3章 再会(裏)
『葉月 悠人が列車に乗る少し前に時は遡る・・・』
辺り一面に広がる黄金色の麦畑、それは私が初めて描いた絵画の光景だった。
殺風景な駅のホーム、その後ろに広がる麦畑、何もかもが私の描いた世界を表現していた。
「綺麗な風景でしょう?」
振り返るとさっきの車掌さんが戻ってきていた。
『もう準備は出来たのですか?』
「えぇ・・・長い事車掌をやっていると、物事を手早く済ませてしまうようになりましてね」
車掌さんは、座席に座り窓を眺める。
「この辺りは隠れた名所でしてね、満月の夜にはとても幻想的な光景になる場所ですよ。
この先の「きさらぎ」って所も風光明美な場所ですがこの麦畑には負けますよ」
『きさ・・・らぎ?もしかして、きさらぎ駅!?』
「ご存じなのですか?」
『きさらぎ駅』、この世とあの世を繋ぐ路線にある実在し得ない駅。
様々な推測や解釈が飛び交う都市伝説。
自らが浄土へ渡る為に都市伝説となった路線を走る列車に乗るとは思わなかった。
『本当にあったんだ・・・この路線』
やがて汽車が汽笛を轟かせ、列車は再び動き始めた。
「さてと、列車が駅を発ったので切符の拝見に行かなくては・・・・どうせお客さんは居ないでしょうが、仕事ですからね」
車掌さんは重た気に腰を上げ、後部車両へと行ってしまった。
ふと、私は奇妙な気持ちになった。
私も車掌さんと一緒に後部車両へと向かえば、誰かに会える気がしてならなかったのだ。
だが、今は外一面に広がる黄金色の草原を眺めていたい気持ちが勝ってしまった。
私が描いた世界が、汚される前の世界が車窓の外にあったからだ。
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悠人と出会う前の私は母親の生家で暮らしていた。あの塀に囲まれた箱庭のような屋敷で、だ。
年端もいかない私には『家の決まり』や『体裁』等、幼い私を束縛するものがあり、悠福ながらも不自由で息の詰まる生活を送っていた。
その中で私が見つけたささやかな楽しみ、それが絵画だった。
始まりは亡き祖父の遺した絵具とその他の道具を見つけた事だ。
その日から私は慣れない絵具で自らを虹色にしながら、部屋を色鮮やかにしながら1枚の風景画を描き上げた。
夕焼け色の空に照らされ、風にそよぐ麦畑。
その中央の丘に立つ白いワンピースの女性、私が描いたもう一人の私。
荒削りな画風だったが、それでも年端もいかない子供が描いたものとは思えない物だった。
『憧憬の情景』
私が初めて描いた私の世界、私だけの世界。
私は初めて自由を得た様な気がした。
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私は頻繁に絵を、私だけの世界を描くようになった。
湖を眺める女性の絵。砂漠に立つ男性の絵、全てが私だけの世界だ。
絵画の世界は素晴らしい、誰にも邪魔されず、誰の干渉も無いままにその世界の中を一人で過ごせるのだから。
誰にも侵す事の出来ない私だけの世界、のはずだった。
ある日、『憧憬の情景』が、私だけの世界が、忽然と私の部屋から消えていた。
そして数日後、私宛に身に覚えの無い入賞を知らせる封筒が届いたのだ。
私の世界はいつの間にか絵画のコンクールに出展され、選ばれていたのだ。
誰が私の世界を奪ったのか?
私の疑問や動揺など気にされないまま、私の絵画は飾られた。
私の世界が、私だけの世界が、大勢の視線で汚れていく。
夕日に照らされた黄金色の麦畑が、ただ明るいだけの照明に照らされ枯れていく。
カンバスの余白の先に消えていく光景が切り取られ、額縁という牢獄に閉じ込められた。
見当違いな価値を見出す人々が通ぶって私の絵を酷評た。
鳥籠の鳥が得た小さな自由ですら、奪われると言うのなら・・・自由を得るには死ぬしかない。
カメラに向かって微笑みながら、心の奥底で絶望に慟哭した。
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庭先でひぐらしが鳴いている。
時計は夕方5時を指し、薄暗い部屋の中に私は居た。
薄暗い廊下の奥から味噌汁の良い匂いが漂ってくる、夕飯が近いのだろうか?
