14.フェティ=クリネの日記《前編》
夜にセットしておいたタイマーが作動し、オレの体は省電力モードから通常モードへと切り替わる。エネルギーが体内を流れ、オレは目を開いた。一応、省電力でスタンバイ中は目を閉じている。
部屋の中はまだ薄暗い。オレは鬱蒼とした植木ジャングルの中に座っていた。
家庭用の電源から充電はできるけど、ヒューマノイド・ロボット用の純正の充電器があるというのに、ゆうべは電源プラグと共にリビングの隅に追いやられたのだ。というのも充電器はリズの部屋の中に設置されていたからだ。
痛い命令のせいで、近づくこともできないというのに、同じ部屋にオレがいると気になって眠れないとリズは言う。
気にしすぎだっての。省電力モードのオレは全思考回路が停止してるから、なにも考えてないことくらい知ってるだろうに。置物と一緒。
まぁ、センサは生きてるから、リズが寝言を言ったり、いびきをかいたり、寝相が悪くて布団の中で暴れてたりしたら、全部わかるけどな。
……やっぱ、イヤか。それ知られるの。
電源プラグを抜いて立ち上がったオレは、リビングを出て、隣のダイニングを突き抜け、まっすぐキッチンに向かう。
まともな夕食の次は、まともな朝食も食べてもらおうじゃないか。
オレは袖をまくって、フライパンを電磁調理器の上に置いた。
窓から朝日が射し込み始めた頃、ダイニングテーブルにはオレの作った朝食が並んでいた。
表面を軽く焼いたロールパンと、カリカリに焼いたベーコンとスクランブルエッグに、昨日の残りの野菜サラダ。やっつけにしては上出来だと自画自賛しておく。少なくともリズがいつも飲んでるサプリよりは遙かにマシだ。
朝食の出来に満足しつつ、オレは廊下に出てリズの部屋に向かった。
リズの部屋は大叔母さんの部屋の右隣にある。そこはかつて、バージュ博士が使っていた部屋だという。
同じ機械工学専門だから、バージュ博士亡き後、リズが丸ごと譲り受けたらしい。ゆうべチラッと見たけど、大叔母さんの部屋に負けず劣らず本がたくさんあった。
扉をノックして部屋の外から声をかけてみたが、反応がない。いつも朝食がサプリのリズは、目覚める時間ももう少しあとなのだろう。でもオレが引き上げたあと夜更かししていなければ、そろそろ起きても支障はないはずだ。
扉を開けようとドアノブに手をかけたものの少しためらわれる。なにしろ女の子が眠っている部屋だ。
まさか裸で眠ってるなんてことはないと思うが、断りもなく開けたらまたエロボット呼ばわりされそうな気がする。それは不愉快だ。
結果、オレは先ほどより強く扉を叩いた。
「リズ、起きて」
「えー、なに?」
今度は返事があった。聴覚センサの感度を上げてみると、ゴソゴソと布団から這い出した気配がする。ペタペタと足音が近づいて来て扉が開いた。
寝間着姿のリズが目をこすりなから眠そうに尋ねる。
「なにかあったの?」
「朝食ができてるから食べて」
「え?」
リズが目を見開いて固まった。そんなに驚くことか?
「朝ご飯まで作ったの?」
「朝はちゃんと食った方がいいだろ?」
「寝てる方がいいわよ」
確かに、オレも人間やってるときはそうだった。だがしかし!
