第268話 まさか
「砲撃、止めっ!」
部隊長の命令により、鳴り響いていた衝撃音がピタリと止まる。
「見ろ! 魔法障壁に守られた公爵家の屋根が崩れているぞ!」
「さすがは翼竜の鱗を傷つける新式魔導砲の威力だ」
「これなら堅牢な大聖堂の障壁も壊せるに違いない!」
「聖騎士団を相手にしても戦えるな」
興奮気味に話す兵に対し、使用人たちは不安な表情で状況を見守る。
昨夜は魔獣が中庭にまで潜り込み、今朝は竜の襲撃を受けた。
さらには国軍の砲撃によって本邸が破壊されてしまったのだから。
「フローラ殿下の生誕祭なのに。一体何が起こっているのかしら」
「恐ろしい武器。大聖堂での戦いが起こる前に逃げないと」
「どうか女神様のご加護を」
皆一様に胸の前で手を合わせ、事態が収束することを祈り始めた。
そんな様子を流し見ながら部隊長は近くの狙撃兵に尋ねる。
「やったか?」
標的の動向をスコープで確認していた狙撃兵は、姿勢を正して首を振った。
「いいえ。屋根の崩落には巻き込まれていますが、全魔弾、躱されました」
「馬鹿な!? 照準は完璧に定まっていたはず! その全てを躱しただと!?」
「弾道を見切られています。相当な手練れであることは間違いありません」
「くっ、厄介な!」
重傷を負わせて即座に捕らえるはずが、このままでは逃しかねない。
不審者の実力を知った部隊長の顔が歪む。
「公爵家の襲撃者捕縛は後回しにして、本来の任務に移るべきでは」
作戦の参謀も務める副隊長の進言を受けて、部隊長は考える。
国内外から多くの来賓が王都に滞在している。
取り逃がせば大聖堂制圧の任務中に、要人を狙われてしまう可能性もある。
「人質を取られでもすれば、部隊は思うように動けなくなってしまう」
「ではこちらの捕縛を優先しますか」
「王城から近衛本隊が到着する前に見つけ出して、捕縛する!」
部隊長の判断によって、次々と現場に指示が飛び交う。
「まだ屋敷内に潜伏しているはずだ。索敵魔法が使える魔導士兵を呼べ!」
「ハッ!」
公爵家の執事から屋敷の見取り図を借りて兵を配備していく。
そんな中、見回りの衛兵から連絡が入る。
「部隊長。ブロシャール辺境伯が門前にお越しです」
「なぜ辺境伯がここへ?」
「国防大臣と旧知の仲だそうで、状況を心配されていました」
「報告によれば竜との戦闘経験があるそうだな」
「おひとりで、同時に三体もの竜を相手にして生還されています」
討伐遠征に参加していた兵が、ありのままを伝えていく。
「聞きしに勝る猛者ではないか! 是非、ご助力を仰ぐとしよう」
「急ぎ、呼んで参ります!」
それからすぐに辺境伯が馬で駆けつけ、中庭へと降り立った。
一人ではなく、後方には屈強な辺境騎士団も連れている。
願ってもない助っ人の登場だった。
「困りごとがあるならば、辺境の騎士団も手を貸そう」
「感謝を申し上げます。ブロシャール辺境伯」
軽く挨拶を交わして本題へと入る。
「解任された大司教を捕縛する途中に出くわした、竜の襲撃です」
「我々も遠目に姿を目撃した。王都に張られた聖結界を通り抜けるとはな」
「襲撃した竜は屋敷を包囲中に忽然と消えました」
「魔法を使う竜もいると聞く。姿を変えて身を隠したのかもしれん」
「屋根の上に全身を黒のローブで覆い隠した不審者を発見しています」
「その者が何らかの事情を知っていそうだな」
「竜を使役している者と判断し、魔導砲を撃ち込んだのですが……」
屋根の崩落に巻き込まれて姿を見失ってしまった。
現在、屋敷内に潜伏しているので捕らえるべく包囲している。
そんな情報のすり合わせをしていると、狙撃兵の一人が遠慮がちに発言する。
「あの……部隊長。お耳に入れておきたいことがあります」
「どうした」
「標的の近くには二匹の猫がいました」
「ん?」
確かに違和感はある。しかし屋根の上へ猫が登ることはある。
何が重要なのだろうかと部隊長は首を傾ける。
「その猫たちを砲弾の衝撃から庇うように抱えて、落下しています」
「はっ!? あの状況下で猫を気に掛け、さらに助けただと!?」
「その優しさがどうにも悪人だとは思えなくて」
「待て! 襲撃が悪くないとでも言うつもりか!?」
「いえ、そうではなく……」
部隊長に非難された狙撃兵は、唇を噛みしめて口をつぐんでしまう。
泣きつくような視線を受けて察したブロシャール卿が、会話を引き継ぐ。
