2-17
あくび交じりの自己紹介は恐ろしいまでに締まらなかったが、これも彼女の持ち味なのだろう。
ネル様が不意にパチパチと拍手をする。
急に一体何してるんだこの女神…と面食らっていると、サラ達の体が突如重さを取り戻す。
「うおっ?!」
「うえっ?!」
「っ!?」
「か、からだが…」
「もどった…」
「うん、よかったねえ」
ふんわりと微笑むネル様と自らの体を交互に見ては混乱してしまう。
いや、うれしいのだ。心底嬉しいのだが、こんなにあっさりと『身体』を取り戻したことに驚きを隠しきれない。
「あ、ありがとう、ございます…??」
「あとは…その子のキズ、なおすね」
そう言ってネル様はミネルヴァの前に膝をついた。
「な、何を言っている?私はもうリナリアたちから治癒を受けた。
少し疲労がたまっていて動きは鈍いが…もう外傷はない」
「ちがう」
ここ、とネル様が手を当てたのはミネルヴァの左腕。
急に二の腕をぐんっと掴まれたミネルヴァは前かがみになり、ネル様の目の前に腕を差し出す形になる。
「ライナ様に何を!」
「やめろ!」
主人への無体に激怒するリナリアと今まで見たことのない焦り具合のミネルヴァが、ネル様に訴えかける。
それでもネル様は聞く耳を一切持たず、肩口に人差し指と中指を揃えて滑らせる。
たちまちミネルヴァの左の袖はストンと地に落ち、左側だけノースリーブ状態となった。
露わになるミネルヴァの左腕。
いつもは服に隠されていた彼女の利き腕。
そこにあったのは、目を奪われるほど大きく痛々しい赤黒い痣だった。
「えっ?!な、なにそれ…!?」
「なんてこと…」
「うっわ…えげつないっすね…」
「………」
サラ達にも見られたからか、ミネルヴァは苦虫を噛み潰したような顔をして自身の左腕から目を背ける。
何故このような痣があるのかは話さない。
ミネルヴァから断固とした意志が垣間見えるも、ネル様は臆さず問いかける。
「これ、いつから?」
「……」
「魂がたべられてる。この呪いのせいで。なおさないと、死ぬよ?」
「…わかっている!!」
「の、呪い…?死ぬって…どういうことなん?!」
サラの言葉に、ミネルヴァはただただ沈黙するだけだった。
応えない本人の代わりに、ネル様が口を開く。
「すごく、つよい呪い。
この子の魔力を、ぜんぶ吸いつくして、いまは寿命を…かり取ってる。
でも…核をこわせば、この子は死んでしまう…。
呪いをかけた人にといてもらうか、ころさないと…なおらない。
誰にかけられたのかは、知らないけど…今わたしがしてあげられるのは、これくらい」
そう言ってネル様がミネルヴァの痣に向かって両手をかざす。
キラキラと銀色に輝く光の粒子が痣の中心に注がれる。
最後の仕上げと言わんばかりに、ネル様が中心に溜まった粒子へ優しく吐息を吹きかけた。
すると赤黒く変色しきって重度の火傷のようになっていた痣は、ほんのりと血色を取り戻した。
「痛みが…引いた…」
ネル様の術が効いたのか、ミネルヴァは左手の可動域を確かめては驚きの表情を隠せずにいた。
「これは、気休めだから…。はやく呪いをかけた人、みつけて」
「……ああ」
「ちょっと、ミネルヴァ!どういう事なんよ!説明してぇや!」
「…それは、出来ない」
「出来ないって、なんで!?一緒に旅してる仲間やん!」
「勘違いするな。我々は目的が似通っているだけで、君らとつるんだつもりはない。
今のところ、共同戦線を張るのが最善と判断したまで。
ただの同行者に内情を暴露するつもりは一切ない。
『おともだちごっこ』がしたければ、余所を当たってくれ」
頭を強く殴られたかのような衝撃だった。
だって、カロラ国でもマルモル村でも、ミネルヴァは友好的だった。
リナリアは少しとっつきにくい感じもあるが、それでも根は良い人なんだな、と感じていた。
アルティナ様の杖に関しても真摯に取り合ってくれたし、大切なものを救いたいという気持ちに至ってはシンパシーを感じていた。
サラにとってはもう、二人は『仲間』だったのだ。
特にミネルヴァは心を開いてくれていると、思っていたのに。
名状しがたい涙がサラの頬を伝っていく。
「そ、そんな…そんなこと…、今はみんなで助け合うしかないやん!!私の力が必要なんやろ…ちゃうの?!」
「貴女しか杖を使えない、と断定されたわけではありません。
私たちは国を救うため、『杖の力』が必要なだけです。
『サラ・エトワール』が必要だとは言っておりません。
…その観点に関しては、レニセロウスも同意見だと思いますが?」
「そんなことない!ジュリアたちはそんなことっ…「ごめんなさい、サラ」
ひゅ、と喉の奥が鳴る。
目を伏せて謝るジュリアの顔、仕草が物語っていた。
はくはくと口先を動かすも、言葉が出てこない。
「私も、カロラと同じ考えよ…。世界の異変に伴い、手を取り合う。
一時的な協力関係なだけで…私たちは、心まで通わせる深い間柄ではないわ」
どうして、なんで、わからない。
あんなにたくさん、話したのに。気持ちを分かち合ってくれたのでは、なかったのか?
