1-3 ミッドナイトストラテジー
サラは走った。
オズワルドよりも早く家に帰り、ミアに口止めをして、
自室でごろごろしている姿を見せるために。
今までにないほど近道の路地を全力で駆け抜け、少しだけ息を整える。
かちりと鍵を開けて、裏口からただいまんぼう。
台所にミアの姿はなかったので、2階へ静かに上がり弟の部屋の扉をノックする。
中から、入っていいよーと声が返ってきた。
顔だけ扉の隙間からひょっこり出してみると、
すでにドア前で待ち構えていたミアにデコピンされる。
「あだっ!なにするんよ~ミア~」
「姉さんこそ何してたの。そんなに兄さんの依頼、気になったの?」
「アハハ、ほ、ほら新しい杖ほしいからさあ~。
ちょっとでも手伝えたらお小遣い増えるかなって」
「ほんとかなあ~…。とにかく、危ないことはしないでよ?姉さん」
「わかってるって~!そんでミア、このことなんやけど…!」
「ハイハイ、兄さんには内緒ね。告げ口したら僕も怒られるし、言わないよ」
「ありがと~!さすが私の弟!賢い!」
「ハァ…姉さんはもっと勉強した方がいいよ。せっかく魔力強いんだから…」
勉強の話になりそうだったので、サラはミアにお風呂は入ったのかと切りかえす。
どうやらミアはもうお風呂を済ませたらしく、入るならどうぞとあくび交じりに言われた。
ミアの行動限界は23時前後だ。
いつも早起きするため、それ以降は起きていられない体のサイクルになっているのだ。
その後もうとうとしているミアと部屋の前で喋っていたら、1階でバタンと物音がした。
オズワルドが帰ってきたようだ。
「やばっ」
「姉さんローブ着替えなよ~…うーん、僕はもう寝るよ」
おねむスイッチの入ったミアを部屋に押し込んで、サラも自室へ滑り込む。
サラがいつも着ている黄色のローブは、家の中やくつろぐときは脱いでいる。
早く着替えるか、ローブだけでも脱いでベッドに転がっておかないとまずい。
ローブを脱ぎ捨ててベッドへダイブした。
そのタッチの差で、サラの部屋の扉がノックなしに開かれる。
「ただいまんぼー…ってうわ!サラちゃん、ローブくらい片づけなさいよ」
「ちょ、お兄ちゃん!部屋入るときはノックしてって言ってるやん!」
勝手に部屋に入ってきてローブを椅子に引っ掛ける兄に、サラは声を荒げる。
内心冷や汗だらだらである。
ここでバレたら、深夜に自室を抜け出すのも難しくなるかもしれない。
サラはオズワルドを一刻でも早く部屋から追い出そうと考えた。
「別にいいでしょ~部屋ぐらい。お風呂の時はノックしてるんだから」
「それ!おかしいからな!お風呂入ってんのなんか音で分かるやろ!覗き魔ヘンタイ!」
「失礼な…サラちゃんが長風呂でのぼせてないか確認してるだけだよ」
「む~…!もういいから、はよ出てって!」
しっしと虫を追い払う仕草をすれば、オズワルドは部屋から出てドアノブに手をかける。
そして扉を閉めながら口を開いた。
「わかったよ。じゃあお兄さんは少し出てくるから、先にねんねしてるんだよ」
「え、どっか行くのお兄ちゃん」
「ん~さみしいのかいサラちゃーん?お兄ちゃんが一緒に寝てあげようか~??」
「や、それは100%ないから。
そんで?どこ行くん?もう23時過ぎてんで」
ニヤニヤというより変態的な息をまき散らしている兄に警戒しつつ、
サラはナイス兄とも思っていた。
何の用かは知らないが、兄が家を留守にするのは好都合だ。
ただ、どこへ行くのかは確実に知っておきたい。深夜の街中で鉢合わせでもしたら面倒だし。
「今作ってる調合の関係でね、0時から1時間だけ咲くお花が必要なんだ。
エデンの正門横に小さい森があるだろう?
