第00話 『私の意識が戻る前に起きていた事柄』
5/8 こちらは以前に序文としてUPしていたものとなります。
第二部分として残しておりますが、こちらは読み飛ばして頂いても話の展開としては問題ありません。
内容はタイトル通り、本編が始まる直前の話です。
彼は名前をジルスという。王族など生まれてこのかた見たこともない平民が多い中、陛下御自らお声掛け頂いたというのが自慢であった。
だが、このエルヘイム王国の辺境にあたるローダンキアの住人は多かれ少なかれ大王ウェルギウス・カイオス・ヘルケラオス・エイリューズ4世のお姿とお声を賜ることが多い。
エイリューズ4世は先王より引き継いだドラクマ同盟という近隣6国家――ともあれ4国ほどは1つの都市しか持たぬ都市国家であったが――の盟主であった立場を使い、版図を広げるのではなく同盟に加えるという形でクラマンペルテン大半島の全ての国家を同盟に加え――または滅ぼし――た末、大王と呼ばれるようになった。
その結果、大陸側に迎う半島の付け根にあるこのローダンキアは、唯一の外敵からの防壁となったのである。
その大王が15年ぶりの視察巡幸で、最初に訪れるのが大半島の出入り口にあたるローダンキアだという。だが、4年前の戦役でも御出座されている大王の巡幸で、なぜ最初がローダンキアなのか、そもそも何故巡幸なさるのかなどの事情はジルスは知らない。ただ漠然と、最前線であるが故に重要視されているのだろうという誇りを感じた程度だった。
戦時は1500名からなる部隊を率いる大隊長の位を持っているジルスが知らないその理由は、ローダンキアに3名いる軍団長であればあるいは知っているのかも知れないが、ジルスは理由を知る必要を感じていない。
そもジルスの部隊は防衛を目的とした常備軍として編成されている大隊ではあるが、それは都市内の警備を目的とした部隊ではない。ローダンキアはいつ侵攻を受けてもおかしくない土地であるが故に、敵国の侵攻時に真っ先に盾となる部隊だった。それが王の警護に駆り出されることはまずないと思われたからである。
※ ※ ※
「まぁ、あちらは何かしら。タルタンの牡牛にしては大きいし、角がないように見えるのだけれど」
「仰る通りにございます。あちらはタルタンの牡牛に特別な餌を与え、角から魔力を放出させないように切除しているのでございます」
「それで栄養のあるお肉になりますのね。けれど残念。私、タルタンの牡牛は魔導百科辞典でしか見たことがございませんの。角の生えているものも見たかったわ」
「そちらは、お望みとあらばいずれ叶いましょう」
それが今は、第一王女アルメリア・カイシー・ヘルケラオス殿下の護衛を務めている。
退役を控えた老兵には栄誉なことだが若い者に機会を譲ることも必要なのではないかと、アルメリア王女と案内役の貴族の会話を聞き流しながら、まだ11歳と幼い王女殿下の周囲に控える二名の女性騎士と近衛隊長の華麗さに内心で辟易としたものを感じざるを得ない。
部隊が警備を命じられたからとてアルメリア王女の直衛は近衛騎士であるし、ジルスの部隊は周辺警備と有事の際の壁である。大隊長として王女の側に控えることはローダンキアの部隊を政治的にアピールする為に必要な措置ではあるが、それならば見目麗しい若者の方が王女も気安かろう。
――老いた身には少々肩がこる仕事だな。
ジルスが魔術士として修めている術式がこの抜擢の理由だろうが、本来は最前線防衛として、敵襲時の危急を知らせる伝令としての術式である。
襲来が予測される敵軍への防衛線を張るのならともかく、警護などはまったくの畑違いであった。
それば部下にしても同じ事で、この任を拝命して以降は過度の警戒態勢を強いてしまっている。
