第234話 恋愛相談
静かに降り立ったのは海に浮かぶ魔導船の甲板。
楽しそうな笛の音に合わせて、透明感のある美しい声が響く。
魅了された者たちが種族を問わず集まっている。
心を震わせるその演奏と歌声に、アルフもしばし耳を傾けた。
――嘘がない。
レオンの笛の音は、魔導士の魔法や達人の剣と同じだ。
音に乗せて心情がそのまま伝わってくる。
「うおおおおっ! いいぞおおぉー! レオン!」
「素敵よ! セレーナ!」
「ピィピィピッ! ピピピッ!」
やがて演奏が終わると、称賛や喝采の声が沸き上がる。
「ありがとう、みんな!」
セレーナが空に羽ばたいて、応えるように手を振っている。
その姿を満足げに眺めながらレオンが叫ぶ。
「ふっ、俺のセレーナは最高だ!」
「私のレオンも最高よ!」
空から降りて来たセレーナが、レオンに抱きついて頬にキスをした。
仕事で離れていた反動を埋め合わせるように抱き合う。
素直に愛情を表現出来る。そんな夫婦の関係が羨ましくもある。
赤子のカレンはどうしたのだろうか。
疑問に思っていたが、その答えはすぐに分かった。
「良い子にして聴いていたわよ。可愛く羽根をぱたつかせて」
「面倒を見てくれてありがとう」
「母子の歌声を聴ける日が待ち遠しいわ!」
「ふふっ。演奏が好きになるかもしれないけど?」
「それもいいわね!」
セイレーンたちが空の上で子守をしていた。
そして魚人たちからは、レオンに海産物が渡されている。
「ギッギッ ギギッ!」
「おお。いつも悪いな」
魔物とされて討伐対象になるか、海の妖精として敬われるか。
海を隔てて、セイレーンへの認識は大きく異なっている。
『これほどの多種族が、争いもなく集まるとは驚きです』
「うん。すごい光景だ」
魅了の力が、どれほど強力であるかを改めて認識する。
そんな集まりの中から、セオは旧友を見つけていた。
『久しいな水竜よ! 息災にしておったか?』
『その聖魔力は……聖竜か! 会わぬ間にずいぶんと姿を変えたな』
『守護すべき主と出会ったのだ。今はセオドールという名がある』
大型のドラゴンが海面から顔を出している。
闇雲に探すよりも可能性が高いと思ったが、作戦成功だ。
『名をもらうほどの傑物であると』
『聞いて驚くが良い! 我が主は邪竜を討ち滅ぼしたのだぞ』
『なんと!? あやつを倒したのか!』
『フハハハッ! 見事であったわ!』
『どちらにおられる』
『主よ。我が友である水竜を紹介しよう』
ドラゴンに対する挨拶が分からなかったので、一礼をしておく。
すると水竜の顔が近くに迫ってきて――。
「うあっ!?」
ペロリと大きな舌で舐められた。
これが正式な挨拶だったとしても、舐め返すつもりは無い。
『むっ? むむむむっ!? こ、この魔力は……エルタリア女王の……」
『うむ。気づいたか』
『セオドールよ。いつの間に手を出したのだ』
『違うわ、馬鹿者! エルの血筋でも、我の子や子孫でもない!』
セオが水竜の後頭部に猫パンチを食らわせた。
浄化魔法を全身に掛けながら、その様子を見守る。
『だが聖と闇が見事に融合しておるぞ。希にあるという転生か?』
『我にも分からぬが、エルタリアの魂が主に共鳴したのであろう』
『ほほう。不思議なこともあるものだ』
『哀れな最後であったが、闇の女神に愛されておったからな』
何とも興味深い話を世間話のようにしている。
もう少し話を聞いてみたい所ではあったが。
ニヤニヤ顔でレオンがやってきたので、船縁からそっと離れる。
「よう! 一日楽しく過ごせたか?」
「うるさいよ」
「おっ、機嫌悪いな? ちなみに俺は上機嫌だぜ!」
「だろうね。笛の音を聴いていたら分かる」
レオンの情報網は侮れない。
果たしてどこまで知っているのやら。
そして、無性に殴りたくなるのは何故だろうか。
「酒造場所や販路も決まって、オリハルコンの商談もまとまったぞ」
「それは何よりだ」
転移には及ばなくても、高速で移動出来る魔導船。
すでに王国間を何往復かして、商売は順調に進んでいるらしい。
「クソ親父の商会は、積み荷の賠償金と商船の修理で資金不足に陥った」
「狙い通りか」
「ああ。信用はガタ落ちで、大口の顧客を根こそぎ奪ってやった」
「徹底的にレジナード商会を潰すつもりなんだな」
「当然! 優秀な船員も引き抜いたから、立て直しは無理だ」
レオンと一緒になって、ニヤッと笑う。
動かせる商船がなければ定期運航も、輸出入も出来ない。
