第192話 敗北
物語の続きを待っていて下さった皆さま、お待たせしました。
新章に入ります。
エルフの里上空に浮かぶ魔導船。
船室には窓から薄明かりが差し込み、間もなく夜が明ける。
ベッドで眠るアルフの枕元でドロシーが丸くなっていた。
傍らに置かれた椅子では、先に目覚めたセシルが白猫を膝にのせ座っている。
「うっ……くっ……」
「アルフ様。どこか痛みますか……?」
苦しそうな声が聞こえ、穏やかな眠りとは言いがたい状態だった。
心配そうな顔でのぞき込み、額から流れ出る汗を布で拭いとる。
袖から先が無かった腕は戻り出血も止まっているが、酷くうなされ続けていた。
「ずっと悪い夢でも見ているのかしら」
『どうやら神域の手前まで精神体が呼ばれているようだな』
「精神が離れて身体は大丈夫なのですか?」
『心配は無い。目覚めと共に戻るであろう』
これほど苦しむなら、眠るのが怖いというのも納得だった。
おそらく未来視の最中なのだろうとセシルは思う。
『何やら覚えがあると思っていたが、よもや彼女の魂が入っていたとは』
白猫の姿になった聖竜セオドールが、遠い記憶を懐かしむように呟いた。
気になる単語ばかりだ。
けれどセシルにその言葉が意味するところまでは分からない。
「聖竜様。彼女の魂とは一体何のお話でしょう」
『その昔、多くの人々を魔法で救ったが裏切られて亡くなったエルフの王女よ』
「エルフの王女……? 過去にそんな方がいらしたのですか」
『不都合な事柄は権力によって消されるものなのだ』
権力を握った者は時に真実を隠し、ねじ曲げてしまうことがある。
伯爵であり軍医でもあった実の父を陥れたのは誰なのか。
長年追っても、未だに事件の真相へたどり着けないセシルは深くうなずく。
母に呪いをかけるよう指示し、遺体を隠す者が誰なのか。
新たに浮かんできた謎にも権力が絡んでいるのかもしれない。
「そう言う部分は今も昔も変わらないのですね……っ」
『むっ? 負の感情を抱かせてすまぬ。身に呪いを受けているのであったな』
「……大丈夫です。アルフ様が守ってくれていますから」
ズキリと痛んだ胸に当てた手元で、指輪がキラリと光った。
すると痛みが消えてセシルに穏やかな気持ちが戻る。
『その指輪。主が相当な量の魔力を込めておるな』
「何度も救われています」
『命を削るような量だ。人族は指輪に生涯の誓いを込めて贈るのだったか?』
「それは……婚約や婚姻をする場合ですね。これは違うそうです」
そのような意味は込められていないと言っていた。
好きだと言われ喜んだが、思えば友人としての情だったのだろうか。
勘違いの可能性を思ってセシルは小さなため息を吐く。
『それほど想っていても記憶を消そうとは。難儀なものよ』
「……えっ……誰の記憶を……」
セシルが問いかけようとした時、丸くなっていたドロシーが身体を起こした。
『ペラペラとしゃべりすぎです。ポンコツ』
『むむっ! 起きたのか黒毛玉。どこから聞いていたのだ』
『ずっとです。ご主人様の許可無く余計な事を言うべきではありません』
『ふん。我は口止めなどされておらぬぞ』
『怒らせて全てを消されても知りませんよ』
『む、むむむっ。主はそのようなことを……』
「するかもね。セオ、お口にチャック!」
ドロシーに続いてアルフも身体を起こした。
目の笑っていないその笑顔に、ヒゲを引きつらせてピクピクさせる。
「アルフ様! おはようございます」
「おはようございます」
セシルの挨拶には心からの穏やかな笑顔を見せる。
「無事に目覚めて良かったです。突然倒れたのでとても心配しました」
「説明不足のまま倒れて申し訳無い。眠ると回復する体質なのです」
「普通は皆そうですが……アルフ様の場合は腕の欠損まで治るのですね」
「大抵のケガは治ります。セシル様は何事もありませんでしたか」
アルフが倒れた時の状況を思い出し、セシルは頬を染めてうつむいた。
