴンは、そんなリュウの必死の抵抗を嘲笑うかのように、再びその口に膨大な量の火炎を溜め込み、先ほどよりもさらに巨大な、そして広範囲を焼き尽くさんばかりの炎の塊を放った。
「セーラ! 今だ、頼む!」
リュウは、そのあまりにも広範囲で、そして高威力の灼熱の火炎を、紙一重で横に大きく跳躍して辛うじて避けると同時に、背後のセーラに鋭く指示を出した。
「聖なる氷の吐息よ、邪悪なる炎を打ち消せ! ブリザード・ストーム!」
セーラの掲げた純白の聖杖が、まばゆいばかりの青白い光を放ち、彼女の澄んだ声から凍てつくような冷気を伴う強力な魔力がほとばしる。彼女の全魔力を込めて生み出された純白の氷の嵐が、火口全体に炸裂し、ドラゴンの吐き出した紅蓮の火炎と正面から激しく衝突した。轟音と共に、灼熱の炎と極低温の氷が互いを打ち消し合い、莫大な量の水蒸気が立ち上り、周囲は一瞬にして視界を奪う白い濃霧に包まれた。
その極低温の冷気が、一瞬だけではあったが、ドラゴンの巨体を包み込み、その表面の鱗を白く霜付かせ、その動きをほんのわずかに、しかし確実に鈍らせる。
「今しかないッ!」
リュウは、この千載一遇の好機を、決して逃さなかった。背に負っていた伝説の竜殺しの斧、「ドラゴンスレイヤー」をその両手で力強く掴み取り、ドラゴンの足元、その巨躯の死角へと、火山灰を蹴立てて猛スピードで飛び込むと、まずは亜空間から取り出した、鋭い刃が無数についた特殊な鎖鎌を、目にも留まらぬ速さで繰り出した。
「我が意のままに縛れ! 龍縛鎖!」
鎖鎌の鎖が、まるで生きている大蛇のようにドラゴンの太く頑丈な後ろ足に幾重にも絡みつき、ギリギリと音を立てて締め付ける。「グルギャアアアアアアアアアッ!」ドラゴンは、その予期せぬ効果的な攻撃に、苦痛と驚愕の咆哮を上げ、巨大な体が大きくよろめいた。
続けてリュウは、亜空間から取り出した、先端に巨大な鉄球がついた重厚なウォーハンマーを、よろめいたドラゴンの、鎖鎌で僅かに動きを封じられた足の付け根、比較的鱗の薄い関節部分を狙って、渾身の力で叩き割るように叩きつけた。「グオオオオオオオオオオオオオッ!」ゴウンッ!という、岩盤を砕くかのような鈍い衝撃音と共に、ドラゴンの巨体から、骨がきしむような音と、これまでとは質の違う苦悶の咆哮が響き渡った。
しかし、リュウの猛攻はここで終わらない。再び亜空間から漆黒の長弓を瞬時に取り出し、大きく体勢を崩しているドラゴンの、無防備に晒された巨大な黄金色の右目を射抜こうと、必殺の矢を番えた。だが、数千年を生きるというエンシェント・ドラゴンは、その気配を本能で察知したのか、咄嗟にその巨大な頭部を背け、「キシャアアアアアアアアアッ!」と甲高い、耳をつんざくような鋭い咆哮と共に、その口からピンポイントで灼熱の火炎を放射し、リュウの放った矢を空中で焼き尽くし、弾き飛ばした。
強烈な熱風が、再びリュウを容赦なく襲い、その体勢を大きく崩す。そのほんの僅かな隙に、ドラゴンはその巨体を力任せに揺らし、足に絡みついていた鎖鎌を引きちぎり、体勢を立て直した。
「クッ……! やはり一筋縄ではいかないか……!」
リュウは、体勢を立て直そうとしたが、ドラゴンの方が一瞬早かった。「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」と再び天を衝くような怒りの咆哮を上げ、今度は、もはや回避不可能と思えるほどの広範囲に、そして持続的に、灼熱の火炎を、まるで全てを焼き尽くさんとするかのように放射してきた。
「セーラ! 全力で防御を!」
リュウは、眼前に迫り来る絶望的なまでの炎の壁を前に、背後のセーラに最後の望みを託すように叫んだ。
「聖なる守護の光よ、我らを包みたまえ! グランド・プロテクション!」
セーラの掲げた聖杖が、これまでで最も強く、そして神々しいまでの黄金色の光を放ち、彼女とリュウの周囲に、半透明の、しかし極めて強固な魔法的な防御障壁が展開され、迫り来る紅蓮の火炎を辛うじて、しかし確実に防御する。しかし、ドラゴンの猛烈な火炎の勢いは凄まじく、その絶対的なまでの熱量によって、聖なる防御魔法の膜は、徐々に、そして確実に歪み、亀裂が走り、今にも崩壊しそうになっていた。
「クッ……! もはや、これしかないか……!」
リュウは、亜空間から、バルガスより託された、あの「深淵の雫」が満たされた小さな黒曜石の瓶を、震える手で取り出した。聖なる防御魔法が消えかける、ほんの一瞬の隙を突き、狙いを、炎を吐き終えてわずかに動きを止めたドラゴンの、傷ついていない左目に定めると、残された全ての力を込めて、その禁断の毒瓶を力強く投げつけた。