修復魔法を使えば、転覆した商船は即座に直せるけれど。
もちろん助けるつもりは無い。
「俺の愛する家族を傷つけられたからな。容赦なく壊してやるぜ!」
「応援するよ。と言っても、ほとんど終わってるけどな」
西のパグル商会に続いて、南のレジナード商会が破綻する日も近そうだ。
そこにレオンの商会が入り込めば、販路は急拡大。
復讐に加えて、当初の想定を上回る利益が見込める。
「それで、何があった? ケンカでもしたのか」
「急に何だよ。別にセシルとケンカなんて――」
突然の指摘に驚いて、否定しようとしたのだが。
「おいおい。俺は嬢ちゃんとケンカしたのかなんて、言ってないが」
「……っ!」
やられた。
確かにセシルのことなんて、一言も言ってない。
宿を出てから、ずっと気にしていただけだ。
「ま、不機嫌な理由なんて、それくらいだと思ったけどな」
「あのなっ!」
「話してみろよ。恋愛相談の相手なんかいないだろ?」
「うっ」
「図星か」
ほんと、殴りたい。
『ご主人様。目を背けている問題に向き合う、良い機会では』
「ええっ。ドロシーまで何を言うの」
『魔力にも辛い気持ちが含まれています。見過ごせません』
諦める。
いつも理性ではそう結論づけるのに。
どうしても心の深い部分が “嫌だ” と抵抗する。
好きになるって、本当に厄介だ。
■■■
アンコールに応えて、セレーナが竪琴の演奏を始めた。
大切な人を想う、優しい音色だった。
「全部は言えないけど、聞いてくれるか?」
「もちろんだ」
顔をあげれば見える星が少なくなっていた。
演奏が終わる頃には夜が明けるだろう。
周囲に防音結界を張り、空き樽に腰掛けてレオンと話し出す。
「セシルのことは一目惚れでさ。会わなかったけど八年間片思いしてた」
「結構長いな。会いたくならなかったのか?」
「なった。でも忘れられてたら、って考えたら怖くなって……」
「案外臆病なんだな。戦ってる時は強気なのに」
「このローブを羽織ると、魔導士に気持ちが切り替わるんだ」
そしてドロシーが一緒にいてくれるから、悪夢に立ち向かえる。
「留学から帰国したら、公爵令嬢で聖女候補で、すごい美女になってた」
「まあ手が出ない高嶺の花だな。でも辺境伯家だって、充分に大物だろ」
「僕の家には政略結婚不可っていう、謎の家訓があるんだ」
「はぁ? 貴族ってのは変な決まりを作るもんだ」
その通りだと、同意して頷く。
血筋とか、子に受け継がれる魔力量だとか、属性の相性だとか。
様々な決まりに縛られている家ばかりだ。
「互いに好意がないと、婚約や結婚は認めてもらえない」
「平民ならそれが普通だぞ。ま、俺の場合は親に認められなかったがな」
「好きになってもらえる事が最低条件。それなのに……」
夜遊びと称し、セシルを残して宿を出た。
嫌われただろうから、すでに前提となる条件は揃っていない。
そんなことをかいつまんで伝える。
「ふうん。それで? 他にも付き合えないと思う理由があるんだろ」
「聖女に相応しい相手は勇者。これも僕には満たせない」
「勇者になるのがそんなに嫌なのか」
「詳しく言えないけど、僕が勇者になると犠牲者が出てしまう」
王が認めれば勇者の称号は得られる。
だが本物の勇者は聖印を持ち、女神様に選ばれた者。
聖女に相応しい相手になるなら聖印を持つ必要があるが――。
ローラを見捨てる。そんな選択は出来ない。
「それに道化師は主役になれないさ。役割が違う」
「俺はそんなことがあっても良いと思うがな」
「付き合わされたらヒロインが可哀想だろ」
放蕩息子を演じ続ける生き方を選んだのは自分だ。
こちらの都合に巻き込む訳にはいかない。
相談してみたが、やはりセシルのことは諦めよう。
そう思っていたらポンっとレオンから肩を叩かれた。
「よし! 恋愛が上手くいく、とっておきの情報を教えてやろう」
「そんな都合の良い情報があるのか」
「お前は相手や周囲のことを気にしすぎだ。もっと素を出せ!」
「え……!?」
「常に演じすぎて、自分の気持ちまで騙してる状態なんだよ!」
「なっ……」
「好き勝手やってると言いながら、気にしてるのは相手のことばかり」
唖然としていると、レオンは拳を握って力説してくる。
「とんでもないお人好しだ! 思いっきり素を出して、全部見てもらえ!」
そこでセレーナの演奏が終わり喝采が起こる。
ゆっくりと夜が明け、澄んだ青空へと変化していった。