2章 慟哭に震える空と始まりの汽笛(表)
8月12日のニュース
中型トラックが暴走、女子学生死亡。
8月12日午後 ××県○○市××町 △△駅前の交差点で中型車が信号無視で横断歩道に進入。
横断歩道を渡っていた 如月 千歳さん(18)が跳ね飛ばされ死亡しました。
トラックを運転していた男性の呼気からは基準の2倍を超えるアルコールが検出され、警察は飲酒運転の容疑で現行犯逮捕。
同県では今年に入り5件の飲酒運転による死傷事故が起こっており、過去最悪の頻度で頻発していると県警は発表。
今後の取り締まりの在り方を大きく見直し、取り締まりの強化を発表しました。
まだ8月半ばだと言うのに突如として降り出した雨の中、俺は千歳と再会を果たした。
だが、その再会は最も望まぬ形の再会であり、ただ今生の別れを告げる為だけの再会だった。
斎場の一室、通夜はとっくに終わり、参列者が次々と帰っていく中で俺は棺桶の前に立ち尽くしていた。
棺桶の中で花に囲まれて眠る千歳は安らかな表情をしており、今にも起きだしそうに思えた。
彼女の頬に手を添える。
『チト・・・こんな形での再開なんて・・・嘘だと言ってくれ』
指先に伝わるはずの彼女の体温はとても冷たく、その冷たさは俺の心までも凍てつかせた。
斎場のアナウンスが何かを報せているが全く耳に入ってこない。
俺は安らかに眠る彼女から目を離せなかった。
そのままどれだけ経ったのだろう?俺の肩を叩く人がいた。
「・・・・悠人、いつまでそこに居る気だ?」
水無月 一真の友情ゆえの冷たさを含んだ問いがかけられる。
「お前がどれだけ傍に居ても、千歳はもう目を覚まさないんだ」
『・・・そうだな』
千歳から目を離せないまま空返事を返す。
「わかってるなら、早く外に来い、みんな待ってる」
『・・・・先に行っててくれ、後で行くから』
「~~~~~~~ッッ!!!」
一真の露骨なため息と共に体が胸倉から激しく引き寄せられ、一真の隠しきれない憤怒の表情が視界いっぱいに映る。
「俺がその返事を何回聞いたと思ってる!?これで5回目だぞ!!」
『頼む、もう少しだけ・・・・ここに居させてくれ』
その言葉が、一真の堪忍袋の緒を切った。
右頬に強烈な衝撃が走った。視界がグニャリと歪み、そのまま床へと倒れ込んだ。
「あと少しってどれだけだ! 1時間か?それとも千歳が腐って骨になるまでか!?」
とうとう堪え切れなくなった一真が声を荒げた。
「いい加減認めろよ!千歳は死んだんだ!もう、目を開ける事も、お前を呼ぶ事も無いんだ!」
『・・・黙れ』
体の底から込み上げる何かを押し殺して声を絞り出す。
噛み締めた歯茎から血が滲み出るのを感じる。
「これ以上彼女に何を泣きつくつもりだ!?死んだ奴に泣きつく程に女々しい奴だったのかお前は!!」
『黙れぇ!』
勢いに任せ俺は一真に殴りかかる、しかし、闇雲に振っただけの拳が当たるはずもなく。
次の瞬間には腹部に強烈な一撃を貰い、息が出来なくなった。
バランスを崩し、倒れこむ俺を一真は支えるように持ち上げ、そのまま俺を斎場の外へと連れ出す。
棺桶が遠ざかっていくほどに鼻の奥が熱くなり、視界が涙で滲んでいく。
『チト・・・なんで・・・・なんで死んだんだ・・・・』
俺は無気力に引きずられながら、彼女の死を嘆く事しか出来なかった。
「悠人、辛いのはお前だけじゃねぇ・・・」
肩を持つ一真の声は少し涙混じりの声だった。
「俺だって辛いんだ、そんな俺に親友殴らせたのはテメェだ。これ以上皆にいらねぇ心配かけるなよ・・・」
「千歳だって・・・・そんな事は望んじゃいねぇ、それを分からねぇお前じゃねぇだろ悠人」
そこから先の事は覚えていない。
唯一つ覚えているのは、俺は最悪な形で彼女の死を受け入れざるを得なかった、という事だ
-----8月14日 夕暮れ時-----
自宅から近い場所にある公園、俺と千歳が子供の頃に出会い、生前の彼女の姿を最後に見た場所だ。
夏休みも既に半分を過ぎ、子供達の姿をめっきり見かけない。
今も公園には俺一人だけがいるだけだ。
力なくブランコに座り虚空を眺める。
今までの出来ごとは全部、実は悪い夢で・・・実は千歳は生きているのでは無いだろうか?
目を覚ませば、現実世界では夏休みの初日の朝だったりしないだろうか?
そんな事が頭に浮かぶが、携帯電話の液晶画面に映る日時が、これが現実である事を突き付ける。
『・・・・・・』
誰も居ない隣のブランコに目を向ける、千歳の特等席だった右側のブランコは寂しそうに小さく揺れていた。
『・・・・・』
俺は再び、ただただ時間だけが流れる虚空を眺めていた。
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~~~~~~
「・・・君、大丈夫かい?」
誰かの声で我に返り、体を揺さぶられている事に気づく。
誰かが懐中電灯片手に俺に話かけていた、逆光で誰かはすぐには分らなかった。
辺りはとっくに日は暮れており、街灯を頼りに目を凝らした。
「お兄さん、こんな夜中に公園でなにしてるの?」
人影の正体は近所の交番の警官だった、
『あぁ・・・ごめんなさい・・・ボーっとしてただけです』
ブランコから立ち上がろうとするも、足が痺れて俺の体はその場に崩れる。
「夏休みだからって夜遊びは感心しないな、親御さん呼ぶから名前と電話番号教えてくれる?」
何かをどう察したか、警官は同情とも哀れみともとれる表情でメモ帳と携帯を取り出した。
『・・・わかりました』
こうして俺は良い歳をしながら、親に公園まで迎えに来てもらう羽目となった。
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~~~~~~
家に帰りつき、自室のベッドに横たわる。
灯りは付けず、窓から注ぐ月明かりを全身で感じる。
とても綺麗な満月を見ていると千歳が書いていた絵の数々を思い出す。
千歳の描いた絵はどれも幻想的な風景だった。
ただ、彼女の作品とは別に俺の心に色褪せた絵画が俺の記憶にあった。
確かに見た事はあるのだが、どんな風景画だったかが思い出せない。
だがそれも、思い出そうとする前に『千歳の死』という現実が目の前に現れる。
『・・・千歳』
水彩画に水を落とした様に視界が滲む、必死に手で拭うも次々と溢れる。
『もう一度会いたいよ・・・ちゃんとさよならしてぇよ・・・』
込み上げる感情に震える唇を必死に噛み殺し、嗚咽に耐える。
『仕方ないって分ってる、トラックなんだぞ。そりゃ死ぬさ・・・そんなの分ってる。
でも・・・・責めて、責めて伝えたい事を聞く時間ぐらい・・・欲しかった』
脳裏には滲んだ終業式の日の記憶、千歳が見せたあの笑顔すら、今や滲んで思い出せなくなった。
仕方の無い事だと分ってる、解っている、それでも解りたくなかった。
行き場を失った感情が再び行き場を求めて喉を込上げる。
『うあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!』
衝動を抑えられず、窓から冷たく見下ろす満月を見上げ、全てを忘れて慟哭した。
それはまるで、自らの孤独を月に嘆く一匹狼の如き哀愁の光景だった。