そこに群生しているらしいから、できる限り採取しておきたいと思ってね」
エデンの近くの森へは徒歩10分ほどで着く。
兄の口ぶりから時間いっぱいまで採取をするつもりなのだろう。
それにしても調合のための採取とはいえ、お花を摘む兄の姿を想像すると笑えてくる。
「花…ぶふっ、ま、まあ気ぃ付けてな~。ふふっ」
「笑わないでよ~!私も採取が終わったらすぐ帰るし、二人…ミアはもう寝てるか。
サラもお風呂入って早く寝るんだよ」
「はぁーい」
パタン、と扉が閉まる。念のため耳を澄まして兄の足取りを聞いておく。
階段を下りる音、1階で小さな物音。よし、出て行った!
サラの方も時間がない。あと50分…長風呂しなければ準備できるだろう。
ミアを起こさないように着替えを持って浴室へ行く。
いつもならお湯につかってのんびりするところだが、今はそうもいかない。
ちゃちゃっと汗を洗い流したサラは、濡れた髪に風魔法をあてて乾かした。
もう一度時計を見やれば、23時50分。
「やっば、あと10分!」
こっそり急ぐという動作はなかなか普段通りの速度が出ないもので、手間がかかる。
でもあまり大きな物音を立てればミアが起きてしまう。
それはダメだ。
着替えているとローブのポケットからさっき雑に突っ込んだイヤフォンが出てきた。
これはトウチョウキがないと意味をなさない。
自室に戻ったサラはイヤフォンを机の引き出しに放り込んだ。
あと潜入に役立ちそうなものと言えば、姿隠しの札だろう。
(確か店の売れ残り在庫にあった!あれなら持って行ってもええやろ)
大きめのクッションを布団にかけて寝ているように偽装し、自室に鍵をかけておく。
これなら兄がまた帰ってきて、もし確認しようとしても多少の時間稼ぎは出来るだろう。
時間を気にしながら店の倉庫を漁りに行くと、目的のものはすぐに見つかった。
売れ残っていた札は10枚程度。
案外売れたんだなと思いつつ、ストックトランプに入れておく。
他に使えそうなものはないかよく見ていると、今のサラに打ってつけの魔具があった。
(盗人の鍵!1個しかないけど、これは持っていくしかないやろ!)
魔具、『盗人の鍵』。簡単な鍵なら何でも開けてしまう鍵だ。
ただし、1回使うと壊れてしまうので使いどころに注意しないと後悔する。
これがあれば、もし大聖堂の事務室や地下で鍵がかかった場所があっても開けられる。
サラは鍵をローブのポケットに入れ、裏口から自宅を出た。
路地に積まれていた酒樽を足場に、ぴょんと屋根に登って宿屋の様子をうかがう。
ジュリアが言っていた通り、一等客室のベランダの窓が開いている。
助走をつけて宿屋の屋根に飛び移ったサラは、素早く窓から部屋へ入った。
すると、部屋の奥から声がした。
「時間ピッタリね。では早速だけれど、行きましょうか」
「あれ?ワトーは?」
「先に行かせたの。大聖堂の地下に入るのに必要な鍵を「あ、もしかして指輪?」
「え?ええ。よくわかったわね。
大聖堂の左隣にある建物、そこの事務室に保管しているらしいの」
「なあんや、じゃあ鍵持ってきた意味なかったかな」
「鍵?」
「1回だけやけど簡単な鍵なら開けれるっていう魔具。店にあったから持ってきてん」
「それは…地下で使うかもしれないわ。大事にしまっておいて」
「おっけー!んじゃ行きますか~!」
