ep 13
凱旋の報告、そしてギルドマスターの眼差し
疲労困憊の極みにありながらも、その表情には確かな達成感と、死線を乗り越えた者特有のわずかな高揚感を滲ませて、リュウとセーラは夕闇に包まれ始めたアルクスの街へと戻ってきた。ゴブリンキングとの激闘の舞台となったミルラの村を覆っていた焦げ臭い煙の匂いが、まだ二人の簡素な衣服や髪に微かに染み付いている。冒険者ギルドの重厚な扉を押し開けると、昼間の喧騒に輪をかけたような、むせ返るほどの熱気が二人を包み込んだ。壁一面に貼り出された依頼書を真剣な眼差しで吟味する者、カウンター席でエールらしき酒を大きなジョッキで飲み交わし、今日の武勇伝を語り合う者、そして明日への活力を養うかのように、大皿に盛られた料理を勢いよく頬張る屈強な冒険者たち。その圧倒的な喧騒と生命力の中に、リュウとセーラの姿は、どこか少しだけ浮いているように見えたかもしれない。二人とも、まだ戦闘の興奮と極度の疲労が複雑に入り混じった、どこか現実感が希薄で、上の空のような表情をしていたからだ。
リュウは、周囲の喧騒にやや気圧されながらも、少し遠慮がちに受付カウンターへと近づいた。昼間、冒険者登録の際に親切に応対してくれた栗色の髪の受付嬢はすでに交代しており、代わりに少し年配の、眼鏡をかけた落ち着いた雰囲気の女性が、山積みの書類を慣れた手つきで黙々と整理していた。
「あ、あの、すみません。D級冒険者のリュウです。ミルラの村のゴブリン討伐依頼の件で、報告に来ました」リュウが少し掠れた声で声をかけると、受付嬢は顔を上げ、リュウとセーラの姿を認めると、すぐに穏やかな、しかしどこか労わるような笑顔になった。
「あら、リュウ様、そしてセーラ様。お帰りなさいませ。ミルラの村のゴブリン討伐、大変お疲れ様でございました。ご無事なご帰還、何よりです」
リュウは、その言葉に小さく頷き、緊張で乾いた喉を潤すように一度唾を飲み込んでから、少しばかりの誇らしさを胸の奥に感じつつ報告を始めた。「はい、おかげさまで、ゴブリンの群れは全て討伐することができました。ですが、その……実は、依頼書には記載のなかった、予期せぬ事態が発生しまして。ゴブリンキングが現れたんです」
隣に立っていたセーラは、リュウの言葉にこくりと頷き、まだ血の気の引いていない顔で、少し緊張した面持ちのまま付け加えた。「は、はい……。本当に、文献で読んだものよりもずっと大きくて、恐ろしいゴブリンの王でした……。リュウ様がいらっしゃらなければ、わたくしたち一体どうなっていたことか……」彼女の声は、思い出すだけでも恐怖が蘇るのか、わずかに震えていた。
受付嬢は、リュウの「ゴブリンキング」という言葉を聞くと、それまで書類を整理していたペンを持つ手をぴたりと止め、驚きに見開かれた目でリュウとセーラの顔を交互に見た。「ゴ、ゴブリンキング、でございますか!? あのような危険な魔物が、この近辺に……それは、本当に大変な戦いでしたでしょう……」彼女の声は、明らかに驚きと、そして深い心配の色を帯びていた。「まさか、D級に登録されたばかりのお二人が、あのゴブリンキングを討伐なさるとは……。信じられません。よくぞ、ご無事で……!」
その言葉は、カウンター周辺で聞き耳を立てていた数人の冒険者たちにも届いたのだろう。彼らは、それまでリュウたちを「新米か」と何気なく見ていた視線を改め、俄かに興味深そうな、あるいは疑念のこもった視線を向けてきた。ゴブリンキングは、その凶暴性と、ゴブリンの群れを統率する知能の高さから、C級以上のパーティーでも苦戦を強いられることがある、討伐難易度の高い魔物として広く知られている。D級になったばかりの冒険者が、しかもおそらく二人だけでそれを成し遂げたとなれば、それはまさに快挙であり、ギルドにとっても大きなニュースと言えるだろう。
受付嬢は、興奮を抑えきれない様子でカウンターから身を乗り出し、「そのゴブリンキング討伐の件、ぜひ詳しくお聞かせいただけますでしょうか!? これは、ギルドマスターにもすぐに報告しなければなりませんわ!」と言うと、リュウたちの返事を待たずに、慌ただしく奥の部屋へと急ぎ足で入っていった。
残されたリュウとセーラは、顔を見合わせ、どちらからともなく小さく微笑んだ。ミルラの村の人々の心からの感謝の言葉ももちろん嬉しかったが、こうして冒険者ギルドという、いわば同業者たちに自分たちの働きが認められるというのもまた、格別な達成感があり、二人の疲れた胸を温かく満たした。
