第6話 辺境伯の放蕩息子
朝焼けが街を染めて、新しい一日が始まる。
野盗に襲われていた村の問題を解決して、さらにいくつか見逃せない状況を片付けていたらいつの間にか朝になっていた。
「さすがに……眠い」
『ニャア』
人目に付かない所で黒いフードを脱ぎ、収納空間に仕舞いこむ。
アルフが自宅の門を潜った所で、朝の支度をしていた侍女のマーサに見つかってしまった。
「また朝帰りですか!? 坊ちゃん!」
「ちょ、声が大きいよマーサ」
気配察知の魔法を使っておけば誰にも見つからずに戻れたのだが。
それを忘れてしまうくらいには疲労していた。
「まったく遊び歩くのも程々になさって下さいな。街の人たちが坊ちゃんのことを何て呼んでいるのか知っていますか! 放蕩息子だの、遊び人だの、仕事もせずに寝てばかりいる怠け者だの……もう、悔しいったら!」
「お、落ち着いて。それは……確かに否定出来ないし」
「これが落ち着いていられますか! 辺境伯の御子息である坊ちゃんに対して、暴言の数々!」
顔を真っ赤にして怒りを隠さず怒るマーサに対し、まぁまぁと手でなだめる。
乳母でもあったマーサが息子のように思ってくれていることは知っている。
けれども世間に自分の力が広がって欲しくないと考えているアルフにとっては、都合の良い呼ばれ方でもあった。
『ニャア』
まだ小言を続けそうにしていたマーサの足元で、黒猫がひと鳴きする。
すると幾分興奮が和らいだマーサが視線を下に向けた。
右前足をペロペロと舐めた黒猫はついでとばかりに顔を洗うように動かしている。
「おや? ドロシーもいたのかい」
「うん。おなかが減っているようだから食事を頼むね」
「わかりましたよ。朝食を準備しますから、坊ちゃんも顔を洗ってきて下さいな。それと着ていた服も洗いますから、着替えて下さいよ」
「はいはい。もう僕だって子どもじゃないよ。身支度ぐらい出来るさ」
「どうですかねぇ? 旦那様も心配していましたよ」
「父さんが?」
「ええ。視察から戻られていますよ。坊ちゃんのお出かけとすれ違いでしたね」
「そっか。やっぱり聞かれるのかな?」
「聞かれるでしょうね」
あえて、何がとは言わないが。
辺境伯として領地を治めているアルフの父親は、不作が続いていて税金を減らして欲しいという要望が出ていた西の領地へ視察に出向いていた。
帰宅したということは本日の朝食では父親とも顔を合わせることになる。
アルフは足取り重く、眠い目をこすりながら洗面場へと向かったのだった。
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「おはようございます。母さん」
「おはようアルフ。随分と覇気の無い顔ね」
「ほっといて下さい」
食堂へ入ると、すでに母親がダイニングテーブルに座っていた。
優雅な仕草で侍女の入れたお茶を飲んでいる。
アルフが着席すると、微笑みながら話しかけてくる。
「連日の朝帰りだそうね? マーサが嘆いていたわよ」
「お耳の早いことで」
「若いとは言え、あんまり無理しちゃだめよ。身体は大切にしなさいね」
「気をつけます。父さんはまだですか? 戻られていると聞きましたが」
「ダーリンもすぐに来るはずよ」
母親は父親のことをダーリンと呼んでいる。
小さい頃から息子の前でも堂々と惚気る両親には慣れているのだが、つい何ともいえない顔になってしまう。
目の前に置かれたお茶を飲みながら待っていると、足音が聞こえてきた。
「待たせたなハニー! おお、今朝も美しいな。女神が座っているかと思ったぞ!」
「おはようございます。ダーリン」
そう言ってしばし見つめ合う二人。父親は母をハニーと呼んでいる。
結婚してから二十年以上経過しているというのに、バカップルかと言わんばかりの惚気を朝から見せつけてくる。
いつもは執事がいるのだが、今朝は用事でも言いつけられているのか侍女の姿しか見えない。
見つめ合い続ける両親に、メイドが朝食を出すタイミングが掴めずに困っているのを見て取ったアルフは少し大きめな咳払いをした。
「なんだアルフもいたのか」
「……いますよ。おはようございます、父さん。視察お疲れ様です」
「うむ。家での朝食も久しぶりだな。早速いただくとしよう」
困っていた侍女が目視で礼をしてきたので、アルフは軽くうなずく。
朝食のサラダを食べ始めた所で、予想通り父親から質問される。
「さてアルフ。嫁候補は連れ帰ってきたか?」
「そんな猫を拾うみたいな感覚で連れてきませんよ!」
「何だ? 遊び歩いているのにまだ誰も惚れさせていないのか。もっと魅力を磨け」
「……うっ。どうせ僕には魅力がないですよ」
「そんなに責めないでダーリン。アルフだって頑張っているのよ」
「しかしなぁ。留学から帰ってきてから、もう半年は経つというのに候補もいないとは。そもそも学生時代に恋人を作らないとは、どう言う事だ」
「うっ。それだけ真面目に勉学に励んでいただけです」
「怠けて呆れられて、彼女も作れなかったのではあるまいな?」
やはり今日もこの話になったかとアルフは顔をしかめた。
次期辺境伯ではあるのだが、貴族の娘というのはすでに幼少期から婚約者が決まっていたりする。
その時点でだいぶ出遅れているのだ。
今更のこのこと出向いて結婚して下さい、僕に惚れて下さいなどと言ってもかなり厳しい。
美味しいはずの朝食もこの話題が続いていては、あまり味が感じられない。
「ローラさんはどうなの? アルフ。昨日は一緒にお茶していたのでしょう」
「え? ローラは……」
どうなのだろう。
幼なじみとして近くにいるのが当たり前過ぎて、アルフにとっては妹のような感覚だった。
ローラはどう思っているのだろう。
聞いたこともなかった。
灯台下暗しというか、今度会ったときに聞いてみようなどとアルフが考えていると父親が確認してくる。
「ローラというと、ローラ・ド・オリオール嬢のことかな? ハニー」
「そうよダーリン。小さい頃からアルフと仲良くしているでしょう」
「うむ。しかしオリオール家の娘は確か王都に婚約者がいるのではなかったかな」
「まぁ、そうでしたの? それは残念ね」
「え?」
両親の会話にアルフのフォークを動かす手が止まる。
ローラにだってすでに婚約者が決まっていたっておかしくはない。
確かにそうなのだが、その事実に何だか心が沈んでいくような心持ちだった。
「ご馳走様」
「あらあら。若者はもっとしっかり食べないと」
「ごめん、眠くてあんまり食べられないや。先に部屋へ戻るよ」
すっと目の前が暗くなったように感じたアルフは、ふて寝したい気持ちになっていた。
部屋へ向かうアルフの横を黒猫のドロシーがトコトコと着いていく。