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そのカフェオレはどんな味? 1

 コーヒーは、化学である。

 お湯の温度、注ぐ速さ、粉の量、豆の挽き方、焙煎時間などによって、その味は自由自在千差万別。

 そんな嗜好品が、この世に生を受けて十九年、常に彼女の側にあった。


「いいにおい……」


 ふわり、とほのかに花のような甘い香りが立ち上り、少女の慎ましい口元が綻ぶ。

 イヴ・フォルコは今、深煎りの豆を細かく挽いて、濃いめのコーヒーを淹れているところだ。

 豆は、標高が高く昼夜の寒暖差が激しい山岳地帯で採れた、苦味と酸味のバランスがよいものを選んだ。果実のような酸味とコクのあるコーヒーになるだろう。

 これを抽出している間にかまどに小鍋をかけてミルクを温めるが、決して沸騰させてはいけない。

 最後に、温めておいたカップにコーヒーとミルクを注げば完成である。


「お待たせしました。カフェオレでございます」


 明るい声でそう言って、イヴはカフェオレがなみなみと注がれたカップを木製のカウンターに置いた。

 微笑みで細まった彼女の瞳は、じっくりと淹れたコーヒーみたいな深い色をしており、カップから立ち上る香りとお似合いだ。

 オリーブ色のワンピースの上に白いエプロンドレスを重ね、艶やかな黒髪はゆるく編んでヘッドドレスを付けている。

 すると、カウンターの向こうから伸びてきた手が、カップではなくイヴの手をそっと包み込んだ。

 こちらは、金色のフサフサの毛に包まれたモフモフの手である。

 しかも、掌にはピンク色をした肉球まで付いており……


「どれだけ待たされようとも、まったく苦じゃにゃいよぉ? だってその間、可愛いイヴを堂々と眺めていられるからねぇ」


 極め付けは、砂糖をたっぷり溶かしたみたいな、甘い甘い猫撫で声。

 カフェオレを注文したのは、金色の毛並みをした大きな猫だった。

 それも、真っ白いクラバットを結び、瞳と同じ青色のジャケットとズボンを身につけた二本足で立つ猫──ネコ族の獣人である。

 イヴが店長代理を務めるコーヒー専門店『カフェ・フォルコ』は、大陸の西に位置するアンドルフ王国──その王都に聳える王宮の、一階大階段脇に店を構えていた。

 当然のことながら、店の前を大勢の人々が行き交っているのだが、誰一人ネコ族の獣人の姿に驚く様子はない。

 そんな中、長いヒゲをピクピクさせた猫紳士は、イヴが差し出すカップを覗き込んで大仰に言った。


「ところで、これは熱いんじゃにゃいかにゃあ? うんにゃ、絶対に熱いだろう! 違いにゃい!」

「さて、どうでしょう。ミルクはだいたい、六十五度を目安に温めておりますが……」

「あのねぇ、イヴ。ボクはねぇ、実を言うと猫舌でねぇ?」

「猫さんですものね。存じております」

 

