プロローグ 『それでは、良き人生を』
その日、成田発ヒースロー行きのAJ/BL7085便は、シベリア上空で消息を絶った。
『事故の原因は今のところ不明で、ロシアの管制局に定時連絡の後に緊急事態発生などの連絡もなかったことから、空中分解などで一瞬で墜落したのではないかと……』
『事故機の残骸が見つかったという事で、乗員乗客125名の生存は絶望視されており……』
『世界的な金融危機が騒がれる中、航空機事故が続いてますね。これまでは主に米国でしたが……』
「ということで後はお分かりですね? 水御門千姫さん」
「ええ、まぁ、私その便に乗ってましたね……」
水御門千姫とその人物に呼ばれた私が、なんでこんな真っ白な世界で、中空に画面だけ映されている様々なTVのニュース映像を見せられてるのかは知らないけれど。
どうやら死んだらしいことは分かったが、ここが天国ならクッソつまんなそうだし、地獄ならもうちょっと地獄らしくしろって思う。
この心の声を聞いていたのか、目の前にいる金髪碧眼のアベカンみたいな胡散臭い顔をしたオッサンは、先回りして説明を始めた。
「ここは天国と地獄の中間みたいなところでして。えー、そうですね。有り体に言うと貴女には異世界に転生して貰いたいんですよ」
え、やだ、めんどく……
「ああ、千姫さん。申し訳ないけれど拒否権はないんですよね」
「なんでぇ!?」
「貴女には“転生の秘術”がかけられてまして、こっちとしては契約通りに履行するような形でして」
「はあぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
なんじゃそら! “転生の秘術”ってなんじゃそら! 心当たりは父さんか!? ウチの寺って真っ当な宗派だと思ってたけど密教か何かだったのかあのクソ親父!? おかしいだろ、転生って!!
「それでまあ、行き先の異世界ですが……」
「ちょっと待ってください、地球じゃだめなんですか? なんでしたらもふもふ系のウサギとかネコでもいいんで、うさぎ島や猫島でもふもふに囲まれた生を送る程度で充分です」
「さらっと希望を混ぜ込んできましたね。でも地球はもう魂がいっぱいなので、異世界の方に送らせて頂くことになります」
「異世界だと契約不履行じゃないんですか!? 契約内容知らないけど!」
「この状況に適応するの早いですね。見込みあると思います」
「そんなのどうでもいいから! いいから契約内容を教えろ!」
「あっはっは、貴女と契約を交わしたわけでもないのに教えられるわけないじゃないですか。……さて、冗談はこのぐらいにして真面目な話をしましょうか。ちなみに私は神様ですからね」
私に胸ぐらを掴まれて揺さぶられていたオッサンは、急に真顔になってそんなことを言い出した。
ペースは良いので真顔になると彫像のような精悍さが浮き彫りになり、ギリシャの彫像のような雰囲気だけの説得力はあるのだが、ここまで胡散臭さ全開で言われても信用できる筈がない。もし信用するヤツが居たら、頭の中にどんなお花畑が咲き誇ってるのか是非とも見せて頂きたい。
「あ、その顔は信用してませんね。おかしいな、貴女がフレンドリーに接せるような姿にしたのがダメだったかな」
私はどっと疲れて、盛大に長い溜息を吐く羽目になった。
「はー…………で、私は本当に死んだの?」
「ああ、そこに戻るんですね。それは本当です。なぜ転生の秘術が? という疑問についてはお答えできません。転生先が異世界であることに関しても覆せませんのであしからず」
「神様が出てきてるって事は、不慮の死亡だったので特典を付けて転生させてやるとかそんな感じで良いのかな?」
「いえ、予定通りの死亡です」
まことにー。
そうか、私は享年24で予定通りなのか。
なんも楽しいことは……結構あった人生かな。結婚は出来なかったけど、友人には恵まれてたし……あー、ここ数年は仕事が忙しくて全然遊べてなかったなー。なんか毎晩遅くに帰宅して疲れてポロポロ泣いてた記憶が……。
「いい話風にしようとしているところ申し訳ありませんが、説明が不足してますよね」
さっきまでニュースが映ってた画面に、半ば汚部屋と化した自室でビールとつまみをかっ喰らい、目の前の空き缶の山を崩しながらテーブルに突っ伏して『仕事つらいよー』って言いながらぽろぽろ泣いてる、ただの泣き上戸な自分の姿があった。
い゛や゛あ゛ぁぁぁぁぁぁぁーーー!!!! やめっ! やめろぉーーー!!
