ep 25
春光のアルクス、そして迫り来るゴブリンの影
数日後、アルクスの街はすっかり春爛漫の陽気に包まれていた。柔らかな日差しが石畳を温め、街路樹の若葉が爽やかな風にそよぎ、市場には色とりどりの花々が並び始める。そんな活気に満ちた街で、リュウとセーラは、A級冒険者として、その名を急速に轟かせつつあった。ほんの少し前までは、ギルドの依頼掲示板の下の方を二人で覗き込み、どのクエストを受けようかと慎重に迷っていた彼らが、今やギルドの中でもトップクラスの実力を持つと目される冒険者として、ひっきりなしに舞い込む高難易度の依頼を、次々と、そして見事にこなしていたのだ。
その目覚ましい活躍ぶりは、ギルド内でも噂の的となっていた。リュウのウェポンズマスターとしての変幻自在な武器捌きと、セーラの的確かつ迅速な回復魔法、そして何よりも二人の息の合った連携は円熟味を増し、ゴブリンキングやオークリーダーといった強敵をも打ち破り、多くの困難な依頼を成功に導いてきた。街の人々からの信頼も日に日に厚くなり、市場や通りで二人の姿を見かけると、安堵の表情を浮かべ、心からの感謝の言葉を口にする者が後を絶たなかった。ギルド内においても、リュウとセーラは一目置かれる存在となり、特に若い冒険者たちは、彼らのその鮮烈な活躍と確かな実力に憧憬の念を抱き、その背中を追いかけるように日々の訓練に切磋琢磨していた。
そんなある日の穏やかな午後、いつものように難度の高い護衛任務を終え、疲労の中にも確かな達成感を胸にアルクス冒険者ギルドに戻ってきたリュウとセーラは、報告を済ませて一息つこうとしたところを、受付カウンターの栗色の髪の受付嬢に呼び止められた。昼間の喧騒が一段落したギルド内は、比較的落ち着いた雰囲気に包まれ、カウンター席では酒を酌み交わしながら談笑する者、テーブルで武具の手入れに余念がない者、あるいは明日の依頼に向けて情報収集に励む者など、冒険者たちがそれぞれの目的を持って思い思いの時間を過ごしていた。
「リュウ様、セーラ様、少々お時間よろしいでしょうか? 緊急でお耳に入れておきたい依頼がございますの」
受付嬢は、いつもの明るく人懐っこい笑顔を浮かべてはいたが、その瞳の奥にはどこか普段とは違う、微かな緊張の色が滲んでおり、二人に一枚の、上質な厚手の羊皮紙に黒々としたインクで認められた依頼書を、恭しく手渡した。その依頼書から漂ってくる、尋常ではない緊迫感と重要性に、リュウは思わず眉をひそめた。
リュウは、受け取った依頼書にゆっくりと目を通した。最初に彼の目に飛び込んできたのは、禍々しい筆致で書かれた『最重要警戒指定:ゴブリンキング及びゴブリンシャーマンの共謀による大規模集落の調査、及びその完全討伐依頼』という、およそD級やC級の冒険者が目にするようなものではない、物々しい文字列だった。
「ゴブリンキングと……ゴブリンシャーマン、だと……? しかも、集落の討伐か。これは……かなり危険なクエストだな」
リュウは、依頼書の詳細な内容を読み進めるうちに、自然と表情が険しくなっていった。以前、ミルラの村で死闘の末に辛くも倒した、あのゴブリンキングの圧倒的なまでの強さと、その狡猾さは、今でも鮮明に記憶に残っている。それが、さらに厄介で、強力な魔法を操るというゴブリンシャーマンと手を組んだとなると、その脅威はもはや計り知れないレベルに達しているだろう。
「ゴブリンキングは、ただ単に強力なだけでなく、ゴブリンの群れを統率するだけの高い知能も持っている。油断すれば、思わぬ罠に嵌められたり、巧妙な戦術で翻弄されたりする可能性も十分にある。それに加えて、ゴブリンシャーマン……奴らは、炎や雷といった強力な攻撃魔法だけでなく、時には呪いや幻惑といった精神系の闇の魔法まで操ると聞く。直接的な戦闘力もさることながら、集団を指揮し、その戦力を増幅させる能力も極めて高いはずだ」
リュウのその冷静な分析に、セーラも神妙な面持ちで深く頷いた。彼女もまた、教会で学んだ知識から、ゴブリンシャーマンという存在が、単なるゴブリンの魔法使いという範疇を超えた、極めて危険で厄介な相手であることを十分に理解していた。今回のクエストの難易度を、その一体の存在が格段に引き上げていることは間違いない。
「それに、ゴブリンの『集落』となると、おそらく相当な数のゴブリンが潜んでいることでしょう。通常のゴブリンだけでなく、より体格が大きく強力な上位種のホブゴブリンや、あるいはゴブリンライダーのような特殊な個体も、集落を防衛するために配置されているかもしれませんわ」