「いいから食えって!」
有無も言わさずリズの手首を掴んで廊下に引きずり出す。もう夜が明けたから、あの痛い命令は効力をなくしていた。
そのままリズの手を引いてダイニングに向かう。リズはおとなしくオレに従いながらも、不服そうに口をとがらせた。
「ゆうべ久しぶりに食べたから、あんまりお腹すいてないのよね」
そう言った途端、リズの腹が鳴った。オレは振り向いて勝利の笑みを浮かべる。
「腹は空腹を訴えてるみたいだけど?」
「うー……」
上目遣いにオレを睨みながら、リズは気まずそうに腹を押さえた。
リズを席に着かせて、彼女の前に置いたカップに熱いハーブティーを注ぐ。まだぼんやりとしたままカップから立ち上る湯気を見つめているリズを横目に、オレも斜め前の席に着いた。
それを見て初めて気づいたのか、リズが不思議そうに尋ねる。
「あなたも食べるの?」
「うん。ひとりで食べるの寂しいだろ?」
「そうね」
リズはにっこり微笑んでフォークを手に取った。
充電直後のオレが食事を摂る必要はないので不思議だったのだろう。
そっか。大叔母さんがいなくなってから、この家ではずっとひとりだったリズは、ひとりきりの味気ない食事が寂しくて、サプリですませるようになったのかもしれない。
そう思うと、これからも時々何か作って一緒に食べたくなるなぁ。
そんなことを考えていると、リズが一生懸命フォークを操りながらつぶやいた。
「あなた、料理したことないって言ってなかった? なんでこんなに興味持っちゃったの?」
「君の食事があまりに味気なくて心配になったんだ」
「そんなこと心配しなくても私だけじゃないし、他の人も普通に元気に暮らしてるし」
スクランブルエッグを真剣な表情ですくいながら、リズが投げやりに言う。
あれ? もしかして迷惑だった?
「サプリじゃない食事をわざわざ摂るのって、やっぱり面倒?」
「面倒といえば面倒だけど、自分で作るわけじゃないならたまにはいいわね」
「そっか。よかった」
どうやら自分が作るんじゃないなら、食べることはイヤではないらしい。リズがイヤだと言うなら、今生でオレが食べる普通の食事はこれで終了だと覚悟してたから、ホッとした。
「じゃあ、オムライスだけじゃそのうち飽きるだろうし、他にもシャスに教えてもらうよ」
「そうね。せっかくあなたには高性能味覚センサが搭載されてるんだし、シャスさんと色々食べに行ってみれば? 今度あなたの識別チップに決済機能を追加してもらうわね」
「やった。でもなんでシャス? 君が一緒に食べに行けばいいじゃん」
ヤロー同士よりやっぱり女の子と一緒の方がオレは楽しいんだけど。
「食べるためにわざわざ出かけるのは時間がもったいないもの。作り方を探るにも、私よりシャスさんの方が役に立つでしょ?」
「まぁ、そうだけど」
ちょっとがっかり。わざわざ出かけてまで食事を摂るのは面倒らしい。
でも少し食い下がってみる。
「リズと一緒の方が君の好みがわかると思うんだけど」
「私、好き嫌いないから。なにしろ、ほとんど料理を食べたことないし」
間髪入れずに拒否されたが、それって好き嫌いがないんじゃなくて、好き嫌いが不明ってことじゃ……。
まぁ、よっぽど出かけるのが面倒なのだろうということで、引き下がることにした。
お互いに久しぶりの朝食を終えて、リズと一緒にオレは警察局へ向かった。
国家警察局特務捜査二課は本日も平和そのもの。制服に着替えていつでも出動できるように待ちかまえているものの、指令はない。
今日はフル充電の上に朝食で補助バッテリも満杯なのに。部屋の隅ではムートンが飽きもせず立体パズルを組み立てていた。オレもその隣に座っている。ここがロボットたちの定位置なのだ。
オレはこのヒマを利用して、内蔵メモリにコピーした、リズの大叔母さんの膨大な日記データを閲覧することにする。
なにしろ九十年分だから、リズも知らないようなことが何か書かれているかもしれない。その中にバージュモデル人格形成プログラムのソースコードに関する何かが隠されていればラッキーってとこか。
カードにロックはかかっていたものの、オレのオリジナル設計図のように厳重に隠してはなかったしな。
あまり過度の期待をせずに、オレはのんびりとファイルを古い順に開いていった。
日記はリズの大叔母さん、フェティ=クリネが科学技術局に入局した日から始まっている。当時のフェティは二十歳。今のリズよりちょっとだけ若い。
初めの頃はなにもかもが珍しくあらゆることにわくわくどきどきしている新人フェティの初々しい日常が綴られていた。
そんな新人時代にフェティは局内で生活している小さな少年に出会う。少年は科学技術局内で違法な研究結果として生まれた実験体だった。この少年が後にロボット工学の第一人者となったランシュ=バージュ博士だ。
え、やけにあっさりと科学技術局のトップシークレットになってたバージュ博士出生の秘密を知ってしまったよ。
こんな機密文書を気軽に閲覧しちゃっていいのかはばかられる。なにしろオレは警察局の備品だから、オレの記憶領域は警察局の許可があれば、誰でも閲覧可能なのだ。