それを発熱と思ったアルフは慌てる。
「もしかして上空の寒さで風邪を!?」
「い、いえローブのお陰で大丈夫でしたから」
すぐに手を振り否定する。
「ここはレオンの魔導船ですか」
「聖竜様が船まで運んで下さいました」
「えっと……セシル様は、まさかずっと同じ部屋に?」
「はい」
唇が重なったことなど覚えていないアルフは、現状を把握して青ざめていく。
「レオンさんと魔女様から、心配なら一緒にいたほうが良いと言われまして」
起きがけから頭を抱える。
未婚の男女が同室で一晩過ごす意味の重さが伝わっていない。
そこに気づいて止めるどころか、後押しする者しかいなかったことも問題だ。
「レオンと魔女様か……混ぜるな危険の組み合わせだよな」
思わず小声でぼやく。
「ドロシーさんと聖竜様。そこに私が一緒だと何か問題でもありましたか」
「……いえ、あるというかないというか……ここは、ない方向で行きましょう」
首を傾けるセシルに苦笑いで返して、問題は先送りにする。
もっと人の言葉は疑った方が良いとか。
男性と一部屋で過ごす危険を知って欲しいとか。言いたいことは多々あるが。
気づいていないのならば、説明するほうが事態を広げてしまいそうだった。
「とてもうなされていました」
「あはは……お恥ずかしい。ちょっと今回の悪夢は内容がキツくて」
「どんな悪夢だったのですか」
「幼なじみが殺されてしまう。そんな悪夢です」
幼なじみのローラが血にまみれて殺される。
それはトラウマが刺激されるひどい悪夢だった。
「たしかに嫌な夢ですね」
夢で済めば良いのだが、何もしなければすべては現実となってしまう。
何としても阻止しなければならない内容だった。
そして悪夢は一つだけではない。
「近々王城で大きなパーティーの予定はありますか?」
唐突な質問だった。けれど諜報員として情報を持っているセシルは答える。
「フローラ王女の誕生日が近いですから、大規模な催しがあるはずですが」
「なるほど。それなら少しは日程に余裕がありそうだ」
その情報にアルフはうなずく。
予知夢であることは分かっても、それがいつ起こるかが不明瞭なこともある。
「王城で何か起こるのですか」
「今のままだと王女の身に危険が迫ります」
「えっ……! すぐ近衛騎士に伝えるべきでは」
任せたい気持ちはあるのだが、アルフは諦めたように首を振る。
何の証拠もなく、夢で見ましたでは通らない。
「伝えても信用されないでしょう。場合によっては僕が疑われるかと」
『ニャア』
「そうだね。先に抱えている仕事を片付けに行こうか」
ベッド脇に畳まれていた黒のローブを羽織り、パチンと指を鳴らす。
すると綻びが修復されて汚れが一瞬で浄化される。
「また人々を救う眠りの魔道士様になるのですね」
「あの、お願いが。出来れば正体は秘密にしておいて欲しいのです」
何度も使える方法ではないため、解呪するまでは記憶を消したくなかった。
だからお願いという形にする。
「それでは私のお願いも聞いて下さいますか」
「何でしょう」
「出会った頃のようにセシルと呼んで欲しいのです」
「へっ? い、いや公爵令嬢ですし。さすがに呼び捨てというのは失礼で……」
「ねえ、いいでしょ? アルフ」
「――っ! それは反則!」
「ふふっ。貴方だと気づいてから、本当はずっとこんな風に呼びたかったの」
あまりの可愛らしさに、みるみる顔が熱くなるのを自覚する。
慌ててアルフはフードを深くかぶった。
「わかりました。後から不敬罪とか言わないで下さいね」
「二人の時くらいは、敬語も崩して欲しいな」
このままでは抱きしめたい衝動も抑えられなくなりそうだ。
魔道士としては情けないことだが、魅了に耐えるのも限界があった。
「……わかった。これ以上は勘弁してよ! セシル」
眠りの魔道士はあっさりと敗北を認め、お願いを聞き入れることにした。