第4話 血生臭いのは苦手です
北西の森に転移した時には、すでに日が暮れて真っ暗になっていた。
視界で探すのは早々に諦め、再び額に手をあてながら魔法で周囲を探る。
森に住む様々な生き物の気配が感じられる。
森の入り口から少しずつ範囲を広げて行ったアルフは目的の気配を見つけると舌打ちした。
「ちっ……まずいな。すでに魔物に襲われている」
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森の奥深くには魔物が棲んでいる。
危険だから近づいては駄目だと何度も両親から注意されていた。
でも父親は狩人だ。
自分もいつかは獲物を捕らえて家族に感謝されたいと願っていた。
十才になったばかりの少年は、プレゼントして貰った弓矢を使うのを心待ちにしていたのだ。
でも父親や兄は、まだ早いと言うばかりで一緒に森へと連れて行ってはくれなかった。
今日は森に入るチャンスだった。
父親と兄は、街へ肉や皮を売りに行っていていないのだから。
母親は肉を煮込んでいて、かまどの前から動けないようだった。
大切な弓をぎゅっと握りしめて家の外に出ると、駆け足で森へと向かった。
初めて入った森には様々な動物がいて、夢中になって珍しく綺麗な小鳥を追いかけた。
そして、いつしか帰る路が分からなくなっていた。
「まさか……こんな事になるなんて」
持っていた矢はすでに尽きた。
目の前には自分と変わらない大きさの魔獣が数頭牙を剥いている。
周囲からも唸り声が聞こえており、囲まれているらしい。
今自分は狩る側から、狩られる側になっていたのだった。
危険を教えてくれていた両親の言葉を守っていたなら。
一人では無くて父や兄と一緒だったならばと、様々な後悔が男の子の頭に浮かぶ。
「あ、あ……あぁ……」
恐怖から涙がこぼれ、言葉にならない声を口にする。
どんなに反省してもすでに遅かった。
もう逃げ切れない、このまま魔獣に食い散らかされてしまうだろう。
魔獣は遊ぶように徐々に距離を詰めてくる。
「ひっ……だ、誰か!」
逃げ道を群れの近くに誘導された。
こんな暗闇に満ちた森の奥に誰もいないことは分かっていた。
それでも叫ばずにはいられなかった。
「誰か助けて!!」
――グルルルルルッ!
その声を挑発と受け取った魔獣がうなりながら飛びかかってくる。
思わず目を閉じた少年だったが、予想していた痛みはない。
顔をかばう腕を外して恐る恐る目を開ける。
目の前には黒いローブを着た人物の背中があった。
「え……誰……?」
「通りすがりの魔道士だよ」
返事があるとは期待していなかったが、ローブの人物は律儀に答えてくれた。
暗くてよく見えないが魔道士と名乗った人物の足下には、先ほどまで自分を狙っていた魔獣が倒れていた。
「倒したの?」
「眠らせただけさ。血を見るのは好きじゃ無くてね」
「眠らせたって……もしかして眠りの魔道士様!?」
その言葉には無言だったが、それは肯定しているようなものだった。
噂話が大きくなった架空の人物だと思われていた人が目の前に居る。
まるで夢を見ているようだった。
「歩けるかい?」
「たぶんゆっくりなら。逃げるときに転んで……右足が痛くて」
「怖かっただろう。森の入り口まで送るよ。僕の背中につかまって」
そう言って黒いローブを着た魔道士は少年の近くにかがむ。
背負ってもらうことに、少し戸惑っていたが居場所が分からない少年には自力で帰る路も分からず、かと言って朝が来るまで留まることも怖くて出来ない。
結局、弓を背負って魔道士の背中にしがみついた。
「……くぅ……くぅ」
極限の恐怖から解放され安心したのだろう。
いつのまにか少年は寝息を立てて眠ってしまった。
「……ん」
目を覚ました時には、森の入り口で家族に囲まれていた。
家族にはとても心配を掛けてしまった。
母親に抱きつかれながら泣かれてしまう。
頭を撫でながら身体の様子を確かめてくる。
「本当に心配したのよ! ケガは……痛いところは無いの?」
「足が……あれ? 大丈夫みたい」
痛かったような気がするのだが、立ち上がって見ると何も問題なかった。
その場で軽くジャンプしても平気だった。
背にある弓を見た兄も話しかける。
「こんな所で寝ているなんて、将来は大物だな」
「……ここは……森の入り口?」
「寝ぼけているのか? まさかお前、一人で森に入ろうとしたのか」
「ごめんなさい。僕も狩りをしてみたくて……森の中で迷子になっていたんだ」
「森の中に入ったのか!?」
「生きていてくれてよかったよ。下手したら死んでいたぞ!?」
「うん。危ないところを眠りの魔道士様に助けてもらったんだ」
その言葉に家族が互いに顔を見合わせる。
少年の言葉に最初に反応したのはまたもや兄だった。
「まさか眠りの魔道士様に会ったって言うのか?」
「うん」
「夢でも見たんじゃ無いのか」
「ううん。一瞬で魔獣を眠らせて、僕を助けてくれたんだ」
「魔獣だって!? そんなに森の奥深くまで入ったのかお前は!?」
「ごめんなさい」
ずっと無言で怒り顔だった父親が、驚いたように叫ぶ。
森の入り口近くで迷子になっていたと思っていた息子。
実際は、魔獣が出るほど森の奥深くにまで入っていた。
その事実に冷や汗が流れ落ちる。
「魔獣に出会って無事だったなんて信じられん。本当に魔道士様がいたと!?」
「本当だよ。ここまで背負ってくれたんだ!」
「何てことだ。幸運に感謝しないといけないな」
「あ! 僕、助けてもらったのにお礼を言えてなかった」
少年は森に向かって、大きな声で感謝の言葉を伝えた。
「眠りの魔道士様! 助けてくれてありがとう!」