「私の魔法で飛ぶわ。しっかり手を繋いでいてね?」
ぎゅっとサラの手を握ってきたジュリアにドキリとする中、
彼女は左手を前に突き出して詠唱する。
《翡翠の森より来たれ神速の風 ステルス・ゲール》
サラには聞きなじみのない呪文をジュリアが唱えると、
二人の足元に翡翠色に輝く魔法陣が現れる。
その魔法陣からブワッと同じ色の風が吹き出て、
ジュリアとサラの周りをシェルターのごとく包み込んだ。
「口、閉じておきなさい。舌を噛むわよ」
「えっ」
サラの手をしかと繋いだままジュリアが床を蹴り上げる。
彼女の忠告に反して口を半開きにしてしまったサラは、すぐさまだらしない口元を正した。
まるで自分自身が疾風になったようだった。
瞬く間に客室から出ると大聖堂めがけ、風が走り抜ける。
大聖堂の屋根からサラが目撃した風はジュリアの魔法だったのだ。
あまりに速すぎて姿を目視できないのかと思っていたが、どうやら原理はそうではない。
このサラ達を包む薄い膜には姿隠しの札と同じ、姿を隠す効用が多少なりともあるようだ。
「サラ、サラ。着いたわよ」
サラがジュリアの魔法について考察しているうちに、大聖堂の裏口まで到着していた。
ぼんやりしないで、とサラを注意したジュリアは、
鍵がかかっているはずの裏口を難なく開けてしまった。
「え、なんで開けれんの?!」
「静かに。今日伺った時、鍵穴に細工をしたのよ」
ジュリアが教皇様にあっている最中に、
ワトーがこっそりと大聖堂内を動き回って細工をしていたらしい。
ハナから盗む気満々じゃないかと、サラは乾いた笑みを漏らす。
裏口から侵入したのち、サラは先頭を歩くジュリアの後ろについて行く。
ジュリアの足取りは迷いがなく、
かなり念入りに調べ尽くしてきたのだろうことが道順からうかがえる。
聖堂が右手に見えているのにその通路は使わず、大回りをして祭壇脇からやっと聖堂に入る。
聖堂の祭壇前に行くと床に這いつくばって、何かを探しているワトーがいた。
「ワトー」
「ハッ、姫様!ご無事で!」
一瞬お前もいるのかよと言いたげな目でワトーに見られたので、
居ちゃ悪いかとサラもにらみ返しておいた。
「ワトー、指輪は?」
「フフン、この通り!ちょちょいのちょいっすよ」
ワトーはドヤ顔で己の右手の人差し指に嵌めた指輪を見せつけてくる。
それはまごうことなく、兄が持っている指輪と同じデザインのもの。魔導師団の指輪だ。
「で、地下への扉が見つけられなくて無様に這いつくばっていたのね」
「ウッ…おっしゃる通りデス…」
「サラ、あなたも一緒に探して頂戴。
祭壇周りのどこかに指輪をはめ込むような窪みがあるはずなの」
「おっけー!まっかせといて!」
張り切って返事をするとまた、静かにとジュリアに注意されてしまった。
その様子を見ていたワトーがあからさまにニヤリと笑う。
若干腹立たしいので、コイツより先に見つけてやるとサラは目を凝らして床を見る。
ジュリアは祭壇左、ワトーは右を探しているようだったので、
サラはいつも教皇様が立つ中央位置を探す。
壁一面をぜいたくに使った祭壇は全面を白銀で装飾され、
正面のアルティナ像のみ金の浮彫で祀られている。
その絢爛な祭壇前は、赤地に金糸でエデンの紋章が刺繍されている重厚な絨毯が敷かれている。
(この絨毯の下とか隠し場所にピッタリちゃうん?)