見開かれた両目から大粒の涙が壊れた蛇口のように零れ落ちていく。
揺らぐ視界の中、サラは膝から崩れ落ちた。
「とにかく、だ。私の左腕についてはこれからも黙秘するし、質問は受け付けない。
だが、君たちと仲たがいをしたいわけではない。『協力』はする。
お互いに利害の一致を考えて、行動しようじゃあないか」
悪い話ではないだろう?とあっさり告げてくるミネルヴァの言葉が、サラの心に深く突き刺さる。
理解できない。
エデンでは、みんな仲良しで、友達で、仲間だった。
どんな人種の人であっても、どんな国の人であっても、どんなに意地悪な人であっても。
エデンで暮らす人たちは、みんな、温かかったのに。
戸惑いと悲しみと痛みに暮れるサラの背にドンッと衝撃が走る。
小さな両手が肩口からぐるりと回り、湯たんぽのように温かい体温がサラをぎゅっと包み込む。
「もう!おまえらいいかげんにしろよー!なんだってそんなにサラをいじめるんだよ!」
「いじめているわけではないのよ?ただ、現実的に考えて欲しいというだけで…」
「おまえらを信じてるサラの気持ちにもなってみろよ!なんで最初から疑ってかかるんだよ!
ちょっとはヒトを信じてみろよ!
そんなんだから!
そんなんだから、みんな…ケンカになって、戦争が起きて、みんなみんな死んじゃうんだよ!!」
「兄ちゃん…泣かないでなのだよー…」
セー君の言葉には妙に重みがあった。
ぽろぽろとサラの後ろで静かに涙を流すセー君を気遣い、ミュー君が寄り添う。
「…セーには、現世で死んじゃった理由を記録する仕事をまかせてるから…。
そっか、そうだね…つらいなあ…」
ぽそりと呟いたネル様の一言で、セー君が今まで見てきたことが明らかになる。
人間の浅ましい諍いや喧嘩、戦争、虐待、裏切り、殺人、私利私欲にまみれた事故から不運なものまですべて。
全ての人の、全ての死亡理由を記録してきた、という事なのだろう。
だからこそ、セー君はサラ達の言い合いを嫌ったのだ。
それがきっかけ、とまではいわないが、死のトリガーに成り得る可能性のあるものが怖いのだろう。
「み、みんな疲れてるのだよー!今日は休んだ方がいいのだよ~!」
ねっ?ねっ?とわざとらしく首をかしげてミュー君は笑顔を取り繕う。
こんな小さな子に気を遣わせてバカみたいだ。
いつまでもいじけているなんて自分らしくない。
サラは大きく息を吸い込んで、ミネルヴァ達の方を向いた。
「あー!もうええわ!みんなの言いたいことは分かったけど!私は私らしく行かせてもらうで!
ぜ~ったい、全員と『仲間』って胸張って言えるような関係になったるからな~!
これからもっと絡みに行くから覚悟しといてや!」
ビシィッと指をさし、鼻息荒くドヤ顔で宣言してやった。
するとミネルヴァとジュリアは目を丸くして固まり、リナリアは頭を抱える。
数秒して我に返った王族の姫様たちはため息交じりに言葉を漏らす。
「何だか逆に面倒なことになったな…」
「困ったものね…」
困り顔の二人に対し、ワトーが口角を三日月形に引き上げて愉しそうに声をあげる。
「いーじゃないすか、お二人とも!仲間と言わず『友達』作りましょ!
