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新しいコーヒーを召し上がれ 7


「――王宮から出ていけっ!!」


 突然響き渡った罵声に、人々はぎょっとして立ち止まった。


 十時、王宮一階大階段脇。

 一時間前に開店した『カフェ・フォルコ』には、本日も店長代理のイヴが立っていた。

 この前日、一月ぶりに帰国した店長オリバーは、旅先で手配していた荷が届いたために席を外している。

 荷の中身は、言わずと知れたコーヒーの豆――アンドルフ王国の要人達の試飲を経て、期間限定で『カフェ・フォルコ』の品書きに加わることになった、新しい品種だ。


「お待たせしました。シナモンコーヒーでございます」


 湯気を立てるカップをカウンターに置いて二歩後ろに下がったイヴは、罵声が聞こえた王宮の玄関に目を遣る。

 カップの中身は、豆と一緒にシナモンを挽いて淹れたコーヒーで、注文者はイヴが離れたのを確認してからそれを手に取った。


「なんだ、あれ。騒がしいな……」


 カップに口をつけつつ、イヴの視線の先を訝しげに見るのは金髪碧眼の優男、ダミアン・コナー。

 二股騒動にイヴを巻き込んだ末、彼女の胸ぐらを掴んだところをウィリアムに見咎められ、一晩留置所に放り込まれた、あのダミアンだ。

 その後、一連の関係者に真摯に謝罪したことでひとまずはお咎めなしとなったものの、ウィリアムからはイヴに手が届く距離まで近づかないよう言い渡されている。

 それでも、週に三度は『カフェ・フォルコ』に顔を出すのは、彼が純粋にイヴの淹れるコーヒーを気に入っているからだ。

 この日もウィリアムの命に従って、イヴからは距離をとりつつをシナモンコーヒーを堪能していたダミアンだが、なおも続いた罵声にそれを吹き出しかけた。


「そこの小娘! 聞いているのか! おい、お前だ――イヴ・フォルコ!!」

「――げほっ……イ、イヴさんに言ってたのか!? って、あれ、まさか……」

「その、まさかですね――メイソン公爵閣下です」


 王宮一階正面玄関は、この時騒然となっていた。

 今朝早く、議席剥奪の通達を受けたメイソン公爵が、それを不服として押しかけてきたのだ。

 とはいえ、これは想定の範囲内。

 玄関を守る衛兵が集まって、彼の侵入を阻止していた。

 メイソン公爵が城に入ることを制限する理由はないが、彼は国王陛下から『カフェ・フォルコ』への接近禁止を申し渡されているため、店からほど近い場所にある正面玄関は利用できないのだ。

 また、ウィリアムが直々に手配した信頼のおける衛兵――いつぞやイヴが侍女との仲を取り持ったオズ・ウィンガーも、『カフェ・フォルコ』の側で警備に当たっている。

 玄関にはすでに何人もの衛兵がいるため、オズの出番はないかと思われたが……


「ダミアンさん、ほら、モフモフですよ。お好きでしょう?」

「いや……あれは、ちょっと……」


 実は、現メイソン公爵もオオカミの耳と尻尾を持つ先祖返りだ。

 ただでさえ常人より力が強い上、獣の耳が大好きなダミアンでも食指が動かないような、筋骨隆々とした恵まれた体格をしている。

 そのせいで、心なしか衛兵達も押され気味だった。


「あいつのような、どこの馬の骨とも知れない女の子供を王宮でのさばらせておいて、由緒正しきメイソン家を排除しようなどと――いったいどういう了見だっ!!」

「ち、父上っ……どうか、落ち着いてください! これ以上問題を起こしてはっ……」

「黙れ! この、できそこないが! 後継のお前がそのように気弱だから、舐められるんだっ!!」

「……っ」


 一方、メイソン公爵に罵声を浴びせられつつも、衛兵と一緒に彼を止めようとしている身なりのいい男性は、本妻が産んだ長男エリアス・メイソン――ルーシアの腹違いの長兄だ。

 父親に似ず優しげな面立ちの男だが、あいにくオオカミ族の特徴を持ってはいない。

 偏った考えに縛られるメイソン公爵家において、嫡子にもかかわらず彼がどれほどの辛酸を舐めさせられているのかと思うと、直接親交のないイヴでさえ胸が痛んだ。

 埒が明かないと判断したのか、衛兵の一人が上役に知らせようと大階段を駆け上がっていく。


「イヴさん、カウンターの中にいてくださいね」


 見かねたオズがそう言いおいて、メイソン公爵を阻止する同僚を加勢しに行った。

 いやはや、大変だなぁ、なんて他人事のように呟きながら、優雅にシナモンコーヒーを飲んでいたダミアンは、次の瞬間ぎょっとする。

 オズの忠告にもかかわらず、イヴがカウンターの外に出てきたからだ。

 

