次々と起こる異常事態。公爵令嬢は王太子殿下の愛が欲しい。
メルシアーナ・サクリティス公爵令嬢は豪華な馬車に乗り、王都の中心部を走っていた。
左窓からは都の中心を横切る大河が見え、外はよい天気だ。
窓の外を眺めれば、人々は休日を楽しんでいるようで、街は賑わっていた。
川沿いには釣りをする人々がいて、パラソルを差してそこにテーブルを置き、お茶を楽しんでいる人達もいる。
わたくしも、少しはゆっくりしたいわ。
メルシアーナはこの国のサディス王太子殿下の婚約者で、まだ17歳。
休みの日も王宮に通い、未来の王妃としての王妃教育に忙しかった。
平日は王立学園の勉学に励み、休日は王太子の婚約者として、王妃教育に励む。
メルシアーナは疲れ切っていた。
サディス王太子は婚約者としてはよくしてくれるけれども、何を考えているか本心が解らない人で…政略で結ばれた婚約とは言え、彼の前でメルシアーナは気も抜けず、公爵令嬢としてしっかりとした対応をしていた。
差し込む日差しに、暑さを感じ、金の髪を掻き上げる。
「暑いわ。カーテンを閉めようかしら。」
窓に取り付けてあるカーテンを閉めようと手を伸ばした途端、
馬車がガタンと音を立てて、いきなり暴走し始めた。
「何っ?何が起きたのっ?」
物凄い勢いで走る馬車。何も出来ずにメルシアーナは身を横たえ椅子に捕まり瞼を閉じる。
馬車が傾いて、凄い衝撃を感じた。頭を打ったようだ。
バシャっと音がして、割れた窓から水の冷たさが襲い掛かって来る。
川に落ちたのか…どうする事も出来ずにメルシアーナは意識を手放した。
ゴホゴホゴホ…
水を吐き出す。
自分は助かったのか…
瞼を開けて、身を起こす。
目の前にいた男に驚いた。
長い髪に、口は耳まで裂けて牙が生えている。
身体中は鱗に覆われて蛇のように長い。人よりは大きい身体…目は金色に光りこちらを見ていた。
メルシアーナは悲鳴を上げる。
「きゃあああああああっーーー。」
化物は楽し気に笑って、
「結界が張ってある。俺達の姿は見えん。助けてやったのに礼の一つも言えないのか。」
「貴方様は?」
「この河に住む水神…アレクトスだ。」
「水神様…」
「お前、命を狙われたな。」
「わたくしの命をっ???」
サディス王太子の婚約者の座…狙っている令嬢も多くいるのだ。
しかし、メルシアーナが婚約者に選ばれた。
それなのに、いまだに諦める気配もなく、令嬢達はサディス王太子に付きまとっている。
どこかの公爵家の仕業か…
イリーナ・コレクトス公爵令嬢、彼女は特にサディス王太子にご執心で、王立学園でも、サディス王太子に近づいて、それはもうベタベタしていた。
「サディス王太子殿下はわたくしの婚約者なのです。イリーナ様。やめて下さる?」
イリーナは優雅に微笑んで、
「まだ結婚していらっしゃらないでしょう。いつ、婚約破棄されても不思議ではありませんわ。」
メルシアーナは反論する。
「何故ですの?わたくしは王妃教育も受けて、日々、努力をし、未来の王妃としてふさわしい振る舞いをしておりましてよ。」
イリーナは扇を口元に当てて、
「この間、王妃様から呼ばれましたの…。まだ、サディス王太子殿下も若い。婚約者は決まりはしたものの改めて他の令嬢も視野に入れてもよいのではないかって…確かに、貴方が事故にあって命を落とすとも限りませんし…王太子殿下には選択の余地を与えても良いと思いますわ。」
サディス王太子が何か言ってくれてもよさそうなのに、彼は黙ってやりとりを見ているだけで…
王妃教育の一環として、このようなトラブルは自分で治めよという事なのか。
「それでも現婚約者はわたくしなのです。目の前で、王太子殿下と必要以上に距離を縮める事は見過ごせませんわ。」
ビシっと言ってやった。
悔し気な顔のイリーナ。
これが二日前にあった事だ。その態度は忘れられない。
イリーナが馬車に細工をしたのか?それとも馬に何か細工をした?
水神アレクトスはニンマリ笑って、
「水玉を貸してやろう。禍を跳ね返す力がある。」
美しい水色に輝く玉を渡された。
「何故?わたくしにこのようによくしてくれるのです?」
「人の悪意を見るのが面白いからだろうな。」
「え?」
「この水玉は、はっきりと悪意を見せてくれる。俺の目に。この水玉をその身から離すな。」
アレクトスが手を翳せば、水玉は小さくなりペンダントに変化した。
そのペンダントを握り締めるメルシアーナ。
その時、まさか、あれ程の悪意を目にするとは思わなかった。
17歳になれば、社交界デビューを仮にすることが出来る。
サディス王太子は婚約者としてエスコートしてくれた。
今日も美しく麗しい金髪碧眼のサディス王太子殿下。
彼の本当の心は全くわからないけれども、ちゃんと婚約者扱いはしてくれる。
美しい桃色のドレスを着て、金の髪を美しく巻いて、サディス王太子のエスコートを受ける。
こちらを見てにこりともしないサディス王太子殿下。
彼が何を考えているのか解らないのもいつもの事だ。
着飾った二人の令嬢がいきなり、口から血を吐いて、倒れたのには驚いた。
夜会の会場が大騒ぎになる。
「何だ?何かに当たったのか?」
「医者だっ。医者を呼べーーー。」
二人の令嬢達は運ばれて行った。
何が起きたの?何が?
