2-20
二階でバタンと音がした後すぐ、ジュリアがこちらへ顔を向けた。
「サラ。私達の荷物を出してもらえるかしら?」
「あー、うん。ちょっと待ってな」
そう言ってサラはすぐにポシェットを探り、複数あるカードからジュリアたちの荷物を机の上に出した。
出された荷物をワトーが手早く確認して、両手に抱える。
「ほう、それが魔導師の小道具か。興味深い」
「カイザーの魔具とは違ってシャレオツだよなあ!お前の全部紙切れだもんな!」
「紙切れじゃない、魔紙だ。そもそも俺は魔導師ではないのだから扱える魔具も違うのは当然だ」
「えっ、カイザー君は魔導師ちゃうんや!なんかエデンの似たようなローブ着てるからおんなじやと思っててんけど…」
サラが驚くとそれを聞いたレオンハルトがゲラゲラと笑い始めた。
「カイザーくんだってよ!カイザーくん!!やっぱこうなるんだな!ハハハハハハハ!!」
「黙れウドの大木。頭に響く」
「えっ?えっ?カイザーくん呼びはあかん、かった…?」
「いやあ〜ナイス君付けなんだけどよお!コイツ、これでもうちの隊で一番年長なんだよなあ!」
もう三十路のオッサンなんだぜ!と言いつつ、レオンハルトはカイザーの頭をワシワシとこねくり回す。
それに辟易した表情をあからさまに見せて、カイザーは頭上の手を払い除ける。
「細かく訂正させてもらうとまだ29だ。三十路ではないし、おっさんでもない。セントレードの魔導書士に過ぎん」
「セントレード…本当にマーファクトの者ではないんすね」
「初めに言っただろう。
俺たちはそれぞれの目的のためにマーファクトの軍を志願して、潜入しているだけだと」
「んーまあ…俺はマーファクトの生まれではあるけど、貧民生まれの反国家派だぜ。
生まれの話で言えばデレクが一番ややこしいか。アイツんちは元貴族だしなあ〜」
「元、貴族…?」
今まで視線をわざとそらしていたジュリアが、レオンハルトの言葉に反応して漸く彼らの顔を見る。
その仕草に二人も気づいたのか、少しだけ安堵の表情を浮かべて再度口を開く。
「デレクの母君が候爵家の生まれで、国王に側室として召し上げられて生まれたのがデレクだ。
ただ…セントレード王室は側室が非常に多い体質だった。
激しい側室同士の王位継承権争いの最中で国同士の戦争まで起こり、まさに混沌としていた時。
デレクの母君がマーファクトの捕虜となったおかげで、戦争は停戦に持ち越された」
「お母さんが捕虜になるだけで停戦…?」
サラが生まれたあとのエデンは戦争と無縁だった。
ゆえに戦争がどんなものかは本の中でしか知らない。それでも、その等価交換だけで戦争が締結するのは異常だと理解できた。
「おかしな話だろう?たった一人の犠牲だけで国は救われたんだ。
その理由はなんだと思う?」
「その、ありがちっすけど…敵国のお気に入りだったとか?」
「そんなカワイイもんじゃねえよ」
「…デレクの母上はな、『宝石魔法の使い手』なんだ」
「宝石魔法?」
「言葉通りだ。無から宝石を作り出せる魔法。
大昔には【光魔法】といわれ、何処にでもあった魔法らしい。
だが、今や廃れてしまって術式を継承しているのはウィルドース家だけだ」
特にデレクのお母さんは宝石魔法に優れており、どんな宝石でも作り出せたのだという。
希少価値の高い宝石を好みの大きさで作り出せる魔法だなんて、無限に宝の山が手に入るようなものだ。
「そんな貴重なものなら、アイツらが欲しがるのは目に見えてるっすね」
「ああ。セントレード国王はマーファクトにデレクの母君を売り飛ばして、見返りに停戦を手に入れた。
そして、残されたデレクとウィルドース家一族を黙らせるため、辺境に追いやり爵位も剥奪。
ウィルドース家の娘が国を救った筈なのに、表向きはウィルドース家がマーファクトの間者だったとされたんだ」
「…どいつもこいつもクソ野郎ばっかっすね」
「その、捕虜になった方は…?」
「…今も安否不明だ。恐らく軍の実験棟のどこかに監禁されているとは思うが…」
実験棟。その単語にジュリアがわずかに体を震わせる。
きっと、捕まったエルフ達もそこに入れられているのだろう。
「まあ、そういうわけでデレクは母ちゃんを救い出したいんだ」
