第236話 氷の魔女 ヒッキー
アルフは冷たい風が吹きすさぶ雪原の中にいた。
そのまま歩いては足をとられるほどの深い雪が、見渡す限り続く。
――寒いけど、心が燃えている。
心に響く演奏の中でレオンに恋愛相談した結果。
封を開けずにおこうと思っていた手紙を読んだ。
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たくさんの人々を救って下さる眠りの魔導士様。
私もフローラ殿下も、その中の一人として助けられたのでしょう。
それが未来を見通すような天啓によるものであったとしても。
この数日で魔導士様がどれほど自身を犠牲にしているか知りました。
国の英雄として、フローラ殿下の隣へと並び立つに相応しい御方。
そう理解していても心から祝福する気持ちにはなれませんでした。
なぜなら出会った日から、私は貴方へ想いを寄せていたからです。
貴方の婚約者になれたことは、自然と涙が浮かぶほどの喜びでした。
ですが、解呪の後に記憶を消すつもりであると伝え聞きました。
ごめんなさい。
私との婚約は大きな負担になっていたのですね。
何度も貴方に救われた命です。
どんな選択をしようとも、責める気持ちはありません。
ただどうしようもなく悲しい気持ちであることは確かです。
貴方の傍で一緒に未来を歩みたかった。
眠りの魔導士様が誰であるのか、魔女様に記憶を封じてもらいます。
だから貴方のことまでは忘れさせないで下さい。
夜空は私にとって心の支えなのです。
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美しい文字で綴られていたセシルの想い。
それがアルフの心を激しく燃え立たせた。
もう勇者だとか聖女だとか気にするのは、やめる事にした。
天啓も神託も。神も悪魔も。
――邪魔をするなら眠らせてやる!
「僕って、どうしようもなく身勝手なのかも」
『それがご主人様なのでは?』
耐寒性のあるローブを羽織っていても、北の山は寒い。
一度顔を出したドロシーがすぐに懐へと潜り込む。
片手で抱き、パチンと指を鳴らして寒風から身を守る結界を張る。
「急ぐよ。もう少しだけ辛抱してね」
『ニャア』
飛ぶ速度をグングン上げて、山奥にある屋敷を目指す。
「氷の魔女様は元気にしてるかな」
『すでに亡くなっている御方にかける言葉ではありませんが』
「ま、確かに」
ドロシーの名付け親であり、最初の主でもあった氷の魔女。
肉体はすでに失われ、魔力に包まれた意識体だけが残っている。
けれど、知識もあり会話も可能。精霊のような存在だ。
「ドロシーは寒がりなのに、雪山の環境は辛くなかったの?」
『基本は家の中です。屋敷の外へ出ることは滅多にありませんでした』
当たり前のことだが、今とはまったく違う生活をしていたらしい。
「あっ、そう言えば氷の魔女様も外出を好まないって言ってたよね」
『ひきこもりですから』
「ひきこもりって何?」
『社会参加せずに、大半を家で過ごす者だけに与えられる肩書きです』
「そんな称号があるとは知らなかった」
『ヒッキーという愛称の由来だと。そのように聞いたことがあります』
ドロシーと雑談しながら進むと、厚い氷の壁が見えて来た。
屋敷を守るように一帯を取り囲んでいる。
この壁は結界になっていて、許可なく侵入する者を凍らせる。
不用意に屋敷へと転移出来なかった理由だ。
「こんにちは。氷の魔女様に会えるかな」
門扉前にいる雪だるまへと話しかける。
もちろんただの雪だるまではない。
水の精霊が姿を変えているため、魔力が強くなければ見えない。
扉が開き、中から雪玉がコロコロと転がって来た。
『中でお待ちです。どうぞお入り下さい』
雪玉に案内されながら敷地へと入る。
庭には小花の咲いた樹木があり、美しい模様をした魚の泳ぐ池もある。
室内へ入る前には靴を脱ぐという儀式があり、忘れると叱られてしまう。
玄関前で、羽織っていたローブも脱いでおく。
「お久しぶりです。氷の魔女様」
「そんな仰々しい呼び名は不要だと言ったニャ。ヒッキーでいいニャ」
そう言って猫の亜人が笑顔で出迎えてくれた。
失われた肉体の代わりに依り代としているのは、人造魔人。
ドロシーの記憶を頼りにして、アルフが精巧に造ったものだった。
「寒い中、よく来たニャ。ドロシーもコタツに入るニャ」
『ニャア!』
低い丸テーブルに厚めのキルト生地がかけられている。
足を入れると暖まる「コタツ」という魔道具だった。
手招きされたドロシーが中へと飛び込む。
「足を崩して座るニャ」
草を編んで作ったという床材の上に直接座り、そのコタツに入る。
他では見たこともない生活様式だが、不思議と心が落ち着く場所だ。
「また背が伸びたニャ? 魔力も大幅に増えてるニャ」
「先日、十八才の誕生日を迎えて成人しました」
「それはめでたいニャ。お祝いに屋敷にあるものなら何でもあげるニャ」
魔女の屋敷には貴重な宝物や、不思議な魔道具がたくさんある。
レオンが見たらきっと大喜びだろう。
けれども、外へ持ち出すと問題があるものも多い。
「大判、小判もたくさんあるニャ。好きなだけ持ってくニャ」
「オオバン、コバン?」
「金貨のことニャ」
「ああ、お金は結構です。それに頂いたローブで充分満足していますよ」
「相変わらず欲の無い子だニャ。これでも食べるニャ」
おせんべいという米菓子で、もてなしてくれた。
クッキーに似て薄型なのに食べるとパリパリした歯ごたえがある。
「美味しい」
「甘いのもあるニャ」
空腹だったこともあり、ついつい手が伸びる。
ドロシーも何かの干物をもらってかじっている。
「ごちそうさまです。じつはお願いがあって来ました」
「言ってみるニャ」
「大火山にいる炎の大精霊から、解呪の力を借りたくて」
「誰か呪われたニャ?」
「大切な人が禁術で呪われてしまい、今は魔力で無理矢理抑えています」
「禁足地での試練は面倒だし危険ニャ」
「承知の上です。どうか炎の山を突破する方法を教えて下さい」
大火山では魔法が使えない。
ローブの熱耐性にも限界がある。
生身で炎の山を越えれば、大精霊に会う前に黒焦げだ。
アルフが頭を下げて頼み込むと氷の魔女は黙考する。
静かに言葉を待っていると、頭を揺らして寝息が聞こえてきた。
どうやら眠ってしまったらしい。
「……あの、魔女様? 起きて下さい」
「うニャ? 起きてるニャ。考えてたニャ」
「そ、そうですか」
しかし再び目を閉じて眠ってしまった。
本来、人造魔人は眠らないはずなのだが。
生前の習慣なのかジッとしていると眠くなるようだ。
予定がなければ、アルフものんびりと過ごしたかったけれど。
「ドロシー」
『ニャ?』
「魔女様の夢に入れて欲しい。このままじゃ話が進まない」
聖剣探しはセオたちに任せて来たが、他にも仕事は山積みだ。
このままのんびりと目覚めを待っている時間は無かった。
『ニャアァァ』
夢の中ならば考えを聞けるだろう。
そう思っていたのだが、甘かった。
「ちょ、夢の中でも寝てるってどういうこと!?」
ポカポカと暖かな陽射しの中で眠っている夢だった。
『眠ることが好きですからね』
「こうなったら、眠りの魔導士の名にかけて起こしてみせる」
『起こすのは逆の立場では?』
「眠りに関して負けるわけにはいかないよ!」