サディス王太子は平然と、
「悪い物でも食べてきたのだろう。」
夜会の食事は、サディス王太子の口に入る前に、毒見が入る。
だが、他の貴族達の口に入る前には一々、毒見はされない。
皆、酒や食事に手をつけなかった。
今日の夜会は王妃様主催である。誰も中止しろと意見出来ないのだ。
令嬢の一人がいきなり首を押さえて苦しみだした。
そしてバタっと倒れたのだ。
何が起きているの?何が…
もしかして、首の水玉が…そのペンダントは青く輝いていた。
思わず外そうとした。
いや、ここで外すわけにはいかない。
「ちょっと化粧室へ参りますわ。」
慌てて、メルシアーナは化粧室へ向かった。
ペンダントを外さなくては…何が起きているの?
廊下で声をかけられる。
「人の悪意は恐ろしい。」
黒髪の青年が壁に寄りかかっていた。
白い服を着て品のある格好をしているが、一目で水神アレクトスだという事が解った。
メルシアーナは叫ぶ。
「何をしたの?貴方…」
「あの二人の令嬢は、お前に毒を盛ってやりたいと 心の中 で思っていた。だから、毒に当たったまでだ。もう一人の令嬢はお前の首を絞めて殺したいと願った。だから、首が締まったまでだ。女の悪意は恐ろしい。」
そう言えば、イリーナが来ていない。
彼女は…どうなったのかしら?
水玉をむしり取るように外すと…
「わたくしだって、思う事はあります。あの人が憎い…憎たらしい。死んでしまえばいいのに。人間、誰だってそう思う事はありますわ。だからって思っただけで、罰が当たるなんて…」
「アレクトス。人には人の法がある。それで裁かれなければならない。」
サディス王太子が立っていた。
二人は知り合いなのか…
アレクトスはハハハと笑って、
「このお嬢さんを守れと言ったのはお前ではないのか?サディス。だから、守ってやっているまでだ。」
「契約とはいえ、やり過ぎだ。」
メルシアーナは聞いてみる。
「契約ですの?」
サディス王太子は頷いて、
「水神と我が王家は契約を結んでいる。メルシアーナの身に危険を感じたのでな。我が王家の影もついているが、アレクトスに動いて貰った。だが、水玉はやり過ぎだ。」
アレクトスはにぃと笑って、
「お前は生温い。あのイリーナという女は…放っておく訳にはいかぬぞ。」
サディス王太子は頷いて、
「手は打ってある。今頃、騎士団が踏み込んでいるはずだ。人には人の法がある。」
一人の騎士団員が走り込んできた。
「命じられていたイリーナ・コレクトス公爵令嬢。すでにこと切れていました。
馬車ごと建物に突っ込んで、死体は見る影もなく、酷い有様と言う事です。」
アレクトスは首を振って、
「俺ではない。王家は闇が深いな。」
メルシアーナは思った。
やり過ぎたイリーナ・コレクトス公爵令嬢を始末したのは…おそらく王妃様だろう。
サディス王太子殿下の婚約者が決まっているのに競わせて、公爵家を競わせるのには賛成な王妃様でも、さすがに殺人となると危険因子とみなしたのであろう。
「イリーナは死んだのね。」
その時、王妃ユリディーヌが現れた。
艶やかに微笑んで、
「貴方が無事でよかったわ。メルシアーナ。わたくしは貴方の事を買っているのよ。でも、他の令嬢達と競ってほしかったの。もっと精進して貰う為に…」
メルシアーナは優雅にカーテシーをして、
「王妃様のお心に添えるようにわたくし、更に精進しますわ。」
「ええ、そうして頂戴。」
ユリディーヌ王妃が姿を消すと、アレクトスがしみじみと、
「恐ろしいのは人だな…」
サディス王太子が微笑みながら、メルシアーナに向かって、
「ともかく、メルシアーナが無事でよかった。」
何を考えているか解らない王太子が初めて、こちらを見て気遣ってくれた。
アレクトスが背を向けて、
「もっと、お前は感情を表に出した方がいい。でないと、この公爵令嬢が気の毒だ。水玉は返して貰うぞ。それではな。」
水玉のペンダントは彼の手にいつの間にか渡っており、彼はスっと消えてしまった。
「サディス王太子殿下…わたくしは…いつも不安でしたわ。貴方様に愛されているのかと。」
「私達は政略だろう?」
「それでもわたくしは貴方の愛が欲しいのです。」
「このような気持ちを持って良い物だろうか…私はずっとメルシアーナを愛しているよ。ただ…どうしたらよいか解らなかった。いつも毅然としていたかったから。」
「でも、わたくしを守ってくれていたのでしょう?」
「ああ…心配だったからな。」
「有難うございます。王太子殿下。」
少しはサディス王太子殿下に近づけただろうか?
何を考えているか解らなかった…でも…
もっともっと、近づきたい。
彼とはいずれ結婚し、共に国を治めるのだから。
メルシアーナはサディス王太子の手を両手で握り締めて、愛し気にその顔を見つめ続けるのであった。