部下に申し訳ないと思いつつ、周囲に視線を廻らせて警備状況を確認していると、副長から<心話>による報告がもたらされた。
《大隊長。この牧場周辺の視覚系魔術の走査完了しました。問題なし、です》
《うむ、だが油断するな。まさか魔導師級の<千里眼>や<神の眼>で見られているとは思わんが、暗殺の機会としては視察時が狙われやすいものだからな》
《ましてこんな郊外の牧場ですからね。この警備では狙撃にこそ注意を向けるべきでしょう》
アルメリア王女が視察に訪れている牧場は、なだらかな丘陵地帯にある。
ジルスから見て左手にローダンキアの内壁、右手には一千メートル級の山を頂点としてなだらかな山稜が見え、前方には山稜へと続く森林地帯となっている。
背後は穀倉地帯が広がっているのでそこからの狙撃の心配は無いだろうが、城壁と森林地帯から狙撃される可能性がある。それ故、狙撃手の“視線”を警戒したのだ。通常の弓で狙える距離ではないし、確実性を高めるのなら<魔法の矢>を始めとする個別対象への攻撃を<遠視><遠距離攻撃><狙撃>などと合わせたコンボで使うことが予想されるからだ。
無論、アルメリア王女個人の対魔法防御は施されているために、このコンボを使われたところで問題は無いが、犯人は捕らえねばならない。
《そればかりに気を取られるなよ。奸計とは思わぬ隙を狙うものだ。それに何か起きると決まったわけではない》
《畏まりました。戻ります》
《ああ、頼んだぞ。『エコー』》
副長の報告を班長格全員に<心話再生>で情報共有する。
それを聞き終えたのだろうというタイミングで、王女付きの近衛隊長ランパスが近づいて、周囲を憚る程度の声で尋ねてきた。
「時に、都市の治安についてはどうなのでしょう。警備体制については問題ない旨のお言葉は頂いておりますが」
「私はローダンキア以外はよく分からんのです。しかし王威に叛する輩というものは、大きく問題に挙がった記憶はございませんな」
「そうですか」
「ここは最前線でもありますからな。治安の乱れは軍規の乱れですので、辺境伯も軍規を重んじるのです。しかしながら――」
そこでジルスは一度言葉を句切る。
「しかしながら、外から叛意持つ者が入り込む可能性はどの程度のものでしょう?」
「可能性は大いにあります。しかし昨日の打ち合わせでも言った通り、行幸の最初の地、最初の視察で狙ってくる可能性は低いでしょう。こちらの警備も見えていないのでは、仕掛ける側にもリスクが高い」
「なるほど、確かに」
ジルスは納得して頷いた。
しかし反面、その警備体制は近衛騎士団側も含めて運用され始めたばかりで、机上論であることも確かなのだ。そうした警備の不備は早めに潰す必要がある。
特にアルメリア王女のお姿を拝そうと、周辺の住人が押しかけてくることは回避しようがない。その中に刺客が紛れている可能性も否定は出来ないのだ。そうした者達にも、見知らぬ者がいたら知らせるように告げてリスクを回避しようと心がけてはいるが、それでも一般人に対する催眠暗示などによるテロを発生前に防ぐことは難しい。
――精神作用系の魔術の取り締まりが、国内でどこまで出来ているか次第となるか。
ローダンキアだけに限って言えば精神に影響を与えるような魔術は、たとえ<対人魅了>のような好印象を与える程度の魔術でも取り締まられている筈であったが、完全ではない。
それに秘密結社『ピルグリム』のような本当にあるのか分からないような犯罪組織から、『ドン・ブラッチェ・ファミリー』のような匪賊集団の噂にも事欠かない。
そのような思想に耽っていると、涼やかな声色がジルスへと向けられた。
「そういえばジルス様は生まれも育ちもローダンキアだとか。このように厳しい土地ではご苦労も多いことでしょう」
