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猫の夢  作者: 高田 朔実
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二週目①

 目が覚めて、時計を見ると六時十分だった。休日は、八時を過ぎても布団の中でだらだらしているのが常だけど、二度寝しようにも目が冴えてしまい、仕方なく起きあがる。

 お湯を沸かし、ドリッパーにフィルターをセットする。やがて湯が沸き、粉の上にお湯を注ぐと、不思議な現象が起こった。

――インスタントコーヒーをわざわざ濾すのですか。変わったことをされる方だこと。

 猫が呟く。何食わぬ顔でそのまま飲み、出かける準備を始める。

――こんなに早くからどこへ行くのです。

 猫は足元をうろうろしている、

「散歩です」

 さっさと靴を履き、外に出た。

 昨日の夢はなんだったのだろう。夢の中で、町田君にそっくりな人物と出会った。仮にNo2としておこう。No2のことは猫から聞いてなんとなく知ってはいたけれど、実際に目の前に現れると、確かに町田君そのもののようだった。

「あなた、誰ですか?」

「誰ですか、とはあんまりじゃないですか。昼間会ったばかりなのに」

 答えに窮していると、No2は猫に視線を移した。

「他人の心の中に土足で踏み込もうだなんて、油断も隙もない猫ですね、タミ。猫にはわからないかもしれないけれど、人間にはプライバシーというものがあるんですよ」

「猫に対して土足はないでしょう。靴履いてないんだから」

 言い返すと、No2はふっと笑った。

「まあ、せっかく来たんだから、軽くレクリエーションでもしませんか」

 黙って聞いていると、

「今から十数えるので、その間目を閉じていて下さい」

 などと言う。

馬鹿正直に、十という声が聞こえるまで目を閉じ続けた。カウントが終わるとともに目を開けると、どうしたことだろう、いつの間にか、あたり一面に無数の扉が現れている。まるで壁紙の模様のように、数々の扉が、三百六十度、視界がおよぶ範囲に雑然と配置されている。マグリットの絵にこんな構図があった気がする。あの絵で描かれていたのは扉ではなく人だったけど、その絵を真似るかのごとく、様々な大きさ、色、デザインの扉が宙に浮いている。異様という言葉で括ってしまうのは物足りなくも、ほかの表現が思いつかない。

「どれか一つ、好きな扉を開けて下さい」

いつの間にか、BGMとしてそっくり人形展覧会が流れている。しかし、曲は終盤に近づいているようだ。

「この中のどこかに彼が隠れています。曲が終わるまでに見つけてください」

 エコーがかかった憎らしい声が降ってくる。

「タミさん、どれを開ければいいんですか?」

「まあ、好きにしてみればいいんじゃないですか」

「じゃあ、これにします」

 比較的近いところにあった扉に駆け寄り、ドアノブに手をかける。黒地に青光りする粉がまぶしてある、カラスアゲハのような色の扉を開く。

 先が見えないほどの濃い霧が吹き出してくる。中になにがあるのか予想もできないまま、霧はもったいぶったようになかなか退散しようとしない。吹き飛ばしてやろうかと息を吸い込もうとすると、ようやくなにがあるかが見えてくる。

現れたのは、書初め用の長い半紙で、そこには力強い字で「はずれ」と書かれていた。

 夢の内容を思い出していると、数々の疑問が浮かんでくる。あやつは何者なのか、あの扉はなんだったのか、そして、なぜそっくり人形展覧会が流れていたのか。

 なんであの扉の中に彼がいる、などと言われて素直に信じてしまったのだろう。いくら夢の中だとはいえ、相手のペースに乗せられてしまったとはうかつだった。間違えた場合はなんらかのペナルティが課されたりはしないのかなど、考えてみると謎だらけだ。

「タミさん」

 猫は棚の上から私を見下ろしている。

――なんですか。

「昨日の夢のことは、タミさんも覚えてるんですか?」

――ええ、覚えていますとも。タミとあなたとで、お坊ちゃまの夢の中におりました。

「町田君もそのことは覚えているんでしょうか」

――まあ、ある程度は覚えていらっしゃるかもしれませんが、しかしまあ、変な夢をみたと思ってすぐに忘れることでしょうね。

「なぜ私は変な夢だと思って忘れていないのでしょう」

――きっとあなただって、一人だったらすっかり忘れていることでしょうよ。こうしてタミと話しているから、あれは実際体験したことだと納得できて、忘れないようにしようと思っているのです。

「もし私が一人だったとしても、忘れないようにしようと思えば、忘れないのですか?」

――さあ、タミにはなんとも。

 では誰に聞けばいいのだ。まあ、この話はまた後で考えよう。

「私、あの扉を軽々しく開けてしまってよかったのでしょうか」

――なにが不満なのです。

「なんらかのペナルティが課されたりしないのかなって気になってるんですけど」

――そうですね、私もなんと浅はかなお嬢さんなのだろうと、驚いて見ていました。

 驚くのは私の方だ。この猫、いったいなにを言い出すのだ。

「タミさんだって、好きにしろって言ったじゃないですか」

――あなたに『どれを開ければいいか』と訊かれたので、『好きにしたらよいのでは』とお答えしたまでです。扉を開けるかどうかを問われていたら、答えはまた違ったものになっていたことでしょう。

「だって、あの状況だったら、誰だって開けないとって思いますよ」

――いいえ、注意深い人なら、開けていいのかどうかまず考えます。きっと、あの者は昨日のあなたを見てこう思ったことでしょう、こいつはすぐ騙せるな、と。

 もし生きた猫だったら、蹴っ飛ばしてやるところだ。しかし、この猫が死者でなければ、目の前でなにを思おうともそんなの知ることもなく、蹴ろうとは思わないだろうから、話はそう単純ではないが。

 今度はお茶を入れようと電気ポットに手をかけると、猫が話しかけてくる。

――あなたは、なぜタミが老体に鞭打ってこんな高い場所で寝起きしているのか、疑問に思わないのでしょうか。

「高いところが好きなんじゃないですか?」

 猫は首を横に振る。

「なんなんですか。言ってくれないとわかりませんよ」

――この部屋には、タミの寝床というものが、どこにもないじゃないですか。

 だって、と言いかけて、口ごもる。

――幽霊なんだから、宙にでも浮いていろと?

思っていたことを言い当てられて、ぎくっとする。

「どんな寝床が欲しいんですか?」

――生前使っていたのが欲しいです。

 そう言うと、猫はまた丸くなって自分の体に顔をうずめた。

 そんなこと言われたら、元飼い主から譲ってもらうしかない。しかし今、時は朝の八時である。

 一時間待って、町田君にメールをしてみた。友達が猫を飼い始めることになって、早急に猫の寝床が欲しいらしい、急で申し訳ないが、町田君の猫が使っていた猫ベッドなるものをしばらくの間借りられないだろうか、お礼はなんなりとするから、というどことなく奇妙な文面になってしまった。

――他の猫の匂いがついてると、嫌がるかもよ。

 すぐに返事が返ってくる。

――大丈夫、鈍感な猫だから。その子、お金がなくて、猫ベッドが買えなくて困ってるんだって。

――猫ベッドも買えないようじゃ、今後猫の餌も買い続けられないんじゃないの? そんな人が猫飼うなんて、大丈夫なの?

 話し合いは難航したけれど、なんとか言いくるめて、どうにか譲ってもらえることになった。町田君宅の最寄り駅で、夕方四時ごろ待ち合わせすることにした。

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