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猫の夢  作者: 高田 朔実
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未定稿④

 今度は彼が頷く番だった。

「僕は、なにを忘れているんだろう。なんで忘れているんだろう」

「本当のことを考えるのは、けっこう疲れることですからね。エネルギー節約のために、そういう方向に流れていったのではないですか」

 目で、彼にもっと詳しく話すよう促してみる。彼は気づかない振りをして、なにも語ろうとしない。

「今まで二十八年間生きてきたけど、僕のことを本当に必要としている人なんて、誰もいないような気がするんだ。僕を本当に大事に思ってくれたのは、タミだけだった。タミがいなくなった今、生きていても、もうなにもないような気がするんだ」

 彼は「仕方ないなあ」とでも言いたげに、ため息をついた。

「本当はあまり言わない方がいい気がするんですけど、そこまで言うなら、一つ言わせてもらいます。

 あなたは以前、心の扉の一つを閉めてしまったんですよ。家に例えると、窓を閉めて鍵をかけてしまったも同然です。隙間からとりあえず酸素は入ってくるので、生き延びることは可能だけど、外の風も、花の香りも、冷たい空気も、そういったものはなにも入ってこない。例えるなら、常にガラス越しにしか外界と触れ合えない状態なんです。そんな状況で生きていても、なにもかもが、どこか偽物のように感じられてしまうのは仕方のないことじゃないですか?」

「なんで窓は閉まったの?」

「覚えてないんですか?」

「ああ、見当もつかない」

「あまりにもショックが大きくて、忘れるしかなかったんでしょうね」

「忘れたままじゃだめなの?」

 彼は黙ったまま、なにを言おうか考えているようだ。

「もういいよ、そんなの。僕は今のままでいいや。タミも死んじゃったし、もう疲れた」

 そのとき、タミが膝の上に飛び乗り、僕の顔をじっと覗き込んだ。

「タミ、僕も一緒に連れてってよ」

「逃げていてはだめです、お坊ちゃま」

 タミは、力強い声で僕に語りかけてくる。

「タミが力になります。タミは、あと一月とちょっとの間だけ、この世に留まることができるのです。さあ、お坊ちゃま、タミと一緒に行きましょう」

「どこへ?」

「そのときのことを知っている人を探すんです。その人に聞いてみるんですよ。思い出すために」

 彼が言う。

「誰、それ。どうやって探すんだ? タミは知っているのか?」

「知るわけありません、タミは猫ですよ」

 いつも心の中で繰り広げていた会話が実際に行われていて、なんだか笑ってしまう。

「笑いごとではありませんよ、お坊ちゃま」

「じゃあ、僕はどうしたらいいんだ?」

 タミの目を見つめる。ここは明るいから瞳孔は小さく見えるはずなのに、なぜだか通常よりも大きく見える。

そこには僕の顔が映っていた。タミの瞳に映る僕はどんな顔をしているのだろう、そう思ってじっと見てみる。そうしているうちに、意識が遠ざかっていった。

――お坊ちゃまが……消えた?

――ううん、彼は、あなたの中に隠れてしまったようですね。よっぽど辛かったのでしょう。

――タミの中に、お坊ちゃまがいらっしゃると……? 

――あーあ、もう出てこないつもりなんじゃないですか。もう、タミが無責任なことを言うからですよ。これだから、猫は。

――タミのせいではありません。あなたがフォローして差し上げないから、お坊ちゃまがここまで追い詰められてしまったんじゃないですか。

――タミが甘やかし過ぎるから、いつまで経ってもこんな甘ちゃんなんですよ。

 二人……一人と一匹はしばらく言い争っていたが、やがて不毛な口論だと気づいたようだった。

――あなたは本当に知らないんですか?

――知ってるに決まってるじゃないですか。

――じゃあ、あなたが教えてあげればいいじゃないですか。不親切な方ですね。

――一応、私はそういうことをはしちゃいけないことになっているんです。これは、彼が自分でなんとかしないといけないことですから。でも、弱ったなあ、彼が本当にいなくなったら、私も長くは持たないんですよね……。ねえタミ、ちょっと外に出て、探してきてくれませんか? 

――探してこいと言われても……、タミにはなんの心当たりも……。 

――彼の知り合いに手当たり次第会って、ピンとくる人がいたら、とりあえずここに連れてきて下さい。多分、会えばわかると思います。あなたの中にいる彼が、おそらく反応すると思うので。後は、私がちょっと考えてみます。……どうなるかわからないですけど。

 彼とタミとのやりとりを、人ごとのような思いで見ている自分がいる。自分の夢の中なのにも関わらず、僕は今では客席に回ってしまったようだった。スクリーンの中で繰り広げられているドラマには、一切口が出せないようだ。

 いつの間にか、キャラメルポップコーンが椅子の肘掛に置いてあった。僕の苦手な甘い香りが漂ってくる。

 そっと手を伸ばして、恐る恐る口に含んでみると、それは、うっとりするほど美味しかった。

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