第154話 三分縛り
数分の仮眠で体調の悪さを回復させたアルフが目を覚ます。
同時に膝の上でドロシーが一声鳴いた。
「さてと。落ち込んでいてもしょうがないな」
『さすがはご主人様。回復も立ち直りも早いですね』
「褒められてる気はしないけど……。まずは手紙だ」
アルフは急いで二通の手紙を書き、鳩へと姿を変えてそれぞれ転移させる。
『どなたへ送ったのですか』
「一通は銀の魔女様へ。討伐に参加予定だったけど、事情説明をね」
『もう一通は』
「婚姻の指輪と一緒にリチャード殿下へ。目覚めた後に混乱しないように」
『悪夢への対処はどうなさいますか』
「そっちも間に合わなくなる前に潰さないとね」
短時間だが今朝、夢で見たのは世界各地で起こっている水の瘴気汚染。
各国の聖人や聖女が浄化対応しているが、間に合っていない地域がある。
人材不足の小国や、都市から遠く離れた僻地にある農村などだ。
「汚染された水源がどれくらいあるか見える?」
『少なくても三十カ所はあります。特に帝国と皇国の間に多いかと』
「大国や大都市は聖女様に任せるとして、一カ所辺り五分で昼までに片付けよう」
『帰国の準備はよろしいのですか』
「そうだった! やっぱり一カ所辺り三分だな。急ごう」
アルフとして宿の精算を済ませて、馬車で積み荷を商船へと運ぶ。
昨晩は混乱していたフィッシャー港も、だいぶ落ち着きを取り戻していた。
「英雄様は一体どんな豪傑なのかしら」
「海を割るほどだからなあ。きっと巨大な大男じゃないか?」
「いや。ドワーフ族なら小柄でも力があるぞ」
そして港付近は英雄の話で持ちきりだった。
「聖剣を使ったのならば我が国にもついに勇者様が誕生だな」
「だとすれば誓いの儀で、エレイン様が聖女になるのか」
「勇者と聖女の結婚だなんて素敵! 盛大な祝宴になるでしょうね」
「これはめでたい!」
そんな噂話がいたるところで聞こえてくる。
アルフは必要なモノを買い揃えて、出国の手続きを行っていた。
「だってさ。聖剣を使うと勇者で、誓い合う相手は聖女とか……本気かな」
『ニャア』
「聖属性の魔力や加護が相手にも宿るってこと?」
『ニャア』
「あっ。禁術の解呪と同じ原理か」
『ニャア』
「……忘れてないって」
昼の便に間に合ったため、夜にはメルヴィル港に到着する予定だ。
再び貴族エリアの個室を手配して防音結界を張り、愛用のローブを羽織る。
収納していた聖剣を腰の剣帯に戻す。
さっそく聖剣は頭の痛くなる語りを始めた。
『マスター。有無を言わせず放置プレイなんて。暗闇で期待し過ぎて――』
「プレイじゃないから! この国じゃ有名すぎて気軽に持ち歩けないよ」
『私とマスターの仲を邪魔する輩など、真っ二つに斬ってくださればいいのに』
「そんなこと出来るわけないだろ」
『では細切れにして――』
「ダメだって! これからたくさん活躍してもらうから。覚悟しておいて」
『いよいよ百人斬りですか。お任せを! どんな衣でも一瞬で裸にしてみせます』
「……ドロシー助けて」
『無理です』
深いため息の後、額に手を当てて転移する。
転移先はラッセル帝国との国境から少し離れた、山間の小さな国。
その中でも北部に位置する辺境の地だった。
「うわ。これはひどいな」
『ニャ……』
源泉が湧き出る泉だったであろう場所は、瘴気が漂う沼地へと変わっている。
加護や結界がなければ近くにいるだけで苦しくなる毒沼だ。
ドロシーが苦しそうに顔をしかめている。
「大丈夫ドロシー? これでどうかな」
アルフは首輪の宝石に聖属性の魔力を流し込み、結界でドロシーを包み込む。
『ありがとうございます。楽になりました』
『マスター。泉の精霊が瘴気に苦しんでいます』
「えっ?」
『どうしました』
「普通の発言だったから驚いただけ」