上辺だけの付き合いなんかよりずっと楽しいですって!」
「隙を作るだけだろう」
「馴れ合うのはあなただけで足りているのよ」
「そう言わずに~!王族様は固いっすねえ~。リナリアさんからもなんか言ってやってくださいよ!」
「私はライナ様の決定に従うだけです」
「こっちも頭固かったか!一度きりの人生、楽しんだもん勝ちっすよ~?
もっとお気楽に考えましょうよ!王族だって心の底から笑ってもいいはずでしょうに。
私は姫様に幸せになってほしいんすよ。今まで辛い思いをした以上に笑顔で居て欲しい。
主人の幸せを願う従者ってのはヘンだと思いますか、リナリアさん」
サラがあれだけ苦しんだ言い合いの時はだんまりを決め込んでいたワトーが、嘘のように喋るは喋る。
まるで水を得た魚のようだ。
ワトーの積年の想いが込められたその訴えに、リナリアは答える事が出来ずうつむいたままだった。
そんな様子を見るに耐えかねたのか、従者の熱烈な思いに気恥しくなったのか、ジュリアが口を挟んだ。
「ノア、貴女も馬鹿じゃないんだからわかっているでしょう。
私たちは存在するだけで利用価値があるの。いつ何時でも気を抜いてはいけないのよ。
心から笑うなんて…出来るはずがないわ」
「…小さな油断から大きな問題に発展する。
心許したとして、その者を…起点にしてしまうのが、私は許せない」
そういった二人の表情には陰りがあった。
ジュリアもミネルヴァも立場上、どうしようもないのだ。
ひとつ行動を間違えれば、それが命取りになることもある。
常に緊張の糸を張り巡らせて、自由とは縁遠いところに立っているのだ。
そんな彼女らを、サラは不憫に思った。
可哀そう、とは少し違う。言い表せない感情だ。
でもきっと、今思っていることは、感じていることは、ワトーが目指しているものと同じはずだ。
「ほらほら、おまえら!いいから休めよ!ヒトが食えるようなもん探してきてやるから!」
いつまでも話をするサラ達にしびれを切らしたのか、セー君がぷんすか怒って声を荒げる。
ぷっくりと頬を膨らましたまま、セー君はミュー君を引き連れて寝所の隅にある小部屋にずんずん向かっていった。
その様子を見ていたネル様がくすりと小さく笑うのをきっかけに、サラ達の表情も多少穏やかなものになった。
「おふとん、これでいい?」
ネル様がそう言って指を数度鳴らすと、頭上からぼふんっぼふんっと柔らかな布団が人数分落ちてきた。
触っただけで分かる。これは人をだめにしてしまう系のもふもふ布団一式だ。
これに挟まってしまえば数秒経たずして深い眠りに誘われるだろう。
流石は眠りの神と揶揄されるだけある。
寝所の片隅に布団を各自敷いていると、両手いっぱいに食べ物を持った双子がやってきた。
「いつも奉納される果物とお水があったのだよ~!」
「魚と肉もあったけど、ここじゃ料理できないからこれでガマンしろよ」
ミュー君とセー君が持ってきてくれた果物と水を、サラ達はありがたく受け取った。
サラのカードに収納した荷物の中にも食料はあるが、微々たるものだ。
使わずにこの先のために保存できるのなら、そうした方が良い。
ネル様が出してくれた簡易的なテーブルセットで食事を済ませた一行は、絶妙な距離感で各々の時間を過ごし始める。
ミネルヴァとリナリアが武器の手入れをする中、
ジュリアは風呂に入れないのを気にしてか、魔法で身なりを整えていた。
特にすることもなく手持無沙汰なサラはふらりと立ち上がり、同じくぼんやりとしているネル様に話しかけた。
「なあなあ、ネル様」
「うん?ネルでいいよ…?」
「あ、じゃあ私もサラでええで!ところで、さっきから何見てんの?」
寝所には嵌め殺しの大きな窓がいくつかあるが、そのどれもが断崖絶壁の岩肌しか見えない風景だ。
絶景には程遠いその景色を眺め続けるネルには、何か違うものが見えているのだろうかと、サラは気になったのだ。
「…なんにも。ここからは、なんにも見えない…よ」
「え?じゃあなんで見てんの?」
「もしかしたら、なにか知らないものが、とおるかもしれない…から」
確かに岩々の間を強風が吹き荒れているので、何かは落ちてきたりするかもしれないが…。
ニムエの術で降り立った場所ですら、空が豆粒ほどに見えるか見えないかのような深い谷底だった。
そんな場所に落ちてくるのはせいぜい瓦礫か風に飛ばされた木くず程度だろう。
ハッキリ言ってしまえばゴミだ。
「こんなとこに引きこもってんと、外に出たらもっとキレイなもんいっぱい見れるやん」
「…わたし、出たことがない」
「え?」
「ディーファ様につくられてから、ここから一度も、一歩も出たことがない…んだよ」
「ええ?!なんで?!」
「だって、お役目が…あるから」
まただ。神様のお役目。制約があるのは分かる。ニムエから聞いた時も本当に不思議でならなかった。
なんだってこうも神様は不自由で、土地に縛られているんだろう?