「しかも最近は仕事に慣れたからマシになってる方で、昔は更に凄い汚部屋の惨状が……」
ぎゃあぁぁぁー!! 巻き戻すなぁぁぁぁぁ!!
声にならない叫びを上げて私は自称神のオッサンに飛びかかった。
ぜぇぜぇ。
やっと消しやがった。駄目な自分を客観的に見せられるのがこんなに心に来るとは思わなかったし、知りたくもなかったよ。
「さて、これで私が神であると信じて貰えたかと思いますが」
「信じられるかぁーー!!」
「貴女しか知らない、過去の貴女を現出させたりしてるんですけどねぇ。仕方ありません。まずは見た目から直しましょうか」
オッサンが優雅に指を鳴らす。
ふわり。
羽が舞った。
その羽の後ろから真っ白な光が視界を染め上げる。それは消して瞳を射るものではなく、むしろ瞳に安らぎを齎すかの聖光。迸った光が通り過ぎていくとそこには、舞い散る羽の中に翼を広げた女神の如き乙女の姿があった。
透き通るような白い肌に黄金の髪、手折れそうな姿形は儚げで、優しげな柔らかさを持つ深く碧い瞳が自分の姿を映している。
女性でも見惚れてしまうような純白の布を纏った女神の姿に、しばし言葉を無くしていたものの、ふと思い至る。
「でも中身はさっきのオッサンなんだよね」
「私達には姿形、まして性別などというものは概念でしか存在しないのです」
鈴の鳴るような可愛らしく、しかし威厳も含まれた言葉を口にすると、オッサン女神は右手を横へと広げた。
思わずその先へと目をやると、天界の庭園とも言うべき光景が広がりつつあった。白亜の噴水、黄金の果実を実らせる木々、硝子の花を咲かせる草花……幻想的な光景が視界の中に形作られていく様は、およそ人間の想像力を超えた世界創造の如きものだ。
「分かりました神様、お話を聞かせて頂きます」
そんな光景を見せられたら文句を言うだけ無駄だろう。でも実際このオッサン女神って悪戯好きなだけだよね。などと考えつつも、私には話を聞く以外の選択肢は残されていなかった。
※ ※ ※
女神パワーによって構築された庭園の西洋風四阿にて、用意されたガーデンテーブルに座って女神様のお話を聞くことになった。目の前にある噴水から聞こえる涼やかな水音と、周囲に集まっている小鳥たちの鳴き声が調和したリラックス効果を出してくれているが、最初からこうして欲しかった。
どこからか出現した純白の花びらをチーフとしたティーカップに注がれたお茶も、香りの中に瑞々しさを感じさせて気分を和らげてくれる。このように五感全てからこの世のものでは為らざる気配によって私を支配した絶世の乙女たる女神様は、カップを傾けると可憐な微笑を私に向けた。
どんな見た目と顔されても中身はオッサンなんだけどさ。
「ご自身の状況と今後についてはお分かり頂けていると思いますが」
「そうですね、異世界に転生するって所までは。で、どんな世界に行くのか知りませんが、そもそも記憶はあるんでございましょーか」
「ふふふ、そのように捨て鉢にならずともよろしいのですよ。そうですね、まず記憶はございます。ですが、流石に赤子の時分から前世の記憶を持っていると大変でしょうから、だいたい12、3歳頃からゆっくりと前世を思い出して、可能な限り衝撃を受けないようにというのがパターンですね」
「ええ? その方が混乱しない?」