もちろん誰でもなんでもOKというわけではない。
システムの保存されている保護領域とシステムが使用するシステム領域は特別として、記憶領域は三つに分けられ、それぞれにセキュリティレベルが設定されている。
警察局が許可すれば閲覧可能な一般領域、マスターの許可が必要なプライベート領域、そしてマスター以外閲覧できないシークレット領域とある。当然ながらオレ自身は保護領域とシステム領域以外の全領域にアクセスできるわけだが。
今閲覧している日記データはプライベート領域に保存されている。セキュリティレベルをあげるべきではないだろうか。
「リズ、大叔母さんの日記データなんだけど、シークレット領域に移動していい?」
「なに? なにか見つけたの?」
コンピュータに向かって仕事をしていたリズが、目を輝かせて身を乗り出した。
「うん、ちょっと。まだソースコード関連のことは出てきてないんだけど、バージュ博士の出生の秘密がいきなり出てきてさ。科学技術局のトップシークレットだったんだろ?」
「そうだけど。なんだったの?」
「まぁ、大半が日常の出来事だから、他にも重要そうなとこはピックアップして別ファイルにまとめとくよ」
「うん、そうして。あとでまとめて読んでみるわ」
そう言ってリズは仕事に戻った。
オレは開いていたファイルを一旦閉じて、シークレット領域に移動し再び続きを開く。
気になる記述をピックアップして保存しながら、日記を読み進めた。
不完全な実験体だったランシュ少年は遺伝子に欠陥があったため、生まれつき病弱で二十歳まで生きられないと言われていたらしい。それは本人も知っていた。
なるほど。それで彼をモデルにしたオレの容姿が色白で華奢で儚げなのか。
体は病弱だったが、ランシュ少年は知能が高く、十一歳の頃から、積極的に知識を吸収し、大人の研究者たちも舌を巻くほどだった。特に機械工学に興味を示していたので、当時から様々なロボットを作っていたらしい。
その頭脳が認められ、十六歳という異例の若さで科学技術局に入局することとなる。
それで機械工学の天才児と謳われていたのか。
おとなしく素直でよく言うことを聞くいい子なランシュ少年だが、どこか冷めていて人とあまり関わりたがらない。そんな彼が気になって、フェティはヒマさえあればかまっていた。
この頃のランシュ少年は、戸惑いながらもフェティとは仲良くしていたようだ。
フェティは二十七歳のとき、科学技術局幹部局員たちの協議で副局長に抜擢された。
オレの感覚では国家機関のナンバーツーが二十代って若すぎる気がするが、科学技術局では局長と副局長は現場から選任されることになっているらしい。
科学の現場に精通し、現場の科学者たちに信頼され統率力のあるものを、現場からの推薦と幹部たちの協議で決定する。
常に最新技術の開発を行っている科学技術局では、代表責任者が世間や関係機関に技術の詳細を説明しなければならないので、現場を知らない人間では務まらないということらしい。
役職を得たフェティはそれまでのようにランシュをかまうことはできなくなった。それでも時間を見つけては気にかけていたようだ。
しかし時が経つに連れ、迫り来る命の終わりに焦り始めたランシュは、次第にフェティと距離を置くようになる。取り憑かれたかのように研究に没頭し、とうとう十八歳の時、違法なロボットの開発に手を染め免職となった。
免職になったもののランシュは科学技術局で生活していたので、監視は厳しくなり局内に半ば監禁状態だった。
副局長のフェティは、何度かランシュと面会し激しく叱責したようだが、ランシュが反省することはなかったようだ。
その後容態が悪化したランシュは入院となった。
公式に発表されている経歴では、この後二年間ランシュは病気の療養をしていたことになっているが、実は失踪していたらしい。
動くのもままならないほどの状態だったにもかかわらず、病院から抜け出したという。科学技術局の誰もが、そんな状態ではすぐに遺体で発見されるのではないかと思っていたようだ。
フェティもいつランシュの遺体発見の知らせが来るか気が気ではなかった。
この後二年間、フェティの日記からランシュとの出来事は姿を消す。時々思い出したように、ランシュを気にかけているだけだ。
そして二年後、再び姿を現したランシュは、遺伝子治療を受けてすっかり元気になっていた。
治療を受けた病院に実験体として監禁されるのを恐れて逃げ出してきたという。
保護を求めてやってきたお菓子屋が、たまたま科学技術局局長の妻が経営する店だったらしい。
その時からランシュは局長の養子となり、局長監督の元で科学技術局に復職した。
十年分くらいを一気に読み終えて、オレは一息ついた。極秘となっているランシュ=バージュ博士の少年時代ってずいぶんと波瀾万丈だったようだ。
博士が免職になるきっかけとなった開発は「究極のヒューマノイド・ロボット」だったらしい。バイオ専門のフェティには詳しいことはわからないようで、それ以上のことは書かれていない。
復職してそれを完成することは諦めたのかな?
