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ブレンドコーヒーでさようなら 2

 


「――ええっ? リサさん、酸っぱいコーヒーを飲んだんですか!?」

「そうなのよー」


 もともと紅茶派だったリサはコーヒーを飲んだことがなかったが、ダミアンが『カフェ・フォルコ』の常連だと知って興味を覚えたらしい。


「でもね、一口飲んで無理だったの。その後しばらくお腹の調子もよくなかったし、きっと私にはコーヒーが合わないんだと思ったのよね。それが、ちょうど半年くらい前のことかな」

「私がダミアンと付き合い始めた頃ね」


 リサが『カフェ・フォルコ』に縁がなかったのは、最初に飲んだコーヒーが口に合わなかったせいだという。

 しかし、よくよく話を聞くと飲んだのは自宅で、豆こそ『カフェ・フォルコ』のものだが、実際にそれを淹れたのはダミアンだった。

 ダミアンが、ただ単に通ぶりたくて自分で淹れて失敗しただけなのか。

 それとも、ヴェロニカへの伝言板代わりに利用していた『カフェ・フォルコ』に近付けさせないため、わざとリサにまずいコーヒーを飲ませたのかはわからないが……


「わざとのような気がしてきたわ。狡猾だもの、あの男」

「私もそんな気がする。ドン引きよね」


 侍女達が苦虫を噛み潰したような顔でそう吐き捨てる中……


「あんなに……あんなに、挽いた豆はすぐに飲んでくださいって言ったのに! しかも、あろうことか古いコーヒーを初めての人に飲ませるだなんてっ!!」


 ダミアンのコーヒーの扱いに、イヴは怒り心頭である。

 挽いたコーヒー豆は時間が立つほど味も風味も劣化してしまう。

 リサが酸っぱいと感じたのは、酸化が進んでしまっていたからだろう。

 酸化したコーヒーは胃に負担をかけ、お腹を壊す原因にもなりうるのだ。


「あらー、いつもニコニコしているイヴちゃんのそんな顔、珍しいわね」

「やだ、この子可愛い……推せるわ。前にここで見かけたのは、全然愛想のない男だったのに」

「この子とウィリアム様がセットだと、もっと可愛いのよ?」

「えっ、見たい見たい! 私もここに通おうかしら?」


 ちなみに、リサが見た全然愛想のない男というのは、おそらくイヴの前に店を切り盛りしていた兄オリバーだろう。

 兄に愛想がないのは事実なので、特に反論もないイヴが出来上がったブレンドコーヒーを差し出すと、それを受け取ったヴェロニカがぱっと顔を輝かせた。


「そうだ! ねえ、あなた。一杯奢るから飲んでみなさいよ。あんな男のせいでコーヒー嫌いになったんだとしたら、もったいないわ」


 彼女はそう言うと、リサの返事も待たずに銀貨を一枚料金箱に落とした。


「イヴちゃん、腕の見せどころよ。コーヒーの名誉を回復してちょうだい!」

「かしこまりました。誠心誠意努めさせていただきます」


 ヴェロニカに発破をかけられて、イヴも俄然張り切る。

 酸化したコーヒーを飲まされたリサは酸味にトラウマがあるようなので、それを抑えたものがいいだろう。

 コーヒー豆とはそもそもコーヒーチェリーの種子であるため、本来の酸味は果実由来のものある。豆の劣化による酸味とはまったく別ものであり、コーヒーが持つ基本の味の一つではあるが……


「焙煎の時間を長くすることで酸を熱で分解し、酸味を控えめにすることができます。ただし、深煎りだと苦味も増しますので、今回は中煎りから中深煎りした豆を使いましょう」

「私、紅茶はいつもミルクを入れて飲むんだけど」

「でしたら、コーヒーもミルクを入れておいしく飲んでいただけるものにしますね。豆は、苦味と酸味が控えめなものに、香りとコクが豊かなものをブレンドして……」

「いつも深く考えないで飲んでいたけど……こうして見てみると、コーヒーってなんだか化学実験みたいねぇ?」


 リサとヴェロニカは仲良く並んでカウンターに頬杖を突き、フサフサの三角の耳をピンと立ててイヴの仕事ぶりを眺めていた。

 ついさっき、一人の男を巡って取っ組み合いをしかけたなんて嘘のようだ。

 イヴがブレンドした粉にお湯を注ぐと、彼女達は揃って鼻をヒクヒクさせた。


「お待たせしました、ブレンドコーヒーでございます」


 やがて出来上がったミルク入りのブレンドコーヒーを、リサがおそるおそる手にとった。

 イヴとヴェロニカが固唾を呑んで見守る中、そっとカップに口をつけ……


「――わっ、おいしい! うそ……前のと全然違うわ! 香りもすごくいい!」

「でしょう!」


 とたん、ぱっと顔を輝かせる。

 ヴェロニカはさもあらんと頷き、イヴはほっと胸を撫で下ろした。

 それから、ゆっくりとコーヒーを味わったリサは、感慨深げなため息をついて言う。


「危なかった……私、浮気男のせいで人生損するところだったわ」


 もはや名前さえ呼んでもらえないダミアンに、イヴもヴェロニカも同情してやるつもりはなかった。

 やがて、ブレンドコーヒーが入っていたカップが二つ、空になる。

 それをカウンターに戻したリサとヴェロニカは、何やら目と目で会話をしたかと思ったら、二人してイヴに向き直った。


「伝言、お願いできるかしら?」

「私達二人の、連名で――」








「あなたのような不誠実な人とはこれ以上お付き合いするはできません。さようなら」


 間もなく閉店時刻となる十七時を迎えようとした頃。

 ふらりと『カフェ・フォルコ』を訪れた男は、にっこりと微笑んだイヴから開口一番飛び出した言葉に固まった。


「えっと……な、何? どういうこと、かな……?」


 顔を引き攣らせて問う男、ダミアン・コナーに、イヴはニコニコしたまま続ける。


「伝言です。ヴェロニカ・リュンクスさんと――リサ・ウルペースさんのお二人から」

「い、いや、なんでっ……そもそも、リサがここに来るはずはないんだ! だって彼女、コーヒー嫌いなはずだし……」

「そのことですが――酸化したコーヒーをリサさんに飲ませましたね? 我が家の家訓に則り、ダミアンさんには二度とコーヒー豆をお売りできませんが、あしからず」

「はぁ!?」


 代々コーヒー狂が当主を務めてきたフォルコ家には、コーヒーを粗末に扱った者は末代まで許すな、という非常に偏った家訓がある。

 イヴとしては、すでに対価を支払って手に入れたものをどう扱おうが個人の自由だとは思うのだが、しかし精魂込めて拵えたものを粗末にされればいい気がしないのも事実だ。

 これが父や兄ならば、問答無用でダミアンを出入り禁止にしていただろう。

 そのダミアンは、金色の髪をぐしゃぐしゃとかき回して、なんで、どうして、とブツブツ言っている。

 美人侍女二人を恋人にしただけあって、金髪碧眼のなかなかの美形だが、あいにくウィリアムを見慣れているイヴは何の感慨も覚えなかった。

 いや、笑顔の下で、ざまぁ! くらいは思ってはいるが。

 それに気づいたわけでもないだろうが、ふいに顔を上げたダミアンの血走った目が彼女を捕らえた。


「――まさか、君がばらしたのか?」




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