「そしてマーファクトはもちろん、一族を裏切ったセントレードにも報復を考えている…。
気分を害したのならすまない。しかし…どうしても、君たちには知っておいてほしかった。
マーファクトへ強い憎しみを持っているのは、エルフだけではないということを。
君たちと志を同じくして、力になれる存在がいることを、知ってほしかった」
そう言ってカイザーはジュリアに頭を下げる。
それに対し、ジュリアは何とも言えぬ困惑した表情を見せた。
「私達だけが被害にあっている、訳では無いことは理解したわ…。あなた達が、本当にマーファクトを憎んでいることも。
私達の敵では無いと、頭では、わかるの。
それでも…それでもまだ…」
「ジュリア…」
ジュリアの中のトラウマは簡単に克服できるものではない。
サラも詳しく聞いた訳では無いが、何度も何度も命を狙われる恐怖は計り知れない。
いくら味方が増えようと、怖いものは怖いのだ。
ワトーの服の裾を掴んで離さないジュリアの左手がその証拠である。
「あんたらの事情は頭に入れましたよ。でも、今はそっとしといてくれますかねぇ。潜入のためといえど、その小隊に属しているのは頂けない。
さ、姫様。お疲れでしょう、少し休みましょうか」
ワトーは流れるようにジュリアの腰に手を回して、2階へと誘導する。
胸が詰まるような、苦しげに眉根を寄せるジュリアの横顔がサラの前を通り過ぎた。
カイザー達は何も言わず、二人の背を悲しげにさみしげに見つめていた。
階段を上りきり、ジュリアを先に扉の向こうへ行かせたワトーが足を止める。
「…協力には、感謝するっす」
髪に隠れて表情は見えなかったが、ワトーが言い残したその一言が、カイザー達にとっては大きな一歩だった。
これから少しずつでも、ジュリア達とデレク達が歩み寄ることができればいい。
お互いに手を取り合う時にはきっと、マーファクトを打ち負かすことなんて容易いだろうから。
「さて、お前は休まなくていいのか?」
「はえっ?あっ、えーと…」
カイザーにふと話を振られて、少し慌ててしまう。
そう。
仲間たちがみんな2階へと引っ込んでしまい、サラは完全に離席のタイミングを逃していた。
さっきジュリア達が離れるときに一緒に行けばよかったのだが、何となく腰が重くて立ち上がることができなかったのだ。
「あ、あはは〜。せやな…そろそろ私も休憩しとこうかな〜」
「なんやかんやで話混んじまったしなあ!そうだ。八つ時だし、なんかお菓子でも用意してやろうか?」
「ええよええよ!いま食べたら晩ごはん食べられへんくなりそうやし!」
レオンハルトに釣られて時計を見れば、もう15時を過ぎていた。
晩ごはんは18時と聞いているし、サラは小腹の虫の鳴き声を制止しつつ、おやつの申し出を断った。
「遠慮しなくていいぜ?どうせノルンの餌の用意もあるし、ついでだ!」
「ノルン?」
「なんだ、知らないのか?デレクからは引き合わせたと聞いているが」
「なんのこと?」
「呼んだほうが早いか。ノルン、ノルン出てこい」
カイザーがポケットから黒いリボンのついた小さな鈴を出して、リンリンと細かく鳴らす。
すると鍋蓋くらいの小さな黒い魔法陣が壁に浮かび上がり、そこから見覚えのある猫がしなやかにジャンプして出てきた。
「あ!泥棒猫!!」
「どろぼうねことは、しつれいだにゃー」
「えええ!?しゃべった!!!」
「こいつは俺の使い魔のひとつだ。今はデレクに貸し出しているがな」
すりすりとカイザーの足元で喉を鳴らせるノルンは、見た目通りの猫だ。
まさか魔力を有している使い魔だとは思えないほどに。
使い魔についてはサラも知っていた。
教会の授業で習った程度で、実際に目にしたのは初めてだが。
森に棲む野生の魔物の中にも穏やかな性格で友好的なものがいる。
そういった魔物と交渉をして使い魔にするのだ。
使い魔になれば魔物としては生活に困らず、安定して魔力も補給できる。
術者からすれば、魔物の力を借りて自分にできないことができるようになるので、お互いにウィンウィンの関係と言えるだろう。
ただ、大抵のことは自分で出来てしまうエデンの魔導師からしてみれば、特段必要ではなかったのだろう。
祖国で使役している人は見たことがない。
「使い魔…魔導書士ってそんなこともできるんや!」