そう思ったサラは、問答無用で絨毯をくるくる巻いて引っぺがす。
そして、見つけた。
正方形に薄く入った床石の切れ目、その中央にある小さなくぼみ。
サラはすぐにジュリアたちを呼び寄せる。
「ありがとう、サラ。ワトー、指輪をここに」
「ハイ、姫様」
ワトーが魔導士団の指輪を窪みに押し入れると、
切れ目が入っていた正方形の範囲に魔法文字が浮かび上がる。
驚いたワトーはその場から飛びのき、ジュリアとサラも数歩後ろへ下がる。
魔法文字が床石に整列すると、指輪を起点として銀の魔法陣が展開された。
その中心に現れたのは巨大な結晶。
結晶の中心には魔法文字が彫られている。
おそらく転移石の初回限定超豪華パックみたいなものだろう。
「まさか物理的な扉ではなくて、魔法で転移するっていう事…?」
「さっすが魔法大国っすね…仕掛けがド派手な魔法三昧」
「よし、行ってみよ!ジュリア!」
サラ達が魔法結晶に手を当てると、まばゆい光が三人を包んだ。
ふと瞼を持ち上げてみれば、そこは薄暗い通路の端。
背後には聖堂と同じ魔法結晶がゆるやかに回転していた。
通路は一直線で、左側にあるランタンだけがほの暗く道を照らしている。
「ここに仕掛けはもうないはず、だけれど…気を付けて進みましょう」
ジュリアはワトーにしんがりを歩くよう指示し、サラは二人の真ん中に入った。
神聖なる大聖堂のイメージとは打って変わって、地下はじめじめと湿気ており陰気だ。
その癖、奥へ進むたびに色濃くなってくる魔力の気配。
もう5分は歩いただろうか、無言のジュリアの後ろをサラは歩く。
何か話して気を紛らわせたい気持ちはあるが、
ジュリアもワトーも周りを警戒していて気軽に話せる雰囲気ではない。
大体なんでこんな陰湿な所にアルティナ様の杖を保管しているのだろう?
エデンはこの世界を創り給うたと言われる伝説上の三女神の一柱、
創造神アルティナを信仰している。
それならもっと大々的に人目につくところにおいて、祈りを捧げればいいものを。
そもそも、その杖は本物なのか?
伝説では杖をエデンに置いただとか、そんな明確な話は出てこない。
ああ、ちなみに伝説とは『三女神伝説』のことだ。
まず創造神アルティナ様が天と地と海を創り出し、
永遠神のディーファ様があらゆる生命を生み出した。
そして世界に存在するすべてのものは、賢神リィトス様によって魔力を与えられた。
原初の時、この世界のものはディーファ様の加護により、
人も含め不老不死だったと言われている。
ある時、人が禁忌を犯したらしい。
その禁忌の内容はどんな伝記にも記されていないのでわからない。
そのせいでリィトス様がお怒りになり、世界から不老不死を取り上げ、『死』を与えた。
結果、世界は急激に死に老いていった。
その命の死を嘆いたディーファ様が、自ら身を投げて世界樹となられた。
そして世界樹とともに生まれたのが、今のエルフだと云われている。
愛するディーファ様の転生にリィトス様は深く悲しまれ、
エルフを憎むあまり魔物を生み落とした。
魔物や邪悪なものがはびこる世界をアルティナ様は見ていられず、
人々の祈りに呼応して神が生まれるようにした。
生命を守れるように、世界を存続できるようにと、神に役割を与えた。
その制約にリィトス様は反旗を翻し、エルフのみならず世界そのものを憎むようになった。
破壊神となってしまったリィトス様を止めようと、アルティナ様は立ち向かわれた。
結果は辛くもアルティナ様が勝利した。
また破壊に目覚めぬよう、アルティナ様はリィトス様の力を5つに分けて各地に封印された。
その後、力を使い果たしたアルティナ様は御身を隠され、
今もどこかでお眠りになっているという。
この長ったらしい話こそ、世界全体に伝わっている伝説だ。
アルティナ信仰のあるエデンでは、この伝説を幼いころから読み聞かされる。
サラからすれば、信じるか信じないかはあなた次第です位の眉唾話だ。
さて、そうこうしている間に祭壇がありそうな仰々しい扉の前に辿り着いた。
開けるわよ、とジュリアが慎重に扉のノブに手をかける。
ガチャリと開いた先には、幾重もの結界に包まれた古い杖が祭壇に祀られていた。
「あった、あったわ…!」
「やりましたね姫様!」
「ほんまに、アルティナ様の杖…?でもこの結界じゃあ取られへんで?」
「そうみたいね。とてもじゃないけれど触れないわ…」
「無理やり手ェ突っ込んで取れないんすか?」
「駄目に決まっているでしょう。利き手がなくなってもいいの?」
「うん、ほんまにしたらあかんで。
多分オリジン魔法でいっちばん強い結界魔法を複数人で掛け合わせてる。
その人ら集めてこんと解かれへん」
結界の周りや魔法陣の形などを観察していたサラは、ジュリアに同意する。
兄がお店に出す商品を試す実験台として色々な魔法結界を見てきたが、これはとても厄介だ。
魔力量で例えるならオズワルド3人分、一般的な魔導師なら最低10人がかりで作っている。
こんな七面倒くさい結界をよく狭い室内に張れたなと、サラは呆れながらに感心する。
扉にもたれているワトーがそれを聞いて首を傾げた。
「オリジン魔法ってなんすか?」
「エデン国の人間のみが扱える詠唱型の魔法よ。そうよね、サラ」
「うん。基本的に魔力を杖とか物を媒介にして魔法をかけんねん。
魔法自体は自分のイメージ次第でオリジナルの魔法を構築できるから
『オリジン魔法』やねんて」
「へぇ~、アホ毛のくせに結構やるじゃん」
コイツは人を煽ることに特化したエルフなのだろうか?
