不穏の気配
翌日。
伊織が朝目覚めて一番最初に思ったことというのが「MP使い切り忘れた」ということであった。
そもそもMPという概念が自分に備わって一日しか経ってないため、回復することもすっかり忘れてしまっていた。
もっと言うと、考えることも知ることも色々多くて精神的に疲れたというのもある。残った仕事もなく早く寝れると思うと、すぐさまベッドに飛び込んで高いびきというわけだ。
(いや勿論、こんなゆっくり寝れるのは最高だったけども)
ぐぐ、とベッドの上で上半身だけで背伸びをする。
いつもは仕事から帰って夕食を済ませ、テレビかゲームかスマホで深夜まで過ごし、そして翌朝は学生と同じぐらいには早く起きるという生活だ。自分の年齢を改めて考えると、よく身体を壊さなかったものだと思う。
ひとえに若さゆえの無茶なのだが、さすがに今から同じ生活をしろと言われると、断固とした拒否の姿勢を示す程度にはその無茶を自覚していた。
朝食をだいぶ軽めにとお願いしたせいで、マリアには随分と心配されたが、もともと伊織は食が細い方なのでと言い添えておいた。ついでに言うと寝起きも悪いので、朝から食べすぎると調子が悪くなることがある。そのぶん夜に食べるから問題ない、と勝手に思っている。
そして昨日と同じく、午前中はアレクシスとの話に時間を使う予定だ。
当主にここまで時間を割いてもらうのもどうかと思うのだが、実はアレクシスの側から提案されているのをいいことに伊織が便乗しているという形だ。
実際、聞きたい事は日ごとに増えていくし、人付き合いもそれほど得意ではないのでありがたいとは思っている。
思っているのだが、本日の第一声はいただけない。
「そういえば毒耐性を付与してもらったから服毒してみたんだよね」
「何してくれちゃってんのこの人!?」
もはや礼儀などいらないのではなかろうか、と伊織が思い始めているのをアレクシスは知っているだろうか。
いくら耐性があるからといって、それを実証しようなんて誰が思うだろうか。
「ああ、スキルがなくともある程度の毒であれば慣らしてあるから心配ないよ。死ぬことはない」
どういうことだ、と訝しんでいると「簡単なことだ」と肩をすくめるアレクシス。
軽い毒から暗殺毒まで色々と可能性が潜むのが貴族の家というものだ、と事も無げに言う。
さすがに暗殺毒の無毒化は難しいが、耐毒性を高めることで生き残る可能性を少しでも増やすのだという。だから、幼少の頃から少しずつ様々な毒に触れているのだとか。
実際に酷いところだと、お家騒動で子が親に毒を盛ったりということもあったらしい。勿論、子の加害が証明されれば継承権は失われるので、自分も被害者になるようにとギリギリの量を自らも煽ったとか。
その事件の結果としては親が生き残り、子は死んだ。親の耐毒性が高かったのと、子の見通しの甘さがあったのではないかと言われている。
「貴族の闇を垣間見た気がしました」
「本来は一生見なくてもいいのだけどね」
嫌だ嫌だと溜息を吐きながら首を振る。
そこへコココッとノックの音がして、クリフォードが入ってきた。
同席するとは聞いてなかったのだが?という意味を込めてアレクシスを見ると、少し困った表情をしていた。
「先ほどの話に関連するのだけれど…単刀直入に言うと、昨日クリフに付与してもらったものが役に立ってしまったんだよ」
「――!?」
昨日勝手に付与したものといえば、【混乱耐性】と【魅了耐性】だ。どちらも普段の生活ではかかりようもなさそうだが、先ほどの毒の話を聞いていると「貴族ならばさもありなん」とも思ってしまう。
とはいえ、伊織はこのスキルは出先で役に立つものだと思っていた。
「どうもスキルが対応するものを食らうと、こう、メッセージ画面が出るようなんだよ」
「…昨夜、急に目の前にメッセージが出てきました。魅了を受けたとかで…それで、訳が分からないので兄上に相談した次第で」
「……まさかとは思うんですけど、その画面が見たいがために毒を煽ったわけでは…」
「何事も自分の目で確かめなくてはならないからね」
しれっと言い放つアレクシスだが、おそらくこの男、その耐性が仕事をした画面を見たかっただけに違いない。伊織はそろそろ彼の性質を掴み始めていた。
だが耐性スキルが仕事をした時にメッセージが出ることが分かったのは収穫かもしれない。
「それでだ。下手人を伝って根こそぎ燻り出してやろうと思うんだよ」
「言葉選びが不穏!」
表情こそ柔らかなままだが、よくよく見ればその目は笑ってはいない。
「身内に手を出されるのはある程度仕方ないこととはいえ、我が家で企まれるほど舐められる筋合いはないんでね」
(あ、これだいぶお怒りでいらっしゃる)
つい昨日、怒らせまいと思った矢先だったので、伊織は思わず少し肩をすくめる。
とはいえ矛先は自分ではないし、手段もおそらく物理ではなかろうとすぐに緊張を解く。逆に恐ろしくはあるが、敵地の奥深くまで来て仕掛けた相手が悪いので、同情の価値はなかろう。
「その辺りは内偵でもして計画を立てるよ。それまでは…イオリ殿、この件に片が付くまでは、私たちに耐性スキルを付与していてもらえるかい?」