「ちょっ、ちょっと? ちょっとちょっと!? 何を……」

「公爵閣下は私に御用のようですので、お話ししてまいります」

「えっ!? いやいやいや! 危ないよ! だめだって!」

「飲み終わったカップはカウンターに置いておいてくださいね」


 イヴを引き止めようにも、触れるどころか近づけないダミアンはおろおろするばかり。

 その間に、イヴはエプロンドレスもヘッドドレスも付けたまま、とことこと玄関の方へ歩いていってしまった。

 そうして、何人もの衛兵をぶら下げた巨漢に、平然と声をかける。

 

「公爵閣下、ごきげんよう」

「なにが、ごきげんようだ! ふざけるな! どこの馬の骨とも知れない女の子供が……」

「五十回目」

「――は!? 何だがっ!!」


 衛兵達――特に、イヴの警護をウィリアムから任されたオズも、メイソン公爵家の後継エリアスも、大慌てで離れるように訴える。

 しかし、イヴは背筋を伸ばして王宮玄関に立ち塞がった。


「どこの馬の骨とも知れない女の子供、と閣下に言われた回数ですよ。さっきのが四十九回目で、今のが五十回目です」


 訝しい顔をする相手に向かい、彼女は毅然と続ける。


「最初は一歳の時。兄の王立学校の入学式でしたね。その次は、ロメリア様の二歳のお誕生日パーティー、ウィリアム様の七歳のお誕生日パーティー。それから、当店のカウンター越しに二十一回、庭で鉢合わせして十三回、馬車の窓から十回、それから――父の葬儀の時」


 記憶力がいいというのも考えもので、いい記憶も悪い記憶もイヴの中には鮮明に残っている。

 自分を罵るメイソン公爵の口調も表情も、その時の周囲の反応も、自身が覚えた気持ちも、何もかも全て。

 それを踏まえた上で、イヴは続けた。


「実は、ずっと閣下にお伝えしたいことがあったのですが――これが最後の機会になるかもしれないので、今ここでお伝えしておきますね」

「な、何を……」


 コーヒー一杯に付き伝言一件。

 思えば、人の気持ちを代弁する機会は多々あるものの、自分の言葉を誰かに伝えることは多くはない。

 いや――世界一かわいい、とウィリアムにだけは頻繁に伝えてはいるが。

 それを伝えた時の、彼の困ったような、照れくさそうな顔を思い出してしまったものだから、自然と顔が綻んでしまう。

 イヴは、笑顔のまま言った。


「どこの馬の骨とも知れない女の子供ですけど、私は結構幸せですよ?」

「なっ……?」


 思いも寄らないことだったらしく、メイソン公爵が一瞬ポカンとした顔になる。

 ピンと立ち上がった彼のオオカミ耳を、イヴは不覚にも、ちょっとかわいい、などと思ってしまった。

 彼女はそれを払拭するみたいに、こほんと一つ咳払いをする。


「確かに、私は母がどこの誰なのかを知りませんし、父も教えてくれないまま亡くなってしまいましたので、閣下が私をそうお呼びになることは否定できませんが」


 イヴはそこで一度言葉を切ると、ぐるりと周囲を見回してから続けた。


「でも、家族にも友人にも、それから今は素敵なお客様にも恵まれて、私は幸せでございます」


 この時、王宮玄関での騒ぎに足を止めた人々の中には、『カフェ・フォルコ』の常連客も大勢いた。

 彼らは、イヴの言葉に心なしか誇らしげな顔をする。

 それを目の端に捉えたイヴは勇気づけられた気分になって、メイソン公爵の厳めしい顔も真っ直ぐに見据えることができた。


「ですので、どこの馬の骨とも知れない女の子供という言葉で私を傷つけようとお考えなのでしたら、それはことごとく失敗に終わっております。ええ、今さっきのは、記念すべき五十回目の失敗――残念でございましたね?」

「な、なな……何だと……」

「――ぶふっ!」


 ここにきて、イヴの言葉にたまらず吹き出したのは、離れたところで見ていたダミアンだった。

 それに釣られたみたいに、観衆にもじわじわと笑いが広がってしまう。

 一方で、衛兵やエリアスは顔を強張らせた。

 気位の高いメイソン公爵が笑い者にされて黙っているはずがないからだ。

 案の定、彼は顔を真っ赤にして怒り出した。


「こ、この小娘が……ぬけぬけと! 私を馬鹿にしているのかっ!!」


 大きな身体を奮い立たせ、自身を押し留めていた者達の手をついに振り解く。

 そうして、まさしく獣のごとく凄まじい咆哮を上げた。


「その生意気な口をきけなくしてやる――!!」



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