「大したことじゃあない。魔導書士なんて、所詮は魔導師のマネ事だからな。
オリジン魔法を真似た固定の術式を魔導書にして暗記しているに過ぎない」
カイザーいわく、セントレードの魔導書士はエデンの魔導師の派生なのだそうだ。
固定の術式から数式のように魔導書を作成する魔導書士は、安定して魔法を扱える。
それに対し、魔導師は自らの想像と魔力を練り込み、個々にオリジナルの魔法を次々と編み出す。
柔軟性と特別感のある魔法を扱えるが、魔導師の魔法は不安定感が拭いきれない上に、相性が悪ければ魔法を継承できない。
魔法を後世に残すことに徹するため、セントレードでは魔導書士しかおらず、魔導書士になるための魔導書の大図書館があるのだという。
「俺からしてみりゃ魔導書士も魔導師も一緒だけどなあ〜」
「火炎魔法しか使えないバカはすっこんでろ」
「なんだよ〜!野宿では役に立つだろ〜!」
俺がいなけりゃウマい飯にも風呂にもありつけないだろ!とレオンハルトがぶう垂れる。
どうやらカイザーとデレクは火炎系の魔法と相性が悪いらしく、うまく扱えないらしい。
サラが回復系魔法を苦手としているのと似ている。
散歩から帰りたくない犬のように喚くレオンハルトを完全に無視し、カイザーは大きくため息をつく。
「はあ…こいつのことは気にするな。もう君も休んだほうがいい。慣れないことばかりで疲れたはずだ。
夕食後も船に乗らないといけないし、今のうちに体力の回復をしておけ」
「うん。そうする。でも色々話し聞けて楽しかったわ〜!またノルンちゃん触らせてな!」
「ああ、他の使い魔もいるから機会があれば会わせてやろう」
カイザーの言葉に頷き、2階へ上がろうとしたサラをレオンハルトがちょい待ちと引き止める。
「そうだ、休むなら多分右から二番目の客間しか空いてないと思うぜ!
右端の部屋にエルフの嬢ちゃんたち、左から二番目の部屋にライナさん達が入ったからな!」
4つある扉のうち、左端はデレクの部屋だと聞いた。
そして客間は一部屋二人が限度らしい。
レオンハルトの言うことが正しければ、おそらくサラはリナリアが運んだネルと相部屋になるのだろう。
そういえばここに来てからずっと眠り込んでいるが、大丈夫なのだろうか?
サラがネルの体調を頭の隅で気にしている中、カイザーは鼻で笑いながら口を開く。
「よく見ているな、お前にしては」
「当然だ!ライナさんを守るのは俺だからな!」
「まだ言ってるのか性懲りもない。お前の恋が実る可能性はゼロに等しいぞ」
カイザーが呆れた表情で忠告するのを聞いて、サラは素っ頓狂な声が出そうになった。
「ライナさん?恋って…え?もしかして、レオンハルトさんはミネルヴァのこと好きなん!?!?」
「おう!大好きだ!!正直すぐにでも告白したい!!!」
驚く程どストレートに胸の内を明かされたサラは開いた口が塞がらなかった。
まさか、ミネルヴァを好きになる異性が存在するとは。
いやまあ…彼女に問題があるわけではない。
ただ、ミネルヴァがその辺の男性よりも断然格好いいと言い切れる立ち振る舞いに難がある。
そして何より本人から色恋沙汰の影も形も感じ取れない。
そもそもミネルヴァの今の状況下で恋をしろ、という方が無理があるのかもしれないが。
サラがミネルヴァと恋愛を結びつけるものを必死で探すさなか、カイザーは相変わらずの呆れ顔で椅子に肘をついて乱雑に脚を組む。
「デレクに口酸っぱく言われただろうが。時と場合だけは考えてくれよ。もういい大人だろお前も」
「まだ若葉の痛みだから勢い余るかもなあ!!ハハハ!!」
「それを言うなら若気の至り、だ。幸先が不安でしかない…」
「えーと…なんでレオさんはミネルヴァのこと好きなん?知り合い?」
「戦場で一目惚れしたんだ!あの「やめとけやめとけ、この話は長くなる」
「なんだよカイザー!俺の恋物語の邪魔すんなよな!」
「お前の物語はもう何千回と聞いたし、誇張されすぎてて一回が長い。ハッキリ言って時間の無駄だ」
カイザーに話を遮られたレオンハルトはまたしても頬を膨らませて不満を垂れ流す。
数分前に見たデジャヴのようなやり取りにサラはくすりと笑う。
「というわけでだ、コイツの話が聞きたければまた時間を別で作ってくれ」