小瓶は、リュウの願いを乗せて正確無比な軌道を描き、狙い違わずドラゴンの巨大な左眼球に音もなく命中し、パリンという乾いた音と共に砕け散った。中身の、どろりとした粘度の高い深紅色の液体が、ドラゴンの目に奔流のように流れ込んだ。次の瞬間、ドラゴンは、これまで聞いたことのないような、天も地も裂けんばかりの凄まじい絶叫を上げ、その巨体をめちゃくちゃにのたうち回らせ、苦しみ悶えた。
「やった……! さすがは深淵の雫……!」
リュウは、その効果の絶大さに、一瞬だけ安堵の表情を浮かべた。あの伝説級の猛毒が、ドラゴンの視力を完全に奪ったはずだ。しかし、彼の安堵は、ほんの一瞬で絶望へと変わった。次の瞬間、これまで経験したことのないほどの、骨の髄まで砕け散るかのような激痛が、リュウの全身を襲ったのだ。視力を失い、苦しみで半狂乱になったドラゴンが、その巨体を無茶苦茶に振り回した結果、その岩をも砕く巨大な尻尾が、まるで鉄の鞭のように、無防備だったリュウの体を、横薙ぎに、そして容赦なく思い切り叩きつけたのだ。「グハァァァァァッ!」リュウは、短い悲鳴と共に、まるで人形のように軽々と吹き飛ばされ、火口の硬い岩壁に激しく叩きつけられ、激しい衝撃で意識が朦朧とした。
「リュウ様ァァァァァァッ!」
セーラが、聖なる防御魔法が完全に消滅したにも関わらず、血の気の引いた顔で、悲痛な叫び声を上げながらリュウに駆け寄ってくる。
「セーラ……! 来るな……! ドラゴンは……まだ……死んではいない……!」
リュウは、口から溢れ出る血を吐き出し、霞む視界の中で、必死にセーラを制止しようとした。深淵の雫で両目を潰し、視力を完全に失ったとはいえ、ドラゴンのその巨体と、残された力は依然として絶大な脅威だ。下手に近づけば、無事では済まない。
しかし、セーラのその美しいアクアマリンの瞳は、もはや恐怖に染まりながらも、それ以上に強い、リュウを失いたくないという、そして彼と共に最後まで戦い抜くという、燃えるような決意に満ち溢れていた。「いいえ……! わたくしは……決して逃げません! リュウ様とご一緒に……最後まで戦わせていただきますわ!」
セーラは、そのか細い声で、しかし力強く言い放つと、震える手で純白の聖杖を再びしっかりと握り締め、その小さな体に残された、最後の、そして全ての魔力を振り絞るように、禁断の大魔法の詠唱を始めた。「聖なる雷の裁きよ、天より降り注ぎ、邪悪なる者を滅ぼせ! ジャッジメント・サンダー!」彼女の掲げた聖杖の先端から、天を覆う暗雲を呼び寄せ、眩いばかりの、そして全てを浄化するかの如き神々しい雷の光がほとばしり、鋭く、そして無数の雷の矢となって、苦悶の叫びを上げながら暴れ狂うドラゴンの巨体に、雨のように降り注いだ。
「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」
ドラゴンは、その聖なる雷の無慈悲な連続攻撃に、再び天を衝くような絶叫を上げ、その巨体を大きく痙攣させ、激しく、そして無茶苦茶に暴れ始めた。深淵の雫で両目を潰され、さらに聖なる雷で全身を焼かれているものの、その恐るべき生命力は、まだ完全に尽きてはいない。怒り狂ったドラゴンは、もはや理性も失い、最後の力を振り絞るかのように、セーラに向かって、その巨大な鉤爪を、無防備な彼女めがけて振り下ろした。
「セーラァァァァァァァァァァァァッ!」
リュウは、その絶望的な光景を前に、必死に立ち上がろうとするが、先ほどのドラゴンの一撃で全身の骨が砕けたかのように、体が全く言うことを聞かない。セーラは、最後の魔力を使い果たし、もはや動くこともできず、ただ迫り来る死の爪を、覚悟を決めたように静かに見据えている。
「セーラ……! くそっ……! 動け……動け、俺の体……!」
リュウは、焦りと、そしてセーラを失うかもしれないという恐怖で、心が張り裂けそうだった。このままでは、セーラが……。
果たして、リュウとセーラは、この絶体絶命の窮地を脱し、伝説のエンシェント・ドラゴンを討伐することができるのか? 二人の運命は、再び、そしておそらくは最後の瞬間を迎えようと、マグマが煮えたぎる灼熱の火山の火口で、傷つき倒れた勇者と聖女、そして狂乱する巨大なドラゴンとの、あまりにも過酷で、そして絶望的な戦いにかかっていた。




