※残されたもの 斎
妹が死んだと斎が聞いたのは、なんでもない仕事前の朝だった。
最初は冗談だろうと思ったのだが、連絡を入れてきた両親がその手の冗談は絶対に言わないことぐらいは知っている。
だから真実らしいことは第一声で理解はしていた。受け入れることを拒否はしていたが。
すぐさま仕事を休む電話を入れ、押っ取り刀で帰ってみれば憔悴した両親と、その奥に見える横たわった妹の姿。
一昨日の夜、近くの神社で倒れてそのまま、らしい。
場所が場所だったので事件性が疑われていたらしいが、本人の所持品から通院歴が見られたので検視には至らなかったようだ。
今日はこのまま通夜をやるというので、斎も何か手伝うかと聞いてみるが、伊織の傍にいてやれとロウソク番に追いやられた。
そこで見た妹の姿。倒れた時に膝や腕を擦りむいたらしいが、顔は綺麗なままだった。
思わず20年ぶりに吐き気が込みあがる。
かつて多くの遺体を見てきた斎だが、身内のものはやはり別だ。
恐る恐る、伊織の顔に手を伸ばす。頬、前髪を少しかき分けて額へ。
「ん…?」
触れることでおかしなことに気が付いた。
20年前の感覚が反応しているのだ。
誰に話しても頭がおかしくなったと言われるだろう経験が、斎の20年前にはある。
夏休み初日に気が付いたら知らない場所にいて、知らない人に囲まれていた。
そして異世界へ召喚されたと聞かされ、帰ってくるために異世界の災厄とやらを滅ぼした。
物理特化の戦い方をしていたとはいえ、あちらの世界では魔力によく触れた。斎はほぼ自己強化にしか使っていなかったが、気配察知の一環として魔力探知は覚えさせられたものだ。
その探知能力が反応している。魔力のないこの地球においてだ。
「でも何で…俺なんてもう使えねえんだぞ…?」
自分の中にある魔力なんてとうに感じなくなっているし、自己強化もすでに使えなくなっている。
魔力に触れたことなどないはずの妹から漂う魔力の気配に戸惑う。
魔力に関する難しいことはほとんど聞き流していた斎なので見当のつけようがない。
今から原因を突き止めたところでどうしようもないが、少し気になって最近の伊織の様子を両親に聞いてみた。
だが両親も通院の話は知らなかったらしく、病院で聞いて驚いていたらしい。
これは仕方ないと伊織のスマートフォンを開く。御影家では家族全員が暗証番号を知っているが、他人のものにはそもそも触らないという暗黙の約束がある。
その約束を破ることに少しばかりの罪悪感を感じながらSNSアプリを立ち上げる。
アカウントが二つあるようだが、鍵のかかった方は極端に交流が少なく、日記代わりに使っていたようだ。
「……先週も病院行ってんのか。何でまた…」
スクロールしながらその辺りの事情を探してみると、弱音の一端が見えてきた。
『結局また分からないってなー、嘘言ってるみたいじゃん』
『どう考えてもおかしいんだよな。何で息が詰まるのに何処も悪くないの?』
『死にはしないだろうけど、これ死んだらどうしようかなあ』
「なんだこれ…。そんな前から?」
何かがあったときにだけ投稿しているアカウントだったから、過去ログを見ていくと、少なくとも数年前から謎の症状に悩まされていたらしい。
数年前、というのがアカウントを作成した日なので、実際はもっと前からなのかもしれないが。
何で誰にも相談しなかったんだ、と思わないでもないが、伊織は昔からそういう気質だ。できる事はできる範囲…いや、それよりももう少し広く自分の中に抱え込む。しかしなまじ能力が高いものだから、抱えきれなくなったということはほとんどない。
逆に言うと、そのために周囲が目を光らせる必要がある厄介な人間ともいえるのだが。
(…いや、魔力残渣があるってことは、原因はもしかしたら帰ってきた俺なんじゃ…?)
この世界にない力に、何の耐性もノウハウもない状態で触れることにリスクが伴ったとしたら?
だとしたら、伊織は斎が帰ってきた20年前から、徐々にその影響を受けていたのではないか。
とはいえ、斎にはもう何をどうすることもできない。もともと自己強化以外の魔力操作は杜撰だし、その魔力操作も魔力がない世界なので雲を掴む以上に何の手出しもできない。
(だとしたら、俺が…間接的に…?)
20年、それも影響の結果が出てしまってから可能性に思い当たるなんて。
あの頃は誰にも言えない秘密の冒険に心を躍らせたものだが、まさかそれがまだ終わってないなどとは思いもしていない。
もう一度あちらに行くことがあったなら、文句の一言でも言ってしまうかもしれない。
そんなことはあり得ないと分かった上での仮定ではあるが。
終わったことだから仕方ない、で割り切るにはあまりに結果が酷だった。
それでも受け入れなければならない。原因が確定ではないとはいえ、罪悪感と共に生きていかなければならない。
「……隼人にも、連絡した方がいいだろうな」
学生時代に伊織が仲良くしていた男だ。伊織も隼人もゲームが趣味でよく気が合ったため、仲が良かった。斎も大学入学で家を出るまではよく話をしていた。
彼らに男女の付き合いはなかったようだが、斎から見ると隼人はそれが本意でもないようだった。斎が大学へ進学と同時に家を出てからは、二人に付き合いがあったかどうかは分からないが。
あとの仲のいい友人は同性なので、それは母から母へと連絡が入るだろう。
重い気分の中、斎はスマートフォンの電話帳を開いた。
のちにこれが転機となることを、彼はまだ知らない。