「わかった!ミネルヴァにも聞いてみるわ!」
「いや、それはおかしいだろう。何故片思い相手に聞きに行くんだ。コイツの馬鹿な懸想が本人にバレて厄介なことになる」
「いやあ、会ったことあるんやったらミネルヴァに聞いても一緒かなって」
サラがケロリとした表情でそう言うと、レオンハルトは慌てた様子で声を荒げる。
「それだけは勘弁してくれ!俺は!絶対に自分の言葉でライナさんに告白したいんだ!!人づてだなんて漢が擦り切れるぜ!!」
「擦り切れるな。廃れろ」
「すた、すたれるらしいぞ!!!とにかく!!俺は!こんな状況だからこそ!思いを伝えて愛を叫ぶべきだとおもうんだ!!ラブアンドチーズ!!」
「この混沌とした情勢で愛を叫べば死亡フラグしか立たんな。それからLOVE&PEACEだ。
チーズにそのクソデカ恋情包んで飲み込んでしまえ馬鹿野郎」
「ようわからんけどレオさん頑張れ!!」
「おう!俺はめげないしょげない諦めないぜー!!」
拳を突き上げて宣誓するレオンハルトにサラが拍手を贈ると、
バカが増えた、とカイザーが呟いていたが一体何のことだろうか。
よくわらかないが、取り敢えずサラはレオンハルトの恋を応援することに決めた。
「んじゃ、そろそろ休ませてもらうわ〜!」
「長く引き止めて悪かったな。主にコイツが」
「晩ごはんのときにはまた呼びに行くぜー!」
「ごはん、楽しみにしてるなー!」
なかなか有意義な時間を過ごせた気になったサラは、二人に軽く手を振ってから2階へと上がる。
レオンハルトに言われたとおり、右から二番目の客間に入れば、やはりそこに彼女は横たわっていた。
簡素なベッドが中央のベッドライトの左右に置かれており、ささやかな憩いの空間として小さなテーブルセットがあるだけの客室。
その部屋の一番奥のベッドで、リナリアに運び込まれたままであろうネルは、外着のままでこんこんと眠り続けていた。
「ふう」
扉脇にある椅子に腰掛け、ひと息つく。
荷物を適当にテーブルへ置いて体が軽くなると、どっと気が抜ける感覚に陥った。
ここに来るまで色々とありすぎた。
改めて自分の今の姿を見て、サラは少し気恥ずかしさを取り戻す。
そういえば変装しろと言われて、髪を解いていたんだった。
道理で首の後ろがベタつくわけだ。
心なしか汗臭いようにも感じる。
シャワーでも浴びたい所だが、動く気にすらなれない。
こんな時こそ魔法であると、サラは自分自身に洗浄の魔法をかけた。
服の汚れから髪のベタつき、全身の不快感が無くなったサラは空いているベッドに横になろうとした。
その時になってやっと気づいた。
ネルの寝汗が酷い。縮こまって寝ていたから顔周りがテーブルからではよく見えなかったのだ。
ウンウンとうなされていて、酷く辛そうだ。
顔をしかめて生理的な涙を流すネルを見ていると、昔のことを思い出した。
そうだ、小さい頃のミアも夢見が悪くてよくうなされていた。
そんなときは兄がしてくれたのを見様見真似で、手を握ったり頭を撫でたりしていたものだ。
懐かしい思い出を胸に、サラはうなされているネルのベッドへ腰掛け、そっと手を包んでやる。
子どもの体温のように温かなネルの手は固く握り拳を作っていたが、サラが頭を撫でたりしているとそれは緩やかに開かれた。
握手するような形でネルの手を触っていると、うとうとと睡魔が襲ってくる。
自分のベッドで休もうかと頭の片隅で考えたものの、もう体力が限界を迎えていた。
ネルは小柄だし、寝相も良さそうだからベッドから落ちることはないだろう。
なんて勝手に決めつけて、サラはネルの隣に横になる。
手を繋いだまま、少しだけ穏やかな顔つきになったネルを見て、サラはまぶたを閉じた。
深い深い眠りに落ちる。
身体に溜まった疲れが少しずつ泡のように消えていくような感覚。
心地よい温かな空間。
そんな中、突如として熱い火の手がサラを襲う。
(あつい、なに、これ)
煮え立った鍋の中にでも放り込まれたかのように熱い。
むわりと立ち込める熱気と息苦しさに、サラは目を開く。
その眼前に飛び込んできたのは全く知らない町並み。
辺り一帯が轟々と渦巻く炎で焼け焦げて、沢山の人が道脇や家の中で黒ずんで息絶えているのが見えた。