「は、非才の身なれど微力ながら努めさせております」
「そのように謙遜なさる必要はございませんわ。ローダンキア辺境伯セルダル様からも守りの要であると伺っておりますのよ」
王に似た意志の強そうな瞳を持つ少女は、柔らかく微笑む。この年齢で如才なく振る舞う様は、王家の未来を約束して頂いているかのようだ。
ともすれば曽孫ほどに年の離れた王女に改めて忠義を感じる。
「光栄です」
「うふふ、今夜のお食事にはジルス様も同席されるのでしょう? 武勇をお聞かせ願いたいですわ」
しかし事態とは急変するものだ。
気が付いた時、その牡牛はアルメリア王女の背後に立っていた。
アルメリア王女はもちろんその左右に控える近衛騎士が気付くよりも早く、ジルスとランパスが何故と考える暇もなく動く。
「「殿下っ!!」」
「きゃあっ!」
ランパスが王女を押しのけるようにして牡牛との間に割り込み、ジルスが押された王女に覆い被さって盾となる。
そして僅かに遅れた近衛騎士が両脇から牡牛を取り押さえようとするが、それに驚いたのか牡牛は頭を振り回して騎士と、そしてランパスを吹き飛ばした。
流石にこの一瞬では肉体強化の魔術も展開は難しかったようだが、対人のセオリーで制圧を行ってしまったのが近衛騎士の失敗であろう。
「EC11!! 殿下は私が対応する! 『ロウルの子鍵よ、開封の時は来た……』」
周囲の部下に魔法使用を許可しての脅威の排除を命じると共に、抱きすくめるように庇ったアルメリア王女へ術式を展開する。
ジルスの修めている術式<対人転移>の呪文である。
アルメリア王女自身は身に着けている護符の効果で<範囲型の転移>を受け付けない。そのため直接接触による<転移>が必要になるのだが、護衛計画上ジルスがこれを行うのは最後の手段であった。
それを最初の一手で使うなどと憮然とした心持ちになりつつも、近衛騎士達を蹴散らした牡牛がそこに存在しない角を突き立てるかのように踏み出してくるのを見やる。
一撃は貰うだろうが<痛みの遅延>はすでに展開済み。アルメリア王女の転移は問題なく、その後は部下が牡牛を打ち倒してくれる。私とランパス卿の指揮系統の委譲はそれぞれ問題なかろう。
そこまで考え、魔術を発動させようとした瞬間、何かが、自分の身体に突き刺さるような感触を覚えた。
――なに!?
――見えざる角を持っているのだと!?
痛みはないし肉体的な損傷は感じない。
しかしこれは幽霊の手のように肉体を貫けるという事だ。
王女の盾として肉体が無意味であると察した瞬間、<対人転移>によってアルメリア王女を送り出す。
が、次の瞬間、妙な浮遊感を感じ、愕然となった。
――こ、これは――!?
倒れている三人の騎士達の上に、もう一人ずつの騎士達が居たのだ。
驚愕と恐怖に顔を歪めた三人は、まるで砕け散る彫像のようにボロボロと崩れつつある。
<幽体離脱>のように自身をアストラル体にする類のものではないのは明らかだ。
――まさか、これは魂喰らい!?
――いや、そんな筈はない。何かカラクリが……
相手が伝説上の魔物ともにれば、いかな歴戦の老兵でも恐怖を感じる。
が、もはやこれまでという状況においても、老兵の目は牛の角も同様に崩れ始めている様を見やり、そして視線だけを下に落とした。
そこには。
――おおおお、すみませぬ殿下
――このジルス、御身を御守りできずなんたる不忠
腕の中に、ボールのような塊を抱えている。
大人達よりも崩壊が早いのは、まだ幼い魂だからなのだろうか。
殆ど原形の留めていないそれは、今にも消え去りそうだった。
慟哭と共にジルスが何か口にしようとするも、すでに肉体から引き剥がされた魂は、その霊性ごと砕け散った。