だがその夕食も食べる事はもうないのだろう。
夕食が出来上がる前に私は自らの血でこの短い生涯最期の作品を描くのだから。
私の前には純白のカンバス、これから私の血で赤く染まるのだ。
美術道具のひとつ、パレットナイフを手に取り、刃先を自らの首に向ける。
「来世は、自由な鳥に生まれたいなぁ」
目から零れる涙が頬を伝う、不思議と死に対する恐怖は感じなかった。
喉元に付けた刃先にゆっくりと力を込める。
鋭い痛みが喉を這いずった。後、数センチ押し込めば私は『自由』を得られるのだろう。
その筈は、夕食の時間を告げにやってきた家族によって潰えた。
それからの事はあまり覚えていない。
覚えている事はいくつかだけ・・・
赤く染まった私の両手。両親の悲しむ顔。まるでペットの粗相を咎めるような祖母の顔。
ぶつ切りの記憶の中、祖母の顔だけが強く脳裏に焼きついた。
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次に意識を取り戻したときは病室のベッドの上だった。
祖母と両親が何か言い争っているのが見えた、3人とも私が目覚めたことには気づいていないらしい。
私の意識も朦朧としていた為、何を話してるかは分らなかった。
少なくとも楽しい会話でない事ははっきりしている。
そのまま微睡む様に意識が遠のく・・・・
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次に意識が戻ったのは少し肌寒く感じる季節だった。
私は半月程、意識が無いままだったようだ。
後から聞いた話では、パレットナイフが『切る』為の道具であったならば助からなかった、との事だ。
つまり私は死に損なったのだ。
見舞いに来た両親は最後に見た時よりやつれていた、私が眠っている間も祖母と激しい舌戦があったのだろう。
そこでようやく理解した。
私は両親に多大な迷惑をかけたのだと。
それから暫くして私は退院と共に今の住む街へと引っ越しをする事となった。
引っ越した後で分った事だが、私の絵画を勝手に持ち出し、勝手に出展したのは祖母だった。
どんな目的があったかは分からなかったが、亡き祖父の遺した絵画だと勘違いしたのだろう。
だが、当時の私には例え勘違い故の行為だったとしても幼い私には大きすぎる傷だった。
新しい家にも、転校先の学校でも馴染めず、近所の公園で一人遊びをするだけの生活だった。
ただ、祖母の家に居る時とは違って『家の決まり』のように私を縛るものは無く、自由を感じられた。
その自由には、孤独がついて回った。
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引っ越してきて初めての夏。
私は変わらず砂場で山を作っては崩すだけの遊び、いや作業を繰り返していた。
時刻は夕方の4時、周りの子供が帰っていく中、私は一人残っていた。
そして誰も居なくなったのを確認すると、他の子達が遊びつくした後の遊具へと歩き出す。
「ねぇ」
『!?』
誰も居ないと思っていたからこそ、その声にとても驚いた。
声に恐る恐る振り返ると、そこには一人の少年が居た。
「いつも1人ここであそんでるけど、ひとりぼっちなの?」
『・・・・うん』
少年の問いに私は小さく答えると少年はとても嬉しそうに笑った。
「それならさ、ボクとあそんでよ!今日おとーさん、おかーさん、帰ってくるのおそいから退屈してたんだ」
『え?』
「ブランコに乗ろうとしてたんでしょ?一緒に乗ろうよ、ネネ、いいでしょ?」
少年は私の返事を聴かないまま私の手を取ってブランコまで引っ張る。
「あ・・・・そういえば『じこしょーかい』してなかったね」
思い出したように立ち止まり、少年は振り返る。
「ボク、ゆーと、『葉月 悠人』、君は?」
『私は・・・ちとせ、『如月 千歳』、よろしくねユウトくん』
「僕の事は『ユウ』でいいよ、チト」
『え・・・?チトってなに?』
「『千歳』って名前でしょ。千歳ちゃんだと噛みそうだから、あたまの文字をとってチト!」
『・・・フフッ、何それ?ウフフフ』
少年、悠人のつけた『チト』という呼び名を心底おかしく思い、私は声を上げて笑った。
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それが、私と悠人との出会いだった。
時に笑い、時に些細な事で喧嘩をしては仲直りをしながら悠人と同じ時間を過ごす内に心の傷は癒えていった。
気付けば、私が描いたあの『憧憬の情景』の事などとっくに忘れていた。
悠人と共に過ごす『今』こそ私の思い描いた『憧憬の情景』だと気づいたからだ。
だからもう、『過去の情景』に囚われる必要など無かった。
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「だからこそ、この景色を悠人と見たかったな・・・」
私が自力で見つけた自由、その自由で表現したかつての「憧憬の情景」を
失意の底から立ちあがらせてくれた最愛の人と一緒に見たかった。
叶わぬ願いと知りつつも細やかな我儘を溢した。
「・・・・・千歳?」
だからこそ、かけられた声に振りむいた私は思わず涙を流しそうになった。
私の最愛の人、『葉月 悠人』がそこに居たのだから。