 笑みを深めてうんうんと愛想よく相槌を打つイヴの顔を、猫紳士は青い目をうるうるにして覗き込む。

 彼らは、ちょうど同じくらいの背丈だった。


「ねえ、イヴ。お願いだよぉ。君のこの可愛らしい唇で、フーフーしてくれにゃいかにゃあ?」


 ところがここで、イヴの唇に触れようとしたモフモフの手を、横からガッと掴むものがあった。

 大きくて筋張った、人間の男の手である。



「──任せろ。私が代わりに、フーフーしてやろうではないか」



 ドスのきいた声でそう言って、カウンターと猫紳士の間に割り込んだ手の主は、一際上背のある若い男だった。

 銀色の前髪から覗く金色の瞳は鋭いが、猫紳士に負けず劣らず洗練された装いをしている。

 イヴは、自分を庇って立った広い背中を見上げて、コーヒー色の両目をぱちくりさせた。


「ウィリアム様……?」

「イヴ、必要以上に客の戯言に付き合うものではないぞ。こいつのように、すぐに付け上がるからな」


 ウィリアムと呼ばれた男が、顔だけイヴの方に向けて言う。

 彼は、誰もが思わず目を奪われてしまうほどの、とびきり端整な顔立ちをしていた。

 そんなウィリアムの手を、んにゃあ! と一鳴きした猫紳士が振り払う。


「ウィリアム! 相変わらず、無粋にゃこわっぱだにゃあ!」

「無粋はどっちだ。イヴの仕事の邪魔をするな──おい、そこの子猫! お探しのじじいはここだぞ! さっさと連れていけ!」


 すると今度は、廊下の向こうから一人の少年が転がるようにして駆けてくる。

 イヴと同じ年頃だろうか。子猫と呼ばれた通り、その金色の頭には三角の猫耳が付いていた。


「じーちゃん! もううっ! 目を離すとすーぐにいなくなるんだからっ!」

「徘徊じじいみたいに言わんでくれよぉ。まあったく……ウィリアムといい、孫といい、最近の若いもんは情緒というものが足りんにゃあ」

「年寄りは、すぐそうやって上から目線で語りたがる。世の人間全てが自分に合わせるべきだと思い込んでいるのは老害というものだ」


 とかなんとか、カウンターの前で男三人が言い合う。

 彼らをカウンター越しに見守るイヴの背後には、こぢんまりとしたかまどと流し台があった。

 店の横幅は大人が二人並んで立つのがやっとだが、奥行きは十分にあるようだ。

 両側の壁には一面に棚が作り付けられており、コーヒー豆が詰まったビンが整然と並ぶ。


「じーちゃん、もう帰るよ! 遅くなるとみんな心配するだろっ!」

「やだやだやだにゃあー! まだ帰りたくにゃいんだもんっ!」

「もん、てなんだ。じじいがかわいこぶるんじゃない」


 男達のやりとりを、イヴは微笑みを浮かべて眺めていた。

 しかし、ふいに自分の手元に残っていたカフェオレのカップに視線を落とすと、あの、と口を挟む。


「お取り込み中、申し訳ありませんが──マンチカン伯爵閣下、飲み頃です。これ以上冷めると、おいしくないです」

「はあーい、イヴ! ──おい、ジュニア。せっかくだから君も何か注文しろい。じーちゃんは、可愛い可愛いイヴが淹れてくれたカフェオレをじっくり味わって飲みたいんだにゃん!」

「ええー……もう、しょうがないなぁ。イヴさん、俺、前に頼んだのと同じやつ、もらえますか?」

「かしこまりました」


 猫紳士の名は、ルードリッヒ・マンチカン。

 イヴが口にした通り、彼は伯爵の地位にある。じじいもじじい──御年五百歳を超える筋金入りの猫又だ。

 猫耳が付いた少年ジュニアはその孫……ではなく、ひ孫のひ孫のそのまたひ孫の……と系譜上ではずっとずっと下にあるものの、面倒なので孫呼びされている。

 ジュニアは若草色のジャケットの胸ポケットを探って銀貨を一枚取り出すと、カウンターの上に置かれた料金箱に入れた。

 『カフェ・フォルコ』のコーヒーは一律銀貨一枚。これは、紅茶一杯と同等の値段である。

 常連のマンチカン伯爵とは違い、ジュニアが最後にコーヒーを注文したのはもう何週間も前のことだが、イヴは記憶を手繰るそぶりもなく早速カップを手にとった。

 ここでふと、彼女はカウンターの前に立つ頼もしい背中を見上げて口を開く。


「ウィリアム様も、何かお召し上がりになりますか?」

「そうだな──私も、いつものを頼む」


 ウィリアムも、ズボンのポケットから取り出した銀貨を料金箱に落とした。

 実は彼、住居も仕事場も『カフェ・フォルコ』が店を構える王宮内にあり、日に二度三度とイヴが淹れたコーヒーを飲みにくる、マンチカン伯爵以上の常連である。

 そんなウィリアムをちらちら伺いつつ、猫耳をペタンとさせたジュニアがこう申し出た。


「あのぅ、イヴさん。俺の注文は後回しにしてください。殿下をお待たせするわけには……」


 伯爵家の末っ子が恐縮するのも無理はない。

 なにしろウィリアムは、この王宮の主の長男──つまり、アンドルフ王国王子という地位にあった。

 ただし……


「無用の気遣いだ。イヴ、順番通りに提供してもらって構わない」

「かしこまりました、ウィリアム様」


『カフェ・フォルコ』には、ある特殊な事情により王家の権力が及ばない。

 客の地位にかかわらず、商品を提供するのは注文順。

 ウィリアムが王子であろうと──もしも、国王が客として訪れようと、このルールが覆されることはなかった。

 そんなわけで、先に注文を受けたジュニアの飲み物に取り掛かるイヴを、マンチカン伯爵家の二人が猫耳をピクピクさせながら眺め始める。


「ジュニア、君はどんにゃコーヒーを頼んだんだい?」

「えっと、名前は忘れたんだけど……チョコの味がする、なんだか甘くておいしいやつ」


 ジュニアが以前飲んだのは、 コーヒーにホイップクリームとチョコレートを加えたカフェモカだった。

 マンチカン伯爵のカフェオレよりもさらに濃いめのコーヒーを抽出している間に、イヴは生クリームを泡立てる。温めたカップにチョコレートシロップ、コーヒー、カップ全体を覆うようにホイップクリームを乗せ、最後にナイフで削ったチョコレートを飾れば完成だ。

 ウィリアムはカウンターに頬杖を突いて、イヴの仕事ぶりを見守っている。

 そんな彼を、ようやくカフェオレのカップに口を近づけながらマンチカン伯爵が鼻で笑った。


「ふん……こわっぱのくせに、おとーちゃんみたいな顔しやがって」


 しかし、カフェオレを口に含んだとたん──青い瞳はキラキラ、ヒゲはピンピン。


「うーん、うまぁい! おいしいよぉ、イヴ! 親父さんに負けないくらい、おいしく淹れられるようになったねぇ!」

「恐れ入ります」


 仕事を褒められ、まろやかな頬を色付かせて殊更嬉しそうな顔をするイヴに、彼女を見守るウィリアムの眼差しが蕩けた。

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