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ブレンドコーヒーでさようなら 3



「俺がヴェロニカに伝言を頼んでいることを、君がリサにばらしたんだろう!」

「いいえ。そもそもリサさんとは面識がありませんでしたし、あなたの浮気をばらしたところで、私になんの得があると言うんですか?」


 カウンター越しに凄むダミアンに、イヴは毅然と言い返す。

 この頃には、雲行きが怪しいことに周囲も気づき始めていた。

 リサとヴェロニカの騒動の時と同様に、多くの人々が何事かと足を止めているが、すっかり頭に血が上ったダミアンには見えていないらしい。


「済ました顔をして……俺をばかにしているのかっ!」


 そう叫んでいきなりイヴの胸ぐらを掴んだ彼に、人々はぎょっとした。

 もちろん、掴まれたイヴ本人も然りである。


「悪評をばら撒いて、ここで商売できないようにしてやってもいいんだぞっ! こんなちっぽけな店、簡単に潰して――」


 さらに続いた怒鳴り声に、さすがに止めようとした者達が駆け寄ってくる気配があったが――




「貴様――その手、よほどいらんと見える」




 突如、ダミアンの手を凄まじい衝撃が襲った。

 さらには次の瞬間――ダンッと大きな音を響かせて、彼の身体が仰向けに廊下に転がる。

 イヴからダミアンを引き剥がした手が、彼の胸ぐらを掴んで問答無用で引き倒したのだ。

 受け身も取れないまま固い床に背中を叩きつけられたダミアンは、一瞬息を詰めたものの、すぐさま目を吊り上げて抗議の声を上げようとする。

 ところが……


「ひっ……」


 獰猛そうな金色の目とかち合い――さらには、相手が何者なのかを知って、喉の奥で悲鳴を上げた。


「悪評をばらまくだと? カフェ・フォルコに魅せられた者は多いぞ? この私のようにな? 貴様の戯言に誰が耳を貸すと思っている? 寝言は寝て言え?」

「で、殿下……ウィリアム王子殿下……」


 ダミアンも、知らないわけではなかった。

 何しろ、アンドルフ王国の王宮では有名な話なのだ。

 今をときめく第一王子殿下が『カフェ・フォルコ』贔屓で、それを切り盛りする店長代理の少女を殊更大事にしているということは。

 それを、ダミアンはこの時失念してしまっていた。

 長年付き合った恋人と浮気相手に同時にふられた衝撃から冷静さを欠いたのだろう。自業自得以外のなにものでもない。

 とはいえ、彼が己の過ちに気づいて蒼白となったのも、束の間のことだった。


「はわわわ、で、殿下っ!? その、お姿は……!!」


 ダミアンの顔が、たちまち薔薇色になる。

 キツネ族とヤマネコ族の先祖返りと二股してまで付き合っていたことからもわかるように、彼は獣人に、もっと言うと先祖返りのフサフサの獣の耳に目がなかった。

 そうして、イヴに乱暴な真似をされて、怒髪天を衝く様相で駆け付けたウィリアムの頭の上にも、この時――フサフサのオオカミの耳が立っていたのだ。


「殿下のお耳! なんとお美しい……っ!!」

「いや、黙れ」


 ウィリアムは、床に転がったままうっとりと見上げてくるダミアンを心底嫌そうな顔で突き放す。


「そうです、黙ってください! ウィリアム様は〝かわいい〟んですよ! しかも、世界一です! 異論は認められませんっ!!」

「うん、イヴもちょっと落ち着こうか?」


 カウンターから身を乗り出して口を挟んだイヴには遠い目をした。

 もちろん、そんな光景を通りかかった多くの人々が見守っている。

 あらあら、殿下。頑張って、と実に微笑ましく。

 やがて、深々とため息を吐いたウィリアムは、背後に向かって顎をしゃくった。

 