そしてふと気づいた。
バージュモデル発表の十年も前の日付で、フェティの研究データの隙間にこっそり隠されていたオレのオリジナル設計図。あれってちょうど免職になったのと同時期だ。わざわざ隠してあるってことは免職の原因?
あのとき違法とされた開発から、違法でない形に変更させるのに十年かけて、完成したのがバージュモデルということか?
違法とされた設計図から作られたオレの体って違法じゃないんだろうかとちょっと気になる。
まぁ、リズが違法だと認識していないってことは大丈夫なんだろうけど、どうなんだろう。
それが気になって尋ねると、リズはクスクスと笑った。
「設計図そのものに違法なところはなにもなかったわ。あなたが入る前の完成品は警察局の厳しいチェックを受けてるのよ。違法だったらその時に指摘されてるはずよ」
「じゃあ、なにが違法だったんだ?」
「絶対命令をインプットしないつもりだったのよ」
あぁ〜そりゃ確かに違法だ。
「でもなんでそんなことしようと思ったんだろう」
「人間に絶対命令なんてインプットされてないでしょう? 人間らしさを追求するためだったらしいわよ」
「へぇ」
天才少年の割になんと短絡的な。オレがあまりにあきれていたからか、リズが慌てて補足した。
「でもね、以前あなたに話した絶対命令の意義って、バージュ博士の持論だったのよ」
「あぁ、人間の本能の代わりって奴?」
「そう。それに気づいたから、バージュ博士は法に背くことなく究極のヒューマノイド・ロボットを完成させることができたのよ。今のバージュモデルは、絶対命令をインプットされているけど、人間と変わらないでしょう?」
「確かに」
「それを可能にしたのが人格形成プログラムなの」
人とは違い揺らぐことのない本能を持ち、人と同じように喜怒哀楽があり、環境や経験によって変化する人格を有したロボットは、確かに究極のヒューマノイド・ロボットかもしれない。
リズは懐かしそうに目を細めて、遠くを見つめながら言う。
「昔ね、バージュ博士と一緒にロボットを作ってた時、私まだ小さかったから思い通りにできなくて、博士に八つ当たりしたことあるの。その時、自分も子供の頃大失敗をして大叔母さんにひどく叱られたことあるよって笑ってたんだけど、あれって免職になったときのことだったのかもしれないわね」
「かもな。何度か叱責されたみたいなこと書いてあったし」
「私、六歳より前の記憶がないから、本当はもっと色々バージュ博士と話したり教えてもらったりしたんだと思うんだけど、一緒に暮らした記憶は一年半くらいしかないの。私のことも何か書いてあるかな」
「まだそこまで到達してないけど、あったら保存しておくよ」
「うん、お願いね」
小首を傾げて、リズはにっこり微笑んだ。
やべぇ。ちょっとかわいいと思ってしまったじゃねーか。
努めて平静を装いながら、前から気になっていた事を尋ねてみる。
「そういえば、なんで六歳より前の記憶がないの?」
「高熱を出して生死の境をさまよったんだって。それで脳に記憶障害が起きたらしいの」
「なんと。快復してよかったな」
「そうね」
他人事のように笑って、リズは仕事に戻っていった。オレも日記データの閲覧に戻る。
何かあるとしたら、たぶんこの先のはずなのだ。