『私はいつも普通ですが?』
「……普通の定義って難しいよね。ともかく原因を取り除いて助けてあげよう」
アルフは沼の上空で聖剣を上段に構え、魔力を流して勢いよく振り下ろした。
海を割った時の要領で、沼地の水が二つに割れていく。
沼底にあった瘴気を出す珠がその一撃で砕け散っていた。
「再び汚染されないように、結界も張っておこうか」
収納空間から魔石を取り出し、聖属性の魔力を溜めて泉の中央部へと投げ込む。
魔石から光りの柱が立ち昇る。
聖力の充ちた魔石は沼の瘴気を浄化し、元の泉へと姿を戻していく。
透明になった水面で、泉の精霊が瘴気から解放されて踊り出す様子が見えた。
「元気になったみたいで良かった」
『マスターはこうやって精霊を誑し込んでいるのですね』
「言い方」
『ご主人様。周囲の魔物はどうしますか』
泉のほとりに降り立つと、アルフを獲物と定めた魔物が襲いかかって来た。
「ガルルルルッ!」
「銀熊だろうけど、成長し過ぎ」
元々大型の魔物だが通常の数倍は大きくなっている。
パチリと指を鳴らして眠らせようとしたのだが、動きが鈍くなる程度だった。
「凶暴化していて、眠ってはくれないか」
仕方なくそのまま一刀両断にする。
魔物の身体が青白く光りながら消失して、ゴトリと魔石が落ちる。
「迷宮深層部でも無いのにB級魔石か。放置は危険だな」
『同程度の魔物が七体周辺にいます』
「南側にいる二体はドロシーに任せてもいい?」
『任されました』
一瞬でドロシーの姿が消え、アルフも同時に泉の東側へと走り出す。
東、北、西へと駆け抜けながら、五体の魔物を斬り倒し元の場所へと戻る。
すでにドロシーはペロペロと毛づくろいをしながら待っていた。
「お待たせ」
『残り一分十秒です』
「そう言えば三分縛りだったっけ。近くの集落はどの辺?」
『ここから南西に三キロメートルの平地に農村があります』
「了解。行ってみよう」
額に手を当てて村の近くへと転移する。
そのままざっと気配を探ると、三十人程の村人が瘴気で倒れていた。
強化した聴覚に、やり取りが聞こえてくる。
「ぐっ……ゴホッ、ゴホッ……」
「お医者様はまだか!? このままでは死んでしまう」
「山向こうの町に呼びにやっているが。まだ数日はかかるはずだ」
「こうなったら薬草を採りに行くしかない」
「だが水辺には凶暴な魔物がいるぞ」
「一体どうしたら……」
アルフは数回腕を振って、苦しんで倒れている人々を眠らせていく。
「これで回復するはず。次に行こう」
『ニャア』
休むことなく瘴気に汚染された水源を浄化し、凶暴化した魔物を倒す。
そして病になっていた人々を眠らせ癒やしていく。
そんなことを繰り返すこと三十二カ所。ようやく終わりが見えてきた。
「ふうっ……」
『予定通り昼までに片付きそうですね』
「三分縛りがキツい! やっぱり五分にしておけば良かった」
ラッセル帝国の国境沿いから始めて、現在はイグレシアス皇国付近の村にいた。
流れる汗を手で拭いながら、伏せっている村人に眠りの魔法をかける。
眠ると同時に苦しんでいた人々の顔から険しさが消えていく。
「これは一体? 突然治った」
「神の奇跡だ! 光りの女神様に感謝を」
症状の軽かった者はすぐに目覚めて、元気に起き上がっていた。
「向こうを見ろ! 川の水が!」
「おおっ!? 元に戻っている!」
「聖女様が水を浄化して下さったのでは!?」
「こんな小さな村まで気にかけて頂けるとは……なんとありがたい」
皇国が近くなってからは、そんな声が多く聞こえて来る。
同時に気になる噂もアルフは耳にしていた。
「聖女様が失踪したという話は嘘だったのか」
「だが俺は騎士団が捜索しているのを見たぞ」
「魔物の討伐を見間違えただけだろ?」
それは聖女が姿を消したというものだった。