第1話 眠りの魔法で人々を救う魔道士は寝不足です
「よし。この問題が片付いたら、僕は――絶対に寝る!」
『先ほども同じ決意を聞きましたよ。もうじき夜明けです』
「えっ!? もうそんな時間なの」
『そんな時間です』
「やれやれ。また怒られるな」
フードを目深にかぶった黒いローブ姿の青年は深いため息をつく。
その足元付近では二人の男が眠ったまま拘束されている。
『ご主人様。あちらが崩落予定の橋です』
「了解。馬車が落ちる前に間に合ってよかった」
パチンと指を鳴らし、青年は亀裂の入った部分を魔法で強化する。
「経年劣化に見せかけての殺人なんて、ひどいことを企むよね」
『橋に細工をした実行犯は拘束しましたが、指示した者はどうします』
「領主に責任転嫁しようとしたのだから、罰は受けてもらおうかな」
『では逃げられる前にこのまま潜伏先に向かいますか』
「そうだね。終わったら今度こそ僕は寝るよ」
『終わる頃には日が昇ると思いますが』
「……昼寝しよう」
■■■
空は晴れ渡り、心地よい風が吹いていた。
ときおり樹上で小鳥がチチチッとさえずり眠気を誘う。
こんな陽気にお昼寝出来る身分というのは素晴らしいものだ。
一人の青年が大きな木と木の間に掛けたハンモックに身をゆだねている。
顔の上には読んでいた本がのっかったまま。
腹の上には真っ黒な毛色の猫が丸まって寝ている。
「坊ちゃん! アルフ坊ちゃん! お客様ですよ!」
ひときわ大きな声が中庭に響き渡った。
驚いた二羽の小鳥が小枝から飛び去っていく。
しかし余程眠気が強いのかアルフと呼ばれた青年と猫が起きる気配はない。
エプロン姿のふくよかな女性が、ため息をつきながら歩み寄っていく。
「坊ちゃん!!」
「うわっ!? う、うわわっ……」
耳元で大きな声を出され、青年が驚きで身を起こす。
突然の動きにハンモックは大きく揺れた。
寝起きの怠い身体は、そのまま投げ出され地面へと激突。
同時に投げ出された黒猫はクルリと回転して見事な着地を決めた。
優雅に身体をペロペロと舐めている。
「いったぁ。鼻打った」
顔を打ち付けたアルフは涙目で、呼びかけた女性に抗議の視線を送る。
「何度も呼びかけたのに起きないからですよ」
「それにしたって、もう少し優しい起こし方があるだろ!?」
「優しいキスで起こすのは王子様の役目では?」
「誰がキスで起こせって言ったよ! そんなの求めてないよ!」
服についた汚れを払い、大事そうに本を抱えながら立ち上がる。
子どものように頬を膨らませてふてくされている。
サラリと流れる黒髪に黒い瞳。
整った優しい顔立ちをしているが、今は痛々しく鼻の頭が赤くなっていた。
「あらあら、色白のお顔が台無しですねぇ」
「誰のせいだよっ! それに大事な本に傷がついたらどうするの!?」
落下した瞬間、とっさに本が汚れないように両手で抱えていた。
そのせいで受け身をとれずに顔を打ち付けたのだった。
そんなアルフに呆れた目を向けながら女性が返事を返す。
「その美人な女性がたくさん紹介されている本のことですかね?」
「もちろんだよ! サイン入り限定十部の初版を手に入れるために、昨夜僕が徹夜で書店に並んでいたのを知らないの!? なんと今回の表紙は次期聖女との呼び声まであるセシル・ド・オードラン嬢!」
不機嫌な顔は何処へいったのか。
抱えていた本を両手で頭上に伸ばし、崇めるように見上げる顔は晴れやかな笑顔だ。
表紙の女性はそれに応えるように微笑みを浮かべている。
もちろんその微笑みは、一般大衆へ向けたものなのだが。
「はいはい知っていますよ。使用人には任せられないと並びに行っちゃいましたからね」
