1章 夏の空を仰ぎ、君は舞う (表)
終業式を終え、閑散とした教室に心地よい風と共に蝉の鳴き声が多重奏の様に流れ込んでくる。
冷房はおろか扇風機すら動いていない教室に残るのはそれなりに忍耐と度胸を要するが、
開かれた引き戸がこれ以上の自主的な居残りは不要だと知らせてくれた。
「ユウ、まだ残ってたの?」
入ってきた少女が不思議そうな表情を浮かべていた。
『如月 千歳』俺の昔からの付き合い、俗に言う幼馴染の女の子で、この灼熱地獄の教室に残ってた理由だ。
肩までかかるセミロング、大きく透き通った瞳、まだ少し幼さの残る声、世間でいう美少女だ。
『担任から教室の施錠を任されててね、チトが忘れ物を取りに来るまで気長に待ってた』
俺は千歳の机の上に置かれた鞄を指さす。
「素直に私を待ってたとは言えないの?と言うよりカズは今日一緒じゃないの?」
カズとは俺の悪友、『水無月 一真』の事だ。
本人は俺の『親友』を自称しているが、絡み方は悪友そのものだ。
『アイツなら先に帰った、『夏休みだと言うのに学校に居られるか、俺は帰る!!』と言い残して』
「・・・夏休み中に死ぬ予定でもあるの?」
『縁起でもない事をギャグでもいうなよ・・・早く鍵閉めて帰ろう』
俺は千歳と共に他愛ない話をしながら教室を後にした。
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帰路の河川敷、遠くから町の喧騒が聞こえるほど静かな中、夏休みに心を躍らせる小学生達が我先にと走り抜けていく横を俺たちは歩いていた。
『そういえばチト、今日遅かったがまた美術部の連中に付き合ってたのか?』
「えぇ、休み明けのコンクールに出す絵画のテーマで会議してたんだけど、思いのほかに加熱しちゃって・・・」
千歳は絵心があるようで、不定期ながらも美術部員として活動をしている。
子供の頃に描いた絵画がコンクールで表彰された実績もあっての事だろう。
俺も何度か彼女の出した作品を見た事があるが、独特の世界観に少しばかり魅了され、彼女の新作を内心楽しみに過ごしている。
『そもそも終業式に部活をやるほうが教師や顧問に負担じゃないか?』
仮に部活があっても簡単な挨拶程度で終わるくらいなもので、1ヶ月半も先の事で延々と残られたんじゃ良い迷惑だろう。
「うちの学校は部活動での功績も就職や進学にプラスになるから、それでみんな熱心になってるのよ」
『『努力は一時の苦痛、怠惰は一生の苦痛』と言う奴だな、チトも見習うと良い』
「全く努力をしていないユウがそれを言うのは滑稽というものよ?」
千歳は少し怪訝な表情、いわゆるジト目で俺を見る。
『人間は得手・不得手がある生き物で、俺は勉強全般が不得手なんだ』
「そんなユウが赤点を回避できたのは誰のおかげと思ってるの?」
『チトのおかげだな、この調子で中間と卒業試験も頼むぞ』
「・・悠人?、本気で言ってるなら歯を食い縛りなさい」
背筋を這いあがる千歳の冷たい声、真夏なのに冷や汗が頬を伝う。
『・・・・冗談です、ごめんなさい』
綺麗に90度の角度で頭を下げる。
千歳は普段穏やかだが、いざ怒ると謝る事しか出来なくなるくらいに恐ろしい女となる。
あくまで例えだが、彼女を嫁に貰おう物なら、浮気なんてバレた時が恐ろしくて出来たものではないだろう。
「まったく・・・もし私が突然居なくなったりしたらどうするつもりなの?」
千歳の少し不貞腐れたような声。
『何だ、突然居なくなる用事でもあるのか?』
「そうじゃ無いけど・・・何があるか分からないじゃない?」
『『1秒先が分からないから、人生は楽しい』んじゃないのか?』
「え?」
『ついでに言えば『未来へ抱く不安は恐怖からでは無く、明日への好奇心と期待から来るもの』、これもお前の言葉だったはずだが?』
「私が何時そんな事言ったの?」
『中3の受験シーズン、合否発表の数日前だ』
あの時、不安に押し潰されそうだった俺にとっては大きな支えだったのを覚えてる。
『ちなみに『過去に執着するのは、自分の過去と決別出来ないから』という言葉も中学時代のお前の言葉だ』
「そんな前の事、よく覚えてるわね」
『自分が好きになった女の言葉だ、忘れる訳無いだろ』
「~~~~!!」
俺の言葉を聞くや、千歳の顔が赤くなる。
「ユウのそういう恥ずかしい事を平気で言う所、嫌い」
『ならお前も人を不安にさせるような事を言うな、これでおあいこだ』
そんな他愛無い話をしている内に、俺たちはお互いの家の近所の公園まで帰りついていた。
『それじゃ、ここでお別れだな・・・チトの家は今年も盆の終わりまで帰省するのか?』
千歳は家の決まりとやらで夏休みには親の生家で過ごす事になっている。
「うん、しばらく会えなくなるね・・・」
千歳は落ち込んだ様な表情を浮かべている。
『はぁ・・・全くお前は』
そんな姿に俺は軽くため息を吐き、千歳の頭をクシャクシャと軽く撫でる。
そして両頬を指で広げ、無理やり笑顔にさせる。
『毎年毎年、今生の別れみたいな顔するなよ、折角の美人が台無しだぞ』
『俺は何処にも行かないし、居なくなったりもしない。帰ってくればまた会える、いいな?』
「・・・・・うん」
俺の問いかけに千歳は少しだけ頷いたのを確認して、両頬から手を離す。
『分かればよろしい。じゃ、また盆明けにな』
公園から出ようとした時。
「悠人!!」
千歳の呼ぶ声に振り返る。
「帰ってきたら、ユウに伝えたい事があるの、だから・・・楽しみにしててね!バイバイ」
千歳にしては早口で一方的に話し、公園から走り去って行った。
『話したい事、ねぇ・・・』
長年の付き合い故、『話したい事』の中身がすでに分かったような気がした。
「・・・・・」
千歳が振り向き様に見せたあの柔らかな笑顔を思い出した俺は自分でも分るくらいのニヤけ顔を押し殺し、家へと歩き出した。
今から、千歳の帰ってくる日がとても楽しみだ。
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それからの夏休みは味気無いものだった。
毎年の事とは言え、千歳が居ない夏休みの前半は空虚な日々だった。
だが、それも半月だけの辛抱と考えれば気休めにはなる。
また盆が終われば千歳に会える、彼女と一緒に学生最期の夏を過ごせる。
そして新しい気持ちで2学期が始まるんだ。
見上げた遅めの梅雨明けの空は、雲一つ無い快晴だった。
まるで大きな翼さえあれば人でも、遥か天まで昇れそうな程に青く、澄み渡っていた。