第2話 食べ物の好き嫌いの話ではなくて
扉を開けて客間に入ると、すでにローラが椅子に腰掛けていた。
テーブルの上には藤篭のバスケットが置かれている。
持参したというお菓子が入っているようだ。
「遅いわよアルフ。せっかく焼きたてのクッキーを持ってきたのに」
「もしかして、ローラのお手製かな」
抱きかかえていた黒猫のドロシーから手を離す。
さっそく窓際で座り込み再び丸くなった。お昼寝の再開だ。
「そうよ。今、王都では令嬢の間でお菓子作りが流行っているらしいわ」
「ここは辺境だけどね」
「お菓子作りに王都も、辺境もないでしょ!」
「……なんて、迷惑な」
「何か言ったかしら?」
小声で呟いたアルフに、少し機嫌を持ち直したローラが笑顔のまま問いかける。
「い、いや何も。とっても香ばしい匂いだね」
「そうでしょ? お父様には先に召し上がってもらったのよ」
実際には香ばしいどころでは無い。
焼け焦げた匂いが、部屋中に立ち込めている。
笑顔のローラにそれを指摘することは出来なかった。
「良い出来だからアルフにも持って行ってあげなさいって言われたの」
「へ、へえ……」
とても迷惑なご指名だった。
「クッキー好きだったわよね? 自信作なの! 期待して良いわよ」
「それは楽しみだな」
開封が恐ろしくもあるのだが、今は笑顔で応じるしかない。
アルフが席に着くと同時に扉がノックされ、侍女が入ってくる。
「アルフ坊ちゃん、ローラさん。紅茶の準備が整いましたよ」
「ありがとう。濃いめに頼むよ」
「私はミルク入りでお願いね」
それぞれの注文通りに紅茶が入れられ、湯気が立っている。
「それじゃあ自信作のクッキーもお皿に出すわね」
何度も自信作と強調してくる。
果たして何が出てくるのだろうか。
ゴクリとのどを鳴らしてアルフは皿を見つめる。
「じゃーん!」
「え、えっと……。滅多に見ない色のクッキーだね」
ローラが取り出したものは、石炭のように真っ黒な小塊だった。
「岩石がモチーフかな?」
「惜しいわね。星の欠片をイメージして作ったの」
「なるほど、星くずね。言われて見れば確かに……」
物は言い様だ。
もはや逃げることは出来ないと悟って、アルフは心ばかりの抵抗を試みる。
「美味しそうだけど、寝起きだからあまり食べられないかも」
「心配しないで。味は保証するわ!」
「保証するんだ」
「当然よ。お父様なんて、涙を流しながら喜んで下さったのよ」
その涙は本当に感涙の涙だったのだろうか。
しばし無言で皿の上の黒い塊を眺める。
「えっと……どれから食べようかな……」
「もちろん全部食べて良いわよ」
そう言われてもなかなか手が出ない。いや出せない。
ローラから向けられる期待の眼差しが辛い。
「うん。それじゃあ、さっそく……」
ついにその視線に耐えられなくなり、ひとつまみ手に取る。
そして覚悟を決めて、口の中へと放り込んだ。
――――ガリッ!
予想通りの石を噛んだような歯ごたえ。
口に広がる強烈な風味と苦み。
アルフは涙目になりながら、塊を紅茶で無理矢理流し込む。
これが保証された味だったら、何でも保証されると思いながら。
「ぐっ、ゴホッ」
「ちょっと大丈夫?」
のどに詰まらせたと思ったローラが、見当外れの心配をしてくる。
「美味しいからって、そんなに慌てて食べなくても大丈夫よ」
「……あ、うん。今までに食べたことも無い、斬新な味で驚いたよ」
「そんなに?」
「うん。死ぬかと思うくらい……。甘くはないし、薬味が強烈だね」
「分かっているじゃない、アルフ」
何とか感想を述べたアルフだったが、ローラはご機嫌で話し始める。
「最近、砂糖の値段が値上がりして手に入りにくいの」
「西の地域が不作だとは聞いているけど」
「そうみたい。だから代わりにベルジェニラを入れてみたの」
さも当然のように、ローラは薬味の正体を告げた。
薬草としても使われることがある、苦味のある野草だ。
「甘い香りがするのは、バニラだったと僕は記憶しているけど」
「そうそう。だから刻んだベルジェニラをたくさん入れてみたの」
「バラバラのベルジェニラか……。甘い香りはどこへいったのかな」
「少し量が足りなかったかしら? 次はもっと入れて作ってみるわ」
「早く砂糖の価格が落ち着くといいね」
間違っている。いろいろと間違っている。
しかしさりげなく指摘した言葉は、ローラに伝わらなかった。
これは砂糖の問題を解決したほうが早いらしい。
「良かったですね坊ちゃん。ローラさんお手製のクッキーを頂けるなんて」
「そうだね。食べてみるかい?」
「い、いえ! 坊ちゃんのために持ってきて下さったお菓子ですから」
「遠慮なんかしなくていいよ」
「滅相も無い。全部お召し上がり下さいな」
侍女からの協力は得られそうに無い。
「それじゃあ、紅茶のお替わりをもらおうかな。さっきより濃いめで」
「こちらのクッキーに合いそうな茶葉を用意してきます」
そう言って一礼しながら部屋を退出していった。
上手く逃げた侍女に恨めしさを感じつつ、残りをどうするか考える。
口に広がった先ほどの味を思い出す。
一人で食べきるにはあまりにも過酷な試練だ。
これは無理だと悟り、素早く指をパチリと鳴らす。
「あらっ……。なんか眠くなってきたような」
「きっと一生懸命お菓子作りをしたから疲れているんだよ」
「……そ、かしら?」
「少し仮眠したら回復すると思うよ」
「じゃぁ……少し……だけ……」
言っている間に少しずつローラのまぶたは下がる。
そのまま机に突っ伏して、静かな寝息を立て始めた。
「ごめん、ローラ。食べてくれる人が見つかるまで預からせてもらう」
謝罪の言葉とともに、バスケットと皿の上にあった黒い塊は消えていく。
すべてを収納空間へと仕舞っておく。
――そして数分後。
再び扉がノックされる音で、ローラはパチリと目を覚ました。
「お待たせしました坊ちゃん。とっておきのお茶を用意してきました」
「ありがとう。クッキーはもう全部食べてしまったけどね」
「えっ!?」
「まぁ!」
侍女の驚きと、ローラの歓喜が重なる。
そんな二人に微笑みを浮かべながら、アルフは美味しい紅茶を口にした。