「ダミアン・コナー。女性相手に乱暴を働いた上、脅迫するなど言語道断。恥を知れ。今宵一晩、留置所で己の行いを反省してくるんだな。――オズ、連れて行ってくれ」

「御意」


 ウィリアムから用命を受けた衛兵は、先日イヴの伝言を介して想い人とのすれ違いを解消したオズ・ウィンガーだ。

 彼は晴れて恋仲となった侍女のニコル・ハイドンと同棲を始めている。

 ニコルとともに縁談を断りに行った足でハイドン家を訪ね、彼女の父親から鉄拳を食らって二人とも追い出されたらしいが、母親の方はこっそり彼らの仲を応援してくれているという。

 さすがにしょんぼりとして連行されていくダミアンから早々に目を逸らすと、ウィリアムはイヴに向き直った。


「イヴ、びっくりしたな……大丈夫か?」

「はい……」

「今さっきの会議に出席していた大臣の一人が、午後のお茶の時間にカフェ・フォルコで一悶着あったらしいと教えてくれてな。気になって見にきて正解だった」

「はい……」

 

 なお、ウィリアムの頭の上にはフサフサの耳が飛び出たままなので、イヴの意識はそちらに釘付けである。

 キラキラしたコーヒー色の瞳に凝視されつつ、ダミアンに掴まれてよれてしまった彼女の襟元のリボンを結び直してやるウィリアムだったが、騒動の顛末を知ったとたん、再び兄役の顔になった。


「イヴ、何でもかんでも伝えればいいというものではないと言っただろう。他人の痴話喧嘩になど首を突っ込むんじゃない」

「はい、おっしゃる通りです。でも……」

「でも?」

「知らなかったとはいえ、私はヴェロニカさんへの伝言を請け負うことで浮気の片棒を担ぎ、リサさんを傷つけてしまいました」


 イヴの存在が、ダミアンの二股を成立させたともいえる。

 その結果、浮気相手にされてしまったヴェロニカもまた嫌な思いをしただろう。


「その贖罪のためにも、私には彼女達からの決別をダミアンさんに伝える義務があると思ったんです」

「私は、イヴに非があるとは微塵も思わないがな。むしろ、君を巻き込んだダミアンへの怒りが増すだけだ」

「私もダミアンさんには思うところがありますので、見事にふられてぺしゃんこになるのを目の前で見られてせいせいしました」

「そっちが本音かな?」


 とたん、ぐっと親指を突き上げたイヴを見て、ウィリアムは額に手を当てる。

 すると、イヴがしばしの逡巡の後に続けた。


「ウィリアム様、伝言がございます」

「……またか」


 どうせまた侍女達からの、笑顔くれだの手を振ってだの結婚してだのといった冗談まじりの伝言だろう。

 そう思ったウィリアムはうんざりとした顔をしかけたが……


「いつも、私を気にかけてくださり……ありがとうございます」

「……ん?」

「かっこよくて、世界一かわいくて……あの、大好き、です」

「……んん?」


 思っていたものとは違う伝言に、彼は首を傾げる。

 違うのは、それを伝えるイヴの口調もだ。

 いつもは目の前にある文章を読み上げるがごとく淡々としていて淀みがないというのに、この時はゆっくりと噛み締めるように、そして少しだけ震えた声であった。

 不思議に思って彼女を見下ろしたとたん、ウィリアムははっとする。


「イヴ……?」


 カウンターの向こうにいるイヴのまろやかな頬も、黒髪から覗く丸い耳も、長いまつ毛が影を落とす目元も、赤く色づいていたからだ。

 ぽかんとするウィリアムを少し潤んだコーヒー色の瞳でちらりと見上げ、彼女ははにかんでこう続けた。

 

「私からの伝言、でした」


 とたん、ウィリアムのフサフサの尻尾が、千切れて飛んでいってしまいそうなくらいブンブンしたのは言うまでもない。


 その場に居合わせた人々は、自然と笑顔になった。


 




『ブレンドコーヒーでさようなら』おわり




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