「なるほど。.黒いローブ姿と猫と言えば」
「何か心当たりでも?」
「部隊長殿は『眠りの魔導士』の噂を耳にしたことはないか」
まさか。
そう呟き、部隊長が狙撃兵へと目を向けると、肯定するようにうなずいた。
「……っ」
最悪の展開を思い浮かべて部隊長は青ざめていく。
ベルジェ王国を救ったと噂されている正体不明の魔導士。
王都を覆う聖結界は間違いなく人々を脅威から護り、窮地から救った。
そんな英雄に対して軍が砲撃したのだとしたら。
砲撃に腹を立てて王都の聖結界を解除されでもしたら。
それどころか、敵対して謀反に加担されてしまったら。
部隊長の命だけでは償いきれない失態だ。
「もちろん姿を模倣した偽物の可能性もあるが」
「……偽物! そうです。きっと偽物でしょう!」
偽物であって欲しい。そうであれば何の問題も無い。
部隊長が自分自身に言い聞かせていると――。
「きゃああああ!」
「た、助けてくれ! 誰か!」
突然、悲鳴や助けを求める叫び声が聞こえてきた。
■■■
一方、屋敷内の書斎ではドロシーが包囲の状況を知らせていた。
『ご主人様。どの出入り口にも魔導砲を持った兵が配備されています』
「袋のネズミか。隠し通路探しでもしようかな」
国防大臣の屋敷ならば、どこかに外へ通じる抜け道を用意しているはず。
そう考えたアルフは腕を組んで部屋を見渡す。
「この辺が怪しいと思うんだけど……」
壁を叩いて音の違いを確認していると、セオが不思議そうに問う。
『転移魔法を使わぬのか?』
「魔力不足で倒れそうなんだよね」
『無理して消滅結界や広範囲の修復魔法まで使うからです!』
うっかり体調不良を呟くと、ドロシーの怒りが再燃してしまった。
『ふむ。そう言うことならば、戦利品の中に魔力を回復する宝珠があるぞ』
「えっ? 何それ」
『魔力が溜め込まれた竜角の欠片だ』
「へー。魔力結晶みたいな感じか」
『竜角ならばポンコツの角でも良いのでは』
『馬鹿者! 無理に折ったら痛いのだぞ!』
頭頂部を毟ろうとするドロシーからセオが飛び退く。
『普通の人間には扱えぬ竜の至宝だが、主ならば問題あるまい』
「えっ? 僕って普通の人間じゃないの?」
『フハハハハハ! 普通であるはずがなかろう! フハハハハハハ!』
「笑うところ!?」
魔力が回復する便利なアイテムがあるなら、使わない手は無い。
セオから特徴を聞いて収納空間にある宝箱から宝珠を取り出す。
想像していたものよりは小さく、掌に収まる。
雫の形をした透明の塊が虹色の光りを放っている。
「どうやって使うの?」
『簡単だ。触れていれば失われた魔力を回復させる』
「……心地良くて、このまま寝ちゃいそう」
『やはり馴染むようだな』
眠気に抗っていると、セオが目を細めながらうなずく。
「触れるだけなら誰にでも使えそうな気がするけど」
『魔力容量の小さな人間が持てば壊れるぞ』
「えっ? この宝珠って壊れちゃうの」
『フハハハッ! もちろん壊れるのは人間のほうだ』
「だから笑うところ!?」
便利だと思いきや、かなり危険な代物だったらしい。
『ポンコツ! ご主人様に何を持たせるのですか! ポンコツ!』
『二度も言うでない。主ならば問題無いと言ったであろうが!』
『危険性は事前に説明すべきです。人間は身体が壊れたら死ぬのですよ!』
『エルが使えたのだ。主に扱えぬはずがない』
『……エルとは誰のことです』
『ふん! エルフの王女を知らぬのか。博識が聞いて呆れるぞ』
『エルタリア王女のことならば知っています』
『ほう?』
『ポンコツとの関係や、エルと言う愛称呼びまでは知りませんが』
『何だ。覚えていたわけではないのか』
セオが肩を落としながらボソボソと呟く。
以前、少しだけ耳にしたけれどセオはエルタリアの事を知っているらしい。
ゆっくり当時の話を聞いてみたいが今は時間が無い。
魔力も充分に回復したし、屋敷の屋根と庭に向けて修復魔法をかける。
『ご主人様!』
「回復したから、これくらいは大丈夫だって」
『そう言っていつも魔法を連発し、消耗するから――』
ドロシーのお小言が始まろうとした時だった。
屋敷の外が急に騒がしくなった。
『主よ。助けを必要としている者がいるようだぞ』
『魔獣の群れが大聖堂から溢れています』
「了解。これは急いで行ったほうがよさそうだ」
転移するために目を閉じて集中し、額へと手を当てる。