その場にいないと困るから?だとしても、常駐しなくたっていいだろう。
お店だって定休日を設けているし、人だってずっと仕事をしているわけじゃあない。
神様にもお休みは必要なはずだ。
「ネルは外に出たくない?」
「おそと…いきたい、よ?でも、わたしがいないと、みんながこまる…」
「ミュー君とセー君に任せて、ちょっとだけ行くとかもダメなん?」
「それ、は…だいじょうぶだけど…」
「二人が心配?仕事がうまくいくかとか?」
ネルはこくんと頷き、ぽそぽそと話始める。
「わたしの仕事は、ちょっとむずかしい…から。
眠っている時は世界樹のお世話をして、起きてるときは大地のお世話をしなくちゃいけない」
「なにそれ…じゃあネルは休みなしでずーっと働かされてるってこと?!」
「うーん…ずっと、じゃないよ?でも、最近は世界樹も大地も調子が良くなくて…お世話に時間がかかってる…かな…」
お陰で寝不足、とネルは一つ大きなあくびをした。
ここでサラは思い出した。そうだ、ニムエが言っていた。
世界樹と大地の働きが遅れているとかなんとか。
ネルがずっと働き詰めで頑張っても、その不具合は直っていない…ということは。
ヒュブリスが裏で何かしているのかもしれない。あるいはあのよく分からない呪術師が関係しているかも。
ネルは世界の根幹にかかわる神様だ。今の世界の事を、彼女は理解しているのだろうか?
「ネル。今、外で何が起こってるか…知ってる?」
「なに?なにかおかしいの?」
案の定、何も知らなかったネルにサラは今まで起きたことを簡単に話した。
話すにつれてネルの表情はどんどんと曇っていき、最終的には一筋の涙を流した。
「…ごめん、ね。わたしが…お仕事、もっとがんばっていれば…。
呪いなんてかかっていなければ、よかったのかも…」
「ネル…」
スンスン、と小さく声を殺して涙するネルの背を優しく撫でていたその時だ。
「ね、ねえね!なんでねえね泣いてるのだよ~!」
「ねえねを泣かせる奴はサラでもゆるさないんだぞ!」
「誤解やって~!」
ネルの小さな保護者達に事の顛末を利かせると、二人は妙に大人しくなった。
そしてネルの涙をぬぐった双子が最愛の姉にひしと抱き付く。
「ねえねはいっぱいがんばってるのだよ~」
「むしろ頑張りすぎなくらいだっての」
「ミュー、セー…」
「ぼくたち、知ってるのだよ~。何百年も前から、ねえねが外を気にしてるの」
「安らかに死んだヤツの記憶では、外ってすごくきれいだし…おれも見てみたいって思うよ」
「ねえねは、ぼくらがうまれるまでは全部の仕事をしてきて、すっごい大変だったのも知ってるのだよー」
「ねえね。ねえねがこの世界を大好きなのも知ってる。だから、わかるよ」
「「今のねえねの気持ち、わかるよ」」
愛しい人を見つめる瞳だった。
まるで、我が子の成長を望んでわざと手放す時のような慈愛に満ちた母のような表情で、双子はネルの背を押したのだ。
ミュー君とセー君の温かな心に包まれたネルは、また静かに涙を流していた。
双子を強く強く抱きしめた後、ネルは顔をあげてこう言った。
「わたしを、つれていってくれる?」
「もちろん!」
ミネルヴァ達が反対したって構うもんか。
ネルはこんなに頑張ってきたんだ。それにネルには知る権利がある。
この美しい世界のためにネルは欠かせない存在なのだと。
寝所の片隅でひそかに仲間が増えたのはまだ秘密にしておき、その日は体を休めることに集中した。
やはり色々あったせいか、それとも魂と肉体が一時的とはいえ離れたせいか、全員文字通り死んだように眠りについた。
翌朝、またしても昨日と同じメニューを軽くいただき、サラ達は出立の準備を始める。
ミュー君によると、ここから一番近いのはポートレイムの町だそうで、サラ達の目的地としてもちょうど都合が良い。ポートレイムで情報収集するかという話になり、セー君が町へ出られる道を教えてくれた。