自動発動スキル『煽り追尾射撃』でも搭載しているのか?
サラがワトーに文句を言ってやろうとした時、ジュリアが先に台詞を滑り込ませる。
「確かベースの呪文があって、そこから自分で派生していくのよね?
この結界魔法はそんなに複雑なの?
ベースがわかれば壊せたりとかしないかしら?」
ジュリアがとても冷たい笑みを浮かべ、サラとワトーの顔を見ながら話す。
その瞬間ワトーがバツの悪そうな顔をして、口をつぐんだ。
ああ、喧嘩してる暇はないんだった。
ジュリアのほほえみの裏側にある夜叉が見え隠れしている。
サラは、きっとジュリアがすでに知っているであろう模範回答を出すほかなかった。
「ごめん…このクラスの魔法はベースがわかっても壊されへん…。
無理やり壊すにしても、結界張った人らの3倍の魔力流し込んで打ち消すしかないで」
「そうよね。さて、どうしたものかし、何っ?!」
突如、地下全体に大きな地響きが生じる。
それに伴うかのように地震まで起こりだし、サラ達は両膝をついてその場に固まる。
ゴゴゴゴ、という音と同時に気味の悪い魔力を感じる。
第二波の地震が続く中、ドウッと祭壇から衝撃波が飛び出した。
「きゃあああっ!!」
「うわああっ!?」
「うぶぇっ、あぶないっ!!」
《ウィンド・シールド》
出入り口付近にいたワトーが咄嗟に風魔法で防壁を張る。
あまりに強大な魔力の放出に押し負かされ、ワトーの魔法はあっけなく砕け散ってしまった。
しかし、一瞬でも耐え抜いたことでサラ達は難を逃れたのだ。
嵐が去った後の静けさとはこういうものなのだろうか?
かまいたちが通った後のような傷、床石だったであろう瓦礫が部屋に散らばり、祭壇は大破していた。
それでも、それはそこにあり続けていた。
幾重もの厳重な魔法結界から脱したアルティナ様の杖は、
金の長柄の先端にある大きな青い魔玉を輝かせ、
その左右から魔法で構成された真白な翼を広げていた。
「これが…」
「アルティナ様の杖?」
「そうよ、正式名を『デア・ゲネシス』。
力の青魔玉、魂の赤霊石、意思の緑輝石がはめ込まれた偉大なる杖。
この3つの宝玉が「2つないっすよ姫様」
「えっ!?」
ジュリアがサラに説明してくれている最中、
勝手に杖を手に眺めていたワトーの言葉に驚きが隠せない。
ほら見てくださいよとジュリアの手に渡った杖には、赤と緑の宝玉が嵌まっていたであろう場所を空けていた。
「ほんまや、無くなってんな」
「そんな…青の魔玉の真下に赤、杖の末端付近に緑の輝石があるはずなのに…。
これでは本来の魔力を出せない…。
ここまで来て、民を、国を救えないというの…!!」
「まあ、それも大変なんすけどね?
