1章 夏の空を仰ぎ、君は舞う (裏)
私の住む町から少し離れた所にある隣町の郊外。大きな日本家屋の屋敷、私の母の生家だ。
私の家族には妙な決まりがある。その中の一つに盆の終わりまでは生家で過ごすというものがある。
過去に何度か理由を聞いた事があり『親族との親睦を深める数少ない機会』との回答を得たが、自分と同年代の親族が居ない中での親睦会など私からすれば肩身がどう、とかの話以前に遠戚の伯父貴達のお酌の場に他ならない。
ともすれば、この酒乱共のお酌の為に来てるのでは?と内心不服に思う時もあった。
この家には出来る事なら近づきたくすらないが、私が自由を得る為の代償と思えば溜飲も下せる。
自由を得たから、私は悠人に会えたのだから。
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「・・・・ふぅ」
私に用意された和室の縁側、深い溜息と共に夜空を見上げる、塀に囲まれた屋敷の庭先から見上げる夜空とポツンと浮かぶ月はまるでプラネタリウムの星々の様な精巧な贋作に思えた。
鳥籠の中の鳥も、この贋作の様な景色に囚われたまま余生を生きていくのだろうか?
「だとするなら、私は似た者同士かも知れない」
誰に話すでもなく、一人私は呟いた。
-----8月12日-----
囚人は何故、罪を重ねてまで脱獄を図ろうとするのか?
時が来れば解放されると分かっていながら、罪が重くなる事を承知で脱獄を図るのか?
答えは簡単だ。
自由とは罪を重ねてでも得るに足る物だからだ。
人間は欲求を理性で抑制して生きている、余程のことで無い限り欲求が理性を超える事は無い。
つまり、自由を得るとはその『余程の事』なのだろう。
私の場合は年頃の娘として相応の反応だったのだろう、訳の分からない決まり事で屋敷に留まるよりも、晴れた空の下で夏の香りを風と共にを感じる事を求めた、つまり自由を欲したのだ。
あわよくば、想い人の元へと今すぐにでも駈け出したいという想いが『我が家の決まり』という籠を破り、私を自由の空へと飛びだたせた。
塀に囲まれた庭先、造園の一角にある岩を登り、松の木の枝を伝い塀を飛び越えた。
そして、中心街へと向けて田んぼ道を走り出す。
まっすぐ市街へと続く道を進みながら大きく両手を広げて目を閉じる。
ゆっくりと深く息を吸うと、アスファルトの上で干上がる泥や水草、昨夜の雨で出来た水たまり、様々な夏を取り込んだ風が鼻孔を吹き抜ける。
耳を澄ます、どこからともなく聞こえるカエルの鳴き声、打ち水の跳ねる音、蝉の鳴き声、塀で囲まれた生家では聞く事の出来ない夏の音がそこにあった。
そして息を吐くと共に目を開く、活気ある商店街の先で揺れる陽炎の世界、このまま進むとどこか違う世界へ辿り着きそうな錯覚に囚われる。
鳥籠の中の鳥も、自由を得たならば私の様に外の世界を、自らの自由を全身で感じながら飛ぶのだろうか?
「だとするなら、私達は似た者同士なのかも知れない」
誰に話すでもなく、一人呟く私。
1~2週間、薄暗い屋敷の中に閉じ込められただけで外の世界にこれほどの感動を覚えるとは、案外人間とは繊細で寂しがり屋な存在なのだと私は思った。
やがて私は駅前までやって来た私は思いついた。
そうだ、このまま彼の住む街へと向かおう。
お金は往復するには十分だ。
電車に乗って、私の想い人に会いに行こう、夕方までに帰れば問題は無い筈だ。
逸る心を抑え、『青信号の横断歩道』を小走りで渡った。
駅は目の前だ。
ゴッ・・・!!!
突然、鈍い衝撃音が聞こえた次の瞬間、私は空に居た。
天と地が逆になった光景の中、周囲の人々が私を見上げていた。
無重力の世界の中で街の喧騒がピタリと止み、そして重力に引き寄せられ私の体は地に堕ちた。
まるで洗濯機に放り込まれたかのように激しく、不規則に世界が回り、やがて視界一杯に青空が広がった。
熱く茹だったアスファルトの上に居る筈なのにとても体が冷たい。
仰向けのまま、糸が切れた様に首が曲がる、私の体中が赤く染まり、それは周囲のアスファルトをも紅く染めていく。
地面と同じ高さの視界の先でトラックが側道に乗り上げて横転していた。
やがて周囲の人達が私を囲むように集まってきた、そしてようやく分かった。
私は事故にあったのだと・・・
「わたし、しぬの・・・・・?」
自分でも分る程にか細い声、そして咳と共に散る血混じりの唾液。
先ほどまで全身を貫いていた痛みも、もう感じない、ただただ眠るように意識が遠のいてく。
鳥籠の中の鳥も、自由を得て外の世界に出たならば、今の私の様に宙を舞い、自らの血で鮮やかな最期を描くのだろうか?
「だとするなら、わたしたちは・・・さいごのさいごまで、似た者同士・・・・だね」
もはや私の声など、いつの間にか戻ってきた街の喧騒に飲まれ、誰の耳にも聞こえない。
遠のく意識、薄れゆく視界、色褪せたように見える大空を見上げ、力を振り絞り大空へ手を伸ばす。
そして力の限りに声を絞り出す。
「悠人・・・・何処に・・・居るの?」
儚く、か細い声はけたたましいサイレンにかき消され、誰にも届かなかった。
意識が闇に沈む刹那、汽笛の様な音が聞こえた気がした。