第199話 闇の力
闇の魔力が全身に満ちている。
『それではご主人様。存分に闇の力を使って下さい』
「実体のほうが心配ではあるけど」
『何かあれば、ポンコツと魔女様が対処するかと』
成人したことで、これまで以上に強くなった闇の魔力。
周囲を無意識に闇でかき消してしまうほど強力で、まだ完全な制御は難しい。
危険だと判断したアルフは、大部分を潜在意識に眠らせている。
その力をドロシーが完全に解放して、目覚めさせてくれた。
「まずはこの世界から出よう」
『ニャア』
アルフが腕を振ると、閉じていた世界が闇に飲み込まれるように消え去った。
■■■
様子を見守っていた魔女は、即座に異変へと気づく。
近くにいたセオドールも距離をとった。
「魔道士くんから闇の魔力が放出されているね。これは――」
『闇の女神からの加護であろう』
ゆっくりと闇が広がって何も見えなくなっていく。
この闇に飲み込まれて無事である保証は、どこにも無い。
「さすがに放置出来ない。周囲に聖結界を張ってもらえるかい」
『すでに張った。それでも溢れ出るほどの力だ』
時を止めて闇の広がりを抑えながら、魔女は冷や汗を流す。
「世を照らす希望の光でありながら、同時に眠らせる闇にもなれる存在か」
光の女神だけではなく、闇の女神にまで愛されている。
世界を救うことも、滅ぼすことも出来る神の遣い。
勇者や聖人の器になど収まらない、おそろしいほどの二面性だった。
「これだけの加護があって、身体に聖印がないとは思えないのだけど」
『主に近づく理由はそれか』
「彼の正体も興味深いけれど、聖印を解析してみたくてね」
『見ておらぬぞ。そもそも解析してどうするのだ』
「稀少魔法の研究さ。闇の女神の聖印なんて、数百年は見ていない」
あまりにも強力な闇の力は、魔女に故人を思い起こさせた。
彼女の無念を思って大きなため息を吐く。
「きっと闇の女神は許していないだろうね」
『何を許しておらぬと?』
「愛し子が人々に裏切られ、その存在を消されたことだよ」
『闇の女神の愛し子……エルフの王女か』
命懸けで世界を救ったのに、汚名とともに処刑された。
そして歴史上からも名が失われている。
これでは死後も魂が報われることはない。
『王女の魂ならば、主の中で眠っているが』
「は……? どうしたらそんなことになるのかな」
『理由までは我も知らぬ』
話している間にも闇は広がっていった。
「おっと! これは助っ人が必要かもしれない」
■■■
閉じ込められていた悪夢を消し去り、夢魔と対峙していた場所へと戻る。
するとパチパチ手を叩く音が聞こえた。
「ふふっ。私の悪夢から抜け出せたのは、あなたが初めてよ」
相変わらずセシルの姿で、微笑みを浮かべている。
闇の中でも姿が認識できるのは視覚で見ていないからだ。
ドロシーによると、脳が直接感知しているらしい。
「それじゃあ次は僕が悪夢に招待する番かな」
「笑わせないで。聖力を使えないのに何が出来るというのかしら」
この状況で夢魔が恐れるものなど無かった。
聖剣も聖力も使えない、闇が支配する世界。
悪魔にとっては有利な状況でしかない。
「性格は最悪だけど、黒目黒髪で容姿は気に入っているの」
「あっそ」
「器が嫌なら特別に専属の下僕にしてあげてもいいわ。嬉しいでしょ」
「そんな言葉に喜ぶわけないだろ」
悪魔崇拝者にとっては、感涙するような提案なのかもしれないが。
もはや呆れるしかない。
「愚かね。斬り刻んで、二度と出られない悪夢を見せてあげる!」
アルフの素っ気ない態度に、夢魔は言葉を荒げた。
両手にナイフを持って攻撃してくる。
(軌道に工夫がないな。右は脇腹、左は首狙いか)
魔法を使わないのは、セシルを意識させるためだろう。
そんなことを考える余裕も生まれていた。
――ガキンッ!
金属同士のぶつかる鈍い音が、重なるように響く。
「なっ! どこでそれを!?」
「メフィスからの贈り物だよ」
左右のナイフを黒い柄の双剣で受け止め、弾き返す。
闇の力が満ちる身体では、聖剣よりも呪いの双剣が力を発揮する。
そして呆気にとられている間に、両腕を狙い斬る。
「ぐうっ……!」
魔力を吸収する特徴を持つ刃は、夢魔にも効果があった。
これは精神体の戦いだが、夢魔にとってはこちらが本体。
傷ついたと認識すれば痛みを感じるらしい。
「あの男が裏切ったのね……! 目をかけられておきながら」
勘違いさせたまま、アルフは双剣で斬りつける。
夢魔の身体から黒い霧が流れ出して、刃に吸い込まれていく。
「おのれ! 何故この姿に魅了されない!?」
「その姿には魅力を感じないからに決まってるだろ!」
さらに斬り裂き、弾き、斬り飛ばす。
剣技においては完全にアルフが勝っていた。
すでに夢魔は握っていた両手のナイフを弾きとばされている。
「そんなはずはない……」
夢の中でも魅了出来なかった事に、夢魔は困惑する。
間違いなく、弱点を突いた姿のはずだったからだ。
「記憶から姿を作り出しているのよ! 同一人物に見えているはず」
セシルの姿をしていることに、アルフはだんだん腹が立ってきた。
いいや。本当は最初からその姿を使ったことに怒っていた。
魔道士として冷静でいるために、ずっと抑えていただけだ。
「セシルの瞳はお前みたいに濁ってない! それに――」
目の前へ瞬時に移動して胸を斬り裂き、上へと跳ぶ。
そのまま脳天へ刃を突き刺し、クルリと宙回転して背後に回る。
「ぐああっ……!」
さらに半回転して背を斬る。
「ぜんぜん可愛くない! 魅了どころか、不愉快だっ!」
「ぎゃあああああっ!」
胸と頭部と背から噴き出した黒い霧が双剣に吸い込まれる。
すでにカリュブディスの魔核以上に、魔力をたっぷりと吸収していた。
「……あ、ああっ。私の魔力が……奪われる……」
それでもアルフは容赦せずに双剣を振る。
全身を刻まれて、もはや夢魔は人の姿をしていなかった。
魔力を失って泥のように崩れている。
「ぐがあああぁぁっ!」
そして黒い馬の姿に戻った夢魔が、狂ったように突進してくる。
(やっぱり行動が単純で読みやすい)
しかしアルフに蹴り飛ばされて、大きく吹き飛ぶ。
「ぎゃああぁぁっ! ぐふっ! 」
「うるさいな」
「ぐがあああっ! ごふっ!」
「しつこい」
何度も同じ動きを繰り返した黒い馬は、弱々しい呼吸で横たわった。
魔力は奪われて翼は折れ曲がっている。
聖結界に阻まれ、瘴気から力を補充することも出来ない。
立ち上がる気力もないほど消耗していた。
「はぁ……はぁ……。なんで……突然……こんなに強く……」
「あっ! 悪夢に招待するのを忘れるところだった」
「な……に……を……」
深くかぶったフードから見える口元が弧を描く。
夢魔はその時、恐ろしさで震えていることに気づいた。
「ひっ!」
「追体験のお返しに、捕食される側の気持ちを体験させてあげるよ」
パチンと指が鳴らされる。そして――。
「いやああああああ――――!」
夢の中で絶叫が響く。