地上はもっとヤバそうっすよ姫様」
「…何かあったの」
「大聖堂の外を見張らせといた精霊の気配が消えました。
それも全方位のやつが一瞬で。
最後にかろうじて風の精霊が伝達してきたのは、『クモ、キケン、ニゲロ』っす」
「えっ?どういうこと…?
クモってまさか、ジュリアが言ってたのと一緒やない、よなあ?
虫の方の蜘蛛やんな?せやんなあ?」
「…来たのよサラ。エデンの結界を破って。
私の祖国を襲った暗雲と同じ奴が…!
いくらなんでも早すぎるわ、とにかく黒い雲から逃れて…教皇様を探したほうがよさそうね…」
自分に言い聞かせるように問いかけたサラを待っていたのは、ジュリアからの正答と無慈悲な現実だった。
そんなの嘘だ。何かの間違いに決まっている。
昨日今日で、もう襲撃される?
有り得ない。エデンの結界が壊れたってこと…?
教区長のおじいちゃんたちか、教皇様に何かあった…?
ウソだ。だって、エデンの結界は最強だって、戦争も耐え抜いた無敵要塞で、魔法大国で…!
だからその話を信じてジュリアとの計画を企てた。
杖のところまで来たし手に入れたけど、結局杖は魔力不足でレニセロウスは助けられへん。
それどころかもし、エデンもレニセロウスみたいになったら…?
エデンは、みんなはどうなんの?
ミア、ミアがまだ家で寝てる。どうしよう、私は、どうしたらいい?
呆然とするサラをよそに、ジュリアたちは脱出経路を探していた。
薄らぼんやりとサラの耳に入ったのは、このまま来た道を戻るのは精霊の二の舞になりかねない。
別のルートを探して脱出するしかないと話し合っていたことだけだ。
「ありました姫様!ここから風が抜けてます!」
「でかしたわ、ワトー!サラ、サラ!いい加減しっかりして頂戴!」
ジュリアに肩を揺さぶられ、サラはハッとする。
「ご、ごめ…」
「ショックなのはわかるわ。
けれどその前に自分たちの命の安全を確保しましょう。
見たところ武器を持っていないようだから、
使えるかはわからないけれど…無いよりはマシだわ。
この杖はあなたが持っていて」
「姫様!この通路いけます!エデン国外の森に出るみたいっす!」
「先に精霊と行きなさいワトー!すぐに追いつくわ!」
「仰せのままにー!!」
アルティナ様の杖を持たされたまま突っ立っているサラとは違い、
ジュリアは的確に指示を出して行動する。
手のひらほどの小さな精霊をくっつけたワトーが部屋の奥にできた洞穴に入っていく。
エルフ魔法ってあんなことできるんだ、
なんてぼんやり考えていたサラの頬にパンッと痛みが走る。
「サラ!!大切な人たちがどうなってもいいの?!
国がどうなってもいいの?!」
「いや、や」
「なら、まずは自分の身を守ることだけを考えて!」
「あかん!ミアが!家族が…!みんな助けんと「今は逃げるの!!」
ジュリアが下唇を噛み、
悔しそうに涙を目尻に滲ませてサラの言葉を遮断する。
ぐっと掴まれた両肩が痛む。でもその様子を見ただけで分かった。
ジュリアは、2回目なんだ。
「サラ、私も同じよ。
祖国が襲われた時、
あなたよりも取り乱して大切な人を守ろうとあがいたわ。
でも!守れなかった…!私のせいで、余計に、巻き込んだ人もいた…!
その結果…私は、可愛い妹を、目の前で、連れ去られたの…!!」
「ジュリア…」
「これ以上、私の目の前で大切な人がいなくなるのは、見たくないの。
貴女のご家族の心配は痛いほどわかるわ。
でもその前に安全地帯を見つけましょう。
そしてご家族と、できるだけ多くの人の避難誘導をする。
それが今できる最善の行動よ」
「…うん。うん、わかった。ごめん。ちゃんと、する」
「行きましょう。ワトーが待っているわ」
どちらからでもなく、二人は手を繋いだ。絶対にはぐれないように。
サラとジュリアは、ワトーが進んだ洞穴の中を走り出した。