「お二人のご推察通り、今回のクエストは、ギルドとしても最重要案件の一つとして、非常に重要視しております」受付嬢は、二人の言葉に静かに頷きながら、真剣な、そしてどこか懇願するような表情で続けた。「実は、ここ最近、アルクス周辺の村々で、ゴブリンによる組織的かつ計画的な襲撃事件が多発しており、その被害は日増しに拡大しております。そして、ギルドの調査によりますと、その背後には、このゴブリンキングとゴブリンシャーマンの影が、間違いなく見え隠れしているのです。もしこの二体が本格的に手を組み、大規模な行動を起こしたとなると、アルクス周辺の村々に、取り返しのつかないほどの甚大な被害が出る可能性が極めて高いと判断されました。A級冒険者であられるリュウ様、セーラ様、どうかこの危機的状況を収束させるために、お二人のお力をお貸しいただけないでしょうか」
受付嬢のその言葉には、ギルド職員としての責任感と、そして何よりもこの街と周辺の村々の平和を願う、切実な祈りにも似た響きが込められていた。リュウとセーラは、互いに顔を見合わせ、その依頼の重責を改めて感じ、そして静かに、しかし力強く頷き合った。
「分かりました。その依頼、私たちがお引き受けします」
リュウは、依頼書をその手にしっかりと握りしめ、決然とした声で言った。その黒曜石のような瞳には、これまで幾多の困難な依頼を成功させ、多くの人々を救ってきたA級冒険者としての、揺るぎない強い決意が宿っていた。
「今回のクエストは、間違いなく今までで一番危険なものになるだろう。ゴブリンキングとゴブリンシャーマン、その二体が率いる大規模な集落。その脅威は、正直、想像以上のものになるかもしれない。だが、必ずやり遂げてみせる。このアルクスの街と、周辺の村人たちの平和と安全のためにも、ここで奴らを完全に食い止めなければならないんだ」
リュウは、心の中で固く、そして熱く誓った。ウェポンズマスターとなった今の自分ならば、そして信頼できるセーラと共にいるならば、きっとこの困難な任務も成し遂げられるはずだと。
セーラもまた、リュウのその揺るぎない決意に呼応するように、その背筋を伸ばし、力強く頷いた。「はい、リュウ様。わたくしも、リュウ様と最後までご一緒させていただきますわ。どんな困難な試練が待ち受けていようとも、リュウ様と二人で力を合わせれば、きっと乗り越えられない壁などございません」
実はセーラは、この数週間、リュウがより困難な依頼に挑むようになったのを目の当たりにし、彼がいつか自分の手の届かない場所へ行ってしまうのではないかという微かな不安と、そして何よりも彼の役に少しでも立ちたいという強い思いから、密かに攻撃魔法の習得に血の滲むような努力を重ねていたのだ。回復魔法は彼女の最も得意とするところだが、それだけではリュウの背中を守り切れない場面も出てくるかもしれない。もっと積極的に戦闘に参加し、彼の負担を少しでも軽減したいという強い思いが、彼女を突き動かしていたのである。昼夜を問わず、ギルドの古書庫で魔法書を読み解き、教会の礼拝堂で瞑想と実戦訓練を繰り返した結果、ついに、いくつかの初級の範疇ではあるものの、実戦で十分に通用する強力な攻撃魔法を、いくつか習得することに成功していた。
そして、この日、このあまりにも危険な依頼を前に、セーラは意を決し、そのことをリュウに伝えようと心に決めていた。
「あの、リュウ様。実は……申し上げたいことがございます。今回のクエストでは、わたくしも、これまでの回復魔法に加えて、攻撃魔法でリュウ様をサポートさせていただきたいと存じますの」
セーラは、少し緊張した面持ちで、しかしその瞳には一点の曇りもない、強い決意を込めてリュウにそう伝えた。彼女のその瞳には、これまでの彼女には見られなかった、確かな自信と、戦いに臨む者としての期待の光が宿っていた。
リュウは、セーラのその思いがけない言葉に目を丸くし、驚きと、そしてそれ以上に大きな喜びが入り混じった表情で彼女を見つめた。「セーラが……攻撃魔法を!? それは、本当か!? すごいじゃないか! 一体、どんな魔法を習得したんだ?」
セーラのその秘めたる成長を心から喜ぶリュウの、屈託のない笑顔に、彼女は少し照れながらも、誇らしげに習得したばかりの魔法の名前をいくつか挙げた。小さな、しかし凝縮された炎の矢を放つ魔法「ファイア・アロー」。鋭い真空の刃を複数同時に飛ばす魔法「ウィンド・カッター」。そして、敵の動きを一時的に鈍らせ、その防御力を低下させる効果を持つ魔法「スロウ」。
「ああ、頼もしい限りだ、セーラ! お前のその新しい攻撃魔法が加われば、今回のクエストは、きっと、いや絶対にうまくいくはずだ!」
リュウは、心の底からそう思った。セーラの新たな力が、この困難な任務を達成するための、そして自分たちの冒険をさらに力強く後押ししてくれる、大きな希望の光となるだろう。
こうして、リュウとセーラの新たな、そしてこれまでで最も危険な冒険が始まった。狡猾なゴブリンキングと、未知数の力を持つゴブリンシャーマンが待ち受ける、大規模なゴブリンの集落を目指して、二人は再び険しく、そして予測不可能な道のりを歩み始めるのだった。その胸には、これまでのどの冒険よりも重い覚悟と、互いを深く信頼し合う、揺るぎない強い絆が、春の陽光のように明るく輝いていた。