「この腰まで伸びる金髪に澄んだ蒼い瞳。その内面を表すような美しいサイン文字……もう天使だよね!」
「坊ちゃんの好みの女性はその美女ですか。ずいぶんと高嶺の花狙いですねぇ」
「いや道端に健気に咲く花だって好きだけど」
「眺めるのも良いですが、そろそろお嫁さんを連れてきて下さいよ」
「うっ」
「アルフ坊ちゃんも成人したのですから。遊んでばかりいないで早くしないと、気付いたらきれいなお花は誰かに摘み取られてしまいますよ」
だんだんと耳の痛い小言が始まる。
逃げ出したくなってきたアルフは言い訳を始める。
「お花だって手折られるよりは自然に咲いていたいと思うよ?」
「花の命は短いって言いますからね」
「ううっ」
「好きなお花は、枯れる前に旦那様や奥様にも見せてあげてくださいな」
「僕だって十八まで彼女もいないのは、まずいと思ってはいるけど」
「かなりまずいですねえ」
両親の気持ちを出されると、さらに辛いものがある。
貴族ともなれば幼少期には婚約者がすでに決まっていることも珍しくはない。
だが、ブロシャール家には政略結婚を良しとしないかなり特殊な思想がある。
曰く『嫁が欲しければ実力で惚れさせ手に入れろ』というものだ。
どこの山賊なのだという家訓のおかげで、ハードルが上がっていた。
おかげでアルフには未だ恋人もいないのであった。
「そういえば、何の用で僕を起こしたのさ」
何か小言から逃げる口実はないかと考え、アルフはようやく思い至る。
「そうでした! アルフ坊ちゃんにお客様ですよ。客間に案内しています」
「早く言ってよ。待たせちゃったじゃないか」
「熟睡して起きてこない坊ちゃんが言いますか。ローラさんですよ」
「ローラが? 特に約束は無かったと思うけれど」
「約束していないと、幼なじみに会いに来ちゃいけないのかしら」
いつから待っていたのだろうか。
少々の険を含んだ声に、恐る恐るアルフは振り返る。
客間に案内されているはずのローラが腰に手を当て仁王立ちで立っていた。
紅玉のようなその真っ赤な瞳に見据えられ、アルフは気弱に言葉を返す。
「い、いや……いけなくは……なくは……ないよ?」
「どっちよ!?」
「こ、怖いですローラさん。ええっと、ご用件は何でしょうか……?」
ずいぶんと待たされたせいなのか機嫌の悪いローラにアルフは怯えた。
ひとまず用件を尋ねてみる。
「そうね。お昼寝しているくらいだもの、この後の予定なんて無いでしょ」
「え? ええっと、健康のためにはお昼寝も大事な予定かと思います」
急用で無いのならば、出来れば寝ていたいアルフは理解を得ようと試みる。
「何でいきなり敬語なのよ! 成人したのだからお昼寝も卒業したら?」
「大人にもお昼寝は大事だと思うよ」
「もうたっぷりと寝たでしょ? 紅茶をお願いね」
「かしこまりました」
「お菓子は私が持って来たから準備しなくて大丈夫よ。さあ行きましょうか」
――昼寝も予定に入っているのだけど。
そんな言葉を待つこと無く、勝手知ったる幼なじみは歩き出してしまった。
侍女も準備のために炊事場へと向かってしまう。
こうなれば、もはやのんびりと寝ているわけにはいかない。
「はあ……。もう少し寝ていたかったな」
一人取り残されたアルフは片手をかざし、自身の収納空間へとつなげた。
出現した収納空間に持っていた本を大事に仕舞い込む。
そして再びハンモックの上で寝ていた黒猫を抱きかかえた。
「ふあ……まだ眠いけど。行こうか、ドロシー」
『ニャア』
アルフは眠い目をこすり、あくびをしながらローラの後を追うのだった。