「ここでの私との会話から思い出すので大丈夫ですよ。次に転生する先の世界は剣と魔法の世界ですね。主に魔法文明が栄えておりまして、地球のような物質文明のうち、特に近代のものは機能しないようになっております」
「機能しない?」
「そのように神が定めた世界ですので。原始的な一部の歯車などは使えますが……千姫さんのような方々が陥りやすいのが、火薬や化石燃料、電子機器などでしょうか。それらは効力が低かったり機能しないのです」
「なぜそんなことに?」
良く聞いてくれましたと言わんばかりの、春風のような微笑みを浮かべた女神様に、私は内心でこれが本題かと苦虫を噛み潰した。
そしてその口から出てきた言葉に、内心で噛み潰した苦みを表情に出すことになる。
「実はこの世界、たまに機械文明の世界から侵入されることがありまして、それによる影響を無くす為にそちらの世界――こちらを地球と呼ぶならそれに倣って大柱と呼ぶべき世界は神の護りを受けているのです。あなた方人間の感性で喩えるなら、在来種を守る為に外来種を駆除していると言うべきでしょうか」
何故という疑問しか浮かばなかった私に、女神様はさくさくと説明していく。
なんだかこの女神様ペースで話が進んでいくというか、「転生させといたよ」って言うだけの話を、わざわざこんな所に呼びつけてまでやる必要はなんだろうと思った時、蔦草に絡み付かれたような逃げ場のない感覚に陥った。
「そのようにアトラスは加護を受けている世界ですので、千姫さんの持っている技術的な知識はさほど使えないと思います」
「うーん、それだと記憶を残して転生する意味が無いんじゃ……?」
剣と魔法って中世でしょ? 電化製品に囲まれて世界中から情報を取得出来るこの時代に過ごした人間としては、生き辛そうな事この上ない。それならいっそ全部忘れて、その世界で暮らした方が幸せなんじゃないだろうか。そんな方向で逃げ道を作りたい所存である。
「はい、それでですね、千姫さんの記憶を残すのには理由がありまして」
そら来た。
身構えた私に対して女神様の口から出てきた言葉は、耳障りのいい声とはまるで正反対の爆弾発言だった。
「千姫さんにはこの世界を救って頂きたいのです」
は?
なんて言ったこのオッサン女神。
世界を救って欲しい?
一般人に過ぎない淑女に何言ってんの?
「というわけで世界を救えるだけの立場をご用意致しますので――」
「いやいやいやいや、無理無理無理無理!!」
「でも世界を救う救世主ですよ。選ばれた勇者ですよ」
「救世主だろうが選ばれたもんだろうが、無理なもんは無理!」
「無理よ無理よと言われましてもやって頂くことになりますし、なんでしたら神経を多少図太くするなどして適応力を高めて差し上げます。それに何も戦ってくださいと申してるわけではございません。戦う人を見つけてもいいでしょうし、戦わずに勝ってくださっても良いのです」
「いやいや、それがなんで私なの?」
「まずは世界の危機がございまして、丁度良く転生させる必要のある方か居る。であればその方に世界の危機を伝え、救世を願うのは当然の流れかと」
本当に何言ってんだコイツ。
よくよく聞いてるとこのオッサン女神、私の言葉と態度が醸し出してる空気を全く読んでくれない。むしろ話聞いてないまである。
実は本当に話を聞く気が無いんじゃないか?