大体の準備が済んだ頃、そういえば大事なことを聞き忘れていたと、ミネルヴァが口を開く。
「そもそも、何故ネル様は狙われたんだ?」
「ほんとうの狙いは、ミューだよ。ミューの力、ほしいっていわれたから」
「ミューリット君の力?そんなに強い力なのですか?」
「ミューに渡してる『生命の力』は、命を刈り取るチカラ…。
刈り取った魂は、自由にコントロールできる…わるい事にも、つかえる」
「…例えば、『魂の入れ替え』だな?」
「入れ替えるとしたら…やっぱり、ヒュブリスとリィトス様…よね…」
「想像したくはないですが、その線が一番濃厚でしょう」
こくん、とネル様は頷き、近くにいたミュー君とセー君を両側に抱き寄せて頭を撫でる。
「この子たちのチカラは、特別。
ミューは世界樹から直接チカラをもらったし、セーはアルティナ様の力を借りてつくった」
「え?待ってちょうだい。アルティナ様はここに来たことがあるの?」
「うん。ちょうどこの子たちをつくるときに、人としておちてきた」
「人として?!それって、じゃあ、サラの言っていた白昼夢の事っすか?!」
ワトーの声にサラはびくりと体を震わせる。
まさか、本当にあの白昼夢はアルティナ様の記憶のひとかけらだった…?
真実ならますますアルティナ様の取った行動の意味が分からない。
サラが一人悶々と物思いにふける中でも、会話は進んでいく。
「ん、よくわからないけど…アルティナ様は人間として命を落としたから、ここに来たよ。
えっと…なまえ、なんだったかな…」
「たしか…イヴ、『イヴ・リュミエール』だよ!ねえね!」
「うん。なんか、そんな名前だった気がする…」
「イヴ…?!?!」
「まさか、本当に…?」
「だとしたら、もうアルティナ様は転生して現世にいらっしゃるという事…?!」
それに対しセー君がすぐに頭を振った。
「それはないね。おれ、転生させた人はみんな覚えてるし。イヴさんはまだ転生させてないよ」
「うん。そう、だね。なんだっけ…なんか、言われたよ?
えーっと…ああ、そうだ。
『うつわに呼ばれたらいくから、それまでは転生させないで』って」
「また器…」
「サラ。白昼夢で出てきた名前は、確かにイヴだったのよね?」
「うん…。アダムって呼ばれた男の人に、剣で若木ごと刺されて…それで…」
「刺殺…そうだよ。死因もあってるし、間違ってないよ」
死に際を記録しているセー君が言っているのだ。
これでサラの白昼夢が夢ではなく、記憶であり、史実であると証明されてしまった。
「イヴとアルティナ様に関してはこれ以上議論しても分からないか…」
「ネル様、訪ねてきた二人組はどんな輩だったのか覚えていませんか?」
「オセって呼ばれてたガタイのいいひとと、もうひとりは…」
「すっげえ香水くさい男だったよ!」
セー君の言葉にミネルヴァとリナリアがあからさまに反応する。
「カスコーネ…こんなところにまで…ですか…」
「しかもパトリア村長の雇った呪術師の男と通じていたとはな…最悪だ」
「これではっきりしたわ。オセが口走っていた『バルトロメウス商会』も黒、確定ね」
「ヒュブリスは案外、闇の組織に色々と根回ししているってことなんですかねえ~」
ちまちまと用意がいいことで、とワトーは悪態をついた。
その時、あ。とネルが何か思い出したのか、素っ頓狂な声を漏らす。
「そういえば…変なこともいわれた。呪いを受けた直後に『薔薇は枯れやすいねえ~』って」
「薔薇…ニムエも言ってたやつやんね?」
「だろうな。やはり何かの隠語…となると、『薔薇』とはネル様の事で『百合』がニムエか?」
「神々を花で揶揄しているのでしょうか…」
「でもそれに何の意味があるのかしら?」
「その辺も古い文献や情報を探る必要がありそうっすね」
「ネル様、他に何かお気づきのことは?」
リナリアの質問に「特には」とネルが答えると、ミネルヴァ達はすくっと立ち上がった。
「もうここに長居する必要はないですね」
「ではそろそろお暇しよう。ネル様の仕事の邪魔になってはいけないからな」
「そうね、ポートレイムの町へは山を下るのでしょう?日が高いうちに進んだ方が良いわ」
「ちょっと待ったあああ!!」
みんなが町へ向かおうと足を進めた時、サラは彼女らの前に立ちふさがった。
「何だ。もしかして『仲間』への勧誘か?それならお断りだぞ」
「ううっ、それはそれで悲しいけど…!そうじゃなくて!ネル!まだ言う事あるやろ!」
「ネル様?」
もしかしてまだ何か気づいたことがあったのか、とミネルヴァ達はとんだ勘違いをしてネルの方へ振り向く。
ふわふわの衣裳を両手で固く握りしめたまま、ネルはこれまでで一番真剣な眼差しを向ける。
「わたしも、いっしょにいくよ」
開いた口が塞がらない、とはこのことであろう。
ミネルヴァに関しては聞き間違いかと一瞬疑ったようで、んんっ?!と首をかしげる。
「ちょ、ちょっと、待ってちょうだい?ネル様はこちらでお仕事をしなくてはいけないはずでは…?」
「そのお仕事はぼくらがやるのだよ~!」
「し、しかし…君たちにはもともと抱えている仕事があるだろう?そのうえ神の仕事まで出来るのか?」
「おれらは、大地の方だけ受け持つんだよ。ねえねはお昼寝しながら世界樹の仕事すんの」
「ってかネル様って寝所出てもオッケーなんすか?!」
「お仕事してれば、消えないもん…。
それにわたし、べんりだよ?神術でいろいろ出せるし、魔力もつよいし、飛んでていさつもできるよ?」
ついて来る気満々で自らを売り込んできた神様を無下にできるはずもなく、姫様方はしぶしぶ了解する他なかった。
こうして一行は新たに眠りの神(生と死の神)という恐ろしいまでにレアな人物を『仲間』に加え、歩き出すこととなった。
「ねえね~!気を付けてなのだよ~!!」
「ねえねに何かあったらぶっ飛ばしに行くから気をつけろよ~!!」
いつまでも、いつまでも、双子は手を振り続けた。
寝所の扉が完全に閉まった時、振り返していたネルの手は行き場を失い、寂しさと共に力なく下げられた。
それでも、ネルは長年の仕事場を背にして歩き始める。
断崖絶壁の崖に挟まれた小さな山道を下っていけば、遥か彼方に見えるのは青々と茂る森。
さらにその先には青い屋根と白い外壁で統一された美しい港町だ。
「そら、これが空…世界は、青いんだね…」
「ネル!お日様もまぶしいで!それに森に入ったら、生き物もおるで!」
「うん、うん…!ありがとう、サラ…」
この状況にサラは満面の笑みを浮かべる。
実は昨日、ネルに言っておいたのだ。
どうせミネルヴァ達に同行を拒否されるなら、とことん対抗してやろうと。
夜のうちに双子に仕事と魔力の引継ぎを済ませ、ネルの強みを一緒に考えた。
それが功を奏し、晴れてネルはお日様の下を歩くことができたのだ。
その証拠に寝所を後にする前、サラはミネルヴァにグイと肩口を引っ張られた。
「サラ、お前図ったな?」
「なんのことやろ~?」
むすっとして面白くないとミネルヴァの顔に書いてある。
その様子を見てサラはますます良い気分になってはぐらかしてしまう。
「いつの間にか眠りの神を手籠めにして、何がしたいんだ…」
「テゴメ?手で米なんて握ってないで?」
「違うこのアポニテ!うまく丸め込んで何か企んでいるな、と言っているんだ」
「何も企んでへんよ!私はただ、ネルを自由にしたかっただけ!」
ただ自分のしたかったことを素直に実行しただけだと告げると、ミネルヴァは怪訝そうな表情でサラをじとりと睨む。
「ハァ?それでお前に何の得がある?」
「別にないで?でも、ネルの笑顔は見れたやろ!それに良い友達になれそうやん?」
そう言ったサラは希望に満ちたネルの隣へ駆け寄った。
二人の仲睦まじい様子を後ろから見ていたミネルヴァは小さくため息をつく。
「ともだち…ねえ…」
最後尾で取り残されたその一言が、誰にも掬われることはない。
ただ、空虚に溶けて消えるのだった。