しばらくの間、二人はカウンターの前で、少し所在なげに待っていた。周囲の冒険者たちは、ひそひそと二人のことを噂しているようだ。「おい、聞いたか? あの若いのがゴブリンキングを倒したってよ」「まさか、D級だろ? 冗談じゃねえのか」「でも、あの受付の姉ちゃん、慌ててたぜ」といった声が、遠巻きに聞こえてくる。中には、信じられないといった侮蔑に近い表情でリュウたちをじっと見つめる、いかつい顔の戦士もいた。セーラは、そんな周囲の視線に少し照れたように、そして少し不安そうにリュウの袖をそっと引いた。
やがて、先ほどの受付嬢が、少し息を切らせながら小走りで戻ってきた。「リュウ様、セーラ様、お待たせいたしました! ギルドマスターが、直々にお二人にお会いしたいと仰っております。どうぞ、こちらへ」彼女の表情は、先ほどよりもさらに興奮し、そしてどこか誇らしげに見えた。
二人は、受付嬢に案内され、ギルドの奥にある、他の部屋とは明らかに造りの違う、重厚なマホガニー材の扉の部屋へと通された。扉を開けると、そこは外の喧騒とは完全に隔絶されたかのように静かで、落ち着いた、しかしどこか厳粛な雰囲気が漂っていた。部屋の中央には、磨き上げられた大きな黒檀の机が置かれ、その上には様々な羊皮紙の書類が整然と積み上げられている。壁には年代物の見事な細工が施された剣や盾、そして見たこともないような巨大な魔物の頭部の剥製などが飾られており、この部屋の主の地位と経験の深さを物語っていた。そして、その机の奥の、背もたれの高い革張りの重厚な椅子に、威厳のある壮年の男性がゆったりと腰を下ろしていた。深く刻まれた顔の皺の一つ一つが、長年の経験と苦労、そして揺るぎない知識を滲ませている。彼こそが、このアルクス冒険者ギルドを束ねるギルドマスター、バルガスその人だった。
「よく来たな、リュウ、そしてセーラとやら」ギルドマスター、バルガスは、静かに書類から顔を上げると、二人を認め、その顔に威厳の中にも柔和な笑みを浮かべ、ゆっくりと立ち上がって近づいてきた。その鋭い双眸は、二人を値踏みするように、しかしどこか温かく、そして興味深そうに見つめている。「ゴブリンキング討伐の儀、大儀であった。D級に昇格したばかりの者が、あのゴブリンキングを、しかも二人で討伐するとはな。実に素晴らしい。見事という他ない」
リュウは、ギルドマスターの重みのある言葉と、その威圧感に少しばかりの緊張を感じながらも、それ以上に大きな喜びと達成感を胸に感じていた。「ありがとうございます、ギルドマスター。ですが、本当に……本当にギリギリの戦いでした。セーラの回復魔法がなければ、今頃どうなっていたか分かりません。まだまだ、自分たちの力不足を痛感しています。もっともっと、強くならなければならないと、改めて思いました」
ギルドマスターは、リュウの謙虚な言葉に、深く、そしてゆっくりと頷き、その言葉にさらなる重みを持たせた。「その通りだ、若者よ。冒険者とは、常に高みを目指し続ける存在でなければならん。現状の力に満足した瞬間、そこで成長は止まってしまう。お前たちには、その先を見据えるだけの素質がある。今回のゴブリンキング討伐という類稀なる功績は、それを何よりも雄弁に証明しておる。これからもその向上心を忘れず、日々精進し、いずれはS級冒険者という、このギルドの頂点を目指してくれ。お前たちならば、あるいは……」
セーラは、ギルドマスターの温かく、そして力強い激励の言葉に、知らず知らずのうちに瞳を潤ませながら、隣に立つリュウの横顔を誇らしげに見つめた。リュウもまた、ギルドマスターの言葉の一つ一つが胸に熱く響き渡るのを感じていた。自分たちの命がけの頑張りが、こうして正当に認められたこと、そして更なる高みを目指すようにと励まされたことが、何よりも嬉しかった。
「ありがとうございます! ギルドマスターのそのお言葉、決して忘れません! その期待に応えられるよう、これからも精一杯頑張ります!」リュウは、背筋を伸ばし、力強く、そして決意を込めて答えた。
セーラも、リュウの隣で真剣な表情で深く頷き、「はい! わたくしも、リュウ様と共に、ギルドの名誉を汚さぬよう、そしてもっともっとお役に立てるよう、努力を重ねてまいります!」と、ギルドマスターに深々と頭を下げた。
ギルドマスターは、二人のその清々しい決意に、満足そうに力強く微笑み、「うむ、期待しておるぞ、若き英雄たちよ」と、二人の肩をそれぞれ優しく、しかし力強く叩いた。その手は大きく、そして温かかった。
こうして、リュウとセーラは、冒険者としての初めての大きな依頼を見事に成功させ、ギルドマスター直々の激励という、望外の栄誉を得た。そして、冒険者として更なる高みを目指すという新たな目標を胸に、ギルドマスターの部屋を後にした。彼らの異世界アースティアでの冒険は、まだ本当に始まったばかりであり、その先に待ち受ける道のりは長く、そして険しいものかもしれない。しかし、二人の心には、確かな希望と、揺るぎない決意の炎が、力強く灯っていた。