「言っとくけど普通はそんなついでのお使いみたいな流れにならないからね! それに話の流れからすると相手って機械文明の世界よね? それこそ前世の記憶を残す必要ってなくない!?」
「残さなければここでの会話も忘れてしまいますし、半端に記憶を残せばそれこそ混乱するでしょうし、夢のお告げなどでは真剣に動いて頂けなかったり致しましょう。それ以外は千姫さんが千姫さんでいて頂ければよろしいかと」
ぐぬぬ、融通の利かない記憶だな。
話を聞かず、自分の考えた方向で話をゴリ押しする気満々のオッサン女神の中では、私がやらなくちゃならないのは決定事項のようだ。抵抗しても無駄だろうし、ここは妥協して有利な情報を引き出しておくべきかな。
「……じゃあ、アトラスを救う為になにすればいいのか教えてくれる?」
「それは貴女次第ですね。ちなみに千姫さんが大人になる頃に、機械文明の世界からの大規模な侵入が始まるという予言です」
「えー……、神様の加護どこ行ったよ」
「その加護も効かないような侵入なのでしょう。それ故に世界の危機となりまして、救う為の行動が必要なのです。ああ、詳細につきましては私の口から言うことはで来ません。私は地球の神ですので」
「それで他人事なのね……じゃあアトラスの神様に会わせてよ。後はそっちで聞くから」
「駄目です。それも色々と抵触してしまうのであちらの神は千姫さんにお会いする事は出来ないのです。そして私も、千姫さんに事情をご理解して頂いてから送り出す程度のことしか出来ないのが心苦しいのですよね」
あ、やべぇ。そろそろ話は終わりって雰囲気出して来やがった。これじゃ何の情報もありゃしないじゃない。
バンとテーブルに手を付いて立ち上がった私は、食い入るようにオッサン女神を睨んで言う。
「待って! こういう場合チート能力とかくれたりするでしょ、アイテムボックスとか!」
「すでに他人にない能力を持っているというのに何を仰るやら……」
「持ってない! そんなものがあったら24年の人生苦労知らずだから!」
「仕方有りませんね、他人にない能力もこちらの都合で暫くは無用の長物であるわけですし、少しだけ天空神の加護を」
ずいと身を乗り出していた私の額に、オッサン女神の白い指が伸びる。身構える間もなく私に触れた細い指先から、水面に落ちた小石のような波紋が空間に広がった。
途端、図柄のようなものが頭の中に入ってくる。
違う、これ図柄じゃないや、よく知ってる絵だ。仏画。
実家のお寺の本殿の天井に描かれた曼荼羅だ。
私は本殿の掃除に疲れると板の間に寝転がってこの曼荼羅を眺めていた。
いや、別にこの曼荼羅が好きで寝転がっていたわけではなく、疲れて寝転がってた視線の先にこの曼荼羅があっただけって話なんだけど、眺めているうちに細かいところまで覚えてしまったって話なんだけれど。
それでももうこの絵を見ることも出来ないのかと思ったら、結局好きな絵だったんだなと気が付いた。
なんだけど。
好きだったって気が付いただけだよオッサン。
「??????」
「あちらの世界で今の光景を思い出してください。もしかするとこれを知ることはないのかも知れませんが、知った場合ですと数年は物事を短縮できるでしょう。私から出来ることはこの程度でしょうね」
疑問符しか出てこない私に説明するように何事かを言うオッサン女神だが、こちらには理解不能だ。ああ、神様ってやっぱりいろいろ人間とは違うんだなって謎の実感を持ちながら、最後の抵抗に挑戦する。
「ぜんぜん分かんない! 私、『転生先の世界が侵略されるから頑張って救ってね』しか言われてないんですけどぉぉ!!」
「それしか用事がなかったと言えばそうですから」
「認めるなぁっ!!」
話は終わりですと言わんばかりに、手を付いていたテーブルを含めて私の周囲の物体が消失する。当然ながら床もだ。
浮遊感と共に私の体が傾いた。
「ちょ!?」
「それでは、良き人生を」
テンプレのような言葉を吐きながら、男女問わず甘美に魅了するであろう眼差しを向けてくる女神に見守られ、私は落下し始める。
だが、テンプレのような希望の旅立ちなど私にはなかった。気分はダストシュートに生きたまま投棄されるネズミか何かの気分だ。
――覚えてろよぉぉ!!
心の中で叫びながら、私は闇に落ちていく。