「なに、これ」
あまりにも凄惨な状況にサラは驚き戸惑うも、これは夢であると感じた。
だってネルの横で眠りについていたのだから。
ただ、これまでの白昼夢とはずいぶんと毛色が違う。
何がそう実感させているのか、サラ自身もよくわからないが、とにかくこれはアルティナ様が関わっている夢ではないと確信できた。
半透明な自分の体がふわりと浮かんで、赤く燃える町を見下ろす形になる。
町に住む人の悲鳴、子供の泣き声、崩れ落ちていく建物。
必死で助けようとするも火の手がまわり過ぎていて、ただ見ていることしかできない。
宙に浮かぶサラの足元で、何かを叫ぶ神父の姿が見えた。
酷い火傷を負いながらも、神父は幼い子たちをなんとか逃がそうとしている。
水を頭から被った勇気ある青年がパニック状態の男の子と気を失った女の子を小脇に抱え、燃え盛る炎の合間を縫うようにして走る。
その時、青年の後ろで教会の一部が倒壊した。
ガラガラ、バチバチ、ゴウゴウと、けたたましい音を立てて崩れたその建物の下からつぅと流れ出る赤。
火よりも濃く、どろりとした赤の液体は一気に地面を真紅に染めていく。
赤熱の瓦礫の隙間からゴツゴツした男の手が見え、その先でロザリオが血の海に浮かんでいた。
人が死んでいく。
次々と、息絶える。
サラにはどうすることもできない。
名前も場所も知らない、彼らとこの街を救うことはかなわない。
もう嫌だ、見たくない。
これ以上誰かが傷つくのは、誰かが倒れるのは、見たくない。
街の光景から目を背けるようにギュッと膝を抱えて縮こまる。
悪夢なら早く覚めてと、祈り続けた。
すると、声が聞こえた。
(誰でもいい、たすけて、ここから、どうか)
藁にもすがる思いで声のする方へと身体を向けた。
水中から見た白鳥の足のようにバタバタと手足をせわしなく動かして、この場から逃れようとする。
そしてハッ、と目が覚めた。
どっどっどっと心臓が早鐘を打つ音が体中に響いている。
じっとりと汗ばんだ身体を起き上がらせると、隣でネルが心配そうにサラの顔を覗き込んでいた。
ネルに話しかけようと息を吸い込んだ瞬間、向こうが先に口火を切った。
「ごめんなさい。わたしの、せいで」
何がなんだか分からなかった。
寝起きに唐突に謝られたサラの頭では、理解が追いつかなかった。
それでもネルは話し続ける。
「わたしのせいで、サラに予知夢を見せちゃった…」
「え?予知…?私は、悪い夢を見ただけで「街が焼き尽くされる夢で、いっぱいヒトが死ぬ夢でしょ」
「どうしてネルが私の悪夢の内容知ってんの…?」
「だって、あれはいずれ近い未来で起こる予知だから」
「あれが…近いうちに起こる…?嘘やろ?」
「ウソじゃないよ」
それからネルは淡々と語った。
自分が今しなくてはいけない神としての仕事は、死者をリスト化して寝所へ伝えること。
眠っているときに予知夢を見、いつどこでだれが死ぬのか、それを知ることができる。
また、起きているときでも顔を見て死相が浮かべば、亡くなる場所と大体の時間を知ることができるという。
それらの情報をもとに、死亡予定の人をリストアップし、寝所に残してきた双子へ夢を通して伝えていたのだと。
「じゃ、じゃあ…あの人たちは…」
「近いうちに起こる戦火で巻きこまれて、魂は寝所へ還るの」
「そんな…あの、あれは…止められ、へんの?」
「…ほとんど予知夢通りになるよ。たまに、ほんとうにたまにだけど、生き残るヒトもいる」
「ネルは…ネルは、辛くないん?」
「…つらいよ。かなしい。くるしいし、やめたい。
でも、だれかがやらないとダメだから。
わたしがやらないと、この世界の死者は転生できなくなる…から」
「ネル…」
目を伏せたネルの体を思わず抱き寄せる。
ぎゅうっと痛いくらい抱きしめた。
神様とはいえ、慈悲深い優しい女の子を苦しませて、心を犠牲にしなくてはならない世界に、サラは悔しさを感じた。
「ネル、ありがとう。今まで、ずっと、ありがとう」
心を痛めながらも世界のために人のために動いてくれていたこと。
旅に出なければ知りもしなかったネルの存在。
だからこそ、今までの分も含めたありったけの感謝を込めて。
サラはネルの肩に顔を埋め、その肩口を少し涙で濡らした。