「え、それは構いませんけど…全部です?」
「そうだね。それが一番都合がいい」
「うん?…ああ、なるほど」
一瞬引っ掛かりを覚えたが、そういえば耐性スキルは仕事をした時に視認ができると聞いたばかりだ。
視認が出来ること、つまりすぐに実行犯は特定できるということで、確かに非常に都合がいい。
いくら実行犯を捨て駒としようと、発覚していないと相手方に思わせることが出来るのならば、尻尾切りをする前にたどり着けるかもしれない。
いや、毒とは違って、魅了などという手の込んだことをしてくる相手だ。毒による急激な変化を望まず、内側からヴェラー家をどうこうしようというのだから長期戦、短くとも中期戦あたりを想定しているだろう。となると、駒もできるだけ長く使いたいはずだ。
「ふふ、ひとまず方針転換をしてくるまでは好きに泳がせておく。魅了は強力なカードだからね、次善の策が見ものだよ」
相手がクリフォードに対して魅了が効かないと判断するまでは、内偵をしながらも放置しておくということだ。もっとも、転換の方向が矛先をアレクシスに向けることであるならば、アレクシスはもう少し放置しようと考えているようだが。
ともあれ、全部の耐性をとのことなので、アレクシスには【混乱耐性】【麻痺耐性】【魅了耐性】を3250MPを払ってセットし、クリフォードには【毒耐性】と【麻痺耐性】を1500MP払ってセットする。
あとは自分に対しても、【魅了耐性】がLv.4でセットされていたのを外し、Lv.MAXに更新する。
トータルで6250MPを朝から払うことになったが、まだMPは半分ぐらいは残っているので大丈夫だろう。
「それで、クリフォード殿が魅了の標的になってるってことは、私は近くにいない方が?」
「逆だよイオリ殿。近くにいて煽ってやるといい」
「ええ…?私にできることなど…」
「ふふ、近くにいるだけでいいんだ。そうだクリフ、イオリ殿のレベル上げの算段でもつけたらどうだい?中級の火魔術を付与しておいたから、少しばかり深くまで行ってもいいぞ」
「それならば行けそうですね。イオリ殿、午後から少し予定を詰めましょう」
「いや話を…いやもういいけどさあ」
アレクシスが何を考えているのかは分からないが、話を聞く気がないというのは理解した。
それよりレベル上げという単語を発したあたり、この二人にとってある程度の作業みたいになっているのだろうか。だとするならば伊織にとっては願ったりなのだが…高望みはしないようにしておこう。
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午後になって昼食を済ませた後、伊織はクリフォードと連れ立って鍛錬場にやってきていた。
一瞬だけざわりとした雰囲気になったが、すぐに落ち着いたようだ。
少し奥まで歩いていくと、誰も使っていない開けた場所にたどり着く。少し遠いところに的のようなものが立っているばかりの殺風景なところだ。
騎士たちの鍛錬は歩きがてら見ていたが、ここに人がいない理由はちょっと分からないので聞いてみる。
「ああ、ここは元々兄上の鍛錬場で」
「なんて?」
よくよく聞いてみると、ここは魔術に対する結界が張ってある場所なのだそうだ。
それもアレクシスが魔術をぶっ放す為に、もともとあった空き場所を整備したらしい。その結界というのも、下手な上級魔術すらも耐えるほどの耐久度を持っているらしいので、見る目を変えればここは要塞とも言っていい。
ちなみにアレクシスが放つ上級魔術にはそろそろ耐えられないらしく、いま彼は中級魔術までしかここでは使っていないようだ。
「そういう訳なので、ここなら遠慮なく魔術を放ってもらって構いません」
「ふうん?でも魔術ってそんなに簡単に出来るものなんです?」
「本来は幼少からの修練が必要なのですが、俺たちならスキル付与された時点で可能ですね。もちろん、ある程度の魔力操作ができるならという条件はありますが」
「イカサマみたいな話だなおい…。ある程度って?」
「鑑定ぐらいの些細な操作ですかね。俺もその程度で使えました」
「ますますイカサマじみてるな…」
要はだ。魔力操作の最初の取っ掛かりさえあれば、魔術発動のための感覚はスキルが補ってくれるという話らしい。
伊織にとっての鑑定とは、勝手に発動していたスキルなので、ハードルらしいハードルはゼロという状態である。
「俺は兄上に初級しか付与して貰ってないですが、基本は同じらしいので、一先ず発動させることを目標としましょう」
そう言ってクリフォードは的に掌を向ける。
伊織の中の中二病が騒ぐ。いざ魔術が目の前で発動するのかと思うと、年甲斐もなくわくわくもしてしまうというものだ。
(ファイアボールなのか、それともシンプルにファイアなのか…あるいはまったく違うワードだろうか。…詠唱は無い方がいいかなあ)
クリフォードに集まる魔力の流れを不思議なことに何となく感じる。この感覚を研ぎ澄ませていくと気配察知に繋がるだろうか。
そして魔力が集約したその瞬間のことだ。
「せいっ」
「は?」
特にスキル名を発することなく放たれた火球が、離